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千両みかんと還付金 / ロジェ・カイヨワの「戦争論」について / 時代 / 老後と整理 / わしとじゃとわ / 後世への最大遺物 / イギリス人の老後 / イニシエーション


---千両みかんと還付金---

落語に千両みかんという噺がある。

大店の若旦那が寝込んでしまう。訳を聞いた番頭が驚いた。みかんを食べたいという。真夏の話である。みかんは秋から冬にかけての食べ物で夏には無い、ということが前提にある。

大旦那から頼まれた番頭はみかんを探して街中を彷徨(さまよい)い歩く。ある卸問屋の倉庫の奥に一つだけ腐っていないみかんがあった。いくらでもいいから売ってくれというと、千両なら売りましょうという。

千両で買ってきたみかんを若旦那に食べさせるとたちどころに直ってしまった。

貴重な物なので半分だけ食べて、残りはしまっておいてくれという。

番頭は考えた。10ふさで千両なら3ふさだと三百両だ。番頭は3ふさ盗って夜逃げしてしまった。

おかしな話だがあり得ない話でも無い。

医療費の還付金が出るから所定の金額を振り込んでください、という電話。急いで100万円振り込んだら、詐欺だった。

1年間で医療費を30万円使ったらその年に払った税金が5,000円くらい戻ってくるだろうか。1万円は戻らないだろう。

5,000円の還付金のために100万円払ってしまう。しばらく経ってからアレっと思う。みかん1個いくらだったっけ?

(2019.10.31)


---ロジェ・カイヨワの「戦争論」について---

フランスの社会学者、哲学者のロジェ・カイヨワは彼の著書「戦争論」で戦争は人間性の奥に潜んでいるもので防ぐことはできない。だがなんとか減らす方向へ進めることはできないものだろうか。と考察して、時間はかかるが教育から実行するしかないのではないか、と結論づけている。

自分はその結論は誤っていると思う。

人間性の奥に潜むものを後付けの教育で矯正できるものではない。人間性そのものを変えなければ戦争へ向かうベクトルを変えることはできない。

そのためにはひとりひとりが「円満な家庭を作る」ことしかない。

身の回りにいる好戦的な人、イライラしている人、すぐ怒鳴る人、話が通じにくい人をみると彼らの子供時代に原因があるように感じている。

嫌な事件があるとネットで犯人が育った家庭環境を検索することにしている。小さなことでは家庭のDVや子供のいじめ問題、大きなことでは現在や過去の内外の国の好戦的な指導者たちについて。

その中に「円満な家庭」で育った人がひとりもいないことを発見する。

両親の仲が悪い、幼い頃両親が離婚、ネグレクト、DV、子供に過大な要求をする親、などの事例が次から次へと出てくる。

戦争を防ぐために我々にできることは「円満な家庭を作る」ことだ。

円満な家庭を作るためには「容姿」とか「収入」とか「人当たりの良さ」とかではなく、なによりも「尊敬できる」異性と結婚することから始めなければならない。

そもそも互いに尊敬できなかったら長続きしないではないか。子供を育てることはその先のことなのだから。

(2019.8.30)


---時代---

あたらしい生命の誕生とともにひとつの時代が始まる。


出張先から自宅に電話する。

「トモスケだけど、みんな元気?」

「元気。そっちはどう? 梅太郎に代わるね」

「フー。グッ。フー。グッ」

「おー、梅太郎か、元気かー」

「フー。グッ、グッ。フー。グッ、グッ」

「おお、そか、そか、良かったな」

「フー。グッ、グッ。フー。グッ」

「じゃあな。バイバイ」

「フー。グッ。フー。グッ」


出張先から自宅に電話する。

「トモスケだけど、みんな元気?」

「元気。そっちはどう? 梅太郎に代わるね」

「おとしゃん。ウメたんね、さかあがりできたよー」

「おー、すごいな」

「あのね、それでね。・・・」

「おお、そりゃ良かったな。じゃあな。バイバイ」

「バイバイ」


出張先から自宅に電話する。

「おとーさん、どこにいるの?」

「ベトナムだよ」

「ふーん。ベトナムってどこ?」

「そうだな、東南アジアだな」

「ふーん。いつ帰るの?」

「来週の明日かな」

「ふーん」

「じゃあな。バイバイ」

「バイバイ」


出張先から自宅に電話する。

「トモスケだけど、みんな元気?」

「元気。そっちはどう? 梅太郎、おとーさんよ」

遠くで

「いいー」

「梅太郎、いいって」

「そか。じゃあな」

「じゃあね、おかえりはいつ?」

「来週くらいかな」


「いいー」の声でひとつの時代が終わる。




出張先から自宅に電話する。

「トモスケだけど、みんな元気?」

「元気。おかーさんに代わる?」

「ああ、代わって」

「おかーさーん、おとーさんだよ」

遠くで妻の声が

「いいー」

(2019.8.19)


---老後と整理---

老後の生き方を整理する必要が出てきた。社会的身体的に何かと不都合が出てきたためだ。

老後って何才から? という疑問がわく。「体」「頭」「心臓」「内臓(心臓以外)」の4つのうちどれかに不調を感じた時、とする。例えば足腰が弱くなった、とか胃腸が弱くなった、とか。

「A」「B」「C」「D」の4つの場合について考えてみた。「A」は「頭」「心臓」「内臓」は良いが「体」が悪い。「B」は「体」「心臓」「内臓」は良いが「頭」が弱い。「頭が弱い」とは「認知機能」が衰えたことを指す。

「全て良い」という人は健康な若者だから裏切り者として除外する。

           
ABCD
×
×
心臓×
内臓×

さて、自分の老後はどのようになるんだろう。(もうだいぶ踏み込んではいるのだが)

下の表になりたい老後、なりたくない老後を示した。なりたいものは「◎」なりたくないものは「×」、中間を「△」で示した。

  
ABCD
自分の老後×

「体」が良くて「心臓」が悪い。これが最高ではないか。昨日までピンピンしていたのが今日ポックリ死ぬ。頭も内臓も無事だから世の中のことがよくわかり、不調感がない。

「体」が悪くてその他が良い。これは最低ではないか。頭も内臓も無事だから世の中のことがよくわかるが「体」が動かない。行きたいところへ行けず、見たいものが見られない。ストレスが大きい。

「体」が良くて「内臓」が悪い。「体」が良くて「頭」が悪い。これらは移動は自由にできるが何らかの不調感があるので「△」とした。移動が自由で頭が弱いと徘徊老人になる可能性がある。

カメムシ

「体」は「乗り物」である。「乗り物」は道具だから整備したり修理したり部品を交換すればいつまででも使える。

心臓や内臓の健康を保つのは自分の意志では難しい。体だけは自分の思うようになる。鍛えていれば心臓が止まるまで使える。

その他の機関がダメになるまでこの機関だけは油を注したり磨いたりして常に快調に動ける状態にしておきたい。

(2019.4.28)


---わしとじゃとわ---

ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」(光文社古典新訳文庫)を読んでいたらこういう文章にぶつかった。
「アクセル! わしについてくるのじゃ」
これは50才はとうに超えているのに40台に見える痩身の鋼のような体をした叔父リーデンブロック教授のセリフである。 物語が始まって3ページ目である。ここで本を閉じた。そして翻訳者のプロフィールを調べてみた。

【高野 優(たかの ゆう、1954年- )は、日本の翻訳家。男性。 静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。フランス文学翻訳家。高野優フランス語翻訳教室主宰。】

広島県生まれかと思ったら静岡県生まれとなっている。静岡生まれでどうして「わしについてくるのじゃ」というセリフが書けるんだろう。 広島生まれなら若い人でも「わしについてくるのじゃ」という。その他の県ではこういう言葉は使わない。 もしかしたら高野氏は老人ならこういう言葉を使うんじゃないかと考えたのかもしれない。
私は高野氏と同年輩で千葉県生まれだが明治生まれの祖父がこういう言葉を使うのを聞いたことがない。

ちなみに夏目漱石が描く老人のセリフはこうなっている。
「道草」の島田は「それが急に無くなると、まるであてが外れるような始末で、私も困るんです」
「吾輩は猫である」の銭湯で会った老人は「人間は悪いことさえしなけれゃあ百二十までは生きるもんだからね」
「吾輩は猫である」の迷亭の伯父は「どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔はあんなではなかったが」

老人を安易に表現するセリフとして「わし」とか「〜じゃ」を使ったり、女性のセリフの語尾に「ですわ」を使ったりするのは日本語の表現を侮辱するものである。漱石は女性のセリフの語尾に「ですわ」は決して使わない。 我々が本を読む目的のひとつは綺麗な日本語に触れることである。下品な日本語に触れると心が汚されるような気持ちになる。

翻訳の仕事は横文字を縦に並び替えるだけでは無い。原作者の心を別の言語になるべく忠実に再現することだと思う。

ジュール・ヴェルヌは草葉の陰で「アクセル! わしについてくるのじゃ」などと書いた覚えはない、と言っているに違いない。

(2019.4.20)


---後世への最大遺物---

後世への最大遺物

今の世の中で大多数の人が望むこと、それはいい大学を出て誰でも知っている大企業に入り、出世して金を沢山稼ぎ、安楽な老後を送ることではないだろうか。

大多数の人が望むことは大多数の人が実現できることではない。全員がいい大学に入れるわけではないし、全員がいい会社に入れるものでもない。全員が出世できるものでもない。 手に入れるものが価値のあるものほど激しい競争が発生する。取り合いになる。

すべてを手に入れる人は少数の人である。

少数のエリートになることを望む人は小さい頃から塾に通い、中高大学時代は寝る暇も惜しんで勉強しなければならない。 会社では上司の顔色をうかがい、残業に次ぐ残業、寝る暇も惜しんで会社のために尽くさなければならない。

自分はそのようにして出世した人を知っている。彼は若くして大企業の取締役になった。金と地位を手に入れた。ひとつ手のあいだから抜け落ちた。妻と子どもたちの心が彼のもとから離れていた。
彼は不幸になった。

内村鑑三は著書「後世への最大遺物」のなかで金や事業や名誉を遺しても虚しい、「われわれに後世に遺すものは何もなくともあの人はこの世の中に活きているあいだは…真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したい…」と語った。
真面目なる生涯とはどのようなものか、内村は著書の中で様々な例を上げながら丁寧に語っている。

今の世の中で生存競争のあい間にふと立ち止まった時、読み返したい本である。

(2019.3.10)


---イギリス人の老後---

夜の来訪者

「夜の来訪者」で知られるイギリスのジャーナリスト、小説家、劇作家、批評家ジョン・ボイントン・プリーストリーは著書「イングランド紀行」の中でこう述べている。

彼らは教養と専門技術のある中産階級に属し、仕事に有能だが、子供の教育が終わって自分の手を離れたら、仕事を辞めて、わずかな収入で満足して田舎暮らしを楽しむことを望んでいる。

ここで「田舎暮らし」を「都会暮らし」に、「わずかな収入で満足して」を「わずかな収入では不満足なこともあるが」に置き換えたら自分のことだ、と思った。

イングランド紀行

シャーロック・ホームズは「最後の挨拶」のなかでワトソンからこう言われている。

だって君は隠退していたはずだろう?サウス・ダウンの小さな農園で、養蜂と読書に隠退生活を送っていると聞いていたが。

ホームズが隠退生活の中でかきあげた著作が「実用養蜂便覧 付・女王蜂の分封に関する諸観察」というものだった。

だいぶ前に高度成長が終了した日本が今後目指すべき道は産業革命が終了した後のイギリス以外にないではないか。

(2019.2.26)


---イニシエーション---

人は20才を過ぎたらその性格は変わらない。

性格はいつ作られるのかというと15才から20才の間、いわゆる思春期といわれる時期だと思う。持って生まれた基本的な性格に加えてこの世の中でどういう風に物事に対処していこうかという方針が決定されるのはこの時期である。

人により差はあるが中学上級から高校生の間がこの時期にあたる。 この時期に数多くの経験をして真剣に自分なりの判断を下して行動することが大事である。

思春期に遭遇することはその人にとっては人生初のことである。人の意見に盲従したりいい加減な考えで行動してはいけない。その後の人生で起こることに同じように対処してしまいがちになるから。 人生は繰り返し同じようなことに遭遇するので初めに対処したことを2回目、3回目にもしてしまいがちになる。何事も初めが肝心である。

(2019.2.24)


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