--- ジャズ・ヴォーカル感傷旅行 ---by 北村公一 |
北村公一氏の自分史シリーズの一冊である。自分史シリーズは本書のほかに5冊出ている。ジャズ・ヴォーカルの歌手と曲をキーワードにして自分の思い出を語る「ジャズ・ヴォーカル◯◯◯旅行」シリーズと「50年代◯◯◯」シリーズである。 1937年生まれの北村氏は団塊の世代の一つ前の世代の人である。かろうじて子供時代に戦争を体験した世代である。古い映画やレジェンドになっているジャズ・シンガーたちをリアルタイムで見たり聴いたりしている貴重な世代の人である。 本書では15人の女性ヴォーカリストと11人の男性ヴォーカリストを紹介し、彼らや彼らの歌について語るとともにその時々の自分の思い出について語っている。 ダイナ・ショア。著者が、抱いて寝たいくらい好きなアルバムという、「サムバディ・ラヴズ・ミー」のダイナ・ショアは明るく、健康的で、暖かい。そして気品がある。これは聴いてみたい。 ベヴァリー・ケニー。彼女の「星にスウィング(スウィンギン・オン・ア・スター)」を聴くと生きていることが楽しくなってしまう、という。筆者がその名前を初めて聞く歌手である。今までスウィング・ジャーナルその他のジャズ関係の本に出てこなかった名前である。一度聴いてみたい。 モーリン・オハラ。彼女が歌手であるとは知らなかった。ジョン・ウェイン主演の西部劇で酒場のあばずれ女をやっていた女優という認識しかなかった。一度歌手としての彼女の歌を聴いてみたい。 ペギー・リー。歌手として有名な人であるが、今まで聴いたことはなかった。アルバム「ピート・ケリーズ・ブルース」の中の「シュガー」が素晴らしく、スウィングの真髄がここにある、とまで言っている。ぜひ聴いてみたい。 ヘレン・メリル。「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」が有名であるが、著者のおすすめは隠れた名作といわれている「詩と音楽/ローマのナイト・クラブで」だ。ヘレンは青空の下のジャズ・フェスティバルや大きなホールで聴くよりも、小さなナイト・クラブのほの暗い照明の中で聴くのが一番ぴったりする歌手である、と述べている。「ウィズ・クリフォード・ブラウン」は持っているが、このアルバムも聴いてみたい。 フランク・シナトラ。フランク・シナトラのアルバムにまつわる話。「もう一度会いたい、あの人」という章の思い出は著者が子供時代に会った人の思い出である。誰しも子供時代の思い出は強烈に記憶に焼きつくものである。甘酸っぱく切ない話である。 著者は「レコードと本は見つけた時に買っておけ」が鉄則であるという。これは筆者も同感で、あの時に見つけた本をなぜかためらって買わなかったために、二度と手に入れることができなかった、という経験は数多くある。 (2024.12.6) |
--- ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ私評 ---by 西尾幹二 |
西尾幹二氏は1935年(昭和10年)生まれのドイツ文学者、評論家である。ニーチェの翻訳および数々の歯に衣着せぬ鋭い評論で知られている。今年(2024年)11月1日、89才で亡くなった。 「ツァラトゥストラかく語りき」の翻訳者でもある著者はまえがきで「同書は専門知識を持たずとも、読者がじかにそこから自分の生き方の鍵を引き出すことのできる豊富な知恵の宝庫である」と述べている。本書を読むと著者は「ツァラトゥストラ」の文章を自由自在に引用してニーチェの思想を、そして自分の考えを述べている。 「ツァラトゥストラ」はニーチェの代表作と言われている。他の著書は自分の思想をストレートに表現していてわかりやすいが、「ツァラトゥストラ」だけは思想が隠喩で表現されていて、ついつい物語り、あるいは伝説として読んでしまう。西尾氏は隠喩の中からニーチェの真意を我々に伝えてくれる。 「ある者は心情が最初に老いる。またある者は知力が最初に老いる。またなかには、青春のうちにもう老人という者もいる」。老境に入った筆者は常々人間の老化は心か、頭脳か、体力かということを考えている。あのサッチャーでさえ心と頭脳が劣化してしまったのだ。60才を過ぎたら誰もが考えることだ。筆者は病院へ行くたびに老化は足からということを目撃している。心と頭脳は諦めるにしても足は物理的に鍛えられる。ここに唯一の活路を求めている。 「行為と運動の中に思想をとらえて初めてそこに意味が生じる。現代人の多くは自らは決して行為せず、反省と解釈だけでことを済ませている」とか「他人のいだく自分のイメージ以外に、自分に対する確信が持てなくなってくる」とか「集団でことを構えることはするが、個人の責任で争おうとする者はいない」という文章は、ニーチェを解釈した西尾氏の文章である。19世紀に生きたニーチェの言葉は現代に生きる我々に対しても鋭く迫ってくる。 「志の高い人間は、いったん内部からこわれると反対側へ転落していくその振幅の幅もきわめて大きい」というニーチェの指摘も人間観察の鋭さをうかがわせる。 「ツァラトゥストラ」は安易に読もうとする読者に対して、その全貌を明らかにすることはない。 (2024.12.5) |
--- マルテの手記 ---by リルケ |
本書はオーストリアの詩人 ルネ・マリア・リルケが29才から35才までの間に書いた小説である。51才までの生涯における彼の唯一の小説であった。リルケのすべてが本書には含まれている、といってもいいだろう。 冒頭の「人々は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」という文章は、マルテというデンマークの詩人がひとりパリに住み、部屋から外を眺めながら漏らした感想だ。 読者が自分が住んでいる街に当てはめて本書に共感することができるなら、本書は彼または彼女にとって大切な書物になるだろう。 筆者は何十年も前に本書を購入した。読もうとするたびに冒頭の文章にはじき出されてきた。10回以上はじき出されたのち2020年、突然招き入れられたのである。 2回目の今、本書は懐かしい思い出のように優しく招き入れてくれた。 彼は街へでる。雑踏をあてもなく歩く。カフェに寄る。ルーブルに入る。かつての自分や一族のことを回想する。その思考はマルテのものであり、リルケのものでもある。本書は部屋の中ではなく、街なかを歩き、公園のベンチで、カフェのテーブルで、人々の気配を感じながら読むと良い。 五味康祐氏は本書を何十回も読んだ。詩人の魂を持つ彼はマルテのどの部分に反応したのか。 マルテは思う。「人は一生かかって、70年、80年かかって、わずか十行の立派な詩が書けるだろう。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ」と。五味氏は彼の著書「天の聲 ー西方の音ー」で同様のことを述べていなかったか。 本書にどことなく林家 第一部では思考の断片が延々と続いてゆく。ベートーヴェンについて、公園で鳥たちにパンくずをやる男について、イプセンについて、街をゆく舞踏病らしい老人について、彼女に宛てて書いた手紙の一節について、・・・。彼は自分の目に映った、あるいは心に引っかかったことを散文にして散りばめてゆく。 その中に次の文章があった。「ありとあらゆる不安、心配、気がかり・・・。再び少年時代は帰ってきた。僕はそれが昔のままに重たく陰鬱であり、年をとることがなんの変化も与えるものではないのを感じた」。一部の人間は一生老成することなく、青年の心で生きる。リルケもそのようなひとだった。 第一部の後半から第二部の前半にかけて、思考は家族の思い出にはいり込んでゆく。広大な屋敷に誰が住んでいてどういう生活をしていたか。子供時代のことなので自分に関わりがあった者しか覚えていない。思考が現在の生活に戻ると、すでに全員がこの世のものではないのだ。現在どういうわけで、28才の彼がパリの片隅で貧しい暮らしをしているのかは説明されない。 第2部の後半、手記は自分のことから離れてフランスの国王について、ローマ法王について、あるいはポルトガルの一尼僧について語られる。彼は最後に聖書の中の放蕩息子の伝説について語り、本書を締めくくる。聖書はおそらく旧約聖書のことだろう。彼は自分を放蕩息子の伝説に託して語っている。 本書の後半部はヨーロッパの歴史や聖書に出てくる人物たちについて知らなければ意味がわからない。基本的な西洋の歴史についての素養がない者のためには数多くの注釈と解説が必要である。 ドイツの大統領夫妻が来日した時、リルケについてドイツ語で夫妻と語り合った雅子皇后の教養の深さには恐れ入るばかりである。リルケについて語るには本書ばかりでなく、彼の詩集や「ドゥイノの悲歌」「オルフォイスへのソネット」「ロダン論」などを読んでいなければならないだろうから。 (2024.12.3) |
--- 航空救難隊 ---by ジョン・ボール |
著者のジョン・ボールは作家になる前、アメリカ合衆国空軍の操縦教官をしていた。彼の出世作は「夜の熱気の中で」という刑事もので、「夜の大捜査線」という題名で映画になった。これは1965年に出版した刑事ヴァージル・ティップス・シリーズの最初の小説である。 本書は1966年に出版された。1970年の「最後の飛行」とともに著者の得意分野である航空機ものである。残念ながら著者の航空機ものの小説はこの2冊しかない。 単発機の免許しか持っていない二人の操縦士たちが、嵐の中昇降舵が故障した大型旅客機を操縦して安全な場所に運ぶ。機内には二人の急病人と85人の避難民を乗せている。 操縦士たちは「不確かなときは黙るにしかずだ」「まるっきりわからないこと、これはやれない。だがわれわれにやれること、これはやらねばならない」と、目もくらむほどたくさんの計器やスイッチ類をみて言いあわせる。 これは一つの目的に向かって大勢の人が協力して努力する物語である。二人の操縦士たちは二人の病人を助けるために、空軍基地司令官は故障した旅客機を無事滑走路に着陸させるために、島の神父は冬眠を安全な場所に避難させるために、それぞれが最善の努力をする。 彼らが大型の飛行機を操縦する描写は真に迫っている。特に着陸時の様子は手に汗握る。飛行機の操縦は着陸が離陸の何倍も難しいのだ。少しのミスで墜落してしまう。 この優れたパニック小説が発行されたのは1967年である。現在どの出版社からも発行されておらず、絶版状態が続いている。映画化されればヒットすることは間違いないが、映画化されたという記録もない。なんとも残念なことだ。 (2024.11.24) |
--- 人生の読本 ---by 山口 瞳・選 |
本書には13の短篇が収められている。作家の山口瞳が選んだだけあっていずれも読み応えのある短篇である。本書の表題は「人生の読本」となっているが、内容からすると「サラリーマン小説選」と言い換えても良い。 庄野潤三の「プールサイド小景」は冒頭、女子高校生たちの水泳の練習を眺めている男の描写から始まる。小説がここからどの方向へ向かうのか想像もつかない。優れた映画が主人公を遠望する場面から始まり、徐々に近づいて主人公の内面に入り込んでいくようなテクニックである。主人公の家庭生活や彼が抱えている問題、そして複雑な彼の性格、彼の行末が20数ページの小説に描かれている。 「パニック」は開高健の出世作である。県庁の山林課の職員が主人公である。120年に一度咲くという笹の花が咲いたことからネズミの大発生を予測した職員の話。自分の良心に従って行動する彼と組織内の立場を重んじる上司との対立を描いている。対立とは言っても表立って対決するわけではない。職員の行動は臨機応変で現実的である。無駄な労力は使わない。適度に上司に従い、適度に自分の良心に従う。ネズミ騒動を背景にして、組織の中で現実的に行動する人間を描いている。組織に完全に順応したり、良心に従うあまり自殺してしまうという極端なやり方をしない生き方である。 井上靖の「満月」は2代に渡る社長の交代劇を描いている。社長に就任した時の高揚と退任する時の悲哀を対比して、サラリーマンという職業の虚しさを表現している。 城山三郎の「調子はずれ」は昭和38年発表の小説。当時の新入社員教育が描かれていて興味深かった。禅寺で3週間の合宿講習。毎日朝から晩までぎっしりと社員教育の講習が組まれている。優秀な者5名はその後社長の自宅に泊まり込んで社長直々に教育を受けるという。今の新入社員なら全員途中で脱落するだろう。もちろん筆者はいの一番に逃げ出す。 山口瞳「シバザクラ」。家族で散歩の途中、庭に芝桜を植えてある家の前を通りかかる。語り手はそれを見て、以前仕事で付き合いのあった西藤という人物を思い出す。ここから語り手と西藤氏とのかつての交流が回想される。それは語り手がPR雑誌の編集者をしていた頃のことだ。回想の部分が小説ともエッセイともつかない山口瞳独特の文体で綴られる。ーーー。 阿部牧郎「蛸と精鋭」。一種のサラリーマン小説。ただしタコの仲買業である。タコの仲買業者である主人公は一週間の休暇をとって北海道から東北へ、そして佐渡へ渡り、そこでたくましい漁師の娘に出会う。彼女に出会ったことで彼の運命は微妙に変化する。 山田智彦の「長い休暇」は「調子はずれ」と同じ社員研修もの。こちらは新入社員ではなく、課長の研修である。 その他木山捷平の「定期乗車券」、安岡章太郎の「吟遊詩人」、源氏鶏太の「流氷」、永井龍男の「一個」、五木寛之の「幻の女」、畑山博の「虫」が収められている。巻末に豊田健二と山口瞳の対談解説がついている。 講談社文庫のアンソロジー・シリーズは本書のほかに15冊出ている。高橋健二・選の「教養小説名作選」、池波正太郎・選の「捕物小説選」、三好徹・選の「情報小説選」を読んでみたい。 (2024.11.22) |
--- 天の聲 ー西方の音ー ---by 五味康祐 |
本書は「西方の音」の続編である。「西方の音」がオーディオに関するエッセイが主体であったのに対して、本書は音楽に関する評論が主体になっている。 本書には17の音楽と音楽家に関する評論が収められている。五味康祐というとタンノイ・オートグラフをマッキントッシュのアンプで鳴らすことに情熱を傾けている印象があるが、本書を読むと音楽を聴き込み、音楽家について勉強している五味氏の別の姿が浮かび上がってくる。 著者は毎年年末になるとFMで放送されるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をその時代の最高のチューナー、最高の録音機で録音することで知られている。本書の表紙にワーグナーの顔写真を使っているように、彼のお気に入りの作曲家はワーグナーであり、ベートーヴェンであり、モーツァルトである。 本書は主にワーグナー、ベートーヴェン、モーツァルトについて書かれた評論が収められている。筆者が興味深く思ったのはそれ以外の作曲家について五味氏が記した記事である。 「マーラーの闇とフォーレ的夜」ではマーラーとフォーレについて、「トリスタンはなぜ死んだか」ではワーグナーとシューマンについて語っている。作家の視点から見たマーラーとシューマンの人となりが実に興味深かった。 写真で見るマーラーは神経質で几帳面そうな印象であるが、妻アルマから見た夫としてのマーラーは気が短く、子供っぽい人物であった。五味氏によるとマーラーは死ぬまで青春的雰囲気の中にいた人だったらしい。 対してシューマンは場当たり的な八方美人で何事にも長続きのしない人物であったようだ。音楽家よりも作家に向いた体質の人だった。確かにシューマンは数多くの音楽評論を出版しており、文章には定評があったらしい。シューマンの未亡人クララとブラームスの関係は有名である。ブラームスは生涯クララの面倒を見たが、結婚に踏み切ることができず、独身のまま終わることになる。 「三島由紀夫の死」で作家独特の視点で三島の死を論じている。自分は何回か死にたくなったことがあったが、そのつど音楽に救われている。三島が真剣に音楽を聴いていたらああいう死に方はしなかった、と断言している。 「ヨーロッパのオーディオ」で著者は、オーディオ装置に高級なプロ仕様のものだけを使うのは宴会料理を家庭に持ち込むようなものである。生の音を家庭で作れるはずがないということを前提にして、自分の音を構築することを考えるべきである、と述べている。数千万円のお金をオーディオ装置に注ぎ込んだ著者の言葉だけに重みがある。 五味康祐はオーディオや音楽のほかにマージャンや占いの本も出している。56才の時に、私は58才で死ぬだろうと書いた彼は予言通り1980年58才で亡くなった。 (2024.11.19) |
--- コールドウェル短篇集 ---by アースキン・コールドウェル |
アースキン・コールドウェルは1903年にジョージア州アトランタ郊外のモアランドで生まれた。ナサニエル・ホーソーンやエドガー・アラン・ポート同世代のアメリカの作家である。代表作に「タバコ・ロード」や「神の小さな土地」がある。たまたま古本屋で見かけて購入したのだが、ネットの書評等で見るとこの作家はかなりマイナーな作家らしく、読んだことのある人はかなり少ないようである。古本屋でしか購入できない作家の一人である。 本書には14の短篇が収められている。それぞれが短い短篇であるが、一話一話が独特の世界を持っているため、続けて次々と読むことはできなかった。 「おもかげ」。 「小春日和」。 「アグネスよ、私たちはあなたを見ている」。 「空虚な部屋」。 「ドロシー」。 「夏の夜の出来事」。 「淋しい日」。 「緑の山を越えて」。 「モード島」。 「娘」。 「 「キャンディーマンのビーチャム」。女に会うために道を急ぐ黒人のキャンディーマンが白人の警官に停められた。止まらないと撃つと言われたが女に会うために急ぐキャンディーマンは止まらなかった。 「民衆対黒人エイブ・ネイサン」。 「昇る太陽に跪く」。 それぞれの短篇は短く、全部で200ページほどの薄い文庫本なのだが、読み応えは重量感があった。 (2024.11.13) |
--- シェパード ---by フレデリック・フォーサイス |
3つの短編が収められている。 「ブラックレター」。 「殺人完了」。 「シェパード」。 一番近くの空港に着陸したのとほぼ同時に燃料が切れた。しばらくすると空港の係員が来たがどうも様子がおかしい。やがて信じられないことが判明する。 最後の数行を涙なしで読み終えることはできない。 (2024.11.10) |
--- 地層捜査 ---by 佐々木 譲 |
主人公は迷宮入り事件を専門に捜査する部署の刑事。彼が担当するのは15年前に四谷荒木町で起きた殺人事件である。 15年と一ヶ月前に起きた事件なので時効が成立しているのだが、法律改正により殺人事件の時効は無くなった。刑事水戸部は当時の捜査資料を読み、現地に出向いて捜査を始める。相棒は定年退職後の元刑事で、相談員という肩書きで水戸部の手助けをする。 現地に毎日のように足を運ぶが、15年前とは街の様子はすっかり変わっている。どこから捜査して良いのかまるで分からない。 著者は四谷荒木町という400メートル四方くらいの狭い地域を丹念に描写する。読者は元三業地で、全盛期には200人の芸者がいたというこの地域の地理や歴史について刑事と一緒に学んでいくことになる。水戸部はメグレ警視のように事件現場に深く入り込み、現地の空気を呼吸することで事件を解決に導いてゆく。 都内の各所に元三業地であったり遊郭であったりした地域の跡地が残っている。それぞれ以前とは街の名前が変わっていたり、建物の様子も変わっている。だがそこへ足を運ぶとなんとなく以前の雰囲気が残っているのを感じる。本書を読んで四谷の町の真ん中にこのような場所があったのかと初めて知らされた。 (2024.11.8) |
--- ミステリ散歩 ---by 各務三郎 |
本書が執筆された1973年はミステリー界では、以前から活躍していた作家たちーアガサ・クリスティ、エラリイ・クイーン、ディクスン・カー、ロス・マクドナルドーに加えて、新進の作家たちーディック・フランシス、ジョン・ル・カレ、ジョン・ボール、トニー・ケンリックーが続々と出てきた時代である。当時はミステリー、冒険小説、スパイ小説などの分野の優秀な作家たちが新旧入り混じって読書界は隆盛を極めていた。 また古くからある岩波文庫や新潮文庫に対して、講談社文庫や旺文社文庫、扶桑社文庫などの新しい文庫本が続々と出版された。 本書はミステリーの紹介本として、当時の旬の作家たちを取り上げている。ここには知っている作家の作品もあれば、現在までまるで知らなかった作家の作品も取り上げられている。今読んでも興味深い内容である。 アンドリュー・ガーブの「ヒルダよ眠れ」や、カトリーヌ・アルレーの「わらの女」は存在は知っていたが未読である。シーリア・フレムソンの「夜明け前の時」や、ジョージ・バクストの「ある奇妙な死」は作家も作品も全く知らなかった。E.S.ガードナーの「ペリー・メイスンシリーズ」や、エド・マクベインの「87分署シリーズ」は以前読んだことはあるが、今あらためて読んでみたい本である。 (2024.11.7) |
--- 帝王 ---by フレデリック・フォーサイス |
処女作ジャッカルの日で世界的なベストセラー作家になった著者の初めての短編集である。本書には8編の短編が収められている。 「よく喋る死体」。取り壊した家から死体が発見された。その家に住んでいた老人を取り調べると・・・。皮肉な結末。 「アイルランドに蛇はいない」。アイルランドのベルファストに住むインド人の留学生が学費を稼ぐために日雇いの仕事に就いた。そこで人夫頭から不当ないじめを受ける。留学生は復讐を決意する。彼の採った方法は・・・。 「厄日」。アイルランドのフェリー港が舞台。大量のコニャックを積んだトレーラーを襲うはずだった強盗たちが、手違いから別のトレーラーをハイジャックしてしまった。その後のドタバタ、そしてとんでもない幕切れ。フォーサイスは短編もうまい。 「免責特権」。法廷もの。普通の市民が新聞社の誤った記事で名誉を失墜し、社会的にも葬られた。新聞社に抗議に行くが相手にしてもらえない。記事を書いた記者に会うこともできない。控訴し、裁判に持ち込んだとしても多額の費用がかかる。彼が考えた起死回生の方法とは「免責特権」だった。さて、その方法とは・・・。胸の空くような結末に拍手喝采。 「完全なる死」。癌であと数ヶ月の余命を宣告された主人公は莫大な財産を相続させるための妻も子供もない。欲深な妹夫婦がいるのみだ。彼は遺言書を書き直し・・・。 「悪魔の囁き」。裁判所に出向くために乗った列車の中でポーカー詐欺に引っかかった判事は・・・。 「ダブリンの銃声」。アイルランド人の夫婦がフランス国内を旅行中、車が故障し立ち往生した。車を修理に出して、通りかかった農夫に一夜の宿を借りた。話をしてみると農夫は以前イギリスで兵士をしていた。農夫の話を聞いて夫婦は驚愕した。さて・・・。 「帝王」。銀行の支店長をしている主人公が休暇をもらって、夫婦でインド洋に浮かぶ島に出かける。そこで彼はカジキマグロ漁に誘われる。運良くヒットし、巨大なカジキマグロと対決することになった。8時間に及ぶ激闘の末、カジキマグロをつく上げるのに成功した彼は人生観が一変する。ヘミングウェイの「老人と海」や「海流のなかの島々」で描写された人間と魚の対決がここでも描写される。平凡なサラリーマンが人間性を回復するラストシーンがカタルシスを呼ぶ。 (2024.11.6) |
--- パンセ ---by パスカル |
著者のパスカルはパスカルの原理やパスカルの定理などの発見である。彼は39才で早逝したが、哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、デカルト主義者、発明家、実業家として活躍した万能の人であった。。 彼の哲学者、思想家、キリスト教神学者としての代表作が本書である。彼は生涯にわたって哲学的考察をメモしていた。彼の友人たちはその遺稿を編集し、パンセ(瞑想録)と名付けて出版した。 それぞれの考察の内容は多岐にわたっている。いずれも人間に関する考察である。 「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という有名な言葉は本書の347項に出ている。その他いたる箇所でパスカルは思考の大切さを述べている。考えるということは地球上で人間にしかできない特権であり、それ無くしては人間が人間として生きることはできない、と述べている。 加えて「自己満足の知識に染まって、ものの分かったふりをする人々がいる。こういう人々が世間をかきにごす」と述べ、そうした半可通の者たちをパスカルは非難する。 「なんだか私にはわからないものが全地を、王たちを、軍隊を、全世界を動かす」と述べ、その後に「クレオパトラの鼻、もしこれが低かったら地上の全表面は変わっていたことであろう」という有名な文章が続く。戦争の原因を探ってみたら、クレオパトラの鼻の高低程度のことであったかもしれないというが、現代の世界における紛争も始まりは何が何だかよくわからない。 「君は人からよくおもわれたいか。そうであるなら君のよさを人に語ってはならない」という言葉は人間理解の深さを物語っている。自慢すればするほど人から煙たがられるのはいつの世の中でも同じことだ。 彼は敬虔なキリスト教徒であった。本書が彼の忘備録である以上キリスト教に関する記述がある程度あるのは仕方がない。約半分の章がキリスト教徒としての意見に費やされている。それはカール・ヒルティの著作「眠られぬ夜のために 第一部」と「眠られぬ夜のために 第二部」に書かれている記事と同様キリスト教讃歌であり、無条件に賛美するものである。他の哲学的考察は数学者、物理学者らしく論理を積み重ねたものであるのに、議論が宗教になると「それは正しいがゆえに正しいのである」的な思考しか持てないのに違和感を覚えた。とはいえ彼が幼少の頃から病弱で39才で亡くなったことを考えると、宗教にすがりたくなるのも当然のような気もする。 (2024.11.5) |
--- 作家の老い方 ---by 草思社編集部 |
あさのあつこ、角田光代、向田邦子をはじめ、谷崎潤一郎、筒井康隆、金子光晴という作家たちがそれぞれの老いについて語っている。小説や詩、インタビュウに答えて等、かつて作家たちが老いについて語った記事を集めたアンソロジーである。 詩人、小説家である松浦寿輝氏が勤めていた東京大学を退職するときに多くの人からかけられた言葉「これから何をするんですか」に反応し、「さて」と思った。多くの青春小説のテーマは「これから自分は何をするのか」ということがテーマになっていると考える。「魔の山」「デミアン」「赤と黒」「感情教育」「三四郎」等これから人生に乗り出していこうとする若者を描いた文学作品のほとんどが「これから自分は何を・・・」ということがテーマになっていることに気づく。著者は「これから自分は何をするのか」というよりも「このあと自分に何が残されているのか」ということに思い当たり、がく然とする。 作家の島田雅彦氏は老人の生活のテーマは退屈との格闘であるといい、「老人は退屈とどう戦うべきか」が今後のの文学のテーマになるだろうと述べている。 (2024.10.27) |
--- デミアン ---by ヘルマン・ヘッセ |
ヘッセは十代の頃よく読んだ。「車輪の下」「青春は美わし」「知と愛」「本書」「荒野のおおかみ」。以来これらの本を読むことはなかった。ヘッセの書はなかなか読めるものではない。ある資格がいるからだ。求道的なものを求める若者であるという。 ここ数年何度か読み返したいと思い、試みるのだが、毎度はね返されてしまう。いつのまにか資格を失なってしまったらしい。実は以前読んだ本は現在一冊も所持していない。いずれも最近買いもとめたものだ。 さて「デミアン」である。夢中で読んでしまった。ヘッセの書は夢中になれなければ読了するのは困難である。 暗示に満ちた書であった。主題ははっきりしている。「どんな人間にとっても、真の天職とはただひとつ、自己自信に到達することだ」という文章がすべてである。 ヘッセ自身と思われる青年、エミール・ジンクレールの10才から20才前後までの内面の記録である。10才の頃彼が苦境におちいった時、マックス・デミアンという転校生が救ってくれる。以来友人になったが、いつも会っているわけではない。デミアンはジンクレールが苦境におちいった時、迷った時にしか姿をあらわすことがない。ときたま遠くに見かけることはあるが、ジンクレールの前にはあらわれない。 ジンクレールと対面した時、デミアンは数々の有益な言葉を投げかける。 「カインはアベルを嫉妬から殺したのではない。強いものけだかいものが、弱いもの軟弱なものをうち殺したのである。これは正しいことである」、「なんでも十分よくこころざすことはかならず成功する」、「鳥はむりに卵からぬけ出ようとしている。生まれ出ようとする者は、誰でもひとつの世界を破壊しなければならない」等々。 デミアンが折々に発した言葉は、迷路に迷い込んだジンクレールを正しい道に導いた。そして10代のころの筆者にも生きる勇気を与えた。 (2024.10.25) |
--- 西方の音 音楽随想 ---by 五味康祐 |
五味康祐は本職の小説のほかに麻雀、手相・人相、音楽、オーディオについての本を出している。いずれも趣味の域を通り越している。 音楽については1969年本書、1976年「天の声」、1980年「いい音いい音楽」を、オーディオについては1976年「オーディオ教室」、1980年「オーディオ巡礼」を書いている。 本書は著者が初めて出した音楽の本なので気合が入っている。クラシック音楽に限らず、オーディオについても情熱的に書いている。 音楽はモーツァルトの歌劇やベートーヴェンの弦楽四重奏、ピアノソナタが好みのようである。オーディオはタンノイのスピーカー「G.R.F.オートグラフ」を生涯かけて聴き込んでいる。これは数千万円かけて国内国外を問わず定評のあるスピーカーを聴き込んだあげく、最後にたどり着いたスピーカーであった。 最後の章で、戦前戦後にかけて日本人がベートーヴェンの生き方や音楽から受けた影響について述べている。日本人の国民性とベートーヴェンの生き方はどこか相通ずるものがあった。ベートーヴェンの交響曲、特に9番の交響曲が日本人に与えた影響力の強さは、今でもこの曲が演奏される回数が世界で一番多いことからも証明されている。 (2024.10.24) |
--- 暖簾 ---by 山崎豊子 |
明治、大正、昭和に渡る大阪の昆布問屋の変遷を描いた作品である。第一部では八田吾平の、第二部ではその次男の孝平の活動を描いている。 吾平は15才の時に淡路島から出てきて大阪の昆布問屋に丁稚として務める。彼は24才の時に暖簾分けを許され自分の店を持つ。店は繁盛するが戦災で焼けてしまう。次男の孝平は父の死後その暖簾を継いで一から店を立ち上げようとする。大学を出た彼は父親とは違うやり方で店を作り上げる。親子二代の大阪商人の歴史を描いた作品である。 会社というものは常に変化していかなければ滅びる。代々同じやり方では続かない。個人商店でも同じである。親には親の子には子の考え方の違い、時代背景の違いがある。同じやり方を踏襲していたのでは時代位から取り残されてしまう。吾平と孝平のやり方を見て、そのことを強く感じた。昆布問屋「浪花屋」が発展したのも親子それぞれが独自のやり方で努力したからこそである。 映画を見てから読んだので話の筋に抵抗なく入っていけた。映画は菊田一夫によって舞台化された作品をもとにして作ってあるので、話の展開が舞台的で変化に富んでいた。小説は映画よりは地味な展開であった。小説では吾平の妻とかつての恋人との軋轢などはなく、また孝平の結婚問題などもなかった。舞台では話を盛り上げるために男女関係のいざこざが必要だったのであろう。映画には映画の小説には小説の面白さがある。今回は同時期に両方味わい、大阪商人の世界にどっぷり浸ることができた。 (2024.10.18) |
--- 寺島流 JAZZの聴き方 ---by 寺島靖国 |
「愉しみ方に誰の遠慮がいるものか」と「最新名曲名盤126選」という2つの副題がついている。この副題で本書の主旨をはっきり示している。寺島氏独特の歯に絹着せぬ書き方でジャズ・ミュージシャンやレコード会社に遠慮することなくジャズについて、ジャズのLPやCDについて語ります、と宣言しているのである。 読者、リスナーにとって福音ともいえるジャズ評論集である。「最新名曲名盤」と名乗っているように本書にはいわゆるジャズ・ジャイアントたちの名盤は出てこない。登場するのはジャッキー・テラソンであり、サイラス・チェスナットであり、大西順子である。本書が執筆されたのは1995年である。「最新」は1995年時のものである。 早速聴いてみたい曲が続々出てきた。 だれの演奏でも良いが「エスターテ」という曲。大西順子のアルバム「WOW」の中の曲「B.ラッシュ」。トニー・ウィリアムズのアルバム「スプリング」の中の曲「ラブ・ソング」。サイラス・チェスナットのアルバム「レベレイション」。キース・ジャレットのアルバム「スタンダーズVOL.2」の中の曲「ムーン・アンド・サンド」などである。 (2024.10.15) |
--- さらばモスクワ愚連隊 ---by 五木寛之 |
五木寛之初期の名作である。本書には5篇の短篇が収められている。 「さらばモスクワ愚連隊」。「GIブルース」。 語り手は死にゆく者への鎮魂歌として物語を語る。2話ともバックにジャズがながれている。 「白夜のオルフェ」。「霧のカレリア」。 「艶歌」。 (2024.10.14) |
--- 五木寛之全紀行 バルカンの星の下に ---by 五木寛之 |
各章の最後にその文章を書いた日付が記されている。ノルウェー編だと(1975年8月)、(1975年7〜8月)、(1996年8月)、(2002年1月)と。それぞれの年齢は43才、43才、64才、70才ということになる。彼が最初にソ連、北欧を旅したのは1965年、33才の時であった。同じ場所に定点観測のように訪れる旅である。彼は作家であるから、それぞれの旅の印象を反映した小説を書いている。最初の旅は「さらばモスクワ愚連隊」と「青年は荒野をめざす」となった。彼はこの二つの小説で華々しくデビューすることになった。当時「青年は荒野をめざす」を持ってシベリア鉄道に乗り、またはアエロフロートに乗ってソ連、北欧の旅に行く若者が続出したという。 初期の短篇集に収められた作品のほとんどはこのソ連から北欧への旅から得た題材を使っている。1965年というのは五木氏にとって特別な年であった。それまでの全ての仕事を清算し、結婚し、長期の旅に出た。そして翌年から作家生活を開始する。 このエッセイ集で1967年とか1968年の日付のあるものはどこくなく緊張感があり、切実な気分が漂っている。70年代、80年代、90年代と進むうちに文章に余裕が出てきて、緊張感が薄れていく。小説においても後期の作品「青春の門」とか「燃える秋」とかに比べて初期の作品「さらばモスクワ愚連隊」とか「蒼ざめた馬を見よ」の方が緊張感がある。 初期の作品は緊張感に満ち、主題も明確であるが、ある時点から緊張感に欠け、主題もあやふやになってくる。こういうことは全ての作家に共通しているように思う。 (2024.10.13) |
--- ソフィアの秋 ---by 五木寛之 |
「ソフィアの秋」「ヴァイキングの祭り」「ローマ午前零時」「残酷な五月の朝に」の4篇が収められている。いずれも男たちの夢と挫折の物語である。 「ソフィアの秋」久しぶりに会った大学時代の友人が一攫千金を求めて追い求めていたのはロシア正教のイコンだった。イコンはパソコンの画面で使われているアイコンの語源になった言葉である。板に描かれた聖画像をさす。 イコンには、キリスト、聖母、聖人のほか、キリストや聖母の生涯、聖人伝など聖書の一場面が描かれている。友人はブルガリアに大量のイコンが隠されている、と語る。そこから主人公の旅が始まる。 「ヴァイキングの祭り」北欧に旅に出た恋人がノルウェーのオスロで自殺した。婚約者である主人公は自殺の原因を求めてオスロへ向かう。そこで彼が出会ったものは・・・。 「ローマ午前零時」。CM業界で働く男とそこの経営者とその愛人。3人の現在と過去を描きながら物語は進んでゆく。著者自身がかつて所属していた業界なので話に現実味がある。男が作成したCMをニースで開催されるCMの国際大会に出品するために3人はローマ経由でニースに入る。コンクールの結果は、そして3人の関係は・・・。 「残酷な五月の朝に」。1968年のパリ革命が舞台になっている。大学闘争の時に過激派に所属していたが、現在広告代理店を経営する男が主人公。男は不振の事業を立て直すため、パリ革命の最中街中に貼られたポスターを回収し、東京で展覧会をやろうと目論む。決死の覚悟でパリ市内に入り込むことに成功した男は過激派の学生に取り入り、ポスターを手に入れることに成功するが・・・。著者は戦後満州から引き揚げてきてから作家になるまでにあらゆる職業を経験する。そのひとつが広告代理店の仕事であった。主人公の日本における生活にはリアリティがある。オフィスの窓から外を見ると、半裸のストリッパーが七輪で秋刀魚を焼いていた、という描写は著者自身が実際に体験したことである。 (2024.10.11) |
--- 愛と認識との出発 ---by 倉田百三 |
本書は倉田百三が21才から29才までの間に雑誌に発表した論文をまとめて、30才の時に岩波書店から発売したものである。21才の時に発表した「憧憬ーーー三之助の手紙」を読むと、その文章の巧みさと知識の多さに驚く。彼の文章家としての技倆は20才前後にはすでに完成されていたと思われる。彼は「憧憬」で女性に対する憧れを書いているが、早くから数々の恋愛体験があり、16才で友人の妹と婚約し、21才の時に本格的な恋愛を体験し、24才で看護婦と同棲して子供を作る。そして33才の時に別の女性と結婚する。 「憧憬」では「永遠にして崇高なものをぐっと握りしめるまでは、私どものなすべきすべてのことはただ思索あるのみである」と意欲的に思索の生活に入ることを宣言する。 彼は哲学者の西田幾多郎に傾倒する。「生命の認識的努力」の副題は「西田幾多郎論」と題されている。彼は「我らの個人意識を分析すれば知情意の精神作用の連続であるに過ぎない。特別に自己なるものは存在しない」と述べている。西田幾多郎は「善の研究」のなかで「真摯に生きんとする人は必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずにはいられないのである」と述べている。倉田はクリスチャンであった。 倉田は西田の思想に共鳴するが、「キリスト教的な愛については述べられているが、性欲の匂いのこもった愛についてはなんの説くところもない。また死についても述べられていない」。と西田に対する不満も漏らしている。若年時から結核を患い、生涯病弱であった倉田にとって愛と死は切実な問題であった。 「異性の内に自己を見出さんとする心」。著者にとって常に女性が必要であった。「恋なしには充実した人生を送れない」「げに恋こそはまことのいのちである」と述懐するように、10代の頃から著者の隣には女性がいた。本書の題名「愛と認識との出発」の愛はキリスト教的な愛ではなく、肉体的な愛であった。 「自然児として生きよ」。いっこう校友会雑誌に発表した文章である。卒業式の総代を務めた先輩の矢内原忠雄に対して、彼の総代としての言葉を批判した文章になっている。矢内原氏はのちに経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員を務めた人物であり、正三位勲一等瑞宝章を受けている。謹厳実直な矢内原氏に対してのちの文学者が八方破れな意見を述べている。正しい意見なのだが、お互いのベースが違い過ぎて、同じ土俵には乗っていない。学生時代の付き合いはそうしたものだろう。 「母子の愛と男女の愛とは愛と異なるのみならず相そむくものである。それは愛ではなくてエゴイズムの系統に属するものである」と倉田百三が述べたのは1915年に発表した論文「隣人としての愛」のなかでである。子殺し母殺し、ストーカー殺人はエゴイズムによるものである。 「隠遁の心持ちについて」では24才の倉田が自分の正直な心持ちについて述べている。彼は前章で母子の愛と男女の愛とについて述べたが、本章では隣人の愛についても具代的に述べている。それによると著者は狭量であるため、すべての隣人に対して愛を持つことはできない。ごく少数の人にしか愛を感じることはない。義理で追従したり愛想笑いをすることは苦痛である。と述べている。自己に対して正直で誠実な者はそう考えるのが当然であろう、と筆者も思う。100年以上前の人ではあるが、彼を身近に感ずる。 「過失ーーーお絹さんへの手紙ーーー」。偽善に満ちた手紙である。「本道と外道」のエゴイスチックな好人物とは著者自身のことではないかと思わせる。お絹さんとは倉田氏を看護するために派遣された看護婦・神田晴子さんのことである。著者はなしくずしに晴子さんと同棲し、子供を産ませて地三と名付ける。著者は7年後、晴子さんと地三を捨て、伊吹山直子さんと結婚する。のちに直子さんと離婚し、以前の婚約者・逸見久子さんと同棲する。そこに別れた晴子さんが同居し、共に暮らすことになる。著者の女性関係は複雑でわかりにくい。敬虔なキリスト教徒の私生活は決して単純なものではない。 「他人に働きかける心持ちの根拠について」より。親しい女性から「あなたは善い人間だが、ただちに人の懐のうちに飛び込んで中を見ようとする・・・」とか「他人がアクセプトしないのに愛したがる・・・」とか言われる人物。「その愛を働きかけることは他人の運命を傷つけずしては至難の業である」と自覚している人物。それが倉田百三という人物である。実に人間的なひとであったと思われる。筆者はあまり近づきたくない人物ではあるが。 「本道と外道」より。「かような人は悪意なくして実に最も他人の運命を損じるエゴイスチックな生き方をしているのである」と著者が述べたの人物は「アンナ・カレーニナ」の中のオブロンスキーのような人である。彼は誰も憎む気にはなれないようなズボラな好人物である。逆に鋭いという感じを他人に与える人がいる。人を裁くのは悪い。天に属する人ではない。しかし、彼はズボラよりはるかにましである。 27才の著者は「地上の男女」において徹底的に21才の著者を否定する。21才の著者は性を賛美していた。27才の彼は性欲を完全に否定している。「エクスタシイは男女が互いに相手の運命を忘却して自己の興味に溺れたる時に起こる」と述べ、性欲は愛とは別物である、と断じている。「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」という新約聖書の言葉を鵜呑みにしている。女を性欲を満たす道具にするな、という考えは、女を男と同じ人間としてではなく神棚に祭り上げた人形と同じように見ている。逆に差別しているのだということに気づいていない。本章が書かれたのは1918年、D.H.ロレンスが「チャタレイ夫人の恋人」を発表する10年前であった。 (2024.10.10) |
--- 哲学入門 ---by 三木 清 |
「哲学入門」という題名の本はさまざまな学者が書いている。そのいずれもが過去の大哲学者たちの説を引用したり、難解な哲学用語を用いている。「入門」という題名の割には哲学書本体よりも難解なことが少なくない。プラトンの著書などは解説書よりもプラトン自身が書いたものを読むほうがよくわかる。 三木清は難解な哲学用語を使うことなく、自身の言葉で哲学的考察をしている。たとえば社会と個人の関係を著者は「社会は我々に働きかけて我々を変化するとともに、我々は社会に働きかけて社会を変化する。人間は社会から作られ、逆に人間が社会を作るのである」というように。 著者は序章で哲学の概観を述べたのち、本論では論点を「知識の問題」と「行為の問題」に分割して、それぞれについて考察している。 以下三木清の考察を紹介する。 * 経験においては過ちがある。そこに経験の価値があるのであって、過つことによって我々の知識は反省を経たものになってくる。試みと過ち(トライ & エラー)によって我々は正しい知識、正しい反応の仕方を発明する。 * 一つの社会における常識はしばしば他の社会における常識とは異なっている。 * 知識とは正しい認識のことである。認識とは受動的なものではなく、能動的なものである。認識するとは与えられたもののうち、本質的なものと非本質的なものとを区別し選択することであるから。 * 誤謬は意志の及ぶところが悟性よりも広く、意志を悟性の範囲内に拘束しないで、私の理解しないものにまで拡げることから生ずる。 * 徳は活動である。ひとが徳のある人物になるには徳のある行為をすることによってである。徳は有能であることでなければならない。 * 自己の職能において有能であることは社会に対する我々の責任である。人は彼の技術に深く達することによって人間としても完成されるのである。 本書は既成の哲学のための入門書ではなく、三木清の哲学の基本的な考え方を述べたものである。 (2024.10.4) |
--- 道行きや ---by 伊藤比呂美 |
著者は本書で書いているようにADHDである。落語「粗忽長屋」の主人公のような性格である。 著者が長年住んでいたカリフォルニアから日本に帰ってきて、早稲田大学の講師をしながら熊本に住んでいる。週の半分は東京で、残りを熊本で暮らしている。 本書はエッセイ集である。カリフォルニアにおける生活、熊本の生活、家族のこと等々、身辺に起こるさまざまなことを綴っている。 エッセイにはそれを書いた著者の性格が現れる。生真面目なエッセイがあれば、おふざけのエッセイもある。本書には著者の強烈な個性があふれている。 初めのうちは著者独特の行動様式にイライラさせられる。たとえば、手紙を出すために郵便局に行ったら出すはずの手紙を家に忘れてしまい、取りに行って再び郵便局に着くとさっきまで持っていた財布を家に忘れてきてしまう。 読み進むうちにそうした著者の行動に慣れてきて、独特のリズム感(少し変拍子の)として伝わってくる。読み終える頃にはそれが快感になってくる。最終章の「犬の幸せ」を読み終えると、著者と犬を主人公にした大河小説を読んだような気持ちになった。 (2024.10.1) |
--- by 黒川博行 |
「マケット」「 本書は古美術ミステリーである。 「マケット」は縮小模型、「上代裂」は古代の布、「ヒタチヤ・ロイヤル」はアロハシャツのメーカー、「乾隆御墨」は中国古代の墨、「栖芳写し」は北川栖芳作の屏風絵、「鶯文六花形盒子」は中国古代の青銅器のことである。 それぞれの短篇には古美術に関するうんちくがふんだんに詰まっている。しかも本作はすべて古美術詐欺ミステリーであるので、さまざまな古美術詐欺の手口が紹介されている。これほどたくみに持ちかけられたら、素人は間違いなく引っ掛かってしまうだろう。 (2024.9.30) |
--- パスカルにおける人間の研究 ---by 三木 清 |
本書は三木清の処女作である。本書は1926年著者が29才の時に出版された。 三木清というと西田幾多郎、ハイデガーの弟子ということで知られているが、出発点はキリスト教の信奉者であるパスカルであった。 「イエス・キリストはすべての目的であり、そこにすべてが向う中心である」と結論づけるパスカルであるが、彼は有名なパスカルの原理やパスカルの定理などの発見でもある。彼は39才で早逝したが、哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、デカルト主義者、発明家、実業家として活躍した万能の人であった。 彼は「想像は小さき物をそれが我々の心を満たすに足るまで拡大し、傲慢によって大いなる物をそれが我々の心に適うに至るまで縮小する」、「正しき人間とは自体においてはもとより数学や神学の真なる命題を数多く認識している者をいうのではない。自己及び他人についてその在るがままの態を隠すところなく見、かつこれを語る人間である」、そして「我々自身の悲惨と不幸から目をそらすために、人間には楽しみが必要になってくる。人間はみずからを幸福にならしめるために自己の状態については考えぬことを欲する」と述べる。そして最終的に「イエス・キリストはすべての目的であり、そこにすべてが向う中心である」と結論づける。 街を歩くと90パーセント以上のひとがスマホを見ながら歩いている。信号待ちではほぼ100パーセントのひとがスマホを見ている。彼らは彼らの悲惨と不幸から、一時的にでも目をそらすためにそうしているのだと思うと、苦々しい気持ちが薄れていく。 (2024.9.29) |
--- ゴールデンボーイ ---by スティーヴン・キング |
「刑務所のリタ・ヘイワース」と「ゴールデンボーイ」の2編の中編が収められている。 「刑務所のリタ・ヘイワース」。「ショーシャンクの空に」という題名で映画化された。妻殺しの罪で刑務所に入った男が、会計士という職業を利用して刑務所長に取り入る。所内で知り合った男と共に脱獄を計画する。リタ・ヘイワースは1940年代のセックス・シンボル。彼女のピンナップ・ポスターが脱獄に使われる。 「ゴールデンボーイ」。同名で映画化された。物語の80パーセントが13才の少年とナチの収容所の所長をしていた老人の対話から成り立っている。少年はナチの悪行の数々を聞き出そうとし、老人は拒みながらも答えざるを得ない。そのせめぎ合いが緊迫感に満ちていて読み応えがある。不自然な関係が数年間続き、少年が17才になった時、破局が起こる。原題は「Apt Pupil」、「利発な少年」という意味だ。 スティーヴン・キングは村上春樹が影響を受けた何人かの作家のひとりである。「包丁はレモンの香りのする泡の中に消えていった。ちょうど、超小型戦闘機が雲の中へ急降下したように」という文章を見ると、まるで村上春樹の文章を見ているかのようである。 (2024.9.24) |
--- マリコ/マリキータ ---by 池澤夏樹 |
池澤夏樹の初期の短篇5篇が収められている。 表題作の「マリコ/マリキータ」が面白かった。語り手が調査の目的で南の孤島へ行くための中継地としてしばらくグアムに滞在する。その時に出会った日本人マリコとのあれこれを描いている。ボーイ・ミーツ・ガールものだが、このふたりの関係は新鮮味があった。 「梯子の森と滑空する兄」。父親の再婚の相手の息子、義理の兄のことを書いた作品。一回り以上年上の一風変わった兄の描写が面白い。 「冒険」。長い航海に出ている兄宛の妹の手紙。妹は兄嫁が家出をしたこととその経緯を遠いところにいる兄に宛てて手紙を書く。兄嫁がどうなったのかは不明だが、手紙の最後で一抹の明かりが見える。 その他「アップリンク」「帰ってきた男」が収められている。 (2024.9.22) |
--- 墓地展望亭・ハムレット・他六篇 ---by 久生十蘭 |
「骨仏」「生霊」「雲の小径」「墓地展望亭」「湖畔」「ハムレット」「虹の橋」「妖婦アリス芸談」の8篇の短篇が収められている。 いずれも面白かったが、「雲の小径」「墓地展望亭」と「妖婦アリス芸談」が特に面白かった。 「雲の小径」。落語の夢オチのような話だが、最後の言葉でゾッとする。はて、あれは実際に起きたことだったのだろうか。 「墓地展望亭」はまるで映画「ローマの休日」のような話であった。映画でオードリー・ヘップバーンが扮した役はヨーロッパ某国の王位継承者アン王女ということになっているが、本書では東ヨーロッパのリストリアの王位継承者エレアーナ王女ということになっている。映画の公開は1953年であるが、本書は1939年に「モダン日本」に掲載されたものである。本書は映画の14年も前に発表されている。「ローマの休日」の脚本家ダルトン・トランボは事前に久生十蘭の小説を読んでいたのだろうか。 映画は新聞記者役のグレゴリー・ペックは失恋に終わっているが、本書の主人公志村龍太郎は王女を娶っている。そのことが冒頭の場面につながっており、読後深い印象を残すことになる。 「妖婦アリス芸談」はある悪女の半世紀を彼女のモノローグで綴ったものである。終生悪いことをしてきた女であるが、彼女の生い立ちや育った環境を考えると、精一杯生きてきた一人の女性としての生き方に感動を覚えた。 (2024.9.20) |
--- 父、断章 ---by 辻原 登 |
「父、断章」「母、断章」「午後四時までのアンナ」「チパシリ」「虫王」「夏の帽子」「天気」の7篇の短篇が収められている。 「チパシリ」は吉村昭の小説「破獄」の主人公と同じ人物を別の角度から書いたものである。登場人物のモデルは4度の脱獄を繰り返した実在の受刑者・白鳥由栄である。吉村昭は実際に起きたことをドキュメンタリー風に書いたが、辻原登は大幅に脚色し、独自に設定した別の人物の視点から書いている。 「虫王」は中国の闘蟋(とうしつ)と呼ばれるコオロギ相撲が主題になっている。闘蟋に夢中になった将軍の話である。 「父、断章」「母、断章」「午後四時までのアンナ」「夏の帽子」「天気」は著者の身辺にまつわる話である。私小説風であるが、語られている全てが事実ではなく、微妙に脚色がなされている。舞台は出身地である和歌山県印南町と新宮市、それから現在住んでいる横浜あたりである。 ある女性が父親の思い出を求めて新宮市にある旅館を訪れる「午後四時までのアンナ」が面白かった。旅館の名前は丹鶴旅館で、もとは丹鶴城があったところに建てた旅館である。そこへ行くには、そのために作ったケーブルカーで行く。丹鶴旅館ではその日1日だけの映画会が開かれることになっていた。・・・。どこまでが事実で、どこからが空想だかわからない。 (2024.9.19) |
--- 思い出す事など・他七篇 ---by 夏目漱石 |
「思い出す事など」。漱石は43才の時、伊豆の修善寺へ療養に行った時に胃潰瘍が悪化し、800グラムの大出血をした。「修善寺の大患」である。その時のことを書いたのが本書である。 「門」を執筆途中であった。仮にこの時に亡くなっていたら、「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」といった後期の名作群が生み出されることはなかった。 胃潰瘍で都内の長与胃腸病院に入院していた漱石は、状態が良くなったので転地療養のため、伊豆の修善寺に出かけた。そこで病気が悪化したのだからわからないものだ。大量の出血だったため、一時的に仮死状態となった。親戚や門下生たちが呼び寄せられた。なんとか持ち直したが動かせる状態ではなかったため、数ヶ月間そのまま修善寺の旅館に滞在した。その後再び長与胃腸病院に戻り療養を続けた。 本書は長与胃腸病院で回復しつつある自分が修善寺で起こったことや、見舞いに来た人びとのことを回想する。クライマックスは大量の出血で死にかかった晩のことである。回想は長与胃腸病院で始まり、長与胃腸病院で終わる。全体が一篇の小説のような構成になっている。 33の章から成り立っている。これは新聞に一章ずつ連載した文章を集めたものである。それぞれの章の末尾に俳句か漢詩が収められている。 5章に「秋の江に打ち込む 「長谷川君と余」。長谷川君とは漱石より3つ年上の作家二葉亭四迷のことである。最後まで親しくなれなかった長谷川君との出会いと別れが書かれている。長谷川君は「修善寺の大患」の前年、ベンガル湾付近を航海中の船上で、肺炎の悪化により45才で亡くなっている。 「子規の画」。亡くなってから10年後、偶然子規の絵と手紙を見つけた。その人物、文章、俳句のすべてに洒脱な子規にしては珍しく、その絵は稚拙であった。 「ケーベル先生」「ケーベル先生の告別」「戦争から来た行き違い」。東京大学で漱石が師事した哲学科教授ケーベル先生は学生100人のうち90人が大学で一番人格の高い人物であると認められていた。ドイツから来て20数年間日本に滞在した理由は、日本の風物や食べ物ではなく、日本の学生が気に入ったからであった。1914年に帰国する予定であったが、戦争のため帰ることができなくなり、75才で亡くなる1923年まで日本に滞在した。 「変な音」。漱石が胃腸病院に入院中、隣の病室から毎晩変な音が聞こえてきた。確かめることなく隣人は亡くなってしまった。彼は生前隣の音をしきりに気にしていたということを看護婦から聞いた。それは漱石が髭を剃るために剃刀を皮砥で研いでいた音であった。隣の音は足を冷やすためきゅうりをおろし金でおろしていた音であった。 「三山居士」。三山居士とは朝日新聞社主の池辺三山のことである。「」の時見舞いに来てくれた三山は突然死んでしまった。まさか見舞われた自分が見送ることになろうとは・・・。 正岡子規、ケーベル先生、池辺三山、見知らぬ隣人、それぞれに対する哀悼の言葉を述べたエッセイである。温かみとユーモアを混ぜた人間味のある文章である。 (2024.9.18) |
--- 久生十蘭短篇選 ---by 久生十蘭 |
久生十蘭は1902年生まれ、1957年に55才で亡くなった。文学史的には芥川龍之介と三島由紀夫の間に存在している。彼の守備は広く、推理小説、ユーモア小説、歴史・時代小説、現代小説、ノンフィクションノベルなど多岐にわたっている。 本書には15篇の短篇が収められている。 いずれの作品も従来の日本の小説とは肌合いが違う。作者の名前を隠してチェーホフ作とかモーパッサン作といっても通用するだろう。 「 「鶴鍋」は鶴を捉えて鍋で料理して食ってしまおう、という主人公の目論見が実は違う意味を指していたのだという二重構造の不思議な短篇である。 「猪鹿蝶」は中年の婦人同士の電話での会話から成り立っている。しかも相手が話す言葉しか記述されない。電話を受けた方の言葉は書かれていない。相手の話す言葉から二人の関係性や共通の友人との関係性、それぞれの性格を推察できるようになっている。 「黒い手帳」はルーレットの出目を研究する男の話。ドストエフスキーの「賭博者」やプーシキンの「スペードの女王」を連想する。 「母子像」は吉田健一が翻訳し、アメリカの新聞メディアが主催する世界短篇小説コンクールで賞を取った作品である。この小説に書かれたような母と子供の関係は国や時代を問わず普遍的に存在するものである。 15篇の短篇のひとつとして同種の作品はなく、その着想の独自性は際立っている。 (2024.9.14) |
--- 基督教の起源・他一篇 ---by 波多野精一 |
著者が31才の時に出版した「基督教の起源」(1908年)と51才の時に出版した「パウロ」(1928年)が収められている。 キリスト教は12使徒の一人ペテロによってユダヤ人社会に広められ、のちにギリシャ圏に生まれたユダヤ人パウロによってユダヤ社会の外に広められた。パウロの教会はローマ帝国に広まり、その後ヨーロッパを経由して世界中に広まった。 ユダヤ教の聖職者イエスはユダヤ教の中で異端の説を唱えた。それは律法に基づいた支配的な教義から、愛と個人主義に基づく自由で人間的な考え方であった。 イエスはローマ帝国に反抗するものの一人として捕えられ、一番身分の低い者に対する刑、十字架刑に処せられた。彼と一緒に刑を受けたものは泥棒と強盗であった。 師イエスが捕えられた時、12使徒たちは逃げるか、しらを切った。そのうちのひとりペテロはイエスの死後それを後悔し、原始キリスト教を創設した。ペテロはそれをユダヤ教の一分派と考え、ユダヤ人社会の外に布教するつもりはなかった。 ギリシャ文明の影響を受けたパウロはペテロから受け継いだキリスト教をユダヤ人社会の外に広めようとした。そのためには原始キリスト教からユダヤ教の戒律をとり除いて、ギリシャ哲学の要素を付け加えた。 パウロはイエスの死を犬死にではなく、人類を救うための犠牲的な行為= そのようなことが書かれた本である。本書はキリスト教が日本に伝えられてから初めて顕された、キリスト教に関する理論的な書物である。その内容は現代においてもなお古くなってはいない。 (2024.9.11) |
--- 汀日記 若手はなしかの思索ノート ---by 林家彦三 |
著者が住んでいるのは東京都と埼玉県の中間地帯、いわば 日記を書いた理由はコロナ禍で仕事が激減したからである。2020年と2021年は舞台で仕事をする芸人にとって受難の年だった。各種の公演は中止となり、寄席は閉鎖された。人気のある芸人はユーチューブに活路を求めた。 著者はまとまったらそれを本にして出版するつもりでブログを始めた。ブログの記事と新たに書き足した記事をまとめて本書を作った。 本書は日記と称しているが、その日にあったことを時系列に書くというより、「若手はなしかの思索ノート」という副題が示すように、その時々の心象風景を中心にまとめてある。章によっては詩に近いおもむきがある。 著者はコロナ禍の最中、2020年5月21日に二つ目に昇進した。名前は林家彦星から林家 自分で給金を稼ぐことのできる地位二つ目に昇進したものの、稼ぐための場所がないという矛盾した立場から出発することになってしまった。その焦燥感がうかがえる箇所もある。だがおおむね外見同様、 ネタ帳について書いた文章がある。落語家はそれぞれ自分のネタ帳を持っている。ノートだったり手帳だったり、それぞれ工夫しているようだ。著者はいろいろ考えたあげく、測量野帳というものを利用することにした。これはもともと測量士が持つもので、現場で記入しやすいように固い表紙の手帳で、中は方眼紙になっている。実用的で安い。型番はKOKUYO-セ-Y-1「LEVEL」という。表紙は緑色をしている。 文学関係の記事も多い。ヴォルフガング・ボルヒェルトの全集を買ったり、図書館でトーマス・ベルンハルトの「消去」や「石灰工場」を借りたり、小山清や若杉鳥子の文章を引用したりしている。ちなみに筆者は誰ひとり知らない。また自身が司会をする読書会では漱石や太宰を取り上げたりもしている。これは筆者も知っている。 カメラシャッターのぱしゃりという擬音語があるが、あれがあまりにもピッタリしているのに感心している。その語源を探すうちに、漱石の「思い出す事など」の「池の鯉が・・・必ず高い音を立ててぱしゃりと水を打つ」という文章を見つけ、これが最初ではないかと考察している。 どこかで見た短冊に子供の字で「もとに戻りますように」と書いてあった。「もとに戻れますように」ではないところに注目し、前者は意志の力がより強く感じられる、と考察している。 その他、足立区と川口市に挟まれた荒野にポツンと存在する深夜のハンバーガー・チェーンや蕨市にある喫茶ブック・カフェなどで考えたさまざまな事が詩的に綴られている。 (2024.9.4) |
--- 白く塗りたる墓 ---by 高橋和巳 |
本書の舞台はテレビ局である。主人公は解説室長の三崎、年齢は30代後半から40代前半。離婚して12才の娘を自分の母に預けている。 テレビ局で働く三崎と彼の個人生活を追いながら1970年代の日本の状況を描いている。中間管理職である三崎の内面描写や若い局員たちの発言は真に迫っていて、ここまで人物の内面に入り込んで、それを文章として定着することができる著者の力量の凄みを感じさせた。 小説は、番組の録画の途中で突然声を失ってしまう三崎の描写から始まり、同じ状況のもとで再び声を失う三崎の描写で終わる。1970年代という高度成長期に、個人生活の閉塞感にとらわれた人間の状況を表している。その一例として、ある番組の中で公害企業で働く組合員が公害を垂れ流すことによって、自らの生活を侵食している矛盾を取り上げている。 組合員が会社の上層部を役員室に軟禁し、断交を行う場面では、大学紛争時の教授と学生の断行の場面を彷彿させた。 「白く塗りたる墓」という題名は、新約聖書「マタイ伝」の「汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢れとにて満つ」という文章から引用したものである。 副主人公、城よし子のセリフ「・・・のご意見に大体賛成ですわ」とか「何もならないと思うの」とか「・・・ゆくんじゃないかしら」などは、周到な文章を書く著者とは思われないステレオタイプな女性表現だと思った。実際の女性なら「・・・のご意見に大体賛成です」とか「何もならないと思います」とか「・・・ゆくんじゃないですか」とか言うはずである。ちなみに漱石は女性のセリフに「ですわ」とか「思うの」とか「・・・ないかしら」という表現は使わなかった。これは時代の違いとかではなく、作家の意識の問題であろう。 物語はテレビ局内での三崎の将来と、個人生活における城よし子との関係性の将来がまるで見通せないまま、途中で終わってしまう。離婚した元妻との馴れ初めや、現在の彼女の生活も途中である。最後のページに「第一部了」と記したまま、著者は帰らぬ人となってしまった。 (2024.9.3) |
--- 黄昏の橋 ---by 高橋和巳 |
著者が生存していた時代、筆者は著者の著作を何度か読もうと試みた。確か「我が心は石にあらず」だった。何度か試みて結局読むのを諦めてしまった。10代のころだった。本は読了しないまま古本屋に売ってしまった。 70代の今、高橋和巳の著作は愛読書になりつつある。本書も面白い。10代の筆者なら、なんでこんな粘着質で理屈っぽい文章が、と思うだろう。そこが良いのだ、と言っても納得しないだろう。 高橋和巳は全共闘世代の教祖的存在だった。当時同級生の中には高橋和巳の著作を愛読している者もいた。高橋和巳は教祖とはいっても革命を煽り立てるような存在ではなく、大学側の人間として誠実に学生側と対処しようとした存在であった。 本書は雑誌に1970年2月まで連載され、14章までで未完となった。著者は1971年5月に39才で亡くなった。 「 学生時代全共闘活動をしていたが、その後就職し平凡な生活をしている主人公は、時々発作的に過激な発言をしたり、酒に泥酔したりする。他人から見たら統一の取れていない人格だが、本人からすると整合性がある。 全共闘時代、大学側にいて学生たちと誠実に対処していた著者は学生たちのその後の生活にも通じていただろう。活動家たちのうち、大学を卒業したのちも活動家として生活する者は数少なく、大部分の者たちは社会で自活して生きていくことで精一杯だったろう。本書の主人公時枝はその典型である。 検察に摘発された学生の裁判の場面で本書は終わってしまった。時枝がこの後裁判でどのような役割をするのか、下宿の娘恵子をどのように導いていくのか。優柔不断で何事にも中途半端な主人公にあまり期待はできない。著者はそれも含めて「卒業後の活動家たちの生活」を描きたかったに違いない。 (2024.9.1) |
--- 第三の女 ---by アガサ・クリスティ |
物語が90%まで進むまで何が起こったのかわからない。ある女性が、もしかしたら自分が殺したかもしれない、というのだが、死体はどこにもない。殺人は本当のことなのか、それとも彼女の妄想なのか。ポアロはその周辺を嗅ぎ回ることしかできない。 これは読んでいて苦痛だった。よほど投げ出そうかと思った。霜月蒼氏の書評がなければ投げ出していた。 残り50ページになったところで、殺人が起こり、バタバタと大団円へと進む。ポアロの推理も見事なものだ。 辛抱して読んでよかった。 ちなみに表題は、シェアハウスの3番目の住人ということと、もうひとつのことを指していた。 (2024.8.29) |
--- モーツァルト荘 ---by 三浦哲郎 |
八ヶ岳山麓にあるペンションのオーナー一家が主人公である。全部で6篇の短篇が収められている。 実際に旅館を経営したら本書で起きるようなことは日常茶飯事であろう。夜中に大音量で音楽を鳴らす客がいたり、赤ちゃんを置いて逃げたり、夜中に裸で出歩いたり、出産する客もいるかもしれない・・・。 旅館業というのは、小説にするにはネタの尽きない業種だろう。だが、自分にはとても務まらない商売だな、と思いながら読んだ。 5話目の「モーツァルト荘の晩餐」は泣けた。 (2024.8.28) |
--- 今年竹 ---by 里見トン |
金網製造会社の専務志村と赤坂の芸者春代の純愛の物語である。志村は32才、妻子がある。春代は25才、赤坂で芸者をしている。志村は妻の父親の会社で働いている。春代にはパトロンがいる。この恋愛は一直線には進んでいかない。 物語は大学の同期生3人の交友関係、特に作家の須田と志村の日常と遊びの世界を描いている。彼らの遊びの世界は芸者遊びである。その世界の様子がたっぷりと描かれている。登場人物たちの会話は自然で、本当にそのように交わされていたようだ。著者自身赤坂の芸者を愛人していたほどその方面には造詣が深かったのである。 芸者遊びの世界が描かれているにも関わらず、読後なんともいえない清々しいものを感じる。主人公志村と春代のいさぎよい倫理観が物語を包み込んでいるためであろう。 志村の倫理観は「えらいと思うような人が、芸者というものに対すると、急に、とてつもない変な人間になってしまう例を僕もたくさん知っている」とか「ただ女の友達だ。・・・ただ人として話をする場合・・・」とかいうセリフからもうかがえる。 作家の岩下尚史氏は本書を、世の中があさましいものになったような気がする時に、清らかな若水を汲むつもりで読み返す、と述べている。 北海道の製紙会社の社員垣見という60才前後の人物が出てくる。ドストエフスキーの「白痴」の登場人物レーベジェフからキャラクターを借りたような人物である。白樺派の作家であった里見氏はロシア文学に造詣が深かったものと思われる。 本作は大正8年頃書かれた。ここで描かれる日本の風景や風習や言葉使いや倫理観は大正から昭和にかけてのものである。当然筆者は生まれていなかったが、それらに懐かしいものを感じる。子供の頃明治生まれの祖父や祖母と暮らしていたためかもしれない。 里見トンのトンは淳のサンズイを弓編に置き換えたものである。この字はパソコンでは表示されない。名前の由来は有島武郎の末弟山内英夫がペンネームを決めるときに、電話帳をトンとついて、当たった苗字が里見であったためだそうだ。 (2024.8.27) |
--- 土俵を走る殺意 ---by 小杉健治 |
冒頭、蔵前の回向院で東北の元中学校長の死体が発見される。 場面は6年前の昭和36年にさかのぼる。東京オリンピックの年である。東北のある中学校の同級生大輔と武男と由子は中学校を卒業し、集団就職で東京に出てくる。大輔は相撲にスカウトされ、相撲部屋に入る。 本書は二つの殺人事件をからませながら、三人の同級生たちの人生を描いていく。ミステリーの要素を含ませながら、昭和30年代の人の暮らしを描くのが著者の目的のようである。 当時は東京オリンピックを起爆剤に高度成長時代に突入しつつあった。給料は急上昇し、大気汚染や水質汚染などの公害がはびこっていた。相撲界は栃若時代から柏鵬時代へ切り替わりつつあった。 現在の完全に管理化され、停滞した社会からすると、当時は矛盾もあったが、なんでもありのエネルギーに満ちた時代であったとつくづく思う。 (2024.8.24) |
--- 最後の飛行 ---by ジョン・ボール |
ジョン・ボールは映画「夜の大捜査線」の原作「夜の熱気の中で」とその続編「白尾ウサギは死んだ」、「拳銃をもつジョニー」、「五つの死の宝石」のヴァージル・ティッブス シリーズが早川書房から出ていたが、現在すべて絶版となっている。航空小説の分野では「航空救難隊」と本書「最後の飛行」が出ていたが、いずれも絶版である。本書については文庫化もされていなかった。 大学卒業後民間のパイロットをつとめ、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍に所属して、飛行教師をつとめたという経歴をもつ著者の一番得意な分野が航空小説だと思われるが、上記の2冊しか書いていない。 本書は3つの章から成り立っている。それぞれの章は登場人物たちのそれぞれの時代における行動を描いている。 第一部はアフリカ、モロッコの都市カサブランカにある航空会社の営業所長ビクスビーと事務員のオデットが、第二次大戦終了時、最後の定期便でアメリカに向けて脱出する様子を描く。語り手は定期便の機長である。原題の「LAST PLANE OUT」はこの緊迫感に満ちた脱出行からきたものである。 到着地のフロリダで登場人物たちはそれぞれの家に帰っていく。このシーンは感動的である。ヴァージル・ティッブス シリーズは映画化され、その第1作は夜の大捜査線アカデミー賞作品賞、主演男優賞、脚色賞等数々の賞を取った。この「LAST PLANE OUT」は忘れられた作品になっている。本作品は映画化されるべき作品であり、人々に感動を与える作品になることは間違いないと筆者は信じている。 第ニ部は第一部からニ十年後、航空会社の営業所長だったビクスビーは総支配人になっている。本作の主人公は航空機ファンの中年の会計士ジェニングス。彼は少年時代からの航空機ファンで、パイロットになることを夢見ていたが、家の経済状態がそれを許さず、平凡なサラリーマンとして過ごしていた。 出張で飛行機を利用したところ、その飛行機が山の尾根で墜落に近い不時着をした。その後彼は航空事故に関する聴聞会に出席することになる。航空業界に有利な証言をする彼と、中小の業者を淘汰して再編しようとする政治家との間で議論が交わされる。ひとりの航空機ファンの夢と挫折の物語である。 第三部は全ての登場人物が出てくる。大団円だ。第一部で語り手だった大尉は航空運送会社を経営している。ビクスビーとオデットの娘ラネイは父親の紹介でその会社の事務員をしている。第一部で副操縦士だったプリディはその会社で副社長兼機長として働いている。ジェニングスも登場する。そしてハリウッド映画のようなハッピーエンドを迎える。 本書は映画2本分の内容を持っている。活字を追うだけで映画を見ているような気分になる。早川書房はぜひ本書を文庫化してほしい。 (2024.8.23) |
--- 林芙美子随筆集 ---by 林 芙美子 |
食うや食わずの生活をしていた林芙美子は、「放浪記」が売れて5年後、下落合の庭の広い一軒家に夫と両親と一緒に暮らしている。本書はその前後に書かれた随筆を集めたものである。 著者はここで日常のことや読んだ本のこと、友人との交流、料理、その他のことを書いている。 彼女は自分が思っていることを話すように書くので、書かれていることは平凡でも、彼女独自の考え方が表れていて興味深い。物事に対して独自の考えを持つことが作家としての第一の条件なのだろう。 数年前まではいつ玉ノ井に身を売ろうか悩んでいた作家の卵が、本が売れるや否や、その印税で外国旅行をしたり、下落合に大きな家を構えたりする。昭和初期の作家の原稿料は今と比較にならないくらい高かったのだろう。 (2024.8.20) |
--- 放浪記 ---by 林 芙美子 |
題名の「放浪記」と林芙美子という作家の伝説から、彼女は生涯放浪して暮らしたのだと勘違いしていた。彼女が両親と共に木賃宿を転々としながら行商の手伝いをしていたのは、彼女が11才から14才までのことで、その後15才から18才まではアルバイトをしながら高等女学校に通っている。このことが将来彼女が作家として生きていく上で、知的な面と人脈の面で大きな役割を果たすことになる。 19才から恋人を追って東京に出てくる。恋人にあっさり振られたが、尾道に帰らず、東京で一人暮らしをしながら作家への道を模索する。この時代の日記を抜粋して本にしたものが「放浪記」である。「放浪」とは東京で下宿を転々としたことと、その間の精神的な放浪のことを指す。本書は「ブリジット・ジョーンズの日記」の大正版と言える。 第一部から第三部まで章は分かれているが、元は彼女が19才から25才にかけて大学ノートに書いた日記である。(八月X日)とか(十二月X日)となっているがそれが大正何年だか昭和何年だかわからない。8月のある日に書いたことや12月のある日に書いたことなのである。ある時は男と、ある時は母親と、ある時はひとりで暮らしている。時系列的に順序よく並べられてはいない。 中身は食うや食わずの中で、精神的に放浪する若い女性の考察である。東京に出てきた彼女は事務員、家政婦、置屋の女中、カフェーの女給など、さまざまな職を転々とする。苦労して探した仕事だが、数ヶ月で嫌気がさして辞める。お金にはいつも困っていて、玉ノ井か吉原に身を売ろうとするが、ギリギリのところで思いとどまる。その間常に詩と童話を書いていて、出版社に持っていくがほとんど売れないでいる。 カフェーで働いていた時、留置所へ無銭飲食者から代金を受け取った帰り、「5月の雲が真綿のように白く伸びていくのに、私は私の魂を遠くにフッ飛ばして、棒のように石のように私は横になって目をとじているのだ。悲しや、おいたわしや、お芙美さん、一ツ手拍子をそろえて歌でも唄いましょう」と彼女は明るく自分を突き放す。いつもギリギリのところまで追い詰められながらも、その自分を突き放して見る目を失わない。 1930年(昭和5年) 28才の時に出版した「放浪記」がベストセラーになり、その後の彼女はお金に困ることがなくなる。大きな家を買い、母親を呼び寄せる。中国の戦地へ行き、従軍記を書いたり、ヨーロッパへ長期の旅行に出たりする。47才のときに心臓麻痺で急逝した。自分を追い込むように仕事をし過ぎたための過労が原因とされている。 日記に見られる彼女の心情は、世の中に出て独り立ちしたばかりの現代の若い男女のそれと通じるものがある。「放浪記」が出版されてから100年後の現在でも、この本が読み継がれていることは、時代は変わり、生活レベルは豊かになったが、心情的には芙美子が生きていた頃と変わらないものがあるためだろう。 (2024.8.19) |
--- 七つの時計 ---by アガサ・クリスティ |
「チムニーズ館の秘密」の続編に当たる冒険ファンタジー・ミステリーである。主役は「チムニーズ館」では脇役だったバンドル。チムニーズ館の主人ケイタラム卿の娘である。 外交官仲間のいたずらで、ある男の寝室に目覚まし時計を8個仕掛けておいた。ある男が事故死し、その枕元には7個の目覚まし時計が置かれていた。ひとつの時計は庭の芝生に投げ捨てられていた。 という発端から冒険活劇スパイ陰謀に満ちた話が始まる。バンドルが外交官仲間と組んで事件の調査を開始する。そのうちに仲間のひとりが銃で狙撃されて死ぬ。・・・。 クリスティにしてはキレの悪い結末であった。彼女の冒険活劇ものは筆者にはいまひとつである。 (2024.8.14) |
--- チムニーズ館の秘密 ---by アガサ・クリスティ |
冒険ファンタジー・ミステリーである。ファンタジー要素が強い作品である。 1920年 「スタイルズ荘の怪事件」で始まったアガサ・クリスティの世界は、1922年、トミーとタペンスものの「秘密機関」、1923年、ポアロものの「 ゴルフ場殺人事件」、1924年、ノン・シリーズものの「茶色の服の男」と続き、1925年に本書を発表する。すべて違ったスタイルのミステリーであるところがすごい。 クリスティの冒険ファンタジーものの特徴はいずれも元気な女性が登場する。本書に登場するのはケイタラム卿の娘バンドルと貴族の未亡人ヴァージニア・レヴェルである。バンドルは本書の続編「七つの時計」にも出てくる。 (2024.8.13) |
--- わが解体 ---by 高橋和巳 |
著者が1967年から1969年の間京都大学の文学部の助教授をしていた時に大学紛争が起こった。当時は全国の大学で過激派の学生による紛争が起きていた。 著者は心情的には学生側に立っていたが、助教授という立場上大学側として行動していた。本書はその時に著者自身が体験した記録である。 「わが解体」の記述は、大学紛争のさなか、学生と教授の両方の立場を理解し、なんとか解決に導こうとするが、うまくいかない著者の焦りと苛立ちに終始している。1969年、東京の自宅と京都の一人住まいの家の間を行き来していた著者の体調が悪化し、大学に辞表を提出して東京女子医大の消化器センターに入院する。 2年後の1971年5月3日 結腸癌のため39才で死去した。あまりにも若い死は大学紛争時の過労とストレスが原因であろうと思われる。 「死者の視野にある物」。学生運動で亡くなった10人の死者を悼むエッセイである。樺美智子を筆頭に山崎博昭、由比忠之進、中村克己、和井田史朗らの非業の死を取り上げ、彼らの死の持つ意味を考察する。当時を振り返ると、学生運動の真っ只中に飛び込んでいった学生は全体の5%くらいだった。他のほとんどの学生はノンポリと言われ、ただそれを見ているだけだった。もちろん頭の中では色々考えてはいたが、実行に移すまでには至らなかった。学業を放棄して政治運動に邁進していった者たちは人間的にそういう志向性を持っていた。政治の時代の中で政治運動をするよりも今はこの勉強をしていたい、と考えた学生はサイレント・マジョリティであった。 「内ゲバの論理はこえられるか」。学生運動のさなか、各セクト内の内部抗争によって亡くなった学生がいる。彼らの死因は必ずしも明らかにされているとは限らない。セクト内で隠すか、目撃者は後難を恐れて口をつぐんでしまうからだ。 学生運動は赤軍派によるあさま山荘事件で集結した。この事件の内部抗争、いわゆるリンチ事件は悲惨なものであった。事実の全てが明らかになったのは数年後だった。初めはセクト内あるいはセクト間の理論闘争によるものと思われたが、数年後に続々と出版された事件に関する書物によると、リンチの原因は個人的なもの、それも低次元な理由からであった。小学生のいじめ程度の理由であった。小学生ではなかなか殺人までには至らないが、大学生ともなると簡単に殺してしまう。 1967年から1969年という激動の時代に、京都大学の助教授という大学紛争の当事者の立場にいて、物事を真面目に考え、自己に忠実に行動しようとした高橋和巳が、ありのままの大学紛争の有り様を描いたのが本書である。本書に書かれたことが、彼の文学の核となった体験であることは間違いない。 (2024.8.12) |
--- ヨーガ入門 ココロとカラダをよみがえらせる ---by 佐保田 鶴治 |
著者は62才で初めてヨーガを始めた。14年後本書を執筆した。筆者は55才でヨーガを始め、17年後の今本書を読んで感心している。 著者が14年間でどれだけヨーガを精進したかは想像できる。ヨーガを体と心に染み込ませるのに費やした時間は相当なものだったろう。 この本を購入したのは、このポーズをすれば「精神的不安定状態が除かれます」とか「前立腺肥大が治ります」とか「頭痛が治ります」とか「慢性鼻炎の重い人はかえって悪化します」とか、効能がはっきり書いてある。「改善します」とか「良化の方向に向かっていきます」ではなく、「除かれます」とか「治ります」と書けるということは、著者が自分で実践して試しているからだろう。 すごいのはこのポーズを15分から20分程度保持できれば、毒蛇やサソリの毒にも負けることはありません、と断定していることだ。このポーズは「孔雀のポーズ」という。 本書にはポーズの他、呼吸法、瞑想法、食生活等ヨーガの生活全般にわたって載っている。 (2024.8.11) |
--- 売国 ---by 真山 仁 |
検察庁の検事富永はある誘拐殺人事件を解決した手柄で、特捜部に配属される。彼はそこで汚職政治家を追うことになる。 二つの話が接点を持ち始めるのは物語が4分の3くらいまで進んでからだ。そのあたりから売国というタイトルが意味を持ち始める。 二人の主人公が出会うのは最後の数ページになってからだ。それも敵対する同士として。 主題が隠されたまま物語が進行するが、退屈はしない。それは検察の特捜部の活動や宇宙研の活動がリアルに描かれているためである。 (2024.8.10) |
--- 人生論ノート ---by 三木 清 |
三木清は本書で人間が遭遇するあらゆる場面において彼の思考を試してみた。 先頭に死についての考察を持ってきたのは、本書が書かれた当時の著者を取り巻く環境が平穏なものではなかったことを暗示している。第二次大戦時の日本において共産主義思想を持つことは、大杉栄の死に現れるように非常に危険なことであった。 【死について】「最上の死はあらかじめ考えられなかった死である」というモンテーニュの意見に著者は共鳴している。 【幸福について】死は観念であり、幸福も想像的なものである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。 【懐疑について】懐疑は人間に固有なものである。真の懐疑家は論理を追求する。独断家は論証しないか、形式的に論証するのみである。 【習慣について】習慣は能動的であり、流行は受動的である。社会的習慣としての慣習が道徳である。 【虚栄について】虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。虚栄によって生きる人間の生活は実態のないものである。最も人間的なものは実態のない生活であると述べている。確かにそういう面もあるかな。 【名誉心について】虚栄心が対世間的であるのに対して名誉心はまず自己を対象とする。 【怒について】ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のあるものはあまり怒らない。 【人間の条件について】自己は形成力であり、人間は形成されたものである。世界もまた形成されたものである。生命はみずから形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与える。かような形成は人間の条件が虚無であることによって可能である。 【孤独について】孤独は山になく、街にある。我々が孤独を超えることができるのはその呼びかけに答える自己の表現活動においてのほかない。 【嫉妬について】嫉妬こそ悪魔に最もふさわしい属性である。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福は存在しない。 【成功について】成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。 【瞑想について】人は書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。 【噂について】噂はあらゆる情念から出てくる。嫉妬から、猜疑心から、競争心から、好奇心から、等々。 【利己主義について】利己主義者は期待しない人間である。従ってまた信用しない人間である。それゆえに彼はつねに猜疑心に苦しめられる。 【健康について】健康の問題は人間的自然の問題である。健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である。 【秩序について】人格とは秩序である。自由というものも秩序である。 【感傷について】感傷には静止に近い状態が必要である。動き始めるや否や感傷はやむか、もしくは他のものに変ってゆく。 【仮説について】思想は仮説の追求である。人生も或る仮説的なものである。 【偽善について】虚栄的な人間は偽善的である。偽悪家の特徴は感傷的なことである。 【娯楽について】娯楽は消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。娯楽は我々の平生使われていない器官や能力を働かせることによって、教養となることができる 【希望について】希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。。 【旅について】どのような旅も遠さを感じさせる。短い距離でも旅は遠さを感じさせる。知らない道を初めて歩く時には実際よりも遠く感じるものである。 【個性について】著者が大学卒業間際に雑誌に発表した論文である。これから自分が世の中でどのように生きていこうか、という意気込みを示したものである。 (2024.8.9) |
--- なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? ---by アガサ・クリスティ |
ボビイとフランキーが活躍する冒険活劇ものである。 ボビイがゴルフの最中、ボールがとんでもない方向へ飛んでいき、あっという悲鳴がした。行ってみると崖の下に男が倒れていて、虫の息になっている。男が息を引き取る直前に言った言葉が「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」だった。この言葉をめぐってボビイと幼なじみのフランキーが活躍する。 冒険活劇ものではあるが、さすがクリスティである。殺人事件と意外な犯人というパターンは守っている。 男女のコンビでは「トミーとタペンス」ものはシリーズ化されたが、本書のコンビはこれ一冊である。 (2024.8.7) |
--- 僕のうつ人生 ---by 谷沢永一 |
著者谷沢永一が自身の幼少の頃からの人生を振り返り、うつ病との付き合い方について述べている。彼のうつとの付き合いは10代の頃から始まり、執筆時の79才現在に至るまで断続的に続いている。 彼の場合、学業や仕事に全力投球をするとその反動でうつ状態がやってくる。短い時は数ヶ月、長い時で4年間うつ状態が続くという。 本の中で作家開高健との付き合いに触れている。著者と開高健の付き合いは長く、出会いは、著者21才、開高19才の時であった。その後開高が59才で亡くなるまで二人の付き合いは続く。特徴的なのは二人ともうつ病を持っていたことである。二人ともそれぞれのやり方でうつと付き合っていたのが興味深い。 開高はいっさい医者を頼りにせず、うつの時はひたすら自分の中に閉じこもってやり過ごすのを待つ、というのに対して著者は適時西洋医学や漢方を利用しながら付き合っていくというやり方をしていた。 開高は外国へ行くと、飛行機が離陸した途端うつが消え失せたという。帰国時飛行機が成田に着陸した途端うつ状態が戻ってくる、とも。著者は自分を取り巻いている条件や環境を変えることが、うつに対して効果があったという。転居や専門外の勉強をすること、異なったジャンルの仕事をすることでうつを遠ざけることができたという。 最後に、うつになって苦しんだ経験のあるひとはひとに対して優しくなれる、他人に対して想像力をもつことで人間関係が円滑になる、とその効用を述べている。 (2024.8.6) |
--- 哲学ノート ---by 三木 清 |
三木清は京大哲学科卒。西田幾多郎・ハイデガーに師事。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁され、終戦の年の9月に獄死した。享年49。 三木清は西田幾多郎とともに、戦後の混乱した日本人に考え方の指標を示した哲学者であった。フランス文学者で評論家の河盛好蔵は解説で、ものを書くときには本書を参考にするようにしている、と述べている。 本書は薄くて各章は短いが、内容は凝縮された考察に満ちている。100%理解するためには繰り返し何度も読まなければならない。 【新しき知性】創造的知性は単に推理する知性ではなく、構想力と一つのものでなければならない。 【伝統論】伝統と似ているが相反するものは遺産である。伝統を生かしうるには創造がなければならない。 【天才論】カントの天才論によれば天才とは構想力の問題に帰する。また天才は美なるものを作り出す生産的才能を有する。 【指導者論】天才と指導者の違いは、天才は考えるだけで良いのに、指導者は考えたことを実行しなければならない。また指導者は一人だけ優れていてもいけない。組織をつくり、その全体を動かさなくてはならない。優れた指導者が独裁者になると、その組織は民主的な組織にならざるを得ない。 【道徳の理念】自己と社会の関係。自己は社会から生まれ、社会は自己から形成される。ソクラテスとアリストテレスに言及。哲学の問題は必ずと言ってもいいほど、最終的にはこの二人が受け皿となっている。 【倫理と人間】おもにベルグソンの倫理学から引用している。倫理と人間、倫理と社会について論じている。 【時務の論理】現実政治は技術的なものである必要がある。それに芸術的な要素を加えると新しい文化を創造することができる。政治家マキャヴェリについて考察する。 【批評の生理と病理】批評家の代表としてジャーナリストを取り上げ、彼らと指導者の違いについて考察する。批評家は思考するのみであるのに対して指導者は思考し、それを実行しなければならない。 【レトリックの精神】論理学(ロジック)的思考と修辞学(レトリック)的思考を比較し、レトリックの実用性について考察する。 【イデオロギーとパトロギー】人間の意識はロゴス(イデオロギー)とパトス(パトロギー)の二方面を持っている。両方必要なものである。 【歴史的意識と神話的意識】歴史的意識は伝統の意識であると共に批判の精神である。それは神話的意識に対して破壊的に働く。 【危機意識の哲学的解明】【世界観構成の理論】「危機意識の哲学的解明」と「世界観構成の理論」については哲学的議論に終始し、実際的な事物を伴わない議論を繰り返している。このふたつの章に関しては要約することは不可能である。 (2024.8.5) |
--- 鳥 デュ・モーリア傑作集 ---by ダフネ・デュ・モーリア |
ダフネ・デュ・モーリアはヒッチコック監督の映画「レベッカ」「鳥」の原作者である。彼女は1907年生まれのイギリスの小説家である。彼女は現実の世界にオカルトのようなミステリーのような不安定な要素を加えた独自の作風を作り上げた。コーネル・ウールリッチやパトリシア・ハイスミスやリチャード・マシスンと同列の作家といえるかもしれない。 【恋人】彼は自動車整備工で叔父の家に下宿している。ある日仕事の帰りに映画を見にいく。そこで一風変わった切符切りの女性に出会う。そこから話はオカルトのようなミステリーのような展開になっていく。 【鳥】大筋ではヒッチコックの映画と同じだが、小説の方は映画よりも不気味な終わり方をしている。それは世界の終わりを暗示するかのようである。 【写真家】避暑のために海岸のリゾートホテルに滞在している侯爵夫人の情事。軽い気持ちで始めたひと夏の情事が取り返しのつかないことに・・・。 【モンテ・ヴェリタ】結婚して間もない妻がモンテ・ヴェリタという山の頂上付近にある修道院に入ってしまう。夫は毎年モンテ・ヴェリタを訪れ、妻に手紙を置いて帰る。デュ・モーリアの傑作と言われているファンタジー。 【林檎の木】嫌いだった妻が亡くなり、ほっとしたが、庭の片隅にあるりんごの木が気になり始めた。気に入らないとなると、その木が妻に見えてくる。焚き木にしてもまるで火がつかないし、嫌な臭いがする。実はそのまま食べても、ジャムにして食べてもまずい。やっとのことで切り倒したが・・・。 【 【裂けた時間】少し散歩をして家に戻ってきたらそこには知らない人たちが住んでいた。警察に通報したら連れて行かれたのはそこにいた人たちではなく自分だった。話はどんどん食い違っていく。さて・・・。 【動機】赤ん坊が産まれたばかしの女性が突然自殺した。彼女の周囲には幸せ以外の要素は見られなかった。彼女はなぜ自殺したのか。義父から依頼された探偵は彼女の過去から調査を始める。映画になりそうな話である。 (2024.7.28) |
--- 青列車の秘密 ---by アガサ・クリスティ |
富豪の娘とその夫、そしてその恋人と恋人の元情婦という4角関係の男女。さらに遺産相続した女性とポアロがロンドンからニースへ向かうブルー・トレインに乗り合わせた。 ブルー・トレインには彼らの関係者たちもまた乗り合わせていて、複雑な人間模様が列車内で繰り広げられる。そして殺人が起こる。 被害者は富豪の娘。容疑者はその夫と娘の恋人のふたりに絞られた。どちらが犯人なのか。ここから話は複雑怪奇な展開を帯びていく。・・・。 ポアロは複雑な人間関係の綾を解きほぐすようにして真実に迫っていく。1928年、クリスティ初期のポアロものである。 (2024.7.25) |
--- 小出楢重随筆集 ---by 小出楢重 | |||
画家小出楢重のエッセイ集である。小出楢重(こいでならしげ)は、大正から昭和初期に活躍した日本の洋画家である。 本書には小出楢重が生前出版した3冊の随筆集とヨーロッパから妻へ出した手紙、その他の随筆から、元京都造形芸術大学名誉学長で日本藝術院会員の芳賀徹氏が編纂したものである。 小出楢重は画家であるが、人柄がにじみ出るようなユーモアのある文章を書く。「楢重雑筆」に収められた「胃腑漫談」では自分の胃の弱いことをユーモラスに綴っている。また「怪説絹布団」ではある家に下宿していた時にその家の60才を過ぎた女主人かに襲われかかった話を怪綺談風に綴っている。 「欧州からの手紙」という章では著者が船でヨーロッパへ行った時に妻に宛てた手紙を載せている。船旅の様子やパリやベルリンの様子などをユーモアあふれる文章とスケッチで綴った便りである。 これがそのまま旅行記になっていて、大正10年から11年にかけての日本人がヨーロッパへ旅行した時の様子がわかって興味深い。大正10年8月に日本を出てからマルセイユに着いたのが同年9月末日。着くなり帰りの便を予約して、帰国は翌大正11年の5月というから、気の長い話だ。
せわしない現代ではヨーロッパのサッカーを見るために0泊3日の弾丸ツァーも組まれる。どちかが良いかはひとそれぞれだが、行ってくるのに数ヶ月かかる旅は人間的で捨てがたいものがあると思う。 著者は「油絵新技法」において、デッサンの大切さや東洋画と西洋画の違いについて述べる前に、絵の勉強はピアノや琴のように早すぎてはいけない、と述べている。大切なことは心の問題である。絵の技法を勉強するには、相当の人としての心定まった上、自分の心の方向に従い足を進める必要がある、と述べている。 (2024.7.24) |
--- 開口閉口 ---by 開高 健 |
開高健のエッセイ集である。話題は人間生活の全てにわたっている。釣り、食、酒、タバコ、読書、銃、戦争、国内政治、国際問題、男女関係、等々等々。森羅万象とはこのことか。 どれをとっても既成の意見を排除し、小説家が自分の頭で考察した独自の意見である。 おしまいの章で、これ以上このエッセイを続けると種切れになり、肝心の小説を書くための題材がなくなってしまう。と述懐しているほどである。 油の乗り切った小説家が手持ちの材料をすべて使って書き上げた極上のエッセイ集である。 (2024.7.17) |
--- 帰郷 ---by 海老沢泰久 |
6篇の短編が収められている。テーマは男と女の関係性についてである。それぞれ違った関係の男女が登場する。関心のある同士の男女が出会うと何かが起こる。その何かは顔や性格が違うようにそれぞれ違う形態となる。著者は本書で直木賞を受賞した。 筆者が海老沢氏の本で思い出すのは処女作の「監督」である。前年まで常に最下位だった球団を優勝まで導いた広岡監督のことを書いた小説である。当時ヤクルト・スワローズの躍進をリアルタイムで見ていた筆者は衝撃的なほど興味深くこの本を読んだ。著者が29才の時に書いたこの本が直木賞をもらっても良かったのではないかと思う。 【帰郷】 主人公は栃木県の自動車エンジン工場に勤めていたが、あるきっかけでF1のレーシングチームのメカニックとして3年間過ごすことになった。3年後、元の工場に戻ってきたが、以前のように仕事をすることができなくなった。以前付き合っていた女性とも気持ちが乗らなくなった。 【静かな生活】 キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」のような話。主婦が夫と子供をおいて旅に出る。温泉地で香水の調合をしている妻子ある男性に誘われる。 【夏の終わりの風】 プロ野球の2軍の練習場の近くでスナックを営む女性の話。女性が目をつけた選手は一軍に上がるというジンクスがある。 【鳥は飛ぶ】 スポーツライターが引退したばかりのJリーグの選手にロングインタビューするために温泉宿に行く。そこで知り合いの女優に出会う。 【イヴニング・ライズ】 テント持参で川釣りに来た男が河原でテントを張っている夫婦に出会う。 【 付き合っていた女性と別れたばかりの主人公は知り合いの男の妻とスナックで意気投合する。 (2024.7.14) |
--- 清兵衞と瓢箪・網走まで ---by 志賀直哉 |
志賀直哉の18の短篇が収められている。 【網走まで】 語り手が網走までいくのではない。彼は宇都宮までだ。網走まで行くのは語り手の後から乗ってきた子連れの女である。女は背中に赤ん坊を背負い、6,7才の男の子を連れている。赤ん坊は泣き止まず、男の子は気難しい。 語り手は彼らを観察し、想像する。この女の亭主はどんな男だろう。気難しい男で、妻をいじめ抜いているのだろう。この女はいずれ亭主か息子に殺されるだろう。 宇都宮で降りる時語り手は女からハガキを2枚あずかる。読みたい気もしたが読まずに投函した。目に入った宛名は一枚は女宛、もう一枚は男宛であった。 そこで小説は終わっている。エッセイ風の短篇だが最後の数行を読むと、読者も語り手と一緒に女の過去そして未来を想像したくなる。 【ある一頁】 これも実話であろう。主人公は数ヶ月住むつもりで京都へ行く。何ヶ所かの下宿を見に行く。下宿の主人とのやりとりを一筆書きのように描いている。いずれも一癖ありげな人物たちである。結局主人公は京都に一泊もしないまま東京に戻ってくる。 【剃刀】 床屋の親方芳三郎の話。その日の最後の客が顔をあたりに来た時芳三郎は剃刀を研いでいた。風邪で寝込んでいたのだが、急な注文で研いでいたのだ。 職人気質の親方が、遊郭へ繰り出そうとする客の顔を剃る時、徐々に高まっていく緊迫感がすごい。 【濁った頭】 比較的長い短篇である。著者にしては珍しく男女の関係が悪い方へと進んでいく作品。この二人の男女が出会ったために二人の人生がどんどん悪い方へと進んでいく。 【クローディアスの日記】 これは「ハムレット」を父王の弟 クローディアスの独白によって構成した物語である。エキセントリックなハムレットよりも冷静なクローディアスの方が真実を語っているように思われる。 【清兵衛と瓢箪】 何十年かぶりに読み返してみたが、面白かった。志賀直哉はエッセイ風の小説(私小説)も面白いが、この作品や「小僧の神様」などの創作作品も味わいがある。 (2024.7.12) |
--- 和解 ---by 志賀直哉 |
「和解」と「大津順吉」のふたつの中編が収められている。 【和解】 長年不和であった父親との和解を描いた作品である。主人公の名は順吉となっているが、家族構成や出来事はほとんど事実であるらしい。順吉の性格も著者そのものといって良いだろう。正義感が強くて短気。 父親との不破の直接の原因は結婚を反対されたことであるが、根は幼少の頃から父親の仕事が忙しく、ほとんど会話がなかったことにあるらしい。ただでさえ神経質で短気な主人公は少しのことでも大袈裟に反応してしまう性癖の持ち主であったろうからなるべくしてなったことだろう。 志賀直哉の我孫子時代の出来事である。 【大津順吉】 本書に収められている「和解」と「大津順吉」は志賀直哉と父親の不和の原因と結末ということができる。「大津順吉」が原因であり、「和解」が結末である。 著者が大学を出て作家になろうとしているころ、家の女中と恋愛関係になり、女中に結婚を申し込んだ。周囲の反対でこの話は流れた。その時強力に反対したのが著者の父親であった。本作品はその時のことをほぼすべて書き記したものである。 作品中の順吉は少しのことでいきりたち怒鳴る、エキセントリックな人物である。写真で見る志賀直哉は温厚そうな風貌でとてもそのような人物には見えない。また各方面に多彩な友人たちを持ち、その友人たちが語る志賀直哉像はいずれも彼を温厚な 小説は順吉がパリにいる友人宛に、家族と自分が対立していることを手紙を書いたところで終わっている。 女中と結婚できなかった志賀は3年後、武者小路実篤の従妹 (2024.7.9) |
--- フォークナー短編集 ---by ウィリアム・フォークナー |
【嫉妬】 短い作品だが、嫉妬の怖さを描いている。物語中でも言っているが、嫉妬は病気であり、理性では解決不可能な感情である。ストーカー殺人などはその最たるものだろう。 【赤い葉】 インディアンの酋長が亡くなった。すると酋長付きの黒人奴隷が一緒に埋葬されることになる。逃げた黒人奴隷を探し出して連れて帰る役割を持った二人のインディアン。一度目は何が行われているのかよくわからなかったが、二度目に読むと緊縛感が伝わってくる。 【エミリーにバラを】 没落した富豪の末裔の話。滅びゆく南部の生活。 【あの夕陽】 アメリカ南部の黒人女と彼女の雇い主の子供たちの話。南部独特の雰囲気が漂う作品である。 【乾燥の九月】 40女の被害妄想と白人上位主義が一緒になって、黒人をリンチにする。南部だけではないが、南部では顕著だった黒人差別。ビリー・ホリディが「奇妙な果実(Strange Fruits)」を歌ったのもこの頃。 【孫むすめ】 プアホワイトの復讐。 【クマツヅラの匂い】 父親の死、復讐、父親の妻。 【納屋は燃える】 無法者一家の次男。彼だけが正常。少年の視点から描く。 ー ー ー ー ー フォークナーの世界はサウス・ディプスと言われるアメリカ南部の人びとの生活を登場人物の視点から描いているものが多い。ラテンアメリカ文学と共通するものを持っている。というより今日のラテンアメリカ文学はフォークナーから出発したんだろう。真実の姿が分かりにくく、ひとつひとつの描写が暑苦しいほど細かい。語り手の精神の深くに入り込んだような思いがする。ひとの心に入り込むことを拒み、行動で表現するヘミングウェイとは対極の存在である。 (2024.7.6) |
--- 熊 他三篇 ---by ウィリアム・フォークナー |
【熊】 16才の彼がブーンやサムやド・スペイン少佐、コンプソン将軍らとともにオールド・ベンと名付けられた大熊を追いかける。彼が初めてオールド・ベンを見たのは10才の時だった。6年後に仕留めるまでに何度か熊と遭遇している。10才の頃には一人で入ってはいけないといわれていた森に、16才の頃には地図なしで入れるようになっていた。 単なる熊狩の物語ではなく、少年の成長物語としても、少年と大自然との触れ合いの物語としても読むことができる。 【むかしの人々】 12才の彼の体験が語られる。登場人物は「熊」とほぼ同じ。サムが彼の8才の頃からの森の教育者であること、そしてサムの生まれや経歴が語られる。少年は鹿狩りに同行し、間近に大鹿を見て、その神秘的な佇まいに感動する。 【熊狩】 「熊」の少年はアンクル・アイザック・マキャスリンとして老人になっている。あれから50年後の話である。語り手が二人いる。第二の語り手が話すルークのしゃっくりを止める話がこの物語の核になっている。むかしのアメリカのホラ話である。 【朝の追跡】 語り手は12才の少年であるが「熊」の少年とは別人である。少年と彼の養い親のミスター・アーネストの話である。 二人は仲間と鹿狩りに出かける。夜明けまで追いかけて鹿を仕留めることができなかったミスター・アーネストは少年に言う。「やつの血だらけの頭と皮をヨクナパトーファ郡へ運ぶ小型トラックにのせたいかね? それともやつをあの藪の中に置いて、またわしらが次の十一月に追いたてるまで待たせておくか。おまえ、どっちをとるかね? 」 (2024.7.3) |
--- 短編小説礼讃 ---by 阿部 昭 |
短編小説に関するエッセイである。全7章に12人の作家を取り上げ、作家論を述べるとともに彼らの作品を紹介している。 第一章では森鴎外とモーパッサン、第二章ではドーデと国木田独歩を取り上げている。彼らの短編の中から、森鴎外の「安寿と厨子王」、モーパッサンの「聖水番」、ドーデの「アルルの女」、国木田独歩の「忘れえぬ人々」について論じている。 第三章ではルナールの「にんじん」、第四章では菊池寛と志賀直哉を取り上げている。志賀直哉の「剃刀」は彼が29才の時の作で、夏目漱石の「吾輩は猫である」が出てから三年後に発表された。漱石の文章は現代の日本語の書き言葉の基礎を作ったと言われているが、そのわずか三年後にこのように完成された、しかも鋭い日本語が書かれていたことに驚く。 第五章ではチェーホフを、第六章ではキャサリン・マンスフィールドを取り上げる。この二つの章では彼らの特定の作品ではなく、作家の人生を考察する。チェーホフは44才で、マンスフィールドは34才で亡くなった。マンスフィールドは生涯チェーホフを文学の師として尊敬していた。二人の文学の特徴は小説の筋を書くのではなく、小説で人生を描いたことである。 第七章では梶井基次郎、魯迅、ヘミングウェイを取り上げている。この章の表題は「あたし、猫が欲しい・・・」。三人の作家の共通点は猫好きということである。猫が主役となる作品を取り上げて論評している。 読了してみると、短編小説は人生を描いたものだ、ということがわかった。第六章の表題「これが人生というものか」が本書の隠れたサブタイトルだと思った。 (2024. 6.29) |
--- 小僧の神様・城の崎にて ---by 志賀直哉 |
「小僧の神様」「城の崎にて」その他16篇の短篇が収められている。 志賀直哉の小説を批判する人は「何も起きないじゃないか」という。確かに「城の崎にて」は何も起きない。城崎温泉に療養に行った「自分」が身の回りのことを観察しているだけである。だが、「自分」が観察したネズミやイモリの状況を真剣に読んでしまう。次から次へ色々なことが起こる冒険小説を読んで、退屈で最後まで読みきれなかったことがある。これはどういうことなんだろう 文章の緊張感ではないか。文章の緊張感は文章そのものが対象に対して的確であるとともに、文章を書く作者の視点が対象に対して的確であることの両方が作用しているように思う。 「小僧の神様」や「赤西蠣太」のような物語にしても話のどの部分を作者が重要視しているかによって印象が変わってくる。「小僧の神様」の結末で別の結末を表示し、自分はこのような結末にしたくなかったのであの部分で小説を終わりにした、と書いている。志賀直哉は知性とともに適切な倫理観を持つ作家だったといえる。 志賀直哉は生涯23回引っ越しをした。小説を書くために引っ越しをしたのではないかと思われる。「十一月三日午後の事」「流行感冒」「雪の日」は我孫子が、「焚火」は赤城山の山小屋が、「 「真鶴」は12,3才の少年が幼い弟を連れて下駄を買いに行くが、途中出会った芸人一座の後を付いていくという話だ。舞台は伊豆半島の付け根にある真鶴岬である。おとなになりかけている時期の少年の気持ちを描いている。描写は情緒に溺れることなく的確である。それだけに自分の昔を思い出して胸にグッとくるものがある。 「 「佐々木の場合」と「冬の往来」は友人の変わった恋愛の話である。とくに「冬の往来」はストレンジというかファニーというか、変わっているのでここに要点を書くことができない。 (2024.6.28) |
--- 辛口! JAZZノート ---by 寺島靖国 |
寺島氏49才の時に出版された、かなり初期のころの著作である。先日読んだ最新作、「JAZZ健康法入門」は84才の出版である。文体が少しも変わっていないに驚いた。 第1章 ジャズはミエで聴け、第2章 フォービートよ永遠なれ、第3章 レコード・コレクションの楽しみ、第4章 嗚呼! 「メグ」二十年、の4章に分かれている。各章で歯に絹着せぬ寺島節が炸裂している。第3章まではジャズのレコードの紹介記事を、第4章では吉祥寺にジャズ喫茶「メグ」を開店してからの試行錯誤のあれこれを載せている。 文中で紹介されたレコードを見開きにカラーで載せてあるのはうれしい。 (2024.6.25) |
--- 人類の星の時間 ---by シュテファン・ツヴァイク |
60年前市川市の図書館でみすず書房のツヴァイク全集の中の一冊「人類の星の時間」を借りた。その本は読み切ることができず、途中下車した。 今回はそのとき以来の挑戦である。本書はみすずライブラリーの中の一冊である。このライブラリーに入っているツヴァイクの本は本書と彼の自伝「昨日の世界」のみとなっている。ツヴァイク全集全21巻は絶版になっていて、現在は一部の作品しか読むことはできない。 「不滅の中への逃亡」。アメリカ大陸を発見したのはコロンブスであるが、太平洋を発見したのはスペイン人のバスコ・ヌ二ェス・デ・バルボアである。これは彼の栄光と破滅の物語である。 「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活」。病気で不調のヘンデルは取り憑かれたように「メサイア」を作曲する。そのことがヘンデルの復調を助ける。 「一と晩だけの天才」。ある日上司がルジェ大尉に「ライン軍の行進のための曲」を作ってくれないかと言った。ルジェ大尉は一晩徹夜して作った。曲は1792年4月26日の朝完成した。それはライン軍行進の時に使われた。数ヶ月後フランス南部の港町の軍隊で行進の時にこの歌を歌う者がいた。この歌はたちまちフランス全土に広がった。マルセイユ港の軍隊から広まったため、その歌は「ラ・マルセイエーズ」と呼ばれた。この歌はのちにフランスの国歌となった。 「ウォーターローの世界的瞬間」。最後の戦い、ワーテルローの戦いで完敗し、ナポレオンは失脚する。原因は部下グルシーの怠慢であった。だが、ナポレオンの命運は部下に頼らざるを得なかった時点で尽きていたとも言える。 「神への逃走」。トルストイは晩年家屋敷を捨てて家出する。3日後アスターポヴォ駅で下車し、そこで動けなくなる。その1週間後、駅長官舎にて肺炎により死去する。2010年に「終着駅 トルストイ最後の旅」という映画が公開されたが、その脚本のような作品である。短い戯曲の中でトルストイの思想の変化と妻ソフィアとの確執が徐々に修復できないところまで進んでいく様子を描いている。 「封印列車」。ロシア革命勃発時、スイスの靴屋の2階に下宿していたレーニンは列車でロシアに帰国する。その時が早すぎても遅すぎても現在のロシアは存在していない。 ツヴァイクは上記の他6つの「その時」をめぐる逸話を取り上げ、「人類の星の時間」と名づけた。 (2024.6.24) |
--- 読書に関する本 5冊 ---by ・・・ |
【鞄に本だけつめ込んで : 群ようこ】 名作24編の書評である。ただの書評ではない。評論の4分の3は本の内容から連想した著者の過去の思い出を述べたものである。著者の体験が面白すぎて、毎回笑ってしまった。これは体験そのものよりもその語り口が面白かったせいだろう。 紹介された24冊中、筆者は8冊読んでいた。幸田文の「父・こんなこと」、川端康成の「山の音」、永井荷風の「墨東綺譚」などである。未読の本で読んでみたいと思ったものはなかった。
【読書と私 : 文春文庫 編】 井上靖、井伏鱒二、池波正太郎、石川達三、五木寛之・・・、29名の作家がそれぞれ読書体験や思い出の書について述べている。 以前読んだことのあるロマン・ロランの「魅せられたる魂」や徳富蘆花の「思い出の記」はもう一度読んでみたいと思った。また、「読書は知識を得るというよりも、鮮烈な驚きに出会うことからはじまらなければならぬ」と述べた色川武大氏の言葉が印象に残った。
【読書のすすめ : 岩波文庫編集部 編】 阿部謹也、安野光雅、池内 了、色川大吉、宇沢博文・・・、37名の文化人や作家がそれぞれ読書体験や思い出の書について述べている。岩波版では作家にこだわらないところが文春版と違っている。 著者の職種を見ると、画家、歴史家、詩人、哲学者、作家、エッセイスト、解剖学者、政治学者、精神医学者等と多種に及んでいる。 ヨーロッパ中世社会史の研究者 阿部謹也氏が薦めるリルケの「若き詩人への手紙」、理科大生命科学研究所所長 多田富雄氏が薦める「プルースト」と「内田百間」の書籍が印象に残った。 作家の北村薫氏は、読書は「最も安上がりで、最も若さに似合う宝石」であると述べている。 【読書のたのしみ : 岩波文庫編集部 編】 池内 紀、牛島信明、内海隆一郎、尾形 力、小野理子・・・、25名の文化人や作家がそれぞれ読書体験や思い出の書について述べている。 著者の職種を見ると、ドイツ文学者、スペイン文学者、国文学者、哲学者、作家、エッセイスト、文芸評論家、物理学者、宗教学者等とバラエティに富んでいる。 哲学者 木田元氏の経歴が興味深い。彼は戦後の混乱期、闇屋をしていたときにドストエフスキーを読み、その後キルケゴール、ハイデガーと読み進んでいくうちに、ハイデガーの「存在と時間」を解き明かすために東北大学に入学した。読書が自分の生涯の職業に結びついた例である。 文芸評論家 野島秀勝氏はナボコフの本から「読書で大切なのは、背筋がゾクゾクする感覚」という言葉を引用した。筆者もこの感覚が自分の読書の原点であったな、と思った。 読んでみたくなった本は、「西郷南洲遺訓」、チェーホフの「サハリン島」、森鴎外の「最後の一句」である。 【読書のとびら : 岩波文庫編集部 編】 赤川次郎、秋葉忠利、荒俣 宏、一海知義、伊藤比呂美・・・、32名の文化人や作家がそれぞれ読書体験や思い出の書について述べている。 著者の職種を見ると、中国文学者、フランス文学者、ロシア文学者、詩人、作家、エッセイスト、文芸評論家、ジャーナリスト、動物学者等他の2作と重ならないように人選されている。 江川紹子氏が薦める本は太宰治の「人間失格」。その中にこういうセリフがあるらしい。「それは世間がゆるさない」「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」。江川氏は「自分の不満や苛立ちを、世間に紛れ込ませて一般化する欺瞞」と述べている。ロシア文学者の亀山郁夫氏も太宰の「斜陽」と「人間失格」を取り上げている。 (2024.6.20) |
--- 「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎 ---by 鈴木義昭 |
初期の黒澤映画を見ると、制作者としてよく見かけた名前が「本木荘二郎」だった。つい最近まで本木荘二郎というひとは映画界の大物プロデューサーだと思っていた。 ある時立ち読みした本に、本木荘二郎は、「酔いどれ天使」「野良犬」「羅生門」「生きる」「七人の侍」など、初期の黒澤明のほとんど全ての作品をプロデュースした。その後金銭の横領で会社をクビになり、ピンク映画の監督になった。家族とも別れ、62才で亡くなった。という記事が出ていた。意外な晩年に驚いた。 本書はそのときに読んだ記事の著者 鈴木義昭氏の書いた「本木荘二郎伝」である。2016年の出版である。本書が出るまで本木氏のことを知る人は、業界のごく一部の人に限られていたことになる。 著者は「一将功成りて万骨枯る」ということわざで、黒澤明の功績を表現した。「万骨枯る」の万骨には本木氏を含めて脚本家や助監督たちその他大勢の人びとが含まれていた。本木氏の場合は自業自得だったとはいえ、ブルドーザーのような黒澤のパワーに巻き込まれたのだといえなくもない。 (2024.6.12) |
--- 私の好きな曲 ---by 吉田秀和 |
「音楽紀行」で吉田秀和氏の文体にハマってしまった。クセがなく、自分の思うことをそのまま表現する文章。音楽の理論などわかるはずもないのに、読んでいて心地よい。いつでも読み返せるように手元に置いておきたい本である。 著者は26曲のマイ・フェイバレット・ミュージックをあげている。モーツァルトの「クラリネット協奏曲」やストラヴィンスキーの「春の祭典」などお馴染みの曲からシューマンの歌曲「はじめての緑」とかヴォルフの「アナクレオンの墓」のように一般的ではない曲まで、選曲はバラエティに富んでいる。 26曲には含まれていないが、ベートーヴェンの「交響曲第3番(英雄)」は別の曲を紹介するための参考として章を超越して登場している。著者の本当に好きな曲はこれなんじゃないかと思った。筆者も最近フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルの演奏する「英雄」をたびたび聴いている。何度聴いても格調のある、凛々しい曲だと思う。 著者は「人類何千年の音楽は、この三人の仕事となって結晶するためにあったようなものであり、そのあとはもう余韻にすぎない」としてバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの名前をあげている。 吉田氏がいうんだから、確かにそうだろう。だけど、筆者としてはクラシック音楽界にシューマン、チャイコフスキー、マーラーがいないとなんとなくモノ足らなく感じる。 (2024.6.11) |
--- ザルツブルクの小枝 アメリカ・ヨーロッパ紀行 ---by 大岡昇平 |
1953年から1954年にかけての14か月間、著者はアメリカとヨーロッパを旅した。費用はロックフェラー財団から文化的な交流に使うという目的で出ている。 1953年というと、吉田秀和氏が自費でアメリカとヨーロッパの旅に出ていた時期と重なっている。大岡氏と吉田氏はアメリカとヨーロッパで連絡を取り合い、一緒にコンサートに行ったりしている。外貨の持ち出し制限があった時代である。海外に出て行く日本人は限られていて、誰がいつどこへ行くかという情報は、現在より周知されていたものと思われる。 同じ時期に同じ場所へ行った二人の文化人の紀行文はまるで性格が違う。吉田氏がオペラのコンサート主体であったのに対して、大岡氏は会った人やホテルや街の様子を描写するのが主体である。大岡氏は音楽のコンサートへも行くが、より多く行ったのは演劇である。特にシェイクスピア劇にはよく通っている。 本書と吉田氏の「音楽紀行」を併読することによって、当時の一流の文化人が見た欧米の様子を多面的に知ることができる。 (2024.6.8) |
--- 音楽紀行 ---by 吉田秀和 |
1953年、著者は40才の時、約1年間かけてアメリカとヨーロッパの音楽祭を視察した。費用は個人か、政府からか、雑誌等の媒体からかは書いていない。現在の価格で数百万円はかかったことと思うが、日本で数少ない音楽評論家という立場からすると、後でその費用を回収して余りあるくらいの収入を得たであろう。 当時の著者の語学力は英語、ドイツ語、フランス語で欧米の音楽家たちとの交際や音楽的な議論ができる程であったようだ。著者の音楽評論の第一人者としての地位は、クラシック音楽に対する深い知識、経験、教養が基礎になっていたためだと納得した。 本書を読んで著者の主な興味はオペラであった。リヒアルト・シャトラウスやワーグナーのオペラに感動するかたわら、チャイコフスキーの交響曲第4番に退屈したり、ブルックナーの交響曲第7番の途中で居眠りしたりしている。オペラの最高峰はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」だと断言している。 旅の終盤、ハンブルクでハンブルク大学で中国文学を研究している女子学生 バルバラ・クラフトさんと出会う。著者は11年後、彼女と結婚する。 98才で亡くなる直前まで現役だった。まれに見る幸せな人生を送った人だと思う。 (2024.6.6) |
--- 書斎の旅人 イギリス・ミステリ歴史散歩 ---by 宮脇孝雄 |
ミステリーの歴史はコナン・ドイルから始まり、アガサ・クリスティで盛んになり・・・、と書くと、やっぱりイギリスだよな、と思うが、エドガー・アラン・ポーが起源でエラリー・クイーンで盛んになり、と書くと、アメリカが本場だったんだ、と思う。結論をいうと、最終的には好みの問題となるのだが。 著者はドロシー・セイヤーズからときおこし、エドマンド・ベントリー、ウィルキー・コリンズ、チャールズ・ディケンズを経て、ルース・レンデル、P.D.ジェイムスへとつながる正統派イギリス・ミステリーの系譜を追いかける。通読すると地味である。 ミステリーと映画には共通点があるかもしれない。アメリカのミステリーや映画は派手であるが、イギリスのそれは地味である。どちらが好きかは好みの問題であるが。 筆者は両方ともイギリス製が好みである。 著者はG.K.チェスタトンの「文学は贅沢であり、物語は必要である」という文章を引用して、物語系の小説は麻薬のように読まれ続けている、と述べている。これは真実である。筆者も定期的に物語系の小説が読みたくなるから。 (2024.6.1) |
--- by 中原清一郎 |
まず題名の意味であるが。「 蝦夷は狩猟民族である。かつて日本には狩猟民族または騎馬民族と農耕民族がいた。狩猟民族は農耕民族に駆逐され、マタギまたはアイヌとして細々と存在している。 本書に登場する人物たちは大学の民俗学を研究する学者と学生たちである。彼らはかつて日本に存在していた狩猟民族を研究している。 著者はこういう議論を展開する。農耕民族は自然を破壊し、利用することによって生活してきた。現在の工業化された社会の基礎を築いたのは彼らである。狩猟民族は自然を守り、その中から恵みを得ることによって生活していた。自然の民である。農耕民族が狩猟民族を駆逐するのは自然の流れである。 語り手は研究会に誘われた学生のひとり風見である。これは風見という平凡な学生の運命が、鴫沢という人物によって変転するありさまを描いた物語である。 古代日本の成り立ちが我々の人生に何の関係があるのか、と思いがちだが、本書を読むとそういうものではない。昨日があるから今日がある。昔があるから現在がある。という確信のようなものが生まれる。柳田國男や折口信夫の研究は決して無駄でも何の役にも立たないものでもない。 (2024.5.30) |
--- 音楽がもっと楽しくなる オーディオ「粋道」入門 ---by 石原 俊 |
10章にわたって家庭で聴くオーディオ装置に関する知見を述べている。 それぞれの章にクラシックの作曲家を表示し、その代表曲のデータをあげ、読者が購入する参考にしている。たとえば第1章はマーラーの交響曲第2番「復活」、第2章はヴェルディの歌劇「オテロ」といったように。これはありがたい。 著者は家庭で聴くオーディオ装置の主体はスピーカーであるとし、その価格はせいぜい初任給の3倍程度にすべきである、としている。初任給の3倍とはどのくらいなんだろう。2024年現在でいうと左右1セットでで60万円から80万円程度であろうか。これは上限であり、それ以上にすることは意味がないと述べている。オーディオ評論家という人たちは装置に関しては行きつくところまで行ってしまった人たちである。本人は数千万円から億というレベルまで行った上で、オーディオに興味を持つ人たちへの本心からのアドヴァイスであろう。貴重な意見である。 最終章でブルックナーを取り上げ、著者が目指しているオーディオはブルックナーの交響曲を満足に鳴らすためであると述べている。 さらに交響楽団と管弦楽団の違いを述べている。交響楽団の目的はブルックナーの交響曲を、管弦楽団はリヒアルト・シュトラウスの交響詩をそれぞれ演奏するためである、と述べている。 交響曲はベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスを経てブルックナーで完成した。交響詩はマーラー、ワーグナーなどを経てリヒアルト・シュトラウスで完成した。だからなのだという。 ただ漫然と名乗っていたわけではないのだと感心した。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団はマーラーやワーグナーやリヒアルト・シュトラウスの曲を演奏するために結成されたのだ。また、ボストン交響楽団やNHK交響楽団はベートーヴェンやシューベルトやブルックナーの交響曲を演奏する目的で結成されたのだ。もちろんそれ以外の曲をやらないわけではないが。 (2024.5.27) |
--- 三題噺 示現流幽霊 神田紅梅亭寄席物帳 ---by 愛川 晶 |
「多賀谷」「三題噺 示現流幽霊」「鍋屋敷の怪」「特別編(過去)」の4篇が収められている。。 「多賀谷」。落語の世界と今の世界をうまくシンクロさせて、オチをつけている。 「三題噺 示現流幽霊」。「示現流幽霊」という噺は著者の創作落語である。創り過ぎの感じがした。 「鍋屋敷の怪」。落語の世界と今の世界を結びつけてうまくオチをつける、というのが本シリーズの見どころ読みどころだったが、この話は少し無理があったようだ。 「特別編(過去)」。本シリーズも4作目で息切れし始めたようだ。本章はパス。 (2024.5.26) |
--- ドラゴン・オプション ---by 中原清一郎 |
一見すると冒険活劇風の題名である。が、東大在学中に発表した作品で文藝賞を受賞し、卒業後、朝日新聞に入社し、ニューヨーク、ロンドン特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長を経て東京本社編集局長を歴任したという輝かしい経歴を持つ著者である。そんなはずがない。 と思って読み始めたら、案の定めちゃくちゃ複雑な内容の政治謀略小説であった。舞台は香港。著者が駐在員をしたことがあるだけに、土地の描写が細かい。 18世紀に作られた十二支像をめぐってイギリスと中国と香港の諜報部がしのぎを削る。騙し騙され、誰が敵か味方かわからない状況が続く。そこに中国と香港の近代史がからんで物語は進んでいく。 十二支象はマクガフィンで「マルタの鷹」のようなものだった。目的はマネー・ロンダリング。洗浄された金の使い道は最終章まで明らかにされない。 それが明らかになった時、物語は予想もつかなかった展開を迎える。今までの地道な準備はこのためだったのか。地味なスパイ小説だと思った物語は、ここからポリティカル・アクションへと変貌する。 エピローグ。中原氏は本書で大ロマン小説を書いたんだ、と納得した。 (2024.5.25) |
--- JAZZ健康法入門 ---by 寺島靖国 |
いつもながらの寺島節。歯に衣着せないご意見番。ただし、自分の欠点もさらけ出す。84才になっても一向に丸くならない。 本書は昨年(2023年) 7月に休刊になった「レコード芸術」に連載していたコラムをまとめたものである。 ジャズとオーディオ、それと健康についてのコラムである。数年前までは健康は抜きであった。年齢とともに健康を抜きにしては生活が成り立たなくなってきたようである。 寺島氏によると血流を良くすると音の聞こえ方が違ってくるそうである。歳をとると聞こえにくくなる高音部の波長が、ステッパーとハンドグリップで血流を良くすると聞こえるようになるとのこと。 血流の大切なことは筆者も実感しているところである。ここ数年足の裏をマッサージすることで、冬の夜布団の中で下半身全体がポカポカしている。足裏マッサージを習慣にする以前はいつまで経っても足が冷えていて寝付けなかった。 自宅のオーディオ装置の写真が載っている。一見しただけで装置に何千万円かけているの? という感じである。もともと金持ちか、稼いだ金の大部分をオーディオに注ぎ込んだのだろう。 2018年から2023年7月に休刊するまで毎月掲載した記事の数は56。毎回CDを1枚紹介しているが、気に入ったCDは何回も紹介している。3回紹介しているCDがある。ノルウェーのピアニスト、トルド・グスタフセン・トリオの「The Other Side」である。2018年発売のECM盤。これはぜひ聴いてみたい。 上記の他に、聴いてみたいCDは以下であった。
(2024.5.24) |
--- 北帰行 ---by 外岡秀俊 |
外岡秀俊が東大在学中に発表した作品である。彼は卒業後、朝日新聞に入社し、58才まで勤める。58才で早期退職後作家に復帰し、「カノン」や「人の昏れ方」などの作品を書く。2021年に68才で亡くなった。 著者を思わせる二宮は20才。中学卒業後、集団就職で上京し、自動車の部品製造工場に勤める。17才の時に事件を起こし、工場をクビになる。その後は工事現場や道路舗装の飯場で過ごしていた。 20才になった二宮はU市(前後の文章から夕張市)に住む母親の家に向かう。体が弱い母親を介助するために、一緒に住みながら働くつもりだ。二宮は、故郷の渋民村を追われた啄木が、出直すために北海道へ向かう経路をたどるように北海道へ向かう。 二宮は啄木の経路をたどりながら、啄木の詩と人生を、そして自分の人生を振り返る。 啄木に関する考察が精緻で硬質である。その部分は中卒の肉体労働者ではなく、啄木の研究者の考えである。まるで論文のような部分と主人公のたどった人生を語る部分は混じりあうことはない。 著者の処女作だけあって小説としてぎこちない部分はあるが、その時にしか書けない小説であることも確かである。歴史の流れの中において、啄木の人生を考察した部分は、啄木に関する評論として読む価値がある。 (2024.5.23) |
--- うまや怪談 神田紅梅亭寄席物帳 ---by 愛川 晶 |
「ねずみととらとねこ」「うまや怪談」「宮戸川四丁目」の3篇が収められている。 「うまや怪談」はおなじみの「厩火事」とその後日談を組み合わせて怪談仕立てにしたコリに凝った作品であった。 「ねずみととらとねこ」と「宮戸川四丁目」は、それぞれ落語の「ねずみ」と「宮戸川」を題材にして、日常の謎と落語にまつわるウンチクを組み合わせてシャレた話に仕立ててある。 「宮戸川四丁目」に登場する下座の雅美姐さんのモデルは女流三味線漫談家の立花家 (2024.5.22) |
--- 道具屋殺人事件 神田紅梅亭寄席物帳 ---by 愛川 晶 |
「道具屋殺人事件」「らくだのサゲ」「勘定板の亀吉」の3篇が収められている。 著者は2007年に本作を上梓し、そこから数々の落語シリーズが始まった。落語と事件のからみものちの作品(芝浜謎噺)に比べると単純で、普通のミステリーに落語家やその家族を巻き込ませたに過ぎない。 「道具屋殺人事件」「らくだのサゲ」。のちの作品は日常生活のささいな謎と落語と落語家をうまく組み合わせているが、本作では実際に人が殺される。ラスボスの馬春師匠もこまったのでは・・・。 「勘定板の亀吉」。「勘定板」と「家見舞」、いずれも汚い噺である。それと「壺算」を組み合わせて謎を設定したが、切れ味が悪い印象を受けた。 (2024.5.21) |
--- 若者たち ---by J.D.サリンジャー |
一部の作品を除いて、初期のほとんどの作品を封印してしまったJ.D.サリンジャーの初期の作品集である。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も含めて、本国では出版されていない作品が、日本ではなぜか見逃されている。本作品集もそのひとつである。もっともこの「若者たち」は日本でも絶版になっていて、新刊では購入することはできない。 本書には17篇の短篇が収められている。そのうちの11篇は初期短編物語群という枠で括られており、6篇がグラドウォラ=コールフィールド物語群の枠で括られている。 興味深いのは後者である。そこでは「グラース家」のバデイとフラニー、それと「ライ麦畑」のホールディン・コールフィールドとフィービのことが語られている。この6篇はいずれも正伝には書かれていない物語である。 それぞれよくできていて著者がなぜこれらの小説を封印してしまったのかは不明である。 最後の「ぼくはいかれている」は「ライ麦畑」の一部といっても良い物語で「ライ麦畑」がある以上必要ないものかもしれない。だが、作家が一度世間に発表した以上、その作品はその瞬間から独り歩きを始める。基本的にそれは作家の自由にならないものだと思う。サリンジャーはそうは思わなかったのであるが。 我々はこの本でホールディンの戦死した兄の名前を知ることになる。ヴィンスント・コールフィールドという名前を。 (2024.5.20) |
--- 象 ---by レイモンド・カーヴァー |
ここにはカーヴァーの7つの短篇が収められている。「引越し」「誰かは知らないが、このベッドに寝ていた人が」「親密さ」「メヌード」「象」「ブラックバード・バイ」「使い走り」の7篇である。 「引越し」。困らせる母親と困らされる息子、それと息子の配偶者が出てくる。どこにでもある話である。 母親というものは息子や娘が小さい時は実に頼りがいのあるものである。大部分の子供にとって母親は世界の全てだったに違いない。彼女が重く、厄介な存在になるのはいつ頃からなんだろう。 本作品の語り手は自分達にまとわりついてくる母親に辟易している。だがそれを態度に表すことはしない。実にどこにでもある話である。 著者はそのことを分析したり、解決を与えようとかしたりしない。その状態を放り出すように書くだけである。 「誰かは知らないが、このベッドに寝ていた人が」。真夜中の間違い電話。起こされた夫婦はそのあと寝られなくなる。タバコを吸いながら朝まで取り止めのない話をする。そのうち話は老後の介護のことに・・・。どこにでもある話である。 「親密さ」。男が数年前に別れた女に定期的に自分の著書を送っている。そしてある時彼女を訪ねていく。彼女の対応は冷たいものであった。当然だろう。男は何を期待しているのか。筆者にはよくわからなかった。 「メヌード」。男には元妻、現在の妻、不倫中の女がいる。不倫中の女は隣の家の主婦で、彼女の亭主は家出中である。男が三人の女についてウジウジ考えているだけの小説である。メヌードというのは料理の名前である。 「象」。この題が全体の題にもなっている。離婚した男が元妻に送金し、さらに母親、離婚した娘、大学生の息子に送金している。さらに失職した弟からも送金を求められている。彼は一介の労働者で裕福ではない。自分は食べるものにも困りながらも、親族に送金する男を淡々と描いている。金を求めてくる者が皆ロクでもない者たちなのだ。まともな人間なら自分で稼ぐか、年金で暮らしていけるだろう。どこにでもある話である。 「ブラックバード・パイ」。子供たちが家を離れ、奥さんと二人きりになった男。以前は会話が多かった夫婦が、今はほとんど会話がない。ある日奥さんから手紙を渡され、彼女はその夜荷物をまとめて家を出ていった。日本の定年離婚か。どこにでもある話である。 「使い走り」。チェーホフの臨終の場面を描いた作品である。医者でもあったチェーホフは冷静に死を見つめ、冷静に死んで行った。初めは臨終の場面に立ち会った奥算の視点から、そしてのちにホテルのボーイの視点からチェーホフの死を描いている。がんを宣告されたカーヴァーの最後の作品である。 (2024.5.18) |
--- 芝浜の天女 高座のホームズ ---by 愛川 晶 | |
芝浜の天女という題名は、「芝浜」と「羽衣の松」からきている。いずれも女房が主題になっている。 本作を読んで正蔵師匠の「火事息子」と「もう半分」が聴いてみたくなった。 八代目林家正蔵の最後の弟子が林屋正雀。その弟子が二人いて、真打の林家彦丸と二つ目の林家 先の話だが今二つ目の彦三がいずれは彦六を名乗るのだろうか・・・。時には彦三の高座もおさえておかねば。 (2024.5.16) |
--- 高座のホームズみたび 昭和稲荷町らくご探偵 ---by 愛川 晶 |
今回の語り手は伊豆の禅寺の和尚・丈哲。彼の昔話は・・・。 ラスト近くで号泣・・・。 まさか「三年目」が・・・。 何も書けない。 一度、八代目林屋正蔵の録音を聴いてみなければ・・・。 (2024.5.15) |
--- 黄金餅殺人事件 昭和稲荷町らくご探偵 ---by 愛川 晶 |
シリーズ2作目である。2作目を読むと本シリーズの構成がわかる。 プロローグとエピローグで事件の30年後の現在が語られる。語り手は30年前落語家であったある人物である。彼は30年前の出来事が原因で、今は別の職業をしている。 語り手が語る30年前は八代目林屋正蔵が現役の時代であった。そして著者が敬愛する正蔵師匠がアームチェア・ディティクティブならぬ、座布団・ディティクティブとなって活躍する。 本作の語り手は桃寿亭龍喜という二つ目の落語家である。事件は彼の師匠・桃寿亭龍鶴の身内から起きた。 落語家にとって二つ目から真打に上がる頃が一番大変な時である。本作を読むといかに大変かが良くわかる。 (2024.5.14) |
--- 高座のホームズ 昭和稲荷町らくご探偵 ---by 愛川 晶 |
著者の4つのシリーズ(<神田紅梅亭寄席物帳シリーズ> <神楽坂倶楽部シリーズ> <昭和稲荷町らくご探偵シリーズ > <落語刑事サダキチシリーズ>)は舞台も登場人物も共通であるが、時代がそれぞれ微妙にずれている。さまざまな世代の落語家たちを主人公にして落語にまつわる話を展開することが著者の目的のようである。 本シリーズの主人公は立て前座の浅草亭てっ橋で、探偵役は他のシリーズにも出てくる八代目林家正蔵である。著者はて、筑波大学在学中落語研究会に所属していた。そのときに正蔵師匠にお目にかかる機会があり、扇子に揮毫してもらったことがあるそうだ。特別に親しみのある師匠なんだろう。 本作にはプロローグとエピローグがついており、それが二つの話をはさんで入れ子細工のようになっている。後半はちから技のような話だが、入れ子細工にすることによってまとまりが良くなっている。 (2024.5.13) |
--- 神楽坂謎ばなし ---by 愛川 晶 |
本書は「神楽坂倶楽部シリーズ」の第1作目である。謎は出てこないし、謎解きもない。 教科書の出版社に勤める希美子が、どういういきさつで老舗の寄席の席亭になったのか、の物語である。 第1章「セキトリとセキテイ」では、教科書の出版社がどういういきさつで落語の本を出すことになったのか、が語られる。 第2章「名残の高座」では、落語について何も知らない希美子が、寄席の楽屋で寄席芸人たちとどのように接したか、について語られる。 著者は本書で、30代の女性の席亭放浪記のような物語を創り上げようとしているのか。それとも下足番の義蔵さんを探偵にしたミステリーを創ろうとしているのか、・・・今のところ不明である。 (2024.5.12) |
--- 落語刑事サダキチ 神楽坂の赤犬 ---by 愛川 晶 |
「放免祝い」「身投げ屋もどき」「神楽坂の赤犬」の3篇が収められている。 本シリーズは落語好きの刑事が主人公になっている。のちに彦六となった八代目林家正蔵が探偵役になっている。事件が暗礁に乗り上げると林家正蔵師匠にお伺いを立てるという展開になる。 神田紅梅亭寄席物帳シリーズが落語にどっぷりつかった話なのに反して、本シリーズは落語を題材に使った程度の話になっている。 (2024.5.11) |
--- 芝浜謎噺 神田紅梅亭寄席物帳 ---by 愛川 晶 |
「野ざらし死体遺棄事件」「芝浜謎噺」「 「野ざらし死体遺棄事件」。「日常生活の謎」を落語家・寿笑亭福の助とその師匠が解き明かす。謹厳実直な伯父のところへ訪ねてきた妙齢の美女。伯父は荒川河川敷で見つけた髑髏の霊だというが・・・。落語「野ざらし」の解釈をめぐって悩む落語家。トリの高座で全ての謎が一挙に解き明かされる。著者は古典落語についてかなり詳しい。通り一遍の知識ではない。 「芝浜謎噺」。古典落語の名作「芝浜」の弱点を暴く。なるほど、だからあの完全主義者の桂文楽が生涯「芝浜」を高座にかけなかったのか。目から鱗の「芝浜」論。 「試酒試」。寿笑亭福の助をいつも脇から応援していた師匠の山桜亭馬春が表舞台に登場する。感動の「 (2024.5.10) |
--- オン・ザ・ロード ---by ジャック・ケルアック |
定期的に北アメリカ大陸をさまよう男、サル・パラダイスが主人公である。本書はほとんど全て実話で、著者 ジャック・ケルアックが体験したことである。 本書はヘミングウェイの「移動祝祭日」とかヘンリー・ミラーの「北回帰線」の系列の作品である。「移動祝祭日」とか「北回帰線」がパリのロスト・ジェネレーションたちの生態を描いたものであるが、本書はアメリカ大陸を放浪するビート・ジェネレーションたちの生態を描いている。 語り手のサルは、気のおもむくままに叔母と同居するニューヨーク州のパターソンから、大陸を横断してカリフォルニアの友人を訪れたり、デンヴァーの友人を訪れたりする。乗り物は鉄道だったり、グレイハウンド・バスだったり、ヒッチハイクだったり、友人の運転する車だったりする。 パターソンでは大学へ通ったり、執筆活動をしている。が、一年もすると我慢できなくなり、家を飛び出して旅に出る。 彼は二種類の仲間を持っている。ディーン・モリアーティに代表される享楽的な遊び仲間とカーロ・マルクスやオールド・ブル・リーなどの作家仲間である。彼らはそれぞれ実在の人物で、ディーン・モリアーティはニール・キャサデイ、カーロ・マルクスはアレン・ギンズバーグ、オールド・ブル・リーはウィリアム・バロウズのことである。 自由奔放な生活に憧れていた著者は大陸中を走り回って友人たちと交流する。そして最後にはニール・キャサディのところに行く。キャサディは仲間たちの中で唯一、何ものにも拘束されない自由奔放な生活をしていた。 第3部でデンヴァーからシカゴまでキャデラックで暴走する場面がある。ハンドルを握るのはディーン(キャサディ)で、昼も夜も関係なくぶっ飛ばす。シカゴに着いた時には真新しかったキャデラックはボロボロになっている。キャサディは41年という生涯をこのように生きた。ケルアックはそういう生活に憧れながらも途中で脱落し、作家生活に戻った。 ニール・キャサディはバスの運転手や警備員をしながら自由奔放に生き、41才の時にメキシコの路上で裸で死んでいるのを発見された。 本書は路上で生き、路上で死んだ自由人ニール・キャサディの思い出を、その生き方に憧れたジャック・ケルアックが書き綴ったものである。 (2024.5.9) |
--- クリスマスの悲劇 ---by アガサ・クリスティ他 |
クリスマスにちなんだ短篇が19篇収められている。選者は元「ミステリマガジン」の編集長で、フランス文学の翻訳家・長島良三氏である。エヴァン・ハンターからドストエフスキーまで幅広い分野の作品から選んでいる。 「古風なクリスマス」、リング・ラードナー。寄宿舎に入っている19才の息子と17才の娘がクリスマスに帰宅する。両親はそれぞれに豪華なプレゼントを用意して待っている。だが、子供たちはなかなか帰ってこない。思春期を過ぎた子供達と親との行き違いを、ラードナーは辛らつに描く。親は子供が10才を過ぎた頃から、そろそろ巣立ちの準備をしなければならない。だが、10年間親をやっていると方向転換が困難になってくるものだ。その隙に子供たちは虎視眈々と巣立ちの機会を狙っているのだ。 「クリスマスの悲劇」、アガサ・クリスティ。ミス・マープルが初めて登場する短篇集「火曜クラブ」から選ばれた。本書の題名にもなっている。登場した当初からミス・マープルの推理は鋭く、殺人事件が起こる前に、事件が起こることを予想し、犯人を指摘している。 「旅人」、リチャード・マティスン。著者は映画「地球最後の男」や「激突! - Duel」の原作者、兼脚本家である。ジェイラス教授はクリスマスイブの日、タイムマシンでゴルゴタの丘へ行く。イエスの処刑を検証するためだ。そこで教授が見た、実際の処刑のありさまは・・・。さすがハリウッドの一流の脚本家である。本作には映画のシーンのような、迫真的な情景が描かれている。 「クリスマス・ツリーの婚礼」、「クリスマスの幽霊」。前者はドストエフスキー、後者はゴーリキー、それぞれ個性的な著者らしい作品である。 (2024.5.5) |
--- by 檀 一雄 |
「花筺」。大人になってしまってからの交友関係は衝突を避けあいながらの表面的なものだが、10代後半のころの交友関係は切磋琢磨という言葉がぴったりするほど、お互いが容赦なく切り結びながら進んでいく。4人の大学の同級生の戦争前と戦争後のそれぞれの運命を描く。 「元帥」。幼い頃から軍隊で出世するのを目標に生きてきた若者は、日本の敗戦でその夢が途絶える。炭鉱夫になった彼は金を貯め、起こした事業がうまくいく直前で挫折し、絶望する。彼は「復活」を愛読し、(カラマーゾフの)ドミートリイとグルーシェニカの哀れな遊蕩に憧れている。 「白雲悠々」。「ペンギン記」。「誕生」。いずれも著者自身の話。家族の話、捕鯨船に乗り、ペンギンに餌付けをする話、次男の病気の話。 「光る道」。更級日記のある挿話からとった話。民話風。 「花筺」や「元帥」の文章がゴツゴツして、なんとなく不自然であるのに対して、「白雲悠々」「ペンギン記」は自然で滑らかな文章になっている。前者は神の目から見た描写、後者は自分の目で見た描写、つまり語り手は作者自身である。自身が語るとなると筆が自由自在に動くということは、この作家は私小説を書くのに適している、ということだ。彼の代表作「リツ子・その愛」「リツ子・その死」や「火宅の人」が私小説なのは、その方が書き安かったからだろう。 (2024.5.3) |
--- 13の秘密 ---by ジョルジュ・シムノン |
【13の秘密】 ルボルニュという35才ばかりの男が探偵役である。彼はアームチェア・ディテクティブで、ある新聞記事を読んだだけで、犯人を言いあててしまう。 一話8ページから10ページ程度の物語が13話収録されている。初めの数話読んだだけで残りは途中下車した。シムノンが書いたにしてはコクのない物語である。 【第1号水門】 一幕ものの舞台劇のような話だ。舞台はパリ近郊の運河の水門近く。登場人物は運河周りの産業を牛耳る実業家のデュクローと彼の昔からの仕事仲間のガッサン。それとパリ警察のメグレ警部。 物語はこの三人の会話によって進んでいく。昔は荷上げ人足だったふたりの関係は、今は社長と雇われ人に変化している。ある晩ガッサンが酔って運河に墜落し、溺れているところを周りのものに救われる。同じ運河にデュクローが背中を刺されて沈んでいるところを救われた。 メグレはデュクローの事件を捜査するために来た。毎日運河近くのカフェに入り浸って客と会話をする。読者はメグレの目を通して運河近くの人間関係を知っていくことになる。 徐々に家族を含むふたりの複雑な人間関係が明らかになっていく。メグレの定年退職の日の2日前に、事件は自ずから解決する。謎解きもトリックもない。そこにはバルザックの小説のような「人間喜劇」があるばかりである。 (2024.5.1) |
--- 脱出航路 ---by ジャック・ヒギンズ |
本書を初めて読んだのは1980年代であった。ハードカバーで出たばかりのを読もうとしてなかなか読めず、読了したのは購入してから数年後であった。 その後再読しないまま保存し、何年か後に古本屋に売ってしまった。10年くらい前から急に読みたくなり、Amazonや図書館で検索した。引っかからないまま現在に至っていた。 数日前、南柏の古本市で偶然見つけた。ふと見たらそこにあったという感じだ。手に取ってみると、小口がきれいで、あまり人手に渡っていないようだ。即、購入した。300円。 原題は「Storm Warning」(暴風警報)という。まさに初めから終わりまで、風、風、風、雨、雨、雨・・・。船長以下乗組員全員、濡れていない時はないんじゃなかろうか、という感じである。 主人公はブラジルからドイツへ向かう帆船「ドイッチェラント号」とその乗組員である。そして彼らを取り巻いている者たち、イングランドのファーダ島の遭難救急隊、ロンドン市内の傷病人救護施設とそこで働いている女性医師、郵便船の船長、U-ボートを操縦するドイツ軍乗組員は、すべて残り60ページになったところでドラマチックに合流する。 大西洋を航海する帆船「ドイッチェラント号」には、それまでも雨風が絶えないのだが、最後になってもの凄い暴風雨に見舞われる。この暴風雨に対しては戦争など何ほどのことはない。イギリス人、ドイツ人、アメリカ人の区別など吹き飛んでしまう。 「本日、死ぬるにせよ生きるにせよ、それを決める権限はこのわしだけにある」とか「そのつもりのある者はついてくるがよい。その他の者についてはーーー地獄へ堕ちるがいいわい」とかいう、切羽詰まった時に発する人間らしい言葉が続出する。 映画化すればヒットすると思うが、「鷲は舞い降りた」が発売後すぐ映画化されたのに対して、本書は映画化されていない。「鷲は舞い降りた」が一直線の救出ものであるのに対して、本書はグランドホテル形式のそれであるため、脚本化が難しいのかもしれない。 本書は、1975年にベストセラーとなった「鷲は舞い降りた」に続いて発表されたが、それほど評判にならなかった。登場人物が多く、場面転換が頻繁なため、読者が戸惑ってしまう可能性がある。40年前に筆者が読んだ時がそうであった。全体のつながりがイマイチとらえきれていなかったため、それほど感動しなかった。今回は大感動のうちに読み終えた。少しは読解力が向上したのかもしれない。 (2024.4.28) |
--- 鉄道小説 ---by 乗代雄介・他 | |
「犬馬と鎌ヶ谷大仏」「ぼくと母の国々」「行かなかった遊園地と非心霊写真」「反対方向行き」「青森トラム」の5篇が収められている。乗代氏の作品が目的で読み始めた本書だったが、乗っている作品それぞれが甲乙つけ難く面白かった。 「犬馬と鎌ヶ谷大仏」: 乗代雄介。ぼくは25才のアルバイター。新京成線の鎌ヶ谷大仏駅近くに住んでいる。キッチンのアルバイトは午後3じ頃終わり、帰宅後、小学生の頃から飼っている犬を散歩に連れていく。ある日、スーツを着ていい靴を履いた同級生に会う。彼に会ったことから小学校時代を思い出し、その頃好きだった女の子のことを思い出す。・・・。大学を出たぼくがどういうことからアルバイトをして暮らしているかは説明されない。サラリーマンになっていい稼ぎをしているらしい同級生に会うことから、現在の自分の状態を考えざるを得なくなったぼくの複雑な気持ち・・・。 「ぼくと母の国々」: 温 又柔。薬剤師をしている主人公がある日、中国語と日本語をちゃんぽんで話している親子に会う。彼は帰化した日本人で、彼の母親は台湾人である。母親は日本に帰化して40年間日本に住んでいるが、台湾に帰ろうと考えている。40才になった主人公の気持ちは複雑である。 「行かなかった遊園地と非心霊写真」: 澤村伊智。酒場で隣に座った男性から聞かされた子供時代の不思議な話。そのことが後になって・・・。これは怖い。最後の1行を読んで背中がゾッとした。 「反対方向行き」: 滝口悠生。渋谷から湘南新宿ラインで宇都宮へ向かうはずだった女性が、反対方向の電車に乗ってしまい、終点の小田原まで行ってしまう。武蔵小杉あたりで気づいたのだが、何となく惰性で乗り続けてしまう。その間、自分や母、祖父、叔父との関係や以前のことを思い出す。電車に乗り合わせたひとりひとりがそれぞれの人生を生きている、と改めて思わせる。 「青森トラム」: 能町みね子。主人公のアユハは4,5年勤めた会社を辞めて、青森にいる漫画家の叔母のマンションに同居させてもらうことにした。しばらくぶらぶらするつもりでいた彼女は、毎日トラムという路面電車に乗って街を散策する。青森市内で行われる「プライドフェス」というLGBTQの催しのチラシを見て、行って見ることにする。そこで出会った人々との交流が彼女のひとつの転機になるかもしれない。 (2024.4.26) |
--- 我が心は石にあらず・散華 ---by 高橋和巳 |
【我が心は石にあらず】 著者は1971年に39才で亡くなった。53年前である。 亡くなる4年前に出版された本書のハードカバーを、筆者は購入していた。その後文庫本になるが、その時はハードカバーしかなかった。 購入した本書を、何度か読みかかったが、結局読み進めることができず、古書店に売却してしまった。 50年後の今、本書はおもしろい。この面白さを知るためには、40数年間、技術者として会社勤めの経験が必要だった。社会人としての経験のない者には、主人公の気持ちがわかるはずがなかった。 著者が小説を書いた時期は1962年の「悲の器」から1971年の「白く塗りたる墓」までの10年間、大学で教鞭をとりながらであった。 「悲の器」にしろ本書にしろ、30代半ばの著者に、よく中年の会社勤めの技術者の気持ちが書けたものだ。優れた作家は想像力が並大抵ではないのかもしれない。 主人公の信藤は地方の中小企業に勤める中堅の技術者である。組合の委員長をしている。妻と子供が二人いる。物語は彼の組合活動と組合の委員・久米洋子との不倫を交互に描いている。 1960年代の企業の労働組合は、共産党や社会党の勢力と共に、その活動が最も盛んな時期であった。1週間や2週間のストライキは当たり前の時代であった。 物語は信藤の組合活動の隆盛と終焉の記録である。同時に妻以外の女性との関係とその終焉の記録でもある。 彼は組合活動では理論的に冷静に物事を進めていくのに、女性との関係では行き当たりばったりである。彼女が妊娠しても傍観するだけで何もしない。著者は意図してそういう人物像を創造したのか、それとも書いているうちにそういうふうになってしまったのか。いずれにしても、主人公の信藤は1960年代の典型的な人物像といえる。 読了後思うことは、当時20代前半だった筆者が本書を数ページ読んで放り出してしまったのは無理も無いな、ということである。。 【散華】 電力会社の補償部門の担当者が瀬戸内海の孤島に住む老人から島を買い取る交渉をする。本四連絡橋の計画と同時に、本州と四国をつなぐ電力ケーブルを敷設するために要所にある島に鉄塔を建てるためである。1960年代は日本が戦争の影響から脱却して、経済を回復しようとする時代であった。 老人はかつて民族主義者として戦争を煽る階級に属していた。電力会社の担当者・大家は学徒出陣によって戦争に駆り出されていた。 ふたりの孤島での対話によって、老人の現在の生活に共鳴するものを感じながらも、任務を果たさなければならない大家の葛藤が描かれる。 自然保護か開発か。人間らしい暮らしをとるか、便利な暮らしをとるか。孤島の海岸で、自分の任務を忘れて、夢中で蟹や貝を採る大家は、結局は妻子や自分の生活のために老人を見捨てることを選択しなければならない。これは時代や立場の違いはあっても、人が生きる上で永遠のテーマである。 【堕落】 これは満州開拓団に所属していた男の転落の物語である。彼は戦争中、満州国建設のために働いていた。終戦時、彼らは取り残された。彼らだけでなく、中国に従軍していたすべての日本人が取り残され、運の良い者は、命からがら日本に逃げ帰った。もっとも運の悪いものは殺され、次の者はソ連軍の捕虜となり、シベリア開拓のために無償で働かされた。ちなみに、筆者の父もそのひとりであった。 主人公の青木は2年間の捕虜生活の後、運良く日本に帰ることができた。彼は日本で戦争孤児のための孤児院を始めた。10数年後その功績が認められ、ある団体から表彰されることになった。そこで200万円の賞金をもらい、満州時代の先輩や同僚と出会った。そこから彼の転落は始まる。 ある分野で成功した人物が、なぜここまで転落しなければならないのか。筆者には理解できなかった。 成功したにせよ、しなかったにせよ、戦争中の中国での体験が何らかの影を落としていることは想像できる。筆者の父にしても、シベリアでの抑留生活が彼の人格に何らかの影響を与えていたであろうことは、なんとなく想像できる。人が人に与える影響力というものは、小さいことでは満員電車で足を踏まれたとか、濡れた傘を押し付けられただけでも、何時間か、もしくは何日かは続く。戦争中の過酷な体験が人に与える影響力がどれほど強力なものかは、経験していないものには絶対にわからない。だから彼らは自分の体験を誰にも言わないのだろう。 (2024.4.25) |
--- 女はいつもミステリー ---by 青木雨彦 |
コラムニスト青木雨彦のミステリー案内である。 全4章に分かれていて、第3章がメインである。この本が出版された1981年に旬だったミステリーについて、その面白さを述べている。 取り上げられた本は、たとえばエド・マクベインの「87分署シリーズ」、それに刺激されたスウェーデンの作家によって書かれた「刑事マルティン・ベックシリーズ」、小泉喜美子がアガサ・クリスティの「検察側の証人」に影響されて書いた「弁護側の証人」、森村誠一の「証明シリーズ」などなど、今読んでも面白い作品ばかりである。 元の本が面白いとそれの書評も面白い。著者の青木雨彦は元新聞記者だったこともあって、その辛口の鋭い意見は、対象の本を読んだ後であっても面白いし、未読であれば読んでみたくなる。 ロバート・L・フィッシュの「懐かしい殺人」と伴野朗の「50万年の死角」は読んでみたいと思った。 (2024.4.20) |
--- 出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと ---by 花田菜々子 |
まさに題名通りの内容である。著者は夫と別居したのをきっかけにある出会い系サイトに加入し、その人に合った本を勧めまくる。その数約70人。 その活動をきっかけに、コンピュータ・ゲームの仲間に加わったり、本をおすすめする会を主催したりする。 出会い系サイトの活動がきっかけで交際範囲が飛躍的に広がり、夫とは1年後に離婚する。 30代半ばの女性の1年間の活動の記録である。 (2024.4.19) |
--- パパイヤ・ママイヤ ---by 乗代雄介 |
「パパイヤ・ママイヤ」という題名は17才の女子高生と17才のニートの女子のラインのハンドルネーム「パパイヤ」と「ママイヤ」をつなげたものである。「パパイヤ」は父親嫌い、「ママイヤ」は母親嫌いからつけた名前である。本書は全編二人の会話で成り立っている。「パパイヤ」は「ママイヤ」を「あんた」と呼び、「ママイヤ」は「パパイヤ」を「そっち」または「パパイヤ」と呼ぶ。 本書は おじさん世代の読者が、17才の女子の共通認識事項を省略した会話のリズムに慣れるには、本の半分くらい読み進めなければならなかった。だが最後まで読んで、再び最初のページから読み返してみると、そのリズが心地よく感じられたのが不思議だった。 著者の本は、一定の場所での登場人物同士の会話から成り立っているものが多い。「本物の読書家」では常磐線快速電車の車内が、「皆のあらばしり」では栃木市の皆川城址公園の丘が、「旅する練習」では流山から鹿島スタジアムまでの路上が、それぞれの舞台になっている。 本書の舞台は千葉県木更津市の 本書にはあと二人の登場人物がいる。ひとりは干潟に絵を描きにきた中学生、ひとりは干潟に住むホームレスで「所ジョン」と名のる老人である。このふたりの登場人物によってパパイヤとママイヤの夏は、忘れられないものになる。 楽しいこともあるが、実際には苦しいことの方が多い青春時代。それはオトナになってからでは味わえない貴重な時代でもある。 本書はふたりの17才の凝縮された2ヶ月間をあざやかに描き出している。 (2024.4.18) |
--- 懐疑の精神 ---by 西尾幹二 |
ドイツ文学者・西尾幹二の評論集である。本書は昭和49年に発行された。本書には16の評論が収められている。 「老成した時代」。現代は老成した時代であり、情熱や決断にとって代わって、言葉の上の解釈や認識の圧倒的な分量に押しつぶされそうになっている時代である、と論じる。さらに、人間はなにひとつ行動できない時には、認識の方法だけが精緻をきわめるものである、と断ずる。 まさに現代の特徴を表した文章である。だがこれが昭和49年(1974年)に書かれたということは注目に値する。学生運動が下火になり、「しらけの時代」と言われ始めていたとはいえ、まだ「情熱や決断」は存在していたと思っていた。その時すでに「情熱や決断」が無くなっていると感じていたとすれば、社会に対してかなり鋭いセンサーを持っていた人であった、と判断せざるを得ない。 「人生批評としての戯作ーー新戯作派と江戸文学」。現代の戯作派と評される二人の作家・野坂昭如と井上ひさしの作品を俎上にのせ、彼らの作品を論じながら、山東京伝や恋川春町に代表される江戸時代の戯作文学を論ずる。 その前置きといった形で日本の代表的な哲学者・九鬼周造のベストセラー「いきの構造」を論ずる。その感想が面白い。 「芸者の世界に通暁したわけ知りの外人観光客が日本人に妓楼の隠語を現代語で教えようとしているようなもの」である。さらに、「彼は実は外人観光客を装った日本人であることは明らかで、彼は装っている自分にさえ気づいていない」とは徹底的に貶したものである。よほど著者かその著作が気に食わなかったのだろう。 「わたしの理想とする国語教科書」。著者は「自分の理想とする国語教科書を述べた後、他の教科が、理数科をも含めて、国語を基礎においているという考え方がもっと普及しなくてはならない」と述べている。これは数学者の藤原正彦が自分の著書で繰り返し主張していることと同じであり、もっともなことだと思う。事実、入試で国語の成績の良かった者は、電子工学等、他の教科でもいい成績をあげているという統計結果もあるようだ。 「批評の悲劇」「自己自身からの脱出」「高校教師としてのニーチェ」はいずれもニーチェについて語ったものである。「悲劇の誕生」でワーグナーについて語ったニーチェはベートーヴェンについてどのような意見を持っていたかについて語った「自己自身からの脱出」。高校でギリシャ語の教師をしていた頃のニーチェを語った「高校教師としてのニーチェ」。いずれも興味深い評論であった。 (2024.4.17) |
--- 碁打ち・将棋指しの誕生 ---by 増川宏一 |
昔の碁打ちというと、真っ先に思うのは碁聖といわれた本因坊秀策だ。秀策の布石は秀作流といわれ、なかでも独特のコスミは、AI時代の今でも盛んに打たれている有力な戦法である。秀策が活躍したのは江戸時代の1850年代、19世紀である。 著者によると囲碁ができたのは紀元とほぼ同時、場所は中国であった。将棋はそれより数世紀遅れてインドで考案された。日本に伝わったのは6世紀。遊戯目的であったそれらに専門家ができて、発展したのは15世紀、室町時代のことだった。 日本で最初の囲碁の専門家は時宗の僧侶、重阿弥であった。囲碁将棋に関わらず、当時の文化の担い手は貴族と僧侶であった。 17世紀になって徳川家康が碁打ち・将棋指しを保護した。初代本因坊が誕生したのもこの頃である。だが、碁の技倆は本因坊よりも利玄坊の方が上だったようである。 著者は昔の人の日記や書簡を丹念に読み解くことによって、当時の囲碁・将棋が行なわれていた情景を想像した。それによると棋士たちがプロ化したのは、徳川家康の保護によるものが初めのようである。日本のサッカー界がそうであったように、競技の技倆はプロ化すると飛躍的に高まる。その時代に本因坊が生まれたのも、プロ化による影響が大きかったに違いない。 (2024.4.13) |
--- 立原正秋 風姿伝 ---by 鈴木佐代子 |
著者は立原正秋が編集長をしていたころの同人誌早稲田文学の編集事務をしていた。同時期に作家の高井有一は同雑誌の編集委員をしていた。高井氏はその時のことを評伝「立原正秋」に書いた。「立原正秋」が男性目線から見た立原正秋ならば、本書は女性目線から見た立原正秋である。立原正秋という人はスター性のある作家といえる。 立原正秋という人は瞬間湯沸かし器のようにすぐ怒る人だった。男性の編集者たちからは腫れ物に触るように恐れられていた。女性たちの目からはその部分が違って見えるらしく、それほど恐れられてはいないばかりか、頼もしく感じられていたようだ。 高井有一は前書で朝鮮人と日本人のふたつのアイデンティティを持つ作家として立原を考察した。鈴木佐代子は家庭人としての立原を内側から考察している。2冊を併読すると日本に帰化した朝鮮人立原正秋の複雑な思いを理解することができる。 (2024.4.10) |
--- マンスフィールド短編集 ---by キャサリン・マンスフィールド |
本書にはキャサリン・マンスフィールドの15編の短編が収められている。 キャサリン・マンスフィールドはニュージーランド出身の作家である。彼女は「意識の流れ」を重視した作家で、主にイギリスで作品を発表した。 彼女は様々な場面における「心の揺れ」を描き出す作家である。その作風は彼女が目標とする作家チェーホフに似ている。 「園遊会」。主人公はローラという少女。彼女の家でガーデン・パーティをやることになり、天幕を張ったり、音楽のバンドを招いたりして準備している。最中坂の下の貧しい人々が住む地域で人が死んだという話が伝わってきた。ローラは気が動転する。そんな時にパーティなどしていいのかしら。しかし無事パーティは終わり、彼女は母親の言われてパーティの残り物を下の家に届けにいく。著者はパーティという華やかな催しと、葬式という正反対の出来事の間で、揺れ動く少女の心を描く。 「パーカーおばあさんの人生」。若い頃から苦労をして、13人の子を産み、7人を病気で亡くした。6人の子供たちは成人してそれぞれの道を歩み、そのうち一人の娘は子供を残して逝った。そして今、唯一の身内である孫を病気で亡くした。泣きたくても泣けない人生を送ってきたパーカーおばあさんは今泣きたい。が、どこで泣いたら良いのだろう。いくら働いても報われない人生を送ってきたパーカーおばあさんの悲哀は行き場のないまま続いていく。 「新時代風の妻」。妻のイザベラは何人かの芸術家たちと一緒に暮らしている。夫のウィリアムはふたりの子供たちと別の家で暮らしている。本書が出版された1920年代にはかなり新しい形の結婚形態であったろう。本物語では二重生活のための資金は全て夫の稼ぐ給料から出ている。妻やその仲間たちの生活を支える夫の気持ちは書かれていない。 「理想的な家庭」。会社を立ち上げ、長い間働いて、息子にそれを譲ることにした初老の男。若い頃は家の中心だった男は今、妻や娘たちからつまはじきされ、、息子からは憐れまれている。原題は「An Ideal Family」。 「声楽の授業」。ミス・メドウズは声楽の教師。婚約者から婚約破棄の手紙をもらった。今は授業の最中、生徒たちはミス・メドウズの冷たい対応に恐れおののいている。そこへ婚約者から電報が届く。あれは気の迷いだった、と。ミス・メドウズはウキウキする気分で残りの15分間の授業をする。 「小間使」。小間使いのエレンは小さい頃から除け者扱いされて育った。今は金持ちの夫人の小間使いをしている。出入りの花屋のハリーからプロポーズされた。一時は受けるつもりでいたが、老婦人のがっかりする様子を見て、プロポーズを断ることにした。 「ブリル女史」。オールドミスのブリル女史は毎週日曜日になると、公園のベンチで周りの人々の様子をうかがうのを楽しみにしていた。ある日曜日、近くにすわった若者とそのガールフレンドが彼女の悪口を言っているのを聞いた。 「大佐の娘たち」。父親の大佐亡き後、中年の姉妹が話し合っている。父親が生前どんなことを考えていたか。父親なしでは、ふたりでは何も決められない。ふたりの会話は延々と続く。 「初めての舞踏会」。初めての舞踏会で若い女性が感じたり考えたりすることを意識の流れを追って描いていく。ちょっとしたことで嫌になったり、帰りたくなったり、素敵な相手にめぐり会うと幸せな気分になったり・・・。 その他「若い娘」。「船の旅」。「鳩氏と鳩夫人」。「見知らぬ者」。「祭日小景」。「湾の一日」。の6編が収められている。いずれも日常の生活の一部分を切り取り、スケッチ風に描いている。 (2023.4.9) |
--- メグレと善良な人たち ---by ジョルジュ・シムノン |
メグレは朝食の後「善良な連中がいちばんわれわれをてこずらせる」とつぶやく。 ある関係者はメグレに「あの家族には、他の家族と同じように、あの家族だけの不幸があります・・・」と供述する。 本書のテーマは上記の2行で言い尽くされている。 物語に謎らしい謎はない。メグレが被害者の家族に寄り添いながら、その周辺を捜査していくうちに、犯人は浮かび上がってくる。 悲しいといえば悲しい、だがなるようにしかならないという人生の法則のようなものが、物語全体を支配している。 (2024.4.7) |
--- メグレと老外交官の死 ---by ジョルジュ・シムノン |
引退した元大使が銃で殺された。現場には彼の家政婦がいるのみ。銃はどこからも発見されない。 捜査にあたったメグレは元大使の書斎になるべく長くとどまり、その雰囲気を体で味わおうとする。彼のいつものやり方だ。 元大使の周辺を捜査して、徐々に明らかになってきたのは元大使と友人の貴族、そしてその妻との関係である。貴族同士の複雑な関係にメグレはとまどう。 読者の前に不思議な結末が待っている。 (2024.4.6) |
--- 重罪裁判所のメグレ ---by ジョルジュ・シムノン |
物語の半分は法廷の場面である。冒頭から義理の姉と姪を殺し、金を奪った罪で捕まった被告ガストン・ムーランが法廷で審理を受けている場面から始まる。 メグレは検察側の証人として出席している。メグレは内心被告の有罪を疑っている。 裁判の結果、ガストン・ムーランは無罪となる。裁判の後メグレはムーランとその妻に尾行をつけて関係者をあぶり出そうとする。 著者はメグレの捜査を通して、生きることに不器用な額縁職人ムーランの人生を描いている。 (2024.4.5) |
--- 霧の港のメグレ ---by ジョルジュ・シムノン |
本書は1931年の作である。シムノンは1931年に8冊のメグレものを書いている。多作派と言われるシムノンの本領発揮の年であった。 メグレは頭を銃で撃たれて記憶喪失になったジョリス船長を彼の故郷ウィストルアムへ連れていく。到着した翌日船長は何者かによって毒殺される。滞在中のメグレは捜査を始める。 捜査を進めるうちにメグレはジョリス船長を取り巻く複雑な人間関係を知ることになる。メグレはフランス北部の小さな漁村に滞在し、その雰囲気を体全体に受けながら捜査を進めていく。事件現場の雰囲気を感じ、被害者の人生を追うことで犯人にたどり着く、というのがメグレ警視のやり方である。 著者は小さな漁村の狭い人間関係を書くことで、そこに人間の普遍的な悲劇を描いている。 (2024.4.5) |
--- 男の首・黄色い犬 ---by ジョルジュ・シムノン |
【男の首】 これは1930年、メグレ・シリーズの第5作目の作品である。「男の首」とは印象的な題名である。今は死刑は廃止されたが、本書執筆当時にはフランスには死刑制度があり、その方法・斬首からきているのだろう。 本書には印象的な人物が登場する。自分は天才であり万能である、と自負する25才の元医学生ラデックである。もうひとりは花屋の店員ウルタンという人物で、彼はラデックと正反対で何事にも自信がなく、負け犬に甘んじている青年である。 著者はこのふたりの対照的な人物を造形するにあたり、ドストエフスキーの「罪と罰」から25才の元大学生ラスコーリニコフと落ちぶれた元下級官吏マルメラードフを借りてきたようだ。本書の中でラデックは独自の超人思想をメグレに演説する。それはラスコーリニコフが雑誌に投稿した「天才は全てのことが許される」という超人思想に似ている。 作中メグレがラデックに気づかれながらも無言でつけ回す場面があるが、これは手下にラスコーリニコフをつけ回らせて精神的に揺さぶりをかけようとした予審判事ポルフィーリーのやり方と同じである。 本書をジャンル分けするならばミステリーというより、犯罪心理小説という方が適当と思われる。 【黄色い犬】 「男の首」が「罪と罰」を下敷きにしたものなら、この作品は「モンテ・クリスト伯」であろう。 初期のシムノンはミステリーを意識した作品を書いていたようだ。最後の章でメグレは登場人物を一堂に集め、犯人を名指しする。エルキュール・ポワロのように。 フランス西部の一漁村コンカルノーのカベルーで連続殺人未遂事件が発生する。この事件は一見単純に見えて、実は根の深いものであった。 犯人探しのミステリーではあるが、読後深い感動を与えられる。 (2024.4.4) |
--- メグレとひとりぼっちの男 ---by ジョルジュ・シムノン |
パリ中央市場でホームレスの老人が殺された。胸に3発の銃撃を受けて。 パリ司法警察のメグレはホームレスの身元を捜査するが皆目分からない。なにしろほとんど人付き合いをしなかった老人なのだ。 メグレは数少ない手がかりをたどりながら、被害者の身元を割り出していく。被害者の複雑な反省が徐々に明らかにされていく。 ある日メグレ宛に匿名の電話がかかってくる。ある者を調査せよ、という。急転直下犯人と思われる人物が浮上する。ここまでで本の半分くらいである。 ここから話はねじれ始める。最後に判明した真実は・・・。 シムノンは本書でも、なかなかすんなりとはいかない人生のありさまを読者に提示してくれた。 (2024.4.3) |
--- メグレと首無し死体 ---by ジョルジュ・シムノン |
読み終えてみると、パリ郊外の運河の脇にある小さな居酒屋(ビストロ)の印象が頭に残った。 運河からバラバラの死体が発見された。ただ頭だけは発見されなかった。捜査陣には死体がどこの誰なのか、皆目分からない。 電話をするために入った運河脇の居酒屋に、メグレが強い印象的を受けた女性がいた。その後メグレは捜査の前線基地として、その居酒屋を利用することになる。初めは違和感があったが、徐々に居心地が良くなってくる。 印象的な文章がある。 「メグレは転落する人たち、とくに好んで自分を汚し、たえず下へ下へと転落することに病的なほど夢中になる人たちは、いつの場合でも理想主義者なのだと・・・」 この作品を象徴する文章である。 (2024.4.2) |
--- メグレとベンチの男 ---by ジョルジュ・シムノン |
犯人は思わぬところから判明する。メグレが今まで捜査していたのは何だったんだろう。 シムノンがメグレ警視シリーズを書く目的はトリックや謎解きではないことがはっきり証明される展開である。 著者が本書で書きたかったのは被害者トゥーレの人生である。 トゥーレは勤めていた会社が潰れて、職を失ってもそのことを家族の誰にも言うことができない。毎日会社へ行くふりをして家を出るが、公園や映画館で時間を潰して退勤の時刻になると何食わぬ顔をして帰宅する。 だが蓄えた金が無くなるとそういうわけにはいかない。さてトゥーレはどうするのか。 メグレはトゥーレや彼の家族たちの生活を知ることで犯人を追及しようとするが・・・。 (2024.4.1) |
--- モンマルトルのメグレ ---by ジョルジュ・シムノン | |
パリ郊外、モンマルトルのうらぶれたキャバレー「ピクラッツ」。入り口はケバケバしいネオンに彩られ、内部はピンク色の照明に浮かび上がる舞台、仕切りで区切られたテーブル、ピアノトリオの生バンドの音、一晩に何回か繰り広げられるストリップショー。 その店の踊り子が殺された。彼女は亡くなる数時間前に警察にオスカルが伯爵夫人を殺すつもりだということを通報していた。 踊り子はなぜ殺されたのか。オスカルとは何者か。伯爵夫人とは? メグレはキャバレー「ピクラッツ」に腰を据えて捜査にあたる。彼の目的は殺された娘の生前の姿を正確に描き出すことだ。捜査が進むうちに娘が生活していた様子が浮かび上がってくる。だが、オスカルについては皆目分からない。 読者はメグレと共に「ピクラッツ」の6番のテーブルでワインを飲みながら捜査の網が狭まってくるのを眺めることになる。 やがて事件は解決し、メグレはバリ警察の自分の部屋に戻る。「ピクラッツ」の6番テーブルに残された読者は一抹の寂しさを感じることになる。 (2024.3.31) |
--- メグレ式捜査法 ---by ジョルジュ・シムノン |
南仏に浮かぶ小島のホテル「ノアの方舟」。事件はここで起こり、メグレはスコットランドヤードからメグレ式捜査法を見学に来た刑事パイクを連れて出張する。 ホテル「ノアの箱舟」は「港を見下ろす丘の上にある大きな建物」であり、室内には「ブイヤベースとサフランの匂いが漂っていた」。そこに泊まることになったメグレの部屋は一方の窓から広場が、もう一方の窓からは海が見える部屋だった。なんだか行ってみたくなるようなホテルである。 メグレは島に住む限られた住人の中から犯人を探すことになる。物語はクリスティの「孤島もの」のような雰囲気である。 とはいってもシムノンは本来謎解きやトリックの作家ではない。彼は島の住人ひとりひとりの経歴や生活を探ることによって、犯人をあぶり出していく。 章が進むに連れて、少しずつ緊迫感が増していく。そして突然大団円を迎えることになる。 (2024.3.30) |
--- 父・こんなこと ---幸田 文 |
本書にはふたつのエッセイかが収められている。「父 ー その死 ー」と「こんなこと」である。 「父 ー その死 ー」は著者の父親・幸田露伴の晩年の姿を描いている。露伴が亡くなったのは1947年7月であった。敗戦から2年目の夏であった。著者は戦争中から寝たきりになっていた露伴をかかえて、戦後市川市の菅野に引っ越す。著者はこのエッセイで菅野に移り住んでからの看病のありさまと露伴の死までを綴っている。 娘が父親を語ったものでは向田邦子の「父の詫び状」が有名であるが、幸田文の「こんなこと」もその系列に属する作品である。幼少の頃母親を亡くした著者は父親から生活に必要な「こんなことや、あんなこと」を習う。著者は14才から18才までの多感な時期に、掃除の仕方、障子の張り方、薪割り等々さまざまなことを父親から伝授される。そのありさまをユーモアを交えて書いたエッセイである。 幸田文の父露伴は向田邦子の父親とは違い、幼い子供たちとよく遊んでくれたようである。「こんなこと」の中の「ずぼんぼ」という章でその様子を描いている。露伴は厳しいばかりでなくユーモラスな父親でもあったようだ。 (2024.3.29) |
--- 面とペルソナ ---by 和辻哲郎 |
和辻哲郎は漱石の最晩年の弟子である。大学時代西田幾多郎のもとで哲学を勉強していた彼は文学にも興味を持っていたのだろう。 和辻の文章は哲学を論じるときでも自分の言葉で正しい日本語を使うので、我々部外者にとっても理解しやすい。それは彼が若い頃から日本語の文章に心を配っていたからに違いない。 本書には表題の「面とペルソナ」以下27編のエッセイが収められている。いずれも文学者のように美しい文章で、素直に心に響いてくる。 多趣味の人らしく、とり上げた主題は多岐にわたっている。「面とペルソナ」と「能面の様式」では能面の美と機能について、「六本の手の如意輪観音」では千手観音の手の様式と機能について、「自由劇場開演に際して」では日本の翻訳劇の現状と今後に対する展望を述べている。 「偶数と神々」の章で著者は、「東南アジアの国々は古来7と9を重んじてきた。唯一日本だけは偶数を重んじ、特に8は偶数の一番重なった数字として重んじられた。2の本性は共同であり、和睦である。これが日本精神史の最も古い起点である」、と述べている。確かに古来日本には 「寺田さんに最後に逢ったとき」は著者が軽井沢の軽便鉄道の車内で発車を待っているとき、後から入ってきた人を見ると寺田寅彦であった。そのとき元気だった寺田氏がその数ヶ月後には亡くなっていた。同じ漱石門下生の寺田寅彦と偶然会い、しかもそれが今生の別れになった。そのとき著者と一緒にいたのは谷川君というから、おそらく京都大学哲学科の同窓生・谷川徹三氏であったろう。 「青丘雑記を読む」において著者は、文章を書く上で大切なことをこう述べている。「文章の極致は透明無色のガラスのように、その有を感ぜしめないことである。脱我の立場において異境の風物が語られるとき、我々はしばしば驚異すべき観察に接する。人間を取り巻く植物、家、道具、衣服等々の細かな形態が、深い人生の表現としての巨大な意義を、突如として我々に示してくれる」。いかにして「脱我」を成し遂げるか。 「享楽人」で、著者は木下杢太郎を評して享楽人である、と評する。著者27才、木下31才の時である。17年後、著者は附記に木下を「享楽人」ではなく、単なる「ヒューマニスト」であったと書いている。「享楽人」とは人生を味わい尽くす人という意味である。 大正11年、著者33才の時「思想」に書いたエッセイ「天竜川を下る」は興味深い。仲間たち11人と信州飯田まで行き、そこから天竜川下りをする。誰がどうした彼がこうしたと書くが、それぞれ姓しか書いていない。小宮君とか高橋君とか・・・。下の名前を想像してみた。阿倍君→阿倍能成、小宮君→小宮豊隆、上野君→?、津田君→津田青楓、中君→中勘助、岩波君→岩波茂雄、速水さん→速水御舟、高橋君→?。上野君と高橋君以外は著者を含めて全員漱石山房の弟子たちではないか。和辻氏の文学的風土はやはりここにあったのだと思った。 著者は「学生検挙事件所感」で社会主義暴力革命について論じ、「文化的創造に携わる者の立場」においてヨーロッパ諸国だけが先進国ではない、と論じた。時代の風潮や雰囲気に流されないで、自分の意見を堂々と述べる、そのことが彼を右翼とか反動主義者とかいって貶めようとする勢力を生んだのだろう。「河上博士に答う」で共産主義者・河上肇のいわれなき非難に長々と答えざるを得なかったのもその結果である。 現在の時点から俯瞰すると、暴力的共産主義に対する、そしてヨーロッパやアジアに対する日本の立場の特殊性について、和辻氏の考察は時代を超越していた、ということは明白である。 (2024.3.27) |
--- メグレと殺人者たち ---by ジョルジュ・シムノン |
メグレ警視宛に、命を狙われている、という電話がかかってくる。彼は街のにぎやかなところを移動しながら電話してくるらしい。 初めは「いたずらかな」と思ったメグレは、男の真剣な口ぶりから徐々に信じ始める。そして電話は途切れ、彼の死体が発見される。 地道な捜査を続けていくうちに、徐々に大規模な殺人集団の存在が明らかになってくる。その陰に潜む女性たちの存在も。 1947年、比較的初期の作品である。後期のものに比べて事件の規模が大きい。後半メグレ率いる捜査陣が犯人たちを追い詰めていく描写は手に汗握る。 (2024.3.25) |
--- メグレ罠を張る ---by ジョルジュ・シムノン |
メグレ警視ものを読む時は、本の半ばまで実り少ない地道な捜査を記述する退屈な場面を覚悟しなければならない。 途中捜査は急展開し、トリックも謎解きもないまま、自然に犯人が浮かび上がることになる。そのことも覚悟しなければならない。 問題は犯人が浮かび上がってからである。現像紙に画像が浮かび上がってくるかのように、じわじわと犯人像が鮮明になっていく。その過程はシムノンの独壇場である。 本書の犯人像は衝撃的である。メグレがじわじわと犯人に対して迫っていく場面は読んでいてドキドキする。メグレは犯人にこういう。「この女たちは、二人が二人とも君が一人前の男になるのを邪魔していたのだ」。 すべてが終わり、帰宅したメグレを迎えた夫人は「なぜか夫が遠くから帰ってきた人のような気がしていた」と感じる。 本書を読み終えた読者もメグレ夫人と同様のことを感じるだろう。 (2024.3.24) |
--- 立原正秋 ---by 高井有一 | |
同人誌時代の後輩・高井有一による立原正秋の評伝である。立原の生前かなり親しく付き合っていた著者によるものであるだけに、立原の文壇における立場や彼の人となりについて詳しく述べている。 立原正秋という人は、その出自や性格がかなり複雑な人だったようだ。 出自については本人は日本人と韓国人のハーフであったといっているが、実は両親とも韓国人であった。解説の尹学準も立原の作品を読むと、彼がハーフであったはずはないとはっきり書いている。 なぜ立原が自分の出自を正直に書かなかったかったかは、著者が本文中で、日本人に対する劣等感と見栄がそうさせたのだと分析している。 立原は反りの合わない人に対する狷介な面とそれに反して気を許した友人たちには人懐こい面を持ち合わせていた。また尊敬する年上の人に子供みたいに甘えるところがあったようだ。 末尾の解説は通常褒めるものだが、本書では故人を「自分が属している民族の歴史も文化も知らない立原」とか「植民地人間乗り悲しい虚栄であり、憐れである」とか、徹底的に貶し、果ては個人が隠しておきたかった出自を暴くなど、尹学準氏は立原正秋、本名を金胤奎といった人物に対して謹慎増悪のようなものを抱いていたようである。 (2024.3.22) |
--- 芥川龍之介の推理 他六篇 ---by 土屋隆夫 |
「芥川龍之介の推理」 ある町で20日ばかりの間に自殺者が3人出た。皆10代の若者だった。その数はこの小さな街にしては多かった。 所轄署の江田は夜中に芥川龍之介の遺書「ある旧友へ送る手記」を読みながら、3人の自殺者たちのことを考えた。彼らの自殺の原因と動機はなんだったんだろう。・・・。 芥川龍之介は、意思に反して公表された遺書の中で、どうやって自殺しようかと思い悩んだ有様を述べている。江田はその中から若者たちの自殺の動機を探り出そうとした。 「縄の証言」 無実の罪で死刑囚となった男は獄中で病死した。彼の娘は父親を裁いた判事と検事に復讐を誓った。7年後・・・。 「三幕の喜劇」 アガサ・クリスティのミステリー「三幕の悲劇」をもじった表題。コソ泥の話。 「夜の判決」「沈黙協定」「正当防衛」「加えて、消した」。いずれもある人物の自殺とその原因と動機が書かれている。新聞の三面記事のような事件の裏側に隠された真実の姿が描かれている。 表題につられて読んだが、いずれの話も文学的というよりも普通の中間小説のような作品であった。 (2024.3.20) |
--- 覇王の家 ---by 司馬遼太郎 |
本書は関ヶ原の戦い以前の徳川家康と豊臣秀吉の戦いを描いたものである。家康と秀吉の直接の戦いは「小牧・長久手の戦い」であるが、これは小競り合いの末、勝敗が決していないにも関わらず、家康が秀吉ら人質を差し出す形で終わった。両者、政治的な決着に逃げたものである。その後家康は秀吉が死ぬまで戦うことはせず、秀吉の死後、石田三成と戦った「関ヶ原の戦い」を勝利することによって天下を取る。 本書で著者は「関ヶ原の戦い」までの家康がたどった道を追う。著書としては関ヶ原の戦いを描いた「関ヶ原」が先に出版され、その7年後に本書が出版された。 本書は秀吉が家康を籠絡させようと苦心する様子を描いた章「都鄙物語」から、いきなり家康の死の前後を描いた章「その最後」に移る。その間に「関ヶ原」の3冊が挟まれることによって物語が完成する。 著者は武士たちの様々なエピソードを語りながら、読者の興味をつないでいく。ひとつひとつが興味深いエピソードでとても書ききれない。 著者によるエッセイ的な文章も数多くはさまれており、興味深かったのは以下の文章であった。 * 信長の祖先は越後から尾張へ流れてきた神主、秀吉の氏素性は水呑百姓以下の流浪人、徳川家の始祖は流浪の乞食僧であった。 * 世におそろしいのは勇者ではなく、臆病者だ。 * 徳川300年間が功罪ともなって日本人の性格を変えた。 (2024.3.19) |
--- 闇のオディッセー ---by ジョルジュ・シムノン |
カミュの「異邦人」は太陽が眩しかったから、という理由で殺人を犯した異邦人ムルソーの話だった。 本書の主人公シャボは病院をいくつも経営するエリートの産科医である。妻以外の女性にも不自由しない。 そのような彼の生活が彼にとって落とし穴となる。著者はエリート医師シャボの生活を丹念に描くことによって、彼がなぜ殺人を犯すことになったのかを追う。 読み終えてみても彼がなぜ殺人を犯したのかわからない。人生全体に対する絶望感というしかない。それは読者それぞれが判断することだろう。 本書は「太陽が知っている」のジャック・ドレー監督がアランドロン主演で映画化している。 (2024.3.15) |
--- by ジョルジュ・シムノン |
まるでフランスのフィルム・ノワールを観ているような作品である。実際に本作は過去3回映画化されている。1作目は1946年にフランスで、2作目は1948年にイギリスで、そして3作目は2009年にハンガリーで映画化されている。確かに映画化に向いている作品である。 舞台はフランスの港町。そこにそびえる15メートルの高さの ドラマは監視塔の下で進み、監視塔からそれを見ている者がいる。転轍手のマロワンだ。物語はマロワンの視点から語られる。 監視塔の下で殺人が行われる。それを見ていたものはひとり、監視塔の上にいたマロワンのみ。だが、犯人はそれに気づいていた。まるでヒッチコック監督の映画「裏窓」のような展開だ。 物語は強烈なサスペンスとともに進んでいく。読み始めたら途中で本を置くことはできない。 (2023.3.14) |
--- メグレと若い女の死 ---by ジョルジュ・シムノン |
本書にはロニョンという刑事が登場する。雨に濡れてヨタヨタ歩いているヤセ犬といった感じの人物である。本書ではこの脇役の男がいい仕事をする。決して報われることはないのだが。 被害者は社会の吹き溜まりの中でいつもはじかれている女性である。メグレは彼女が生きたいた頃の足取りを追おうとするがなかなかつかめない。 同時に所轄署のロニョンもじみちに彼女の足取りを追う。物語は「頭がよく、パリ警察で最も良心的な刑事だが、みんなが彼のことを馬鹿者だと思っている」ロニョン刑事と被害者の女性をシンクロさせながら進んでいく。 ロニョンの追求とメグレの追求が出会った時、事件は明らかになる。そして、今回もロニョンは報われないのだ。 (2024.3.13) |
--- 関ヶ原 ---by 司馬遼太郎 |
戦国時代を制した織田信長が天下を統一し、その後を豊臣秀吉が継いだ。秀吉が亡くなると、当然次の覇者は徳川家康だろう。 だが、歴史の流れはそう簡単には進んでいかない。秀吉が信長を殺した光秀を討って天下を取ったように、秀吉の家来の大名たちを納得させなければならない。 関ヶ原は秀吉の跡目を息子の秀頼に継がせようとする勢力と自分が跡目を継ごうとする家康との最後の戦いの場所である。岐阜県の大垣市と滋賀県の米原市の中間にある狭い盆地である。冬に新幹線で関ヶ原を通過する時、前後は晴れていてもここだけはいつも雪が降っていたのを思い出す。 物語はグランドホテル形式で進んでいく。諜報活動を駆使し、技をかけまくって優位に立とうとする家康と、正攻法というか愚直に突き進んでいこうとする石田三成、それぞれの陣営の様子を描いていく。 戦いそのものは早朝に開始され、午後の早い時間には決着がついてしまう。約半日の出来事であった。 著者は戦いに至るまでの各陣営のエピソードを細かく積み上げていく。 印象に残るエピソードは細川ガラシャ夫人の焚死。山内一豊の出世話。真田昌幸、幸村父子の話。九鬼嘉隆、守隆父子の話、等々。これらのエピソードの積み重ねの果てに関ヶ原の戦いがある。 家康の諜報活動によって裏切り者が続出し、豊臣側は到底勝てる見込みはないだろうと思われた。が、戦ってみると数的には劣勢の豊臣側が優勢になった。数は少ないが三成の家来たちのモチベーションが高かったためだ。 このままだと豊臣側の勝利かと思われた時に最後の裏切り者、小早川秀秋の背後からの襲撃によって散り散りバラバラになってしまう。勝敗はあっけなくつき、家康が天下を取り、小早川秀秋は裏切り者の代表として歴史に名を残すことになった。 ちなみに小早川秀秋は秀吉の甥であり、のちに養子となり、小早川隆景の養子になる前は羽柴姓を名乗っていた人物である。三成は味方中の味方に裏切られたことになる。 著者は石田三成の人望のなさを至る所で述べている。「三成という男がこれほど明敏な頭脳をもちながら、人間に対する認識が、欠落したように暗い」とか「ナタや斧ならば巨木を切り倒して、どのような大建築をも作事することができるが、かみそりはいくら切れても所詮はひげを剃るだけの用しかできない」と評している。また、「三成は高級官僚であり、理屈でのみ物事を判断し、思い込みが激しい人物であった」と述べている。 歴史は戦国時代から織田、豊臣、徳川と続き、明治、大正、昭和、平成、令和とつながっている。同時にそこに生きる人間たちもつながっていることを考えると、現代において同じようなことが行われていることを思わざるを得ない。 (2024.3.12) |
--- 子犬を連れた男 ---by ジョルジュ・シムノン |
これはジョルジュ・シムノンのメグレもの以外の著作である。シムノンには約400冊の著書があり、そのうちメグレものは85冊である。それ以外は普通の小説である。 シムノンといえばメグレという印象だが、メグレものは意外に少ないのに驚く。 本書はある男の11月13日から11月25日までの13日間の日記から成り立っている。ところどころ日記を書かない日があるから実際に書かれた日記は10日間前後である。 これは殺人の罪で刑務所に5年間服役した男が出所後、以前売春宿を経営していた女性が経営する書店に勤め始めてから8年後の日記である。男は48才になっている。 日記には現在と過去の男の生活が描かれている。現在の日記では、男と彼が飼っている犬、男と書店の経営者の女性の関係が描かれている。 過去の描写では、男の子供時代から現在までの生活、結婚生活、事業の様子などが描かれている。 日記は殺人の場面でクライマックスを迎える。彼が誰を殺したのか、なぜ殺したのかが男の日記全体から推測することができる。著者はそれを目指して本書を執筆したのだろう。 メグレは出てこないし、警察小説でもないが、本書はメグレものの雰囲気が濃厚に漂っている。 (2024.3.8) |
--- メグレとワイン商 ---by ジョルジュ・シムノン |
本書は謎解きではない。司法警察局警視メグレが事件を追う。調査するうちにメグレの前に数々の事実が現れてくる。読者はメグレと共にそれを追えば良い。 成功したワイン商が殺された。事件を担当したメグレは被害者のことを知ろうとする。被害者のことを知ればおのずから犯人のことがわかる。メグレはそう信じている。 物語が進むにつれて読者には被害者と彼の関係者の人生が浮かび上がってくる。同時に犯人のそれも。 「メグレは周囲のものすべてを攻撃する臆病な人間たちにほかにも出会ったことがあった」という描写に犯人像が見事に浮かんでくる。だけどこの犯人像って現在日本で起こっている犯罪事件のほとんどの犯人像とも共通しているのではないだろうか。 物語は古典落語の人情噺のようにジワーっとした感動と共に幕を閉じる。 (2024.3.7) |
--- 和辻哲郎全集 第七巻 ---by 和辻哲郎 |
◇ 原始キリスト教の文化史的意義 ◇ * 原始キリスト教の文化史的意義 2,000年前、中東のヨルダン川西岸に突如として発生したキリスト教は数世紀後には世界中に広まり、世界宗教になった。創始者はユダヤ教からでたイエスという名前の男としか明らかになっていない。彼は書物を残さなかった。彼は創始者であるが、キリスト教は彼の死後、弟子たちによって整備され、広められた。誰もが彼は誰だったんだろう、と思う。和辻氏もそういう思いから本書を執筆したに違いない。 著者は「福音書に描かれたイエス」と「福音書を書かせたイエス」がいたと説く。「福音書に描かれたイエス」は新約聖書の4人の使徒たちによって、また使徒行伝に描かれたイエス像である。これには伝道のための脚色が含まれている。 著者は「福音書を書かせたイエス」とは何者であったのかを追求していく。 著者はその人物について、「人類の作ったいかなる芸術も比肩し得ないほどの深さ、強さ、美しさ」と「力強い人格をもつ」者であろうと想像する。さらにその者は衣食住に対する欲を捨て、「神を愛すること」と「おのれのごとく隣を愛すること」を実践する革命家であろう、と想像する。 キリスト教はイエスの直接の弟子ではない使徒パウロによって広められた。パウロはユダヤ人であったが、ギリシャ的教養を持っていた。ユダヤ教から派生した一分派に過ぎなかったキリスト教がローマに伝わり、さらに世界宗教になったのはパウロの働きが大きく作用した。 原始キリスト教はその内的必然性によってカトリック教会を生み出した。この教会はギリシャ精神やキリスト教の価値高き概念や力を曇らせ、覆いかくした。が、その潜勢力を保持した点において意義あるものであった。 * 童貞聖母 四つの福音書のうち聖母マリアの存在が記述されるのはマタイによるものとルカによるものである。マタイが記述したマリアは夫ヨセフの陰に隠れて目立たない。ルカが記述したマリアは聖母として大きく取り上げられている。 聖母マリア像は西洋の美術品に大きく取り上げられている。絵画においてはキリスト像よりマリア像の方が圧倒的に多い。 処女マリアは何を象徴しているのか。 古代社会において性=生存と食物=飢餓の回避が重要な要素であった。世界各地に処女懐胎の伝説が残っている。人間の生存への要求が処女マリア像を産んだのではないか。 ◇ ポリス的人間の倫理学 ◇ 著者はまず古代ギリシャに発生したポリスとは何かを述べる。次にそのポリスで生まれた哲学者たち、ソクラテス、プラトン、アリストテレスについて述べる。そこで生まれた哲学はニーチェ、ヘーゲル、ハイデガーといった現代の哲学者たちにも大きな影響を及ぼしている。 ポリスは都市国家と訳される。その規模は1万人前後だったらしい。紀元前数世紀のギリシャにはそのくらいの人口を持つ独立した都市が数100存在した。 ポリスの特徴はそれに属する者に自由を与えないことだったようだ。ポリスの掟やしきたりに反する者はポリスから出ていかなければならなかった。ソクラテスが逃げられたにも関わらず、その場にとどまって毒杯を仰いだのはそのことと関連している。 著者は「伝承は史実を伝えないが、かかる伝承を発生せしめた人物はいたのである」と述べる。イエスや釈迦や孔子やソクラテスは果たして実在の人物であったのか。「ソクラテス問題はイエス問題よりも困難である」そうだ。筆者はイエスよりソクラテスの方が実在性があると考えるが、専門家に言わせるとそうでもないらしい。 プラトンはその著書「国家」で理想的な国家の姿を描いた。それはポリスの特徴である教団的性格を持つ全体主義的な性格を帯びていた。彼の国家の指導者となるべき人物は哲学者でなければならなかった。 アリストテレスは43才年上の師プラトンの説を発展させ、ポリス的人間学の最終的な姿をとなえた。彼はその著書「二コマコス倫理学」と「国家学」で「人間関係が自覚的な組織にもたらされるとき国家になる。だから国家は卓越せる意味において人倫的組織である」と述べた。 ポリス的倫理はアリストテレスの時代で終わり、その後のギリシャ哲学は個人主義を重視するストア派、質素で原始的な暮らしをめざすキュニコス派を経て、友愛による快楽主義を重んじるエピクロス派へとつながっていく。 和辻氏は本書で世界の4人の聖人のうちイエス、ソクラテスの二人について論じた。残る二人、孔子と釈迦についてはそれぞれ別の書籍「孔子」と「原始仏教の実践哲学/仏教哲学の最初の展開」で論考している。 (2024.3.6) |
--- フルトヴェングラーかカラヤンか ---by ヴェルナー・テーリヒェン |
著者はフルトヴェングラーの元で8年間、カラヤンの元で30年間、ベルリン・フィルのティンパニー奏者をしていた。同時に楽団幹事を務めていた。一般の楽団員よりも深く指揮者と付き合わねばならなかった著者は、二人のカリスマ指揮者のことを誰よりも良く知っていた。 著者は一言で二人の指揮者の特質を言い表している。 フルトヴェングラーは「音楽への情熱的な没頭」。カラヤンは「多方面にわたる完璧さへの愛と、何よりも自己愛」。 それは表紙の写真を見るだけで納得できる。フルトヴェングラーはオーケストラになんとしてでも良い音を出させようとしている。カラヤンは自己陶酔そのものである。 またカラヤンについては「彼が好むのはいつでも喜んで家来になるような音楽家だった」と述べ、彼はベルリン・フィルの独裁者になろうとしていたと書いている。 フルトヴェングラーについては、オーケストラが他の指揮者で練習していた時に、彼が部屋の片隅に現れただけで「突如として音色が一変した」と書いている。 著者がどちらの指揮者を敬愛していたかは一目瞭然である。 現在筆者が持っているクラシック音楽の多くはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の演奏である。フルトヴェングラーは一枚もない。ほとんど全ての演奏がモノラル録音だからだ。読了後、これは考え直さなくては、と思った (2024.2.27) |
--- 20世紀イギリス短篇選(上) ---by サマセット・モーム他 |
12篇の短編が収められている。 ラドヤード・キップリングの「船路の果て」は原題が「At the End of the Passage」。植民地時代のインドに駐在している役人たち4人が週に一度集まって情報の交換や飲んだり食べたりする。いろいろなことを話し合うだけなのだが、彼らにとっては唯一の楽しみだ。本国ではそれほど仲が良くなくても海外に出ると親しみが湧く。一時的に一体感ができるのだ。 本作品のハミルのように突然怒りっぽくなったり、ケンカっ早くなったりする者もいる。気候に慣れずに部屋に閉じこもってしまう者もいる。キップリング自身インドに長い駐在経験がある。そういう情景を描いた作品である。海外駐在経験がある者にとっては懐かしいような、身につまされるような作品である。 サマセット・モームの「ルイーズ」は身近にいる者は自分に奉仕するためだけに存在しているのだ、と思い込んでいるルイーズというエキセントリックな女性の話。 「上の部屋の男」。P.G.ウドハウス作。O.ヘンリーの「賢者の贈り物」を思い出す。最後の1行が効いている。 「痛ましい事件」。ジェイムズ・ジョイス作。家族主義が根強く残っている東洋と違い、個人主義の発達した西洋社会では、絶対的な孤独が存在する。本書の主人公は中年の銀行員、ダフィ氏。近親者のいない彼はダブリン市内で一人暮らしをしている。ある日コンサートで同年輩の婦人と知り合い、交際が始まる。知的なつながり以外の求めていなかった彼とそれ以上のものを求めていた彼女との間に食い違いが生じ始める。・・・。社会生活とは個人主義と家族主義の間を行ったり来たりするものだということを考えさせられる。 「指ぬき」。D.H.ロレンス作。戦争で負傷して容姿の変わってしまった夫を以前と同様に愛せるか、という問題を抱えた妻の話。 「脱走」。ジョイス・ケアリー。社会的に成功した男が、ある日家族の誰もが自分を頼りにしていないことに気づき、会社も家族も捨てて遠くの街に逃げる。東洋西洋を問わずありえる話である。熟年離婚とはいつの間にか夫に、または妻に頼りにされていない自分を発見した時に起こることだろう。その頃はもちろん子供たちからは頼られていない。 エリザベス・ボウエンの「幽鬼の恋人」は恐怖小説。中年の女性が戦争中婚約者だった男から切手のない手紙をもらった。戦後25年経っている。そんなはずはない。手紙には約束の時間に迎えに行きと書いてあった。そして・・・。ゾッとする話。 H.E.ベイツの「単純な生活」は田舎暮らしに生きがいを見出す夫と便利な生活が好きな妻の話。海岸沿いの沼沢地に別荘を持つ夫は休暇のたびにそこを訪れる。妻もついては行くが酒を飲むばかり。手伝いに来た隣家の若者を誘惑する。価値観の違う者同士が一緒に住もうとするとすれ違いや摩擦が生ずる。著者はその様子を淡々と描く。 その他アーノルド・ベネット、E.M.フォースター、ヴァージニア・ウルフ、オルダス・ハックスリーの作品が収められている。 (2024.2.25) |
--- ABC殺人事件 ---by アガサ・クリスティ |
「アクロイド殺人事件」以外のクリスティの作品はたいてい犯人を忘れてしまっているから、何度でも楽しむことができる。本書も前回読んでから数年経っているので犯人は誰だかわからない。読み始めたら夢中で読んでしまう。 地名と頭文字がアルファベット順に殺人が起こる。Aから始まる地名でAから始まる名前の人が。次はBからはじまる地名で・・・。犯人の動機と目的は? 登場人物の中にカスト氏という人がいる。筆者が10代の頃、初めて本作品を読んだ時に印象に残った人物がカスト氏であった。いつも自信がなくオドオドしていて、他人に利用されてしまう弱い人物である。体も弱く、頭痛持ちである。ポワロは彼にメガネを替えることを勧める。それが馬鹿に印象に残り、物語の内容は忘れてもこの場面だけは鮮明に覚えている。 今回クリスティはカスト氏に対してポワロの激励の言葉だけでなく、もう一つの贈り物をしていたことに気づいた。第28章でリリー・マーベリーという下宿屋の娘がカスト氏に電話をかける場面がある。このことが最後のページでカスト氏の幸せにつながってくる。 本書ではもう一つのカップルも誕生していた。Bで始まる被害者の婚約者ドナルド・フレーザーに亡くなった女性よりも彼に相応しい聡明な女性が現れる。クリスティの作品は最後に幸せなカップルが誕生することが多い。そういえばポワロの友人ヘイスティングスが彼の妻と知り合ったのは処女作「スタイルズ荘の怪事件」でだった。 (2024.2.23) |
--- 審議官 隠蔽捜査9.5 ---by 今野 敏 |
本書には竜崎ものの短篇が9篇収められている。・・・。 「空席」。竜崎は警視庁大森署から神奈川県警に移動になった。大森署に新任の署長が来るまでの一日、署長の席は空席になる。本作では空白の一日に大森署に起きた出来事とその始末が語られる。神奈川県警の竜崎部長はどうする・・・。 「内助」。竜崎の妻冴子は夫が扱うことになった事件のことを考えていた。事件に既視感を持ったからだ。冴子は過去の新聞記事を調べ始めた。すると・・・。変形のアームチェア・ディテクティブもの。 「荷物」。竜崎の息子邦彦が友人から白い粉末約1キログラムを預かった。なんとなく覚醒剤のような気がする。もしかしたら・・・。邦彦がかつてヘロインをやっていたことが原因で竜崎は降格になった。大変なことになった。俺はまた親父にダメージを与えることになるのか・・・。 「選択」。竜崎の娘美紀は会社でのパワハラと警察との関わりあいの板挟みになっていた。八方塞がりの美紀は・・・。 「専門官」、「参事官」、「審議官」、「信号」では個人と組織の兼ね合いの問題について、「非違」では竜崎が去った大森署の様子を描いている。 長編9冊、短篇3冊の「隠蔽捜査シリーズ」は終始、組織と個人の在り方について問題を提示し、理想の在り方を竜崎の生き方と絡めて描いてきた。当初は組織に対する竜崎の苦闘を描いていたが、徐々に彼の思想が周囲に浸透して、周囲から認められるようになった。時間の経過と共にそれが苦闘ではなく当たり前になってきた。竜崎が去った後の大森署を見ると、竜崎のシステムに慣れた署員にはそれが常識化しているが、そうではない署員にとっては異質のものとして認識されている。組織と個人の問題は常に組織と個人の対決という形でしか解決しないものだと思う。 (2024.2.22) |
--- 20世紀アメリカ短篇選(下) ---by 大津栄一郎編訳 |
戦後のアメリカの短篇14篇が収録されている。かず多くの短篇の中から編者独特の視点から選ばれた14篇である。 ナボコフの「ランス」は宇宙飛行から帰国した息子を前にした両親の視点から語られている。一読した限りではこの息子が生きているのか死んでいるのか、あるいは大怪我をしたのかよくわからない。普通小説なのか、SFなのかもよくわからない構造になっている。 マラマッドの「ユダヤ鳥」は迫害されているユダヤ人を鳥に託して語った作品である。マラマッド自身ユダヤ系ロシア人の生まれなので物語は辛辣である。 ジーン・スタフォードという作家の「動物園で」という作品は豊かで進歩的というイメージのアメリカの実像をリアルに描いている。中年の姉妹が一年に一度会う街の動物園でシロクマを見ているうちに、彼女たちが少女時代に知り合ったマーフィーさんを思い出す。記憶はマーフィーさんからミセス・プレイサーに移り、彼女たちの惨めだった少女時代の思い出がよみがえってくる。貧しかった頃のアメリカの大多数の人々の生活が、今からは想像できないほど惨めなものだったことを描いた作品である。 「木・岩・雲」。新聞配達の少年が配達を終えた後、早朝のカフェに入る。暖かいコーヒーを飲んで出ようとすると、奥に座っていた老人が話しかけてきた。「息子よ・・・」。原文だと「My Son」だろう。日本語だと「おい少年」くらいの感じだろう。少年と老人、それとカフェの主人との緊張感あふれる会話が始まる。緊張感は老人がカフェを出ていくまで続き、少年の最後の一言で解放される。短いが、緊張感に満ちた短篇。カーソン・マッカラーズは只者ではない。現題は「A Tree, A Rock, A Cloud」。 「ミリアム」。トルーマン・カポーティ作。これはゾッとする話だ。老女に付きまとうミリアムと名乗る少女は実在しているのか。それとも孤独な老女の幻覚なのか。真相は最後までわからない。現代の孤独な人々とSNS文化を先取りした小説である。 長年住み慣れた田舎で暮らすのが良いのか、全てに便利だが他人に関わることのない都会の暮らしが良いのか。田舎には人と人との濃密なつながりがある。だが、日常の買い物や医療の面では不便なところである。年をとっても田舎で暮らしていくには、大家族を維持するしか仕方がない。1946年に発表されたフラナリー・オコーナーの「ゼラニューム」は現代の家族の在り方を鋭く考察している。 本書にはそのほかソール・べロウ、J.D.サリンジャー、カート・ヴォネガット・ジュニア、ジョン・バース、フィリップ・ロスらの作品が収められている。 (2024.2.21) |
--- 名演! Modern Jazz ---by セレクト・ジャズ・ワークショップ |
ジャズ評論家たちによるお勧めジャズ名盤集である。 それぞれの評論家たちによる思い入れを込めたお薦めである。ジャズ愛好家たちにとっては有名なアルバム、たとえばマイルスの「カインド・オブ・ブルー」、コルトレーンの「至上の愛」、ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」などが主流であるが、なかには「そういうのもあったのか」的なセレクションもある。 たとえば、ロイ・ヘインズの「ウイ・スリー」、チャールス・ロイドの「フォレスト・フラワー」、ワーデル・グレイの「メモリアル Vol.1」など。 その他聴いてみたいと思ったミュージシャンはアーマッド・ジャマル、ドナルド・バード、レスター・ヤングなどなど。 ジャズの世界は奥深い。 (2024.2.20) |
--- ジャズマンとの約束 ---by 中山康樹 |
元「スウィング・ジャーナル」の編集長、ジャズ評論家の著者が今までに交流したジャズ・ミュージシャンたちのひとこまを文章でスケッチしたエッセイ集である。 著者は彼らの楽屋で、録音中のスタジオで、ホテルの部屋でインタビューする。こんな大物の自宅にまで招待されていたのか、と驚く。 有名なジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」のインフォーメーションにはこう記載されているそうだ。「当店はあらゆる年齢の方を歓迎します。含む、静かな子ども」 80年代の半ば、マイルスのバンドにも参加し、名も売れているギタリストのジョン・スコフィールドの自宅でインタビューした時、奥さんが部屋の外の廊下の端でインタビューが終わるまで泣いている赤ん坊をあやしていた話。アルト・サックス奏者のアート・ペッパーの葬式に行った時、奥さんが案内してくれたペッパーの墓はそれ専用のロッカーのボックスだった話。クリフォード・ブラウン、ケニー・ドーハム、ウエイン・ショーター、リー・モーガンなどなどジャズのビッグ・ネームたちを生み出したドラマーのアート・ブレイキーがアメリカでは全然知られていないこと。ジャコ・パストリアスが35才で野垂れ死したこと。・・・。ジャズマンはお金と名声に縁がなかったようだ。 筆者などはアート・ペッパーやアート・ブレイキーが来日するたびにコンサートに出かけて行ったものだし、クリフォード・ブラウンやリー・モーガンのレコードやCDを何枚も持っているので、彼らが本国で無名の存在とはとても信じられない。 ジャズは人生を豊かにしてくれるものだ、と信じている者として、彼らの演奏と共に彼らの逸話の数々も大切にしたい。 (2024.2.19) |
--- バスク、真夏の死 ---by トレヴェニアン |
単純なボーイ・ミーツ・ガールものとして読んでいたが、物語が3分の2ほど進んだあたりから様子が変わってきた。語り手の青年が自分の過去の出来事を話し始めたあたりから俄然緊張感が出てきたのだ。 トレヴェニアンは凡庸な作家ではない。「アイガー・サンクション(1972)」「ルー・サンクション(1973)」「ザ・メイン(1976)」「シブミ(1979)」といった彼の過去のどの作品を見ても、ひとつとして単純明快な作品はなかった。 本書(1983)は彼の5作目の作品である。 原題は「The Summer of Katya」。「カーチャの夏」、カーチャはヒロインの名前である。本名はオルタンスだが、なぜかロシア風にカーチャと名乗っている。 過去凝りに凝った作品ばかり発表してきたトレヴェニアンの作品だ。今回もやっぱりそうだったか、とわかるのは最後になってからだ。その時に「カーチャの夏」という題名の意味するところや、なぜ彼女が自分のことをカーチャというようになったかが判明する。 本書を読んでなぜかバルザックの「谷間の百合」と1969年のアメリカ映画「去年の夏」を思い出した。 (2024.2.18) |
--- 三遊亭圓朝の明治 ---by 矢野誠一 |
演芸・演劇評論家の矢野誠一が書いた三遊亭圓朝である。小説家の小島政二郎が書いた「円朝」は脚色された部分や想像で書いた部分があったように思うが、本書は当時に近い時代の資料を掘り起こして書いたものである。 おおむねは小島政二郎の「円朝」と似通っている。若い頃から師匠として多くの門下をしたがえ、落語家の王道を歩んだ圓朝は、亡くなるまで息子の朝太郎の行状に苦しんだ。 産みの母親から遠ざけられ、幼少時から祖父母に育てられた朝太郎は生まれた時から不自然な育ち方をせざるを得なかった。著者は朝太郎にも同情している。 当時の落語家にも圓朝以外にも園遊や圓橘など優秀なひとがいたが、現在残っているのが圓朝だけであることの原因は、圓朝の落語を速記して記録したものが残っていて、それが日本の近代文学に大きな影響を与えたことがあげられる、という著者の指摘は鋭い。 「芝浜」「死神」「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」「鰍沢」等々、現在どこかの寄席で毎日のようにかけられている古典落語は圓朝が作ったものだ。このことだけでも圓朝の偉大さがわかる。 (2024.2.15) |
--- ソー・ザップ! ---by 稲見一良 |
「Tho-Zap」というのは撃った弾丸が相手に当たった時に感じる音のことを言うらしい。手ごたえのようなものか。 これは見知らぬ男から決闘を申し込まれた4人の男たちの話である。 4人はそれぞれ人を殺すための得意技を持っている。手裏剣投げ、銃、素手による戦いなど。 見知らぬ男は4人をある山奥に誘い込み、それぞれの得意技で一人ずつ戦っていく。ギャビン・ライアルの「もっとも危険なゲーム」と同じシチュエーションだ。著者はライアルの小説に触発されてこの小説を書いたそうだ。 舞台がフィンランドの荒野ならともかく日本でこのような決闘小説なんて、と思ったが読み始めると夢中で読んでしまった。バカバカしさを感じなかったのは細部が徹底的にリアルだったからだろう。神は細部に宿る、だ。 だが決闘シーンだけではない。山奥に進んでいくにつれて徐々に男たちの背景がわかってくる。見知らぬ男の背景も書かれているが、決闘を申し込んだ動機は書かれていない。これによって本書の最後の文章が際立ってくる。 著者は「ダック・コール」で山本周五郎賞を受賞したが、本書もそれに劣らぬ名作だと思う。 (2024.2.14) |
--- 孤愁 ---by 稲見一良・小川竜生他 |
「孤愁」という表題に相応しい短篇が12篇収録されている。 「曠野」は父と息子の話。アメリカの父と息子である。息子に好きなようにやらせておいて、息子がどうしようもなくなって助けを求めてきた時に父親はどうするか。ヘミングウェイの作品を彷彿させる。 「海の龍」。フィリピンに遊びに行ったヤクザが現地で強盗に遭う。さて・・・。 「象の夜」。主人公は日本人の種子採取業者。スマトラ島のジャングルでランの種を採りに行った先で象の大群に取り巻かれる。恐怖の一夜。 「口笛」。特徴的なメロデを口笛で吹く女を探している男。目的は・・・。 「黒い白髪」。殺人事件の被害者の車に隠してあった一束の髪の毛。事件の鍵を握る唯一の証拠だが、なんのために・・・。 「傷ついた魂」。 家出した少女を探す私立探偵。鍵を握るバイク乗りの男。 「私に向かない職業」。 男の事務所を訪ねていくと、彼はナイフを胸に刺されて倒れていた。一命を取り留めた彼の背後を探る男。男の正体は・・・。 「煤」。 社長に頼まれたOLが社長の自宅へ行くと、突然火事が起こり、家が全焼する。焼け跡からは社長の奥さんの焼死体が・・・。 「日吉町クラブ」。 競馬場で知り合った4人の男たちがある男の誘拐を計画する。計画は細部に渡るまで事前に検討し・・・。現実に起こっていそうな話。 「清洲橋」 と「なれのはて」は三角関係の男と女の話。 「矢尻」。 昔の女と再会した男の話。 いずれも読み出すと次から次へと読まずにいられなくなる。収録作品と著者は以下の通り。
(2024.2.11) |
--- 漂泊者(ながれもの) ---by 風間一輝 |
主人公は池袋の裏通りにあるボロアパート「深志荘」の住人・室井。41才、元プロボクサー、現在は悪徳私立探偵。ボクサー時代、オーナー兼トレーナーを殴り殺して警察に追われる身になっている。室井という名は偽名。 横浜の教会から依頼を受ける。内容は教会が建てる予定の障害者更生施設の建設反対運動について相談に乗ってほしいというもの。調査をすると、裏にヤクザが絡んでいることがわかる。 そのうちに牧師の娘が誘拐され・・・。 室井と国分がマレーシアのマラッカで別れるシーンは、映画「さらば友よ」のチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンの別れのシーンを彷彿させる。 この著者の登場人物はいずれもアウトローだが、ときどき本質をついた独白をする。たとえば、「好きなように生きる。嫌いなことは絶対にしない。それができれば苦労はない、と物知り顔に言う人間は多いが、そうした生き方に挑戦する人間は少ない」とか「いらないと言うと遠慮しているように受け取られる。遠慮すると言うと断定的に断られるように受け取られる」など。 本書の主人公・室井は「海鳴りに訊け」に、副主人公の国分は「雨垂れ」に再登場する。 (2024.2.10) |
--- されど卑しき道を ---by 風間一輝 |
「よくある話」「雨垂れ」「国道四号線」「疾走」「湖畔亭の客」「夜行列車」「されど卑き道を」の7篇が収められている。 「よくある話」。主人公は池袋の裏通りにあるボロアパート「深志荘」の住人・滝川。63才、エロ雑誌専門のカメラマン兼詐欺師。騙されて金を取られたヌードモデルの仇を打つために、クラブ経営者を騙して金をむしり取る話。皮肉なオチがついている。 「雨垂れ」。神戸のある酒場の一夜の話。酒場のマダムを大原麗子、客を高倉健、バーテンを柄本明の配役で映画を作ったら、洒落た作品になりそう。 「国道四号線」。これも洒落た話。「男たちは北へ」の桐沢が登場する。あの小説の中で国道四号線を黙々と歩いていた浮浪者風の男が主人公である。物語は男のモノローグで進む。「男たちは北へ」の中で男と桐沢は道路上で4回出会う。その時のありさまを男の側から描く。 「疾走」。競技用の自転車(トラックレーサー)で高速道路を逃げる男の話。 「湖畔亭の客」。湖畔亭の食堂で日に2本来るバスを待つ男。彼が誰で何の目的でそうしているかは最後まで説明されない。 「夜行列車」。夜行列車のデッキに同乗したストリッパーとヤクザと逃げる男の話。一幕ものの舞台のよう。ストリッパーを森下愛子、ヤクザを安藤昇、逃げる男を堺雅人で観てみたい。 「されど卑き道を」。警察小説。舞台は青森市か。著者は最後にじっくり泣ける短篇を持ってきた。 全篇アメリカの短篇小説のような洒落た話。日本の小説でこのように乾いた筆致で突き放した描写の作品に出会うことは稀である。 (2024.2.9) |
--- 私の時間 ---by 吉田秀和 |
音楽評論家・吉田秀和のエッセイ集である。 中身は4つに分かれている。「木目と年輪」「いのちの響き」「優しい風景」「創る心伝える心」の4つである。 「木目と年輪」では自分自身の今までたどってきた人生について、「いのちの響き」では「モーツァルト」「ホロヴィッツ」「グレン・グールド」「ブルーノ・ワルター」について語っている。「優しい風景」と「創る心伝える心」では身の回りのことや普段考えていることについて語っている。 「長い交友関係が続いているのは、お互いの細君と衝突しない関係に限られている、という事実に気づいた」。また、「自分が年と共に人生から学んだものは、ごく少ししかなかったということに気づいた」と言語っている。確かにその通りだと思った。 「自分では絶対にわかるはずのないもののために人生の大きな部分を費やしていることになりはしまいか」とも語っている。何のことを言っているのかというと、「自分の姿が他人の目にどう映っているのかを知ること」だという。これも確かにその通りだと思った。 吉田氏が幼少時から音楽に親しめる家庭に育ち、奥さんがドイツ人であったこともこの本で知った。 (2024.2.7) |
--- 今夜も木枯し ---by 風間一輝 |
名作「男たちは北へ」(1989年)の著者・風間一輝の1997年の作品である。 主人公は池袋の裏通りにあるボロアパート「深志荘」の住人・仙波。30代後半。百科事典のセールスマンをして全国を渡り歩いている。 「深志荘」といえば、「男たちは北へ」の主人公・桐沢が住んでいたところだ。このアパートは2階建で階下に5室、2階に5室、合計10室あり、そこには売れない小説家、流行遅れのイラストレイター、自転車狂のグラフィック・デザイナー、悪徳私立探偵、アル中の画家、エロ雑誌専門のカメラマンなどが住んでいる。 仙波が群馬県舞橋市(前橋市ではない)のビシネスホテルに滞在していた時、ふとしたことからヤクザに追われたタイ人のジャパ行きさんをかくまうことになる。加えて彼女は警察にも追われている。彼の役割は彼女を舞橋市から外に連れ出すこと。 簡単そうに見えてこれがなかなかうまくいかない。あの手この手で市街へ出ようとするが、追っ手に見つかってしまい、逆戻りということになる。密室状態となった舞橋市から外へ出ること。それがこんなにむずかしいとは・・・。これは典型的な巻き込まれ型の冒険小説である。 シチュエーションとしては、追っ手を巻きながらある人物をフランスからリヒテンシュタインへ運ぶという、ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」に似ている。「深夜プラス1」の主人公が使ったのは1台のシトロエンだが、本書の主人公は徒歩、車、電車、バスその他あらゆる手段を使う。舞橋駅から両毛線で桐生市へ、そこから東武桐生線で太田市へ、さらに東武伊勢崎線で羽生市へ、次に秩父鉄道で熊谷市へ、そこからJR高崎線で上野へ出る、という案を実施したがうまくいかず、最後の手段として・・・。 「深夜プラス1」もびっくりの脱出・冒険・活劇である。 (2024.2.6) |
--- 小津ごのみ ---by 中野 翠 |
最近立て続けに小津映画を4本見た。古いものは画面に雨が降っていたり、音声が聞き取りづらくなっていたり途切れたりしていたが見始めると全然気にならなくなる。その中には本書の著者・中野翠氏が評価しなかった作品が2作あったが、筆者には両方とも非常に面白かった。特に「東京暮色」は中野氏の評価も、世評も良くなかった作品であるが、筆者には面白かった。面白いというより興味深いとか真剣に見てしまったという方が適切だろう。 小津映画は汲んでも汲んでも汲み尽くせないものを持っている。著者自身が初めて小津作品を見た時はそうでもなかったが、今見ると非常に面白い、と言っている。 著者が小津映画見て興味深く感じたのは、女優たちの着物の柄だったという。どの作品でも女優たちが着ているのは縞柄か格子柄で、手拭いやタオルの柄も縞柄か格子柄だったという。それが花瓶や電気スタンドのかさの柄にまで及んでいるのには驚いた、いう。同じ花瓶を別の映画で使っていることもあったそうだ。これは著者が女性だからか、それともそのくらい細かいところまで見ないと評論は書けないということか。その両方かもしれない。 筆者が共感したのは小津映画の言葉づかいだ。小津映画の登場人物たちは「やめる」の代わりに「よす」、「寝る」ではなく「休む」、「帰る」ではなく「おいとまする」という。「・・・させていただく」なんていう気持ち悪いセリフは決していわない。小津は正しい日本語にこだわった。 著者は「ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従がう。重大なことは道徳に従がう。芸術のことは自分に従がう」と「泥中の蓮を表現するのに、泥土と蓮の根を描いて蓮を表す方法と、蓮を描いて泥土と根を知らせる方法とふたつある。自分は後者を取る」という小津のことばを取り上げて、彼の映画への取り組み方を分析している。中野氏は「東京暮色」や「風の中の牝雛」はあからさまに泥土や根を表現しているようで好きになれないのだろう。小津自身も失敗作だったと思っているようで、その後はそういう傾向の映画を撮っていない。 「自分という小さな一個人の好悪の感覚を一途に掘りさげて行けば、絶対に何か大きなもの、深いもの、普遍的なものにつながるはずだ」。小津にはその確信があったはずだ。というのが著者の結論である。我々が小津作品を鑑賞するということは、小津の感情や趣味や生活信条を鑑賞するということにつながる。 (2024.2.5) |
--- 黒船以前 パックス・トクガワーナの時代 ---by 中村彰彦・山内昌之 |
歴史小説・時代小説を中心に執筆している直木賞作家中村彰彦と日本の歴史学者(中東・イスラーム地域研究・国際関係史)山内昌之が徳川時代の政治に関するあれこれを語った対談である。 まず副題の「パックス・トクガワーナ」であるが、これはラテン語の「Pax Americana」(アメリカの平和=アメリカの覇権)から来たものである。もともとは約200年もの長きにわたって平和な時代を築いたローマ帝国を指してパックス・ロマーナ(Pax Romana)といったことから発生した言葉であったらしい。徳川幕府はローマ帝国よりも長い260年間という安定政権を築いた。まさに「Pax Tokugawana」といっても良い。 徳川時代の日本は初代の家康から始まって、15代の慶喜まで15人の将軍によって統治されていた。名君もいれば箸にも棒にもかからないような人物もいたらしい。なかには5才で跡を継ぎ、8才で病死した第7代将軍・家継のような者までいた。よく織田信長や豊臣秀吉のように1、2代で失脚することなく260年間も続いたものだと思う。 二人の著者によると家康、秀忠、家光の3代でしっかりした制度を築き上げたため、その後の将軍たちはそれに乗っかっていれば良かったらしい。 老中という、政務を統括する最高職をおいたことが大きかった。これはアメリカでいえば大統領を補佐する国務長官のようなものである。優秀な国務長官がいればジョージ・ブッシュやカーターのような凡庸な人間が大統領でも国の運営は問題なくできる。 徳川幕府には歴代、本多正信、安藤直次、本多正純など優秀な老中がいた。なかでも役職はなかったが、秀忠、家光を補佐した保科正之は優秀な人物であったらしい。中村彰彦は保科正之についての本を何冊も書いている。 この本は知っていると思っていたが実は知らなかった、徳川幕府や江戸時代に関しての興味深い話が満載されていておもしろかった。 (2024.2.4) |
--- 日本倫理思想史【ニ】 ---by 和辻哲郎 |
(2024.2.1) |
--- 雀鬼五十番勝負 ---by 阿佐田哲也 |
純文学でデビューした色川武大は原稿料を稼ぐために阿佐田哲也のペンネームで麻雀小説「麻雀放浪記」を書いた。これが大ヒットし、映画にまでなった。色川氏のもとには本業の純文学ではなく、麻雀小説の注文が殺到した。さらに週刊誌の麻雀大会の解説や対談などの仕事が舞い込んだ。筆者は1970年代に「週刊ポスト」に連載された「麻雀勝抜き戦」の「観戦記」を読んで阿佐田哲也の名前を知った。麻雀指南書「阿佐田哲也のAクラス麻雀」はその頃麻雀をするサラリーマンたちのバイブルであった。著者も購入し、熟読したが、麻雀が強くなることはなかった。 本書には阿佐田氏が体験した麻雀の勝負にまつわる話が50話はいっている。これを読むと阿佐田氏は昭和20年代のほとんどを麻雀のゴト師として過ごしている。ゴト師とはイカサマなんでもありで麻雀で生活する者のことである。 また著者の麻雀小説に書かれたことはほとんど真実か、真実を少し脚色した程度の話であることがわかる。あの「麻雀放浪記」に出てくる化け物のような雀士たちは実際に存在したのである。 阿佐田氏の雀士としての活動期間が昭和20年代で終わっているのもうなづける。戦後いたる所にあった原っぱと呼ばれる空き地や、夕暮れ時になるとどこからともなく路地に出没した紙芝居屋がいつの間にかいなくなったのと同様、化け物のようなあぶれ者たちが生息する場所が無くなってしまったのだ。 そして色川氏は1977年「怪しい来客簿」で第5回泉鏡花文学賞を、1978年「離婚」で第79回直木賞を受賞し、文学の世界に復帰したのである。 (2024.1.24) |
--- 日本倫理思想史【一】 ---by 和辻哲郎 |
(2024.1.23) |
--- by 大杉 漣 |
2018年に亡くなった俳優、大杉漣の自伝である。自分が今まで出演した舞台、映画等の裏話や共演者とのやり取りをメインに書いてある。 彼は37才まで転形劇場という劇団に所属していた。ほとんどお金にならないので、奥さんのアルバイト収入を頼りに生活していたという。 1980年から1985年までは、劇団と掛け持ちで「女子大生 淫らなキャンパス」とか「OL変態色情」という煽情的な題名のピンク映画に出演し、その後は1993年までマイナーな映画に端役で出ていた。 1993年、42才の時に北野武監督の「ソナチネ」に出演し、注目された。北野監督の次の作品「HANA-BI」では足が不自由になった刑事・堀部の役でキネマ旬報の助演男優賞を受賞している。その後の彼は我々が知っている通りである。 彼はプロローグで「22歳の時から十数年、小劇団にいたり、自主映画やピンク映画に出たりしたが、それは何かを目指して耐えながらやってきたわけではない。自分でやりたいと思ったことをやり、その場その場でおもしろさを発見してきただけのことだ」と述べている。 ことば通りピンク映画に出演している時でも現場では監督はじめ皆一生懸命で、浮ついた雰囲気は一切なかったという。確かにその時の監督を挙げてみると、高橋伴明、中村幻児、井筒和幸、滝田洋二郎、周防正行といったそうそうたる顔ぶれである。みんな才能はあったが金がなかっただけのことなのだ。 彼が大学を中退して小劇団に入った動機は「劇を行うにふさわしいものはおそらくこの世に存在しない。存在するのは、ただ現実の生活に適さない面をもった者たちである」という転形劇場の主催者・太田省吾氏のことばであった、と本書の中で何度か述べている。彼は最後までその考えは変わらなかったと、あとがきで奥さんの大杉弘美さんが書いている。 「現場で学び現場で傷つきそして現場で生きる。ぼくは これは誠実に人生を生きようとする者、すべての者のことばである。 (2024.1.18) |
--- ギンギラ★落語ボーイ ---by 三遊亭白鳥 |
ハチャメチャな展開ではあるが、要所要所は間違ったことは書いていない。当然だ。著者が落語家だからだ。 最後まで読むと、これは一人の青年のBildungsroman(成長小説)になっていることがわかる。落語の知識がふんだんに詰まったビルドゥングスロマンである。 山場は最後に来る。ニコニコ亭で行われる「落語新人王決定戦」に今まで出てきた二つ目たちがせいぞろいする。 最後まで勝ち抜くのは誰か。そして、さげは・・・。落語家たちの話だ。さげがなければならない。 最後まで読めば泣けるのは間違いない。 著者の三遊亭白鳥は落語家であるのと同時に新作落語の作家でもある。今まで数百の新作落語を作ってきた。最近は女性落語家たちに自分が作った噺を提供し、彼女たちのための落語会を開いている。 (2024.1.17) |
--- ハックルベリ・フィンの冒険 ---by マーク・トウェイン |
ヘミングウェイはアメリカ文学は「ハックルベリ・フィン」から生まれた」と言った。そのあと「ただし、黒人ジムが売られるところまでね」と付け足したという。たしかに第31章までのリアルな内容とそれ以降は違う。前半は黒人奴隷の問題、土地争いによる殺人、白人優位主義者による殺人、幼児虐待、詐欺師たちのやり口と生活などなど、シリアスな内容を含んだ話だが、後半は児童文学になってしまう。前半のハックは野生児だが、後半は飼い慣らされた猫だ。 解説の加島祥造氏によると、そのまま進めていくとジムは奴隷として売られ、ハックは浮浪者となって野たれ死ぬしかない。ハッピーエンドにするためにはこれしかなかった、ということだ。 第16章では連結した筏を操りながらミシシッピ川を下っていく男たちの生活が、第19章ではハックとジムの筏の上での一日の生活が描かれる。H.D.ソローの「ウォールデン 森の生活」と重なるものを感じた。いずれも19世紀半ばのアメリカの辺境地域での生活だ。 現代人が憧れを感じる生活様式だが、自分の安全は自分で守らなければならないという、自己責任の重さも付帯していることを忘れてはならない。 自由の裏側には必ず自己責任の厳しさがアメリカの開拓時代にはあった。ヘミングウェイ、フォークナー、メルヴィル等々、のちのアメリカ文学には、そのことがいつも通奏低音のように流れている。 (2024.1.15) |
--- 落語の凄さ ---by 橘 蓮二 |
写真家の橘蓮二と五人の落語家との対談集である。それぞれの落語家たちが若い頃から付き合ってきた写真家が相手なので落語家たちも気を許してしゃべっている。 登場する落語家は春風亭昇太、春風亭一之輔、笑福亭鶴瓶、桂宮治、立川志の輔の五人である。出版されたのが2022年だから対談も最近されたものである。すでに桂宮治が真打になっていて、笑点にも出演している。 一之輔との対談で話題になったが、2019年に日本武道館で「らくごカフェ10周年記念 平成最後の武道館落語公演」という催しがあり、観客が8,000人集まったという。出演者は立川志の輔、立川談春、春風亭一之輔その他であった。「らくごカフェ」は神保町にある満員で50人ほどのこじんまりしたカフェだが、そこの店主がそんな派手なことをやったのか、と驚いた。人気者を集めたとはいえ8,000人もの観客が集まったことにも驚いた。 志の輔は、「落語は日本で生まれた、日本人による、日本人のためのもので、日本人が一番人間らしく、楽に生きられる知恵が山のように詰まっている」と言っていた。我々は普通に寄席やホールで落語を聴いているが、言われてみれば世界中でこういう楽しみ方をしている民族は他にはいない。 どういう楽しみ方かというと、舞台でおじさんがひとりでしゃべっているのを聴いている観客が、それぞれの頭の中のスクリーンに情景を思い描いて笑ったり、泣いたり、怒ったりしている。スクリーンに映った情景は、観客が50人いれば50通りの、8,000人いれば8,000通りある。外から見ればさぞや不思議な光景だろう。 (2024.1.14) |
--- 「落語家」という生き方 ---by 広瀬和生 |
柳家三三、春風亭一之輔、桃月庵白酒、三遊亭兼好、三遊亭白鳥という現在最も活躍している落語家と、現在最も活躍している落語評論家の広瀬和生が高座の後対談した。その記録が本書である。 さすがに旬の落語家たちである。落語も面白いが対談も面白い。話す言葉がそれぞれの落語の特徴と一致している。三三、一之輔、兼好、言葉を読むだけでそれぞれの顔が浮かんでくる。 中でも一番興味深かったのは白鳥だった。落語はこの中で一番面白くないと筆者は思うが、対談の内容は面白かった。彼は元々は作家を目指していて、仕方がないから落語家にでもなるか、という動機で落語家になった。彼が新作落語をやっているのは、話を作るのが好きだったからである。 彼が作った「任侠流山動物園」を三三、一之輔、喬太郎等々さまざまな落語家たちがやっている。人間国宝になった五街道雲助までがやっている。女流落語家たちの会を主催して、自分が作った噺を彼女たちにやらせてもいる。落語作家としての白鳥はこれからますます旬になっていくようだ。 (2024.1.13) |
--- by 三上 延・倉田英之 |
ライト・ノベル系作家ふたりによる読書談義である。 難しい本は出てこない。「第1章 モダンホラーは最高だ!」「第2章 乱歩と横溝と風太郎と」「第3章 映画と本の怪しい関係」といった調子で全10章に及んで本と読書に関する楽しい話が続いている。 赤川次郎はすごい、という話がある。累計発行部数が3億3千万部を突破し、75才にして今だに現役という息の長さ。初期の作品「三毛猫ホームズシリーズ」や「幽霊シリーズ」ははるか昔の作品ということになる。 「人はいつ本好きになるのか」という章で三上氏は両親と兄は本を読まないのに自分だけが物心ついた時には本好きであった、と述べている。本好きのDNAをもって生まれついた者だけの特権であるのかもしれない。 (2024.1.8) |
--- それは誠 ---by 乗代雄介 |
現在の著者の最新作である。 「神は細部に宿る」式の著者の方法は本書でも健在である。舞台は高校生の修学旅行。班決めから始まって自由時間の行程の相談、そして旅行中の出来事。 細部にこだわる著者の姿勢は徹底している。だからこそ仲が良いわけではない女子3人、男子4人のバラバラな様子が読者に伝わってくる。自分たちが高校生だった頃を思い出す。班って必ずしもツーカーの間柄ではなかった、ということを。 著者の筆致が細部にこだわり続けているうちに、この7人の間になにやら別の感情が滲み出てくるのを読者は感じはじめる。著者は決して「友情」とか「連帯感」というような陳腐な言葉は書かない。著者は登場人物たちのぎこちないセリフの行間にそれを滲ませるのに成功している。 本書は第169回芥川賞(2023年7月)の候補になった。受賞したのは市川沙央氏の「ハンチバック」であった。 (2024.1.7) |
--- 十七八より ---by 乗代雄介 |
乗代氏の処女作である。著者は本書で第58回群像新人文学賞を受賞した。 本書の主人公は阿佐美景子、高校2年生。彼女は著者の後の作品で何度も登場する。「最高の任務」では23才になっている。叔母の「ゆき江ちゃん」も登場する。後に癌で亡くなることになる「ゆき江ちゃん」はこの時はまだ生きている。「掠れうる星たちの実験」に収録された「フィリフヨンカのべっぴんさん」がこのシリーズの最新の作品か。 物語は「高校生の時の阿佐美さんの生活と意見」という内容である。叔母との対話、国語の教師とのやりとり、病院での出来事など、彼女の普段の出来事を追いながら阿佐美さんの内面のつぶやきを記述して行く。著者独特の「神は細部に宿る」方式で。 これはJ.D.サリンジャーが「グラス家サーガ」で用いた方法と同じである。著者は「最高の任務」の後、「姪と(すでに亡くなっている)叔母」シリーズを続けて行くのであろうか。 (2024.1.6) |
--- 掠れうる星たちの実験 ---by 乗代雄介 |
本書は著者の論文プラス創作を集めたものである。 本書のタイトル「掠れうる星たちの実験」は唯一の論文である。これは柳田國男とJ.D.サリンジャーの共通点について論じたもので、一見何の関係もなさそうなふたりの間にある共通点について述べている。 作家でなければ行きつかないような微妙な点、柳田の「常民」という概念とサリンジャーの「生きたものの痕跡」という概念を突き合わせて比較する。著者は柳田の若年における恋愛とサリンジャーの戦時中のPTSDからふたりの共通項を見いだす。 著者はサリンジャーの全著作と柳田國男全集を読み、それを元に考察を進めている。作品数の少ないサリンジャーはともかく、柳田國男全集全36巻を読みこなすことはなかなか困難なことである。読者はただただ著者の論旨を追いかけるしかない。それでも偉い民俗学者柳田國男ではなく、ひとりの男松岡國男の生き方を想像し、彼を身近に感じることができた。 書評は本書の約半分を占めている。著者の関心はさまざまな方面を向いている。ざっと見渡しただけでも、村上春樹、J.D.サリンジャー、柳田國男が取り上げられ、さらに梯久美子、たかたけし、いがらしみきお、ウラジミール・ナボコフ、D.H.ロレンス、フェリスペルト・エルナンデスと続いている。 著者はサリンジャーの著作3作、サリンジャーに関する評論1作、合計4作品を取り上げている。冒頭の論文と合わせて5作品がサリンジャーを論評するものになっている。彼がサリンジャーから強い影響を受けていることがわかる。そういえば乗代氏の作品はいずれもサリンジャーの作品の傾向「神は細部に宿る」的なものである。 筆者にとって興味があった本は「ナチを欺いた死体 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実」ベン・マッキンタイアー著、これは実話である。2022年にコリン・ファース主演で映画化されている。「揺れうごく鳥と樹々のつながり 裏庭と書庫からはじめる生態学」吉川徹朗著。「ウォークス 歩くことの精神史」レベッカ・ソルニット著。ルソーやキエルケゴールが何を考えながら散歩していたかを考察し、歩行の歴史を説く。「鴎外随筆集」などである。興味が持てなかった本もあるが、本への意欲はその時の自分の状態によって変化するので油断はできない。 「創作」の章では2つのエッセイと7つの短篇が収められている。 「This Time Tomorrow」はエッセイである。著者は英国のロックバンド・キンクスの曲から芝浦工大付属柏高校に通っていた時代のことを思い出す。自転車通学は禁止されていたので、自転車を南柏駅の路地に隠しておき、それに乗って新柏駅の横を通り、団地の前の道から左手にある竹林の脇の細道を抜け、ゴルフ練習場の前から増尾城址公園へ行き、そこの駐輪場に自転車を置いて、公園の裏手にある高校へ通っていたが、3年になってバス通学にしたら・・・、という思い出話を語っている。 このエッセイが印象に残ったのは、筆者が以前ほぼ同じ経路を自転車で走っていたからである。筆者の目的は日立台のスタジアムに柏レイソルの試合を見に行くためだったが。 「フィリフヨンカのべっぴんさん」は「ゆき江ちゃん」シリーズである。語り手の名前は出てこないが、若くして癌で亡くなった「ゆき江ちゃん」は「最高の任務」と「未熟な同感者」の阿佐美ちゃんの叔母のことであろう。 (2023.1.4) |
--- 旅する練習 ---by 乗代雄介 |
主人公はふたり。小学校6年生の亜美(あび)とその叔父(作家)。 二人の家は都県境に川を対時している、と書いてある。具体的な地名は書いていないが、江戸川の矢切の渡しを隔てて葛飾区と松戸市に住んでいるようだ。 著者の乗代雄介氏は北海道江別市出身、東京都葛飾区在住となっているから今住んでいるところを語り手の住まいとしたんだろう。 ふたりは(たぶん)常磐線の松戸駅のホームで待ち合わせて、我孫子へ行く。我孫子で下車してそこから歩いてサッカーの聖地・鹿島アントラーズ・スタジアムをめざす。ふたりには目的がある。サッカー少女・亜美はドリブルで、語り手は各地を文章でスケッチしながら歩いて行くことだ。 もともとの目的は亜美が鹿島アントラーズの合宿所の図書室で黙って持ってきてしまった本を返しに行くためだが、それだけでは面白くないので上記の趣向になった。 叔父と姪の3泊4日の行脚が始まる。ロード・ノベルあるいはロード・ムービーの常道ではあるが、道中ふとしたことから道連れができる。就職先が内定したばかりの女子大生・みどりさんだ。 三人の徒歩での旅。事件らしい事件はなく淡々と進む。著者の本領は事件ではなく会話の描写にある。ふたりの会話、あるいは三人の会話を通して、それぞれの性格や人生観、そしてそれがお互いに及ぼす影響力の強弱などを描写することにある。 三人はそれぞれの目的を達成し、それぞれの家に帰る。そして・・・。 この著者の本は読後、こころに何かを残してくれる。乗代雄介氏は今年6月で38才になる。 (2024.1.1) |