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モーツァルト / 五感と認識 / 負けに不思議の負けなし / 東京暮色について / ラロのスペイン交響曲


--- モーツァルト ---


先日行った古本屋で何冊かの本を購入した際、本棚にCDが何十枚か並んでいたのを見た。一枚一枚手に取ってみると歌謡曲やJ-POPのCDの中にジャズやクラシックのCDが混じっていた。

500円以上のものは検討しないことにして、一枚ずつ確認した。歌謡曲とJ-POPは初めから相手にしなかった。ジャズはほとんどのCDに500円以上の値が付いていたので、早々に脱落していった。クラシックはほとんどのものが500円以下だった。古本屋のCDコーナーに並んでいるクラシックは応々にして安い値がついている。いつか買ったラロのスペイン協奏曲は70円だった。

欲しいものが2枚あった。ジュリーニ指揮でウィーン・フィル演奏のブルックナーの交響曲第9番とジャン=ピエール・ランパルとジョン・ストール・リトナー演奏のモーツァルトのソナタと変奏曲集だ。特に後者は日本以外の国で作られたものらしい。日本語がどこにも見当たらない。

帰宅後楽しみにしていたモーツァルトを開封してみた。新品のようにセロファンでしっかり包んであった。開けてみると中はからだった。なんということだ。ブルックナーを開けるとちゃんと入っていた。ひと安心した。どちらかが200円で、どちらかが300円だった。


中古のCDを中古レコード店以外で買うと安くて良いのだが、時々こういうことがある。一ヶ月ほど前、近所のリサイクルショップでCDを買ったときにも、2枚買ってそのうち1枚はからだった。セロファンの包装が無かったためレジで確認したときにからであることが判明し、お金を払うことはなかったのが幸いだった。こちらは1枚100円だった。購入したのは3枚組のモーツァルトだったが、1枚という扱いであった。

逃がした魚は大きい、というが、手に入る寸前で逃げられたものには心が残る。現在、モーツァルトのフルート・ソナタが聴きたくてならない。

(2024.12.2)


--- 五感と認識 ---

先日近所のベローチェでこんな場面を目撃した。

本を読んでいたら筆者のテーブルの前を男の人がゆっくり歩いていく。あんまりゆっくりなので気にしていると、一歩も進まなくなり、しばらくそうしていたのち後ろ向きに歩き始めた。はて、変なことをするもんだな、と目をあげて見ていると、徐々にスピードが増していき、カウンターでパソコンをしている人にぶつかるんではないかと思っていると、そのままぶつかり、反動で空いていた隣の椅子に腰掛ける形で落ち着いた。 驚いた両隣の人は、大丈夫ですかとその老人に声をかけている。よく見るとかなりの老人だ。意識がもうろうとしている様子なので、熱中症か脳梗塞かもしれないと見ていると、老人は意外とはっきりした声で、大丈夫です、と答えた。そのうちに店の従業員が来て、大丈夫ですか、救急車を呼びましょうか、と声をかけた。老人は大丈夫です、救急車は要りません、とはっきりした声で答えたが、体は少しも動かない。 約10分後に救急隊員が3人来て状態を確認したのち、老人を連れて行った。

まるでドラマのような場面を目の当たりにして、自分がずっと見ていた間、体はあの老人のように少しも動いていないことに気づいた。目の前で起こっていたことを正確に認識できていたら、老人が後ろ向きに歩き出したところで、声をかけるか止めるかしただろう。実際にはあの人は何をしているんだろう、くらいの認識しかしていなかった。状況をはっきり認識できたのは、老人が倒れて椅子に腰掛けたあたりであった。

視覚から入った情報を脳内ではっきりした形で認識するまでに2、3分から5分程度かかったたことになる。過去のことを思い出してみる。(聴覚)学生時代、寮の屋根に雷が落ちた時、そのガラガラガラという音を雷が落ちたと認識するまでにかかった時間。(味覚)会社時代、0.1%程度のシアン化ナトリウムの溶液をピペットで吸った時、誤って溶液を口に含んでしまった時に感じたショックを認識するまでにかかった時間。(嗅覚)やはり会社時代、アクロレインを近くから鼻で嗅いでしまい、その時に感じたショックを認識するまでにかかった時間。(触覚)山で草むらに腰を下ろした時、下ろした手で蛇の尻尾を触ってしまった時にびっくりするまでにかかった時間。それぞれ必ずしも瞬時ではなく、ある程度の時間がかかっていた。

五感で感じたものが脊髄を通って脳に達し、脳内で知識や経験のフィルターを通って正しい認識に達するまでにある程度の時間がかかる。

生活の中で様々なものを見聞きする中で、すべてのものを正しく認識しているかどうか。間違った認識で済ましていることがあるのでは。我々は100%正しい認識で日々を暮らしていることなどないのでは。何年か前に起きたことを、あの時はその場の判断で対処したけど、今から考えると、あの時の判断は間違えていた、と思うことなどないだろうか。

心身ともに健康に生きていくためには、外部から入ってきた情報を短時間で正確に認識することが大切である。それには日ごろ正しい知識と経験を蓄え、思考の流れを止めないようにして、情報が円滑に脳に届く作業を欠かさないことが大切であろう。

(2024.8.25)


--- 負けに不思議の負けなし ---

パリ開催のオリンピックを見て、銀メダルに注目していた。

金メダルと銅メダルは勝利して得たものなので、獲得した選手の顔は晴れやかである。銀メダルは決勝で負けた選手がもらうものなので、彼らの顔は晴れやかではない。悔しそうである。観客の面前で泣き叫んで醜態をさらす選手もいた。

今回のオリンピックで印象に残ったのはスポーツクライミングのボルダー&リードで銀メダルの安楽宙斗選手と、やり投げで金メダルの北口榛花選手であった。前者は17才の高校生で、後者は単身チェコに渡って研鑽を積んだ選手である。

2022年と2023年の世界チャンピオンである安楽宙斗選手が2024年のオリンピックでなぜ銀メダルになったのか。東京オリンピック6位、2023年の世界チャンピオンの北口榛花選手がパリオリンピックでも優勝できたのはなぜか。

その辺のことを考えると「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉が浮かんでくる。

これはプロ野球の故野村克也監督がテレビの解説や著書でよく使った言葉である。もともとは江戸時代の大名で剣術の達人でもあった松浦静山の剣術書にある一文から引用されたものであるらしい。

(2024.8.14)


--- 東京暮色について ---

原罪とは、意識のグレーゾーンにつけ込んだ宗教団体のプロパガンダに過ぎない。動物に原罪があるだろうか。人間も動物なのだから。

原罪はない。あるのは原罪意識だ。

人間は生まれてから数年間と、死ぬ間際の意識はグレーゾーンで、自分では捉えようがない。

意識は幼少期は不鮮明、人格形成期は経験不足から偏った考え方しかできない。意識が鮮明になるのは50才から60才までの期間だろう。それ以降の意識は習慣に埋没してしまう。

この映画は誤った原罪意識から自分を傷つけ、破滅に追い込んでしまうある女の周辺を描いた作品である。

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小津安二郎監督の映画「東京暮色」の杉山明子(有馬稲子)は、自分は母とその不倫相手の子だという原罪意識を持っている。自分の人生が思うようにならないのは、自分には自堕落な母親の血が流れているからだと信じ込んでいる。彼女は子を身籠り、不実な男への面当てに堕胎して、心身ともに衰弱し、事故か自殺かわからない死を遂げる。

映画は不評だった。小津安二郎監督は本作以後、この系統の作品を撮らなかった。

この映画は、1948年の「風の中の牝雛」、1956年の「早春」で不倫とその後を描いてきた小津監督の原罪意識を扱った映画の最後の作品となった。

「東京暮色」には悪魔的な人物が登場する。

最初の悪魔は山田五十鈴扮する母親である。彼女は満州で夫(笠智衆)の部下と駆け落ちする。その時彼女には二人の娘がいた。長女役を原節子、次女役を有馬稲子が演じた。

次女明子の原罪意識は母親の不倫から発生している。

母親役を演じた山田五十鈴は実生活でも夫と娘を捨て、他の男と一緒になった。のちに女優になった娘の嵯峨美智子からは生涯恨まれていた。

明子の弔問に訪れた母親に向ける、長女役の原節子の鋭い目を山田五十鈴はどう感じたのであろう。

次の悪魔は明子を堕落に誘い込んだバーテンである。須賀不二夫が演じていた。

明子の友人役の高橋貞二も、冷やかし半分で明子を追い込んだひとりである。麻雀をしながら野球の解説者風に軽口を叩く彼の演技は印象的であった。

人間界の悪魔は他の人にとっては毒にも薬にもならない存在であるが、ある特定の人にとっては決定的な害を及ぼす存在となる。

明子が最後に訪れる中華そば屋・珍々軒の主人、藤原鎌足。
深夜喫茶にいた明子を補導する刑事、宮口精二。
堕胎するために行く病院の女医、三好栄子。
それぞれ明子を取り巻く印象的な人物である。彼らは、普通の人が、ある状況下では悪魔的な人物になりえる、ということを象徴している。

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小津監督には「東京物語」を筆頭に「麦秋」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」「晩春」など数々の名作があり、それぞれの作品にファンがついている。筆者の一押しはテーマ、俳優、脚本、演出、インバクトの点から、この「東京暮色」である。

(2024.5.10)


--- ラロのスペイン交響曲 ---

神保町のある古書店の外の本棚に50円から100円で本が売られていた。時間があったので端から丹念に見ていくと、一番端の棚の一番下の段にCDが並んでいた。背表紙からでは読み取れないので適当に2、3枚手にとってみた。どうやらアニメの主題歌とかかなりマイナーなJ-POPの歌がメインであるらしい。値段はどのCDにも220円と書いてある。

そのなかに「PORTUGAL」という文字が見えたので裏側の内容を読んでみたら、フランスで発売されたものらしい。中身はよくわからないが歌がはいっているようだ。220円なら買ってみるか。

ついでに背表紙に日本語以外の文字が書いてあるCDを手に取ってみた。全体がセピア色で、女性が小道を歩いていく場面を表紙にしたCDが目についた。

題名は「MADREDEUS o espirito da paz」と書いてある。何語かわからないが、東芝EMIから発売されている。隅に「UNIAO LISBOA」の文字があるからこれも元はポルトガルで作られたものだろう。これも買ってみるか。

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2枚を手に取ってレジに行き、440円出すと、3枚で220円だという。よくみるとそう書いてある。じゃ、2枚でいくらですか。と聞くと、2枚でも220円だという。それじゃあ、もう一枚追加するので、ちょっと選んできます。と、CDの棚に逆戻りした。

背中にアルファベットが書いてあるCDを選んで、表を見ると、「Edward Lalo Symphonie espagnole in d-minor op.21」と書いてある。裏を見ると、スロバキアで作られ、発売されたもののようだ。ラロの交響曲でスペインに関係するものらしい、としかわからないが、3枚で220円なら1枚あたり70円くらいだ。お買い得だ。というわけで、CDを3枚220円で買ってきた。

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帰って聴いてみると、それぞれ特徴があっておもしろかった。

「PORTUGAL」は副題が「MUSIQUES TRADITIONNELLES DE L’ALENTEJO」となっていて、「アレンテージョの伝統的な音楽」の意味だ。アレンテージョとは「テージョ川の向こう」という意味でリスボンの東側(内陸側)の地方のこと。 素朴なおじさんの声で民謡風の歌をギター1本の伴奏で淡々と歌っている。

「MADREDEUS o espirito da paz」はマドレデウスというポルトガルのグループの音楽で、ボーカル、ギター ×2 、ヴァイオリン、アコーディオン、キーボードで編成されている。タイトルの「o espirito da paz」は英語では「The Spirit of Peace」という。内容はタイトルが示すように楽器とボーカルが一体となって平和を祈るように静かに流れていくような雰囲気の曲が主体となっている。もとはファドを歌っていたテレーザ・サルゲイロの透明なヴォーカルとクラシック・ギターの旋律が印象に残った。

「Edward Lalo Symphonie espagnole in d-minor op.21」にはエドワール・ラロのスペイン交響曲とアレクサンドル・グラズノフのヴァイオリン協奏曲が入っていた。

フランスの作曲家ラロのスペイン交響曲はヴァイオリン独奏と管弦楽のために作曲された交響的協奏曲で、「ヴァイオリン協奏曲第2番」にとも称されている。グラズノフのヴァイオリン協奏曲はロシアの作曲家グラズノフの唯一のヴァイオリン協奏曲で、楽章間に切れ目がなく、全曲20分間の短い作品となっている。

ヴァイオリンを弾いているのは奥村智洋(おくむら ともひろ )という日本人で、管弦楽はスロバキア交響楽団である。3枚のうち何度も聴きかえしているのは最後にかったこのCDで、奥村氏のヴァイオリンの繊細な音色に聴き惚れている。

(2024.1.21)


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