2025年
 
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--- 東京暮色と原罪 --- |
昨年「東京暮色について」というコラムを書いた。 最近何度目かの「東京暮色」を見た。1957年、小津安二郎監督、有馬稲子主演の映画である。 この作品は失敗作と言われ、興行成績も悪かった。これ以降小津監督は二度とこの手の作品は作らなかった。自他共に失敗作とみられている作品であるが、筆者はこの作品が気に入っている。今回見たのもYouTubeで無料で配信されていたからである。DVDや映画館で見た作品なので通り過ぎてしまうこともできたのだが、それができない。見ずにはいられない。小津作品には「東京物語」はじめ名作と言われている作品が多数ある。筆者もDVDを何枚か持っている。その中で見て見ぬふりをして通り過ぎることのできない作品といえばこの「東京暮色」なのだ。 この作品のテーマとなっているのが原罪である。原罪とは生まれた時から持っている罪のことだ。そんなもの自分ではどうしようもないではないか、と思うのだが、映画はそれを問題にしている。具体的にいえば山田五十鈴演じる母親が夫と3人の子供を捨てて別の男と家出をしたことが原因になっている。有馬稲子演じる次女が妊娠した時に、その相手である大学生が彼女から逃げ回ることがトリガーとなって、次女の原罪意識を高めていく。母親と同じことをすることによって自分も新たな原罪を作り出しているのではないか、という罪の意識から彼女は子供を堕胎する。小津監督はこの重いテーマを軽やかな音楽をバックに描いてゆく。 ここで注目すべきことは母親役の山田五十鈴は実生活において夫と娘を置いて離婚し、別の男と結婚している。のちに女優になった娘の嵯峨美智子は死ぬまで山田を許さなかったという。次女役の有馬稲子は妻子のある市川崑監督の子供を身籠り、堕胎している。二人の主役が映画と同じような境遇にいたことはもちろん偶然ではない。脚本を書いた小津監督はそれを知っていたからこそこの二人を起用したのだ。この二人の迫真の演技は生まれるべくして生まれたのである。長女に拒絶されて一人で酒を飲む山田五十鈴の手の動き。次女に責められて呆然と座り込む山田五十鈴の背中。自分を捨てた大学生を平手で何度も殴りつける有馬稲子の動き。それらは演技というにはあまりにも真に迫っていた。 自分の映画は蓮の花を描いて泥の中にある根を想像させる、という小津監督はこの映画ではその原則を無視して蓮の根を描いてしまった。小津監督がそうしなければならなかったものが何であったのかはわからない。筆者はそのなかにどうしても表現せざるをえなかったある種の情熱を感じる。 (2025.4.22) |