このコンサートが行われた文京シビックホールの大ホールはホーンスピーカーのような形をしている。音の発生源にあたるところに舞台があり、音が拡散される部分に観客席がある。観客は大きなスピーカーに頭を突っ込んでいるような位置にいる。オーケストラがはじめに出した音を聞いてまるでPAでも使っているような感覚がした。もちろんクラシックのコンサートでPAなど使うわけはないので、音響効果が素晴らしく良いということだろう。
バッハの「前奏曲とフーガ 変ホ長調」をフルオーケストラで演奏した。元々小編成のオーケストラで演奏するために作曲されたものを、シェーンベルクが大編成のオーケストラ用に編曲したものである。聴き慣れたバッハの作品とは思えないほど、厚みのある迫力に満ちた演奏であった。
ブルックナーの「交響曲第8番 ハ短調」は1時間半の大曲である。大曲ではあるが、ベートーヴェンやマーラーの音楽のようなドラマ性はない。ある評論家はブルックナーの音楽は風がそよぐ音や小川のせせらぎの音のように自然を表現したものである、と述べていた。
筆者もその評論家にしたがって、自然を聞くようにブルックナーを聴いていた。それでブルックナーを理解したつもりでいた。今日、曲の途中で何気なくコンサートホールの天井や上部の壁を見ていると、つまりオーケストラを見ないで聴いていると、突然その音が巨大なオルガンから発せられているように感じた。これってオルガンの曲なんじゃないの、と思ってしまった。
そういえばブルックナーはその生涯の大部分を教会や宮廷のオルガン奏者として過ごした。彼にとってオルガンは慣れ親しんだ楽器であった。オーケストラを使って巨大なオルガンの音を作ろうともくろんだのではないだろうか。
そんなことを想像しながら曲を聴いていると、中音域の管楽器、トロンボーンやホルンなどが合奏する部分ではその音がオルガンのように聞こえる。ホールの天井や壁の上部だけ見ていると、自分が中世の教会の中にいるように感じる。
これからブルックナーを聴くときは自然の音を想像しながら、その音はオルガンから出ているのだと思うようにしよう。
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