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--- フロントライン ---


フロントライン

2020年2月、豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に寄港した。その時客席内でコロナの感染が発見され、約一ヶ月間乗客は船内に隔離された。コロナ陽性者を隔離したまま下船させ、国内の病院に搬送した。陰性者は順番に国内の病院やホテルに送り込んだ。この一ヶ月間で日本国内のコロナ感染者は爆発的に増加し、その原因はダイヤモンド・プリンセス号の乗客であるとの噂が広まった。マスコミは毎日のようにこのありさまを報道した。

そのときから5年経った。あの時面白おかしく報道したマスコミは、あれはどういうことだったのかを報道しない。あれはどうだったのか、知りたいと思っていた。

最近見た映画「国宝」で印象的な演技をしていた女優がいる。吉沢亮扮する立花喜久雄の妻役を演じた森七菜である。彼女が重要な役で出ている本作品を見たいと思っていた。

本作品を見てあの時はこういう状況だったのか、とわかった。筆者もマスコミの報道に踊らされていた国民の一人で、あの船早く出ていかないかな、と思っていた。

日本の緊急医療チーム(DMAT)はこんな大変な仕事をしていたのか。日本人はいざとなると偉い。なぜマスコミはこういうことをちゃんと報道しないのだろう。彼らが馬鹿にしていた厚生労働省の担当者もこんな大変な仕事をこなしていたではないか。

森七菜は地味ではあったがいい演技であった。小栗旬、松坂桃李、窪塚洋介、池松壮亮、桜井ユキ、滝藤賢一、それぞれ印象に残るいい演技をしていた。窪塚洋介ってこんないい役者だったの。

森七菜は前作も本作も地味な印象であったが、そういう持ち味の女優なのかもしれない。

(2025.7.14)



--- 国宝 ---


国宝

芸道ものは好きである。臭いセリフが無ければ。

本編は俳優が怒鳴ったり、泣き喚くことがなく、臭いセリフもなかった。しかも175分間、約3時間の上映時間中、ダレ場が無かった。腰が痛くなることもなかった。それだけ夢中で見てしまったということだ。

歌舞伎の世界は芸能界でも1番難しい世界だろう。講談や落語でお馴染みの「中村仲蔵」を例に出すまでもなく、どんなに芸があっても血がなければ浮かび上がることのできない世界である。そんな世界に血縁関係のない若者が飛び込んで行っても、傷ついて弾き出されてしまう。

ヤクザの息子喜久雄は歌舞伎界の名跡花井半二郎に見込まれて歌舞伎界に入る。半二郎には喜久雄と同年代の息子がいる。彼俊介は血筋のある、生まれながらの歌舞伎役者だ。この二人が切磋琢磨しながら歌舞伎の修行する。やがて・・・。

映画は彼ら二人の50年間にわたる話である。原作は芥川賞作家の吉田修一。監督は「フラガール」の李相日(い さんいる)。芸道一代記としても、歌舞伎の世界を知る上でも面白い映画であった。

(2025.7.7)



--- プロフェッショナル ---


プロフェッショナル

監督、俳優すべてアイルランド人である。主演のリーアム・ニーソンももちろんアイルランド人である。

この映画はアイルランド人が作ったアイルランドを舞台にした西部劇である。時代は1970年代、IRAの活動が一番盛んだった頃のこと。西部劇の敵役であるインディアンはここではIRAになる。さらに、西部の酒場(Saloon)はここではアイリッシュ・パブである。このパブの様子が実に良い。もちろんパブの中での乱闘や撃ち合いもある。

舞台は北アイルランド。デヴィッド・リーン監督の「ライアンの娘」そのままの景色であり、家並みである。それをみるだけでこの映画を見る価値がある。

プロフェッショナル

西部劇のジェロニモに相当するのがIRAの女闘士である。この女が実に手強い。敵役は主役が負けるくらい手強くないと映画は締まらない。おかげで最後まで緊張感が途切れることはなかった。

こういう映画は好きである。

(2025.4.26)



--- アマチュア ---


アマチュア

原作はロバート・リテルの「The Amateur」。2回目の映画化である。1回目は1981年、主演はジョン・サヴェージ、共演にクリストファー・プラマー、マルト・ケラー、アーサー・ヒル、エド・ローターという豪華メンバーであった。脚本に原作者のロバート・リテルが参加している。その割には平凡な出来の映画で、日本ではほとんど評判にならなかった。

原作は「チャーリー・ヘラーの復讐」という題名で1983年に新潮文庫から出版されている。これも大して評判にならなかったように記憶している。スパイ小説好きの筆者は書店で何度か手に取った記憶がある。買うまでにはいたらなかった。

今回は「ボヘミアン・ラプソディ」でアカデミー賞を取ったラミ・マレック主演による映画化であった。彼以外の俳優は知らなかったが、緊迫感にあふれ、次の展開が読めない面白い作品になっていた。

主人公は妻殺しのテロリストを追いかけてフランスのパリ、トルコのイスタンブール、ルーマニア、ロシア、フィンランドと世界各地を飛び回る。それらのシーンを見るだけでもワクワクした。

主人公はCIAの暗号解読係という設定だからコンピューターは得意なんだろうが、1980年代の時点ではコンピューターでここまでのことができるとは思わなかったに違いない。何しろパソコンが飛躍的に発展したのはWindows95からなのだから。

これは一度原作を読んで見なければ。

(2025.4.14)



--- 侍タイムスリッパー ---


侍タイムスリッパー

2回目である。2回目は全体の流れがよく分かっていたので、細部を中心に見るようにした。

主人公の寄宿先の寺の居間に置かれているテレビのメーカーは「YUTAKA」であった。主人公は寺の居間で住職の奥さんが出してくれたショートケーキを食べて、このようなものが普通に食べられるほど日本は「豊か」になったのか、と感涙する。その時奥さんがつけたテレビには時代劇が映っていて、テレビの下部には「YUTAKA」と書かれていた。

スタジオの楽屋で大部屋俳優のひとりがテレビをつけると、大スター風見恭一郎の記者会見の様子が映っていた。テレビの横には伊丹十三監督の「マルサの女」や「タンポポ」などのVHSが立てかけてある。テレビの下部には「FUJIKO」というメーカー名が・・・。はて「FUJIKO」とは・・・。なんとなくそうしただけかもしれない。

何度見ても、高坂新左衛門と風見恭一郎の対決シーンはまるで実際に対決しているかのように迫力満点であった。

NHKの大河ドラマの半分という低予算でも、脚本が良ければ十分鑑賞に耐える作品ができるものである。逆にどんなに高額のお金をかけても脚本がダメだと見るに耐えないものになる。

次回は「アマチュア」の予定。

(2025.4.1)



--- 教皇選挙 ---


教皇選挙

ローマ教皇の任期は彼が死ぬまで続く。彼が死んだ時に世界中から枢機卿が集まり、互選による選挙を行い、72票以上獲得した者が次期の教皇になる。選挙はシスティナ礼拝堂の一室で行い、次期の教皇が決まると、煙突から出る煙の色でそのことを知らせる。

本作はその一部始終を選挙の管理者ローレンス枢機卿に寄り添いながら映している。われわれは密室で行われる選挙の様子を映画を通して知る事ができる。そのことだけでも興味深いが、映画はさらにその様子を人間ドラマとして作っているのでなおさら興味深い。

選挙をリードするローレンス役のレイフ・ファインズは役柄上ほとんど無表情で演じているが、観ているわれわれには彼の気持ちが手に取るようにわかる。ほとんど表情を変えずに、ちょっとした目の動きや口元の皺の動きで観客にわからせる演技は超一流であった。

本作はアカデミー賞の脚色賞を受賞している。毎日密室の中で投票を繰り返すだけの話に、手に汗握る緊張感を持たせたのは脚本の力であろう。同様の趣向の映画でシドニー・ルメット監督の「12人の怒れる男」を思い出した。

映画はある意味ミステリー仕立てになっている。最後に教皇に選出されたのは観客の誰もが予想していなかった人物であった。彼にはある秘密があり、そのことが余韻になつて、見終わった後カトリックの教会についていろいろなことを考えた。

出演者はレイフ・ファインズの他にスタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、イザベラ・ロッセリーニが出ていた。ジョン・リスゴーは80才、イザベラ・ロッセリーニは73才になっていた。

(2025.3.27)



--- 侍タイムスリッパー ---


侍タイムスリッパー

監督・脚本・撮影・照明・編集・チラシ作成・パンフレット製作・その他・安田淳一。その他というところがすごい。ひとりでどこまでやるんだこの人は。しかもこのひとは映画をやる傍らコメを作っているという兼業農家である。

NHKの大河ドラマを作るのに1話5,000万円かかるところ、本作は予算2,000万円で始めたそうである。なんでも予算を補填するため、預金を解約し、自家用車も売り払ったとか。

配役は高坂新左衛門 - 山口馬木也、風見恭一郎 - 冨家ノリマサ、山本優子 - 沙倉ゆうの、と筆者が知らない俳優ばかり。数年前の「カメラを止めるな」を思い出した。あれも低予算ながら無類に面白い映画だった。

筆者があの映画を見た時、ほとんどの映画館で終了するまぎわだったが、ギリギリで間に合った。本作も3月17日現在、上映している映画館はかなり少ない。それも今週か来週には終了してしまう。

ということで見に行った。月曜日の9時開始というのに場内は満員であった。予想よりも注目されている作品らしい。

面白かった。笑った。泣いた。ドキドキした。感動した。映画に必要なものが全てこの作品には詰まっていた。

主役の山口馬木也が良かった。幕末の侍になりきっていた。現代に侍がまぎれ込んできたらきっとこうだろう、と思われた。それだけの真実味を彼から感じた。

最後の決闘シーンがすごかった。時代劇の対決シーンでこれほどの凄みを感じたのは、黒澤明の「椿三十郎」以来かもしれない。刀の怖さを感じた。監督はどこかの記事で「刀の重みを出したい」と話していた。それは成功していた。

低予算でこれだけ魅せる映画ができたのは、1に脚本、2に主役の演技、3にチームワークではなかろうか。助監督の役をしていた沙倉ゆうのさんが実際にも助監督をしていたり、監督自身がチラシやパンフレットまで作ったというのも、なんとかこの映画を世に出したいという気持ちの表れであろう。

最後の対決シーンを撮っている最中、監督は「カメラを止めるな」と叫んだ。同じ低予算映画で大ヒットとなった作品へのエールであろう。

本作は3月14日の第48回日本アカデミー賞で、最優秀作品賞、最優秀編集賞(安田淳一)を受賞した。

(2025.3.17)



--- 名もなき者 ---


名もなき者

ボブ・ディランの伝記映画である。無名のディランが病気療養中のウディ・ガスリーを見舞う場面から始まる。そこにいたピート・シーガーに認められ、ライブハウスに出演するようになる。

独自性のある彼の音楽はたちまち大衆の支持を得て、人気者になる。フォーク歌手としてデビューしたが彼自身は自分の音楽を追求するだけで、フォークというジャンル分けにはこだわらなかったようだ。

ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリーなどが活躍していた時代である。1960年代はフォーク・ミュージックの創世記であった。

その後日本でも高石ともや、岡林信康、吉田拓郎などが出てきてフォーク全盛期を迎えることになる。日本のフォークはボブ・ディランを目標にした岡林信康や吉田拓郎らと、ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリーを目標にした森山良子らの女性シンガーに分かれるようである。

ボブ・ディランはやがてフォークにあきたらなくなり、エレキギターを持ってロック系の音楽に近づいてゆく。映画は初めて観客の前でエレキギターを持ち、激しい音楽を披露して観客から非難を浴びるニューポート・フォーク・フェスティバルの場面で終わる。登場人物たちはそれぞれ自分の声で歌を歌っている。ティモシー・シャラメとモニカ・バルバロはボブ・ディランとジョーン・バエズ本人が歌っているのかと思えるほどよく似ていた。

ボブ・ディランは現在も活動中であり、現役のミュージシャンである。2016年には歌手としては異例のノーベル文学賞を受賞している。

ピート・シーガー役を演じたエドワード・ノートンとその妻トシ役を演じた初音映莉子が助演賞ものの見事な演技であった。特に初音映莉子はアメリカ映画に出演した日本人俳優の中では上位クラスの自然な演技であった。

(2025.3.10)



--- 夜の大捜査線(BS-1) ---


夜の大捜査線

原題は「In the Heat of the Night (夜の熱気の中で)」。原作はジョン・ボールの同名の小説である。

映画は1967年公開でその直後に見ているから、おおよそ60年ぶりの視聴となる。見たのは10代の頃であるから、当然今とは理解力が違う。

当時、アカデミー主演男優賞を受賞したのがなぜ刑事ヴァージル・ティッブスを演じたシドニー・ポワチエではなく、警察署長を演じたロッド・スタイガーなのか疑問だった。人種差別なのではないかと思った。今回見たら疑問の余地なくロッド・スタイガーだろうと思った。黒人差別をする方の立場でありながら、白人社会では落ちこぼれで街の有力者たちから軽く見られている警察署長の複雑な内面をスタイガーは見事に演じていた。

それに対してシドニー・ポワチエは、アメリカ南部という黒人差別の激しい地域で行動する正義感あふれる黒人の刑事をそのまま演じただけのように見えた。

映画は差別する側の社会の格差が、差別される側への共感に変化する微妙な心理を描いていた。これは原作にはない思想で、本作がアカデミー作品賞と脚色賞を受賞したのは納得できる。映画は原作からアイデアは使用するが、原作とは別物であるという良い例である。

共演者に「ワイルドバンチ」「ガルシアの首」のウォーレン・オーツ、「冷血」のスコット・ウィルソン、「シャンプー」「さすらいの航海」のリー・グラント、「男の出発」「荒野のストレンジャー」のアンソニー・ジェームズなどがいる。

60年前の作品であるが、アンソニー・ジェームズの変質者的な演技が妙に現代に適合しているな、と思った。昔の映画を見ていると、この人だけ現代から抜け出して過去の作品に出演しているのではないかという感覚におちいることがある。アンソニー・ジェームズだけ現代の人なのではないか。

夜の大捜査線

(2025.3.7)



--- 敵 ---


敵

男が朝目覚める場面から始まる。米を研ぎ、炊飯器にかける。魚を焼く。味噌汁を作る。炊いたご飯と焼き魚と味噌汁の朝食を食べる。歯を磨く。なんとなく「パーフェクト・デイズ」の冒頭に似ている。

男は老人で退官した大学教授らしい。住宅街の広い家で一人暮らしだ。朝食の後はパソコンのスイッチを入れて画面を眺めている。「パーフェクト・デイズ」の主人公は初老だがまだ現役、朝食に缶コーヒー1本飲みながら仕事に出かける。

男は年金と預金の残高がなくなる時点をXデーとし、それに向かって終活をしている。定年まで大学教授を務めて、現在一人暮らしなら預金が減ることは考えられない。むしろ増えるのではないか。ギャンブルをしたり、酒浸りになったり、女に狂ったりしている様子もないし。

ただ「パーフェクト・デイズ」の主人公に比べて、生きるモチベーションが低いのは間違いない。

彼は夜となく昼となく悪夢を見始める。正体不明の敵が攻めてくるという悪夢だ。徐々に敵の勢いが増してくる。そして自分の近くに攻め込んでくる。

原作は筒井康隆である。普通の日常にわずかに亀裂が入り、それがだんだん大きくなってゆく。最後はどうしてこうなるの、と言いたくなるようなハチャメチャで終わる。どうして? という理由は明かさない。というか、無い。それが筒井氏の小説の常套手段である。

映画も原作通り最後は理由不明のハチャメチャで終わる。冒頭は似ていたが、健康的で前向きだった「パーフェクト・デイズ」とは正反対の終わり方をする映画であった。

(2025.2.25)


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