皆のあらばしり / 旅する練習 / 戦争の犬たち / ジャズ・カントリー / 日光浴者の日記 / 天使たちの探偵 / メソポタミヤの殺人 / ロシア文学を学びにアメリカへ? / 中也を読む 詩と鑑賞 / 本に読まれて / オデッサ・ファイル / 観光 / 幸福論 / 我が子を盗め / 私の随想選 第三巻 私のフランス文学 II / 私の随想選 第二巻 私のフランス文学 I / 歌舞伎以前 / ドストエフスキー / 雪沼とその周辺 / 三つの物語 / 哲学物語 / 河岸忘日抄 / 寡黙なる巨人 / 感情教育 / 生命の木の下で / いつか王子駅で / 小林秀雄 / 熔ける 再び そして会社も失った / 日はまた昇る / 漱石山脈 現代日本の礎を築いた「師弟愛」 / 二百十日・野分 / 死の家の記録 / 心淋し川 / 八月の銀の雪 / 幕末新選組 / 新選組物語 / 新選組遺聞 / 新選組始末記 / 城塞 |
--- 皆のあらばしり ---by 乗代雄介 |
![]() 2022年第166回の芥川賞の選考委員はこの作品をちょっと考えたのち、わりとあっさり賞の対象から外したのではないかと思う。かつて「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」が現れた時の選考委員がそうしたように。 本書はビルドゥングス小説ともコン・ゲーム小説ともいえるたたずまいをしている。中世の日本文学の歴史に触れた情報小説といえるかもしれない。 登場人物は30代の関西弁をしゃべる得体の知れない男と栃木市内の高校に通う高校生の二人。ほとんどの場面は彼らの会話で占められている。その中身は虚々実々、何が正しくて何が違っているのかわからない。芥川龍之介の書いた「藪の中」と似通ったところがある。 「皆のあらばしり」という古文書が本小説のマクガフィンであり、それが実在のものであっても作り物であっても構わない。コン・ゲーム小説を面白くするためには、マクガフィン以外はできるだけ真実を語らなければならない。 小津安二郎の祖父の兄という小津久足という人物が実在したかどうか、その著書とされる「陸奥日記」が実在のものかどうかはわからないが、その前後左右を歴史的事実で埋めてあるため、読んでいる最中それを疑う気持ちが起きない。小説を読み終えた途端、クッキーの缶の中から飛び出した蛇のオモチャの印象が残り、あれは本当のことだったんだろうか、という気持ちが生じた。 怪しげな男が言う言葉「積み重なる行為の前には、思考や論理なんてやわなもんやで。功徳を積むうちに打算的な利己心が消える。これを御利益と呼ばずに何とするんや」がやけに説得力がある。 中身が本物か偽物かなんて、物語の実在の前には何の意味もないんだ、という著者の言葉が聞こえてくるようである。 (2025.5.14) |
--- 旅する練習 ---by 乗代雄介 | ||
![]() この物語は2020年3月9日から3月14日までの6日間の旅の日記である。語り手は若い作家である。彼と彼の姪(小学6年生)は姪の春休みに我孫子から鹿島まで歩いて旅をする。2019年に中国の武漢で発生したコロナ・ウィルスが世界中に蔓延した。日本で緊急事態宣言が出された2020年4月の少し前のことである。 彼と姪はそれぞれ目的を持っている。彼は行く先々の風景を文章でスケッチする。姪は全行程をドリブルで行く。 彼らは途中で大学4年生のみどりさんと出会い、鹿島まで同行することになる。 語り手の彼は通り過ぎる土地にゆかりのある作家やその作品について考察する。我孫子では嘉納治五郎、柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤、バーナード・リーチ、滝井孝作とその作品「無限抱擁」について。布佐では田山花袋とその作品「野の花」「野辺の往来」「水郷めぐり」について。佐原では小島信夫とその作品「鬼」について。そして旅の全体を支配するのは柳田國男とその思想である。 またたびの途中で出会ったみどりさんから影響を受け、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ(ジーコ)の考えと彼が育てたサッカーチーム(鹿島アントラーズ)についても考察する。 物語は3人の同行者の数日間の関わり合いの物語である。 著者は「もう会えないことがわかっているものの姿を景色の裏へ見ようとして・・・」とか「もう会えない、この練習の息継ぎの中でしか我々が会うことがない」という文章で人と人との一期一会の出会いを表現している。 人は旅をすることで己を知り、人生を知る。著者はこの物語で訴えているのはそういうことだと思った。 小説の中で著者は遊びを入れている。姪の名はごく普通の漢字なのだが、その読み方を物語が3分の1ほど進んだところで姪の口から言わせている。初めて読む読者はそこで初めて姪の名前を知ることになる。さらにそのいわれを最後の方で叔父に言わせている。 乗代雄介は2020年から毎年芥川賞の候補になっている。だが受賞はしていない。その時に受賞した作品と受賞者をあげてみる。どうだろう。受賞作は読んでいないので比較はできない。筆者は「最高の任務」から「それは誠」までの著者の候補作をすべて読んでいる。どれも素晴らしい作品である。それよりも良いということはどんな作品なんだろう。これから機会あるごとに受賞作を読んでみようかと思っている。
(2025.5.13) |
--- 戦争の犬たち ---by フレデリック・フォーサイス |
![]() ![]() 1.「水晶山」は物語の発端である。イギリスの鉱山会社の会長がアフリカの小国ザンガロでクーデターをおこし、政権を交代させて、自分の傀儡政権を作ろうとする。目的は地下に眠るプラチナだ。そのために傭兵を雇う。 2.「襲撃への百日」。雇われたシャノンはその計画を実行するための案を作成し、了解を得て準備を始める。この章が小説全体の約6割を占めている。予算10万ポンドで傭兵を雇い、貨物船、武器弾薬、上陸用ボートなどを購入する。10万ポンドを現在の通貨に換算すると2億5千万円ということになるが、それだけの金額では足りそうもない。その10倍の25億円くらいが妥当であろう。 3.「黎明の殺戮」。襲撃は呆気ないほど短時間で終わる。この章の全体に占める割合は1割程度だ。フォーサイスがこの小説で書きたかったのはクーデターを起こすための準備作業の詳細である。 クーデターを起こすための詳細について著者は微に入り細に入りかなり詳しく書いている。著者自身アフリカのある国でクーデターを起こすための首謀者になったことがある。彼が雇った傭兵がクーデターを実行する前にスペインで拘束されたため、計画は失敗に終わった。フォーサイスは「ジャッカルの日」で稼いだ金をほとんど失ったという。 転んでもただでは起きないフォーサイスである。その時の経験をもとに本書を書き、さらに映画化もされて、失った資金を回収したという。 (2025.5.12) |
--- ジャズ・カントリー ---by ナット・ヘントフ |
![]() 主人公は16才の高校生トム。物語は彼の一人称で成り立っている。彼は仲間とジャズのバンドを組んでいる。彼の楽器はトランペットである。 彼がジャズクラブの外の道路でピアニストのモーゼ・ゴッドフリーと知り合ったことから物語は進み始める。モーゼとゴッドが含まれているなんていかにも作ったような名前である。いろいろな挿話から彼のモデルはピアニストのセロニアス・モンクだということがわかる。 モーゼと彼のグループはヴェロニカという金持ちの夫人の家に出入りしている。この関係もモンクとニカ男爵夫人の関係に似ている。ニカ男爵夫人はジャズのパトロンで彼女は多くのジャズマンの世話をした。彼女は多くのジャズマンから曲を捧げられている。セロニアス・モンクから「パノニカ」、ホレス・シルヴァーから「ニカズ・ドリーム」、ケニー・ドリューから「ブルース・フォー・ニカ」といったように。彼女の名前はジャズの曲と共に永遠に残ることになった。 トムはジャズマンたちから演奏や人生についてさまざまのことを学んでゆく。そして、高校を卒業したら大学へ進学するかプロの演奏家になるか悩む。誰に相談しても自分のことは自分で決めろ、と言われ、結局大学へ進学するが、それでも悩み続けている。 著者は日本でいえば野口久光や油井正一、岩浪洋三といった大御所の評論家である。本書にはジャズの歴史や演奏家や曲についてのさまざまな知識が出てくるが、著者にとってはごく当たり前のことである。 (2025.5.9) |
--- 日光浴者の日記 ---by E.S.ガードナー |
![]() E.S.ガードナーが82冊のペリー・メイスン・シリーズを書いたということは、アメリカでは法廷ものに人気があったからだろう。 本書は1933年から1976年まで43年間にわたって書き継がれてきたシリーズの真ん中あたりの1955年に書かれた。油の乗り切った頃に書かれた作品である。 著者は元弁護士であったため法廷場面は緊迫感がある。さらに事件が起こる前後の場面は微に入り細に入り詳しく書かれている。スピーディな展開の現代のミステリーとは相反する展開である。 一時期、87分署シリーズやメグレ警視シリーズ、そして本シリーズは新刊書店に10冊以上は並んでいたものだが、今ではそれらのほとんどが絶版になっており、古書店でも見つけるのは難しい。それらの本はいずれもじっくりした展開なので現代の読者にはウケないのであろう。 (2025.5.8) |
--- 天使たちの探偵 ---by 原 りょう |
![]() 6篇の短編が収められている。原りょうの短篇は長編よりもキレが良い。 「少年の見た男」は探偵沢崎が10才の小学生に雇われる話である。10才の少年と沢崎の会話が何とも言えず良い。風間一輝の小説に出てくる主人公と少年の会話同様彼らは相手が低年齢であっても子供扱いしない。 「子供を失った男」。依頼者はひき逃げで幼い娘を失ったばかりの男。依頼内容はひき逃げ犯を探してくれというのではなく、昔恋人に送った手紙を買い戻してくれという恐喝まがいの立ち会いをしてくれというもの。意外な展開とラストの印象に残る余韻。 「240号室の男」。複雑なプロットと洒落たセリフ。よくできた欧米のミステリーのような短篇。 「イニシアル"M"の男」。真夜中、沢崎の事務所に間違い電話がかかってくる。かけてきたのは若い女で、これから自殺するという・・・。 「歩道橋の男」。「読売ジャイアンツを巨人と呼ぶ義務はなく、国営放送をNHKと呼ぶ義務はないように、1989年を平成元年と呼ぶ義務もなかった」という印象的な文章から始まる。遺産相続をめぐって関係者たちが右往左往する。沢崎は微妙な判断を迫られることになる。 「選ばれる男」。市会議員の選挙戦のさなか、ある不良少年が失踪した。沢崎は少年の母親から調査を依頼される。 原りょうの小説は短篇長編すべて探偵沢崎が主人公である。この探偵はレイモンド・チャンドラーが創造した探偵フィリップ・マーロウがモデルになっている。沢崎はマーロウばりの皮肉の効いたセリフを多用する。それが最も生かされているのは短篇においてであることが本書を読むとわかる。 (2025.5.7) |
--- メソポタミヤの殺人 ---by アガサ・クリスティ |
![]() クリスティが考古学者のマックス・マローワンと再婚したのちの作品である。夫について中東の遺跡の発掘現場に行った時の経験がそのまま生きた作品である。実際の現場も小説に書かれた通りだったと思われる。もちろん殺人事件はなかった。 最近読んだ本にクリスティのことが出ていたので興味がわき、再読した。2020年に読んでいるが、細かいシチュエーションや犯人の名前は忘れている。クリスティの作品では「アクロイド殺人事件」以外は、2、3年経つと犯人の名前は覚えていない。何度読み返しても楽しめる作家である。 イラクの遺跡の調査隊の話である。考古学者の団長以下総勢10人の隊員とその妻たちのチームに看護婦のエイミー・レザランが参加する。彼女が本書の語り手である。物語は彼らの宿舎兼現場事務所にミス・レザランが滞在した1週間の出来事である。 規模は違うが筆者もクアラルンプール近郊のジャングルを切り開いて作った工場の日本人宿舎に1ヶ月ほど滞在したことがある。砂漠とジャングルの違いはあるがいずれも街とは隔絶された場所である。その中での生活における人間関係は小説と重なる部分があった。 事件を解決したポアロがトルコのイスタンブールからオリエント急行に乗ってロンドンへ帰る途中の出来事が「オリエント急行殺人事件」となっている。 (2025.5.5) |
--- ロシア文学を学びにアメリカへ? ---by 沼野充義 |
![]() 本書は著者が27才から31才までの4年間アメリカに留学したときのエピソードをまとめたものだと思って読み始めたら、その部分は初めの3分の1くらいで、あとの3分の2は言葉に関するエッセイであった。たとえば「人称代名詞について」では各国の人称代名詞の表現の仕方について述べている。アメリカでは「I」と「YOU」しかないが、日本では「私」「僕」「俺」「当方」など多数存在する。「挨拶はおもしろい」では、アメリカでは朝でも夜でも「HI」を使う。ただし「HI」のあとに相手のファーストネームを入れる。「HI JOHN」とか。これは相手のファーストネームを覚えていなければならないので大変だった、と著者は述べている。その他ロシア文学者ではあるが多方面で活躍している著者にふさわしく、多方面にわたって言葉に関する知識を披露している。 ロシア文学専攻の著者がなぜソ連ではなく、アメリカに留学したかは本書で述べられているが、その方が効率がいいらしい。アメリカには様々なスラブ系民族(ロシア人、ウクライナ人、リトアニア人、ポーランド人その他)の共同体が存在する。彼らの言葉や生活を知ろうと思ったら、何かと規制の多いソ連に行くよりもアメリカの方が学びやすいということだ。 アメリカは人種のるつぼといわれているが、著者はるつぼというよりもパッチワークの方が現実に近いという。各民族は融合してはいない。それぞれの共同体の中で生きているという。 アメリカで生まれてアメリカに住みながら、英語がうまく話せない人が多数存在するという。それぞれの民族の共同体の中で生きているから英語を話す必要がないらしい。 アメリカというのは面白い国で、各地にヨーロッパの地名がある。著者が行ったインディアナ州にワルシャワという町がある。昔ポーランド系の移民が多く住みついた土地のようだ。アメリカにはパリもあればベルリンもある。 筆者が以前仕事で滞在していたヴァージニア州の町の名はダブリン(DUBLIN)といった。本書に出てくるワルシャワ同様、なんの変哲もない町であった。 (2025.5.3) |
--- 中也を読む 詩と鑑賞 ---by 中村 稔 |
![]() 「ときは銀波を砂漠に流し、老男の耳朶は蛍光をともす」とか「あらゆるものは古代歴史と、花崗岩のかなたの地平の目の色」とかいう文章が出てきて首をかしげた。「私たちは理解し尽くしたと永久に思うことができないような詩を読みたいものである」という河盛好蔵先生の言葉に従って詩を読み始めた。先日古本まつりで購入した中原中也の詩集である。中也を選んだのは先日読んだ大岡昇平の本に中也のことが書いてあったからである。 本の題名は「小林秀雄」。その中に中也と同棲していた女性を小林が奪い、小林はのちに女性を残して奈良まで逃げたというショッキングなことが書いてあった。大岡昇平は彼らの仲間であったから、その辺の事情は詳しい。女性の名は長谷川泰子という。演劇志望の女性であった。 筆者は中原中也の詩については「汚れっちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる」というセンテンスしか知らなかった。抒情詩人だと思っていた。読み始めてみると、抒情的な詩がないわけではないが、上記のような理解不能な文章がやたら出てくる。中原の頭の中をのぞいてみない限り、理解し尽くすことは不可能である。 それでも解説を参照しながらひとつひとつの詩を何度も読み返してみた。読んでいくうちになんとなく言葉にはならないイメージが浮かんできた。詩は何度も繰り返し読まなければ味わうことはできない、と思った。一行一行に多くの時間とエネルギーを注ぎ込んで作ってあるからだろう。 「サーカス」の一節「幾時代かがありまして、茶色い戦争がありました」や、有名な「汚れつちまつた悲しみに」など、中也の詩には一度聞いたら忘れられない文章がある。彼の詩には彼でなければ書くことができない文章が数多く存在している。 本書には中也の詩だけではなく、選者の解説や中也の日記からの抜粋や手紙の一部などが挿入されていて、中也を総合的に理解するための手助けになっている。 あの冷静な小林秀雄と中原中也と長谷川泰子の関係は興味のあるところである。中也が泰子と出会って同棲したのは、中也16才、泰子19才の時であった。中也18才の時に23才の小林と出会い、親しくなったが、小林は泰子とも親しくなり、中也から彼女を奪う。2年後に小林は泰子から逃げ出す。泰子は中也の元には戻らず、他の男と結婚する。中也はその後他の女と結婚し、30才で亡くなるまで、泰子のことを思う詩を書いていた。中也の2冊目の詩集「在りし日の歌」は、生前その原稿を小林秀雄に預け、死後小林によって出版された。長谷川泰子は1993年(平成5年)、89才で亡くなった。 中也の29才の時の日記に次の文章が書かれている。「今や衣食住だけ足りれば好い人達の時勢だということである。平凡万能だということである。その醸し出している空気というものは知的なものでも芸術的なものでもないということである」。1936年、第二次大戦前である。いつの世でも世間というものは凡庸なものだということだろう。 (2025.4.30) |
--- 本に読まれて ---by 須賀敦子 |
![]() マルグリット・デュラスから始まり、スチュアート・ダイベック、フェルナンド・サバテールへ進み、どうなるかと思っているとアガサ・クリスティとピーター・メイルが出てきて安心していると、ポール・ボールズにハマり、石川淳から永井荷風、森鴎外を論ずるという変幻自在の読書歴には舌を巻いた。どれほどの教養の持ち主なんだ。と恐れ入っていると、「直哉の暗夜行路を自分の好きなタイプの話ではないと知りながら、それだからこそ読まなければと、かなり苦痛だったのをがまんして読んだ」という文章が出てきてホッとした。志賀直哉は筆者の好きな作家で、彼の著書を読むのは苦痛に感じるどころか、快楽である。読書には得手不得手があるものだ。 著者の読みは深い。フローベールの「素朴な女」を評して、「フローベールの意図は宗教への皮肉だったろうか。私には写実を超え、文章の力だけで文章をすっくと立ち上がらせた魔の瞬間が、この結びのオウムに凝集されて見える」と述べている。たまたま筆者も最近同書を読んでいた。筆者の感想は「著者は淡々と事実のみを積み重ねてゆく。読み終わると、ある女の一生がくっきりとわれわれの脳裏に刻まれる」であった。その差は歴然としている。 著者の書評は自由自在だ。松山巌の「百年の棲家」を紹介するページでは、自分が以前住んでいた家の思い出を語り、本の紹介は2、3行で片付けている。マーク・ヘルプリンの「兵士アレッサンドロ・ジュリアーニ」では、画家ジョルジーニョの絵「ザ・テンペスト」について延々と論時てから書評が始まる。そして池澤夏樹の著書を「社会からも家庭からも強要されないまま、いまだ自己の確立を手に入れていない今日の多くの若者たちを惹きつける」と評している。 著者の紹介する本の多くは白水社、みすゞ書房、中公文庫から出版されている。筆者の得意とするところの新潮文庫、ハヤカワ文庫、岩波文庫とは若干毛色の違った分野である。その中で読んでみたいと思ったのは以下の本である。
(2025.4.24) |
--- オデッサ・ファイル ---by フレデリック・フォーサイス |
![]() 「オデッサ」とは元SS隊員の組織という意味である。SSとはナチの精鋭部隊のことである。本書が出版された1972年にはナチの残党は生きていて、本書で語られたことは現実的であった。2025年現在、1945年に20才だった者は100才である。生きていたとしても無力である。 現在のドイツではナチの思想を受け継ぐネオナチという組織が存在し、増えつつあるというニュースを聞いたことがある。この物語は過去のものであっても、その精神は生きていて現在でも活動中なのである。歴史は繰り返すという格言がある。フォーサイスが1970年台に指摘したことが現代には適用できないという保証はない。 ボンのアパートで老人が日記を残して自殺した。日記を読んだ新聞記者ミラーは老人がリガの強制収容所を生き延びたユダヤ人であることを知る。その日記にはある重要な事実が書いてあった。ミラーは現在も活動しているオデッサを追求し始める。
「過去からの狙撃者」ものである。歴史の中に埋もれたものが生き返って活動を開始する。こういう話に弱い。ページを次から次へとめくらずにはいられなくなる。 (2025.4.23) |
--- 観光 ---by ラッタウット・ラープチャルーンサップ |
![]() 「ガイジン」「カフェ・ラブリーで」「徴兵の日」「観光」「プリシラ」「こんなところで死にたくない」「闘鶏師」の7篇の短篇が収められている。著者はシカゴ生まれのタイ人である。2005年、著者26才の時に本書を出版した。 いずれの短篇もタイに住むティーンエイジャーたちの生活の一コマを描いている。われわれは観光で訪れたときや日本に住んでいるタイ人を見たことはあるが、等身大の彼らの生活は知らない。タイ人が書いた小説を読むのも、それによって彼らの生活の一コマをかいま見るのも初めてであった。 翻訳者はあとがきで「外国の作品を読んでこれほどの親近感を抱いたのは初めてのことだった」と書いている。筆者も全く同感である。読後、この思いを文章でどう表現していいのかわからなかったが、そういうことだ。
「カフェ・ラブリーで」では、11才の自分が兄に付いて場末の娼家へ行き、「徴兵の日」では17才の自分が朝早くから徴兵検査場へ行く。「観光」では盲目になりかかっている母親を最後の観光旅行へ連れて行く。読み始めるとあっという間に自分が主人公になって著者の世界へ連れて行かれてしまう。 「闘鶏師」の語り手は16才の少女。闘鶏に取り憑かれた父親と、わずかな手間賃で一家を支える母親の間で成長してゆく少女。ラストはそうした苛烈な社会に出て行かねばならない少女の姿を暗示している。 YouTubeの読書のサイトで見なければ、本書を読む機会はまずなかったろう。自分の知らない世界を知るためにはさまざまな方向にアンテナを張っておかなければならない。(2025.4.20) |
--- 幸福論 ---by アラン |
![]() 本書には93のプロポ(哲学断章)が収められている。アランは本書「幸福に関するプロポ」の他にも、新聞や雑誌に毎日のようにプロポを書いていた。以下はその一部である。
いずれも100年〜2000年前に書かれた言葉だが、現在のわれわれにも切実に当てはまっている。マルクス・アウレリウスのうんざりした顔が目に浮かぶようである。 (2025.4.19) |
--- 我が子を盗め ---by 和久峻三 |
![]() 「倒産の罠」「魔淫の罠」「性倒錯者」「我が子を盗め」「死を招く倒産」「負け犬の凱歌」の6篇の短篇が収められている。いずれも法廷ものである。 著者は法廷もののミステリーを書くために弁護士になった。1969年に京都で弁護士事務所を開いた。1972年に「仮面法廷」で江戸川乱歩賞を受賞した。E.S.ガードナーや佐賀潜など、弁護士が作家になった例はあるが、作家になるために弁護士になったのは著者が初めてである。 6篇のうち5篇が弁護士、1篇が検事が主人公である。 いずれの話も単純な罪で訴えられたと思われた被告の背後には複雑な事情があり、裁判が進むにつれて次第にそのことが明らかになってくる。最後に意外な事実が明らかになる。著者が元弁護士ということもあって、事件の中身は絵空事ではない迫真性がある。 (2025.4.17) |
--- 私の随想選 第三巻 私のフランス文学 II ---by 河盛好蔵 | |
![]() 【詩人との出会い】 一般的に作家は普通の人より個性的である。詩人はさらにその上をゆく。小説を書いて金持ちになった人はいるが、詩を書いて金を儲けた話は聞いたことがない。 本書はフランス文学の中でも主に詩についての評論を集めたものである。詩そのものよりも、それを書いた詩人の性格や生活が興味深い。 著者は「小説が初等数学であるとすれば、詩は高等数学であるべき」と、また「おれの詩は勉強してもらわなければわからないのだと自負する詩人がたくさんいなければ文学に進歩はない」と述べている。詩は彫琢され、磨き込まれた文章によって作られているため、簡単に読み解くことはできない、という。 また、「詩の面白さは言葉の組み合わせ、文字の操作にあると考える。もし作者にして真に語りたいことがあるならば、その難解さはかえって読者の知性のテストとなることができよう。私たちは理解し尽くしたと永久に思うことができないような詩を読みたいものである」という。 マラルメの詩は特に難しく、詩人仲間にも理解することが困難な詩が多かった。トルストイはマラルメの詩を読んで、「あれはなんの意味もないものだ」と断定した。 著者はマラルメが過ごしたイギリスやフランスの土地を訪れ、コクトーやヴァレリーやリルケが住んだ家を訪ねる。フランス文学の中でも詩は著者にとって特別なものだったようである。 【思索家との出会い】 著者は思索家と作家を分けて書いている。思索家はモラリストのことであろう。モラリストとは哲学者にも文学者にも宗教家にも属さない人々のことである。本章ではペギー、アラン、ジッド、モーロワを採り上げている。中でもアランには多くのページを割いている。 アランは「良識というものは誰にでも授かっているものだから、そして良識とは結局判断に他ならぬから、あらゆる子どもに平等にそれを発達させることが大切である」と述べた。彼の幸福論の中心をなす思想もやはり判断せよ、判断が幸福を与えてくれる、ということである。 「狭き門」「田園交響楽」などを書いたジッドは映画「ベニスに死す」のアッシェンバッハのような人だったようだ。筆者が子供の時はジードと表記していたが、今はジッドというらしい。 【仏国滑稽作家列伝】 アルフォンス・アレー、ジョルジュ・フェドー、トリスタン・ベルナール等、フランスの滑稽文学の作家たちの話題である。日本でその作品がほとんど紹介されていない作家たちである。 (2025.4.12) |
--- 私の随想選 第二巻 私のフランス文学 I ---by 河盛好蔵 | |
![]() 以前「私の随想選 第六巻 私の人生案内」と「私の随想選 第一巻 私のパリ」を読んで、著者の河盛好蔵に興味を持っていた。たまたま古本市で本書と「私の随想選 第三巻 私のフランス文学 II」を見つけ、これを逃したら読む機会がないだろう、と思い、購入した。このシリーズは全七巻である。全部読んでみたいが果たしてどうなるか。 著者がフランスに留学していた時代の思い出を語り、彼が好んで読んだフランス文学者たちについて述べている。 フランスには哲学者にも文学者にも宗教家にも属さない人々がいる。彼らはモラリストと呼ばれている。モンテーニュ、ラ・ロシュフーコー、ラ・ブリュイエールなどである。 ユゴー、デュマ、バルザックは同時代人であり、同じサロンに出入りしていた。画家のドラクロワはそうした作家たちと付き合っていた。彼らの暮らしぶりや、どのように文学に向き合っていたかの記述は興味深かった。 その他、ゾラ、モーパッサンについても論じている。 (2025.4.8) |
--- 歌舞伎以前 ---by 林屋辰三郎 |
![]() 著者は本書で、日本に歌舞伎が発生するまでの歴史を述べている。著者は日本の芸能の集大成として歌舞伎を採り上げた。それには芸能の発生からひも解く必要がある。 紀元600年から800年に民衆のあいだに発生した芸能として、舞楽、散楽、猿楽、田楽がある。これらは歌、踊り、曲芸、奇術などで人々を楽しませる催しであった。初めはそれぞれ得意な者が行なっていたが、次第にそれを生業とする者たちが現れてきた。彼らは浮浪の民で、河原にねぐらをかまえる者が多かったので、河原者と呼ばれた。 1603年、出雲大社の巫女と称する阿国が京都に現れ、河原でかぶき踊りを演じた。特徴として、女性の男装、異相、傾城事の狂言があげられる。 その頃、浄瑠璃や義太夫が三味線と結びついて発生、発展した。近松門左衛門の脚本で歌と踊りと芝居が結びついて、歌舞伎の原型ができた。その基本的形態が確立したのは1440年代であった。演題はお家、恋愛、武勇であった。 歌舞伎は寛永時代に基礎ができ、元禄時代に発展した。本書は「歌舞伎の本誌はここから始まるのであった」という文章で終わっている。歌舞伎という大輪の花が咲くためには1000年という熟成期間が必要であった。 本書は一度なくし、2019年に図書館で借りて読んだ。なかなか読めなかった本だが、読んでみると面白く、夢中で読み終えてしまった。いつか再び読み返したいと思い、古本屋で買っておいた。今回読み返してみるとやはり面白い。 (2025.4.3) |
--- ドストエフスキー ---by E.H.カー |
![]() イギリスの歴史学者E.H.カーが書いたドストエフスキー論である。カーの代表作は、ユニークな視点から歴史と向き合った著書「歴史とは何か」である。 【第一巻 成長の時期 (1821-1854) 〜33才】 この時期の代表作、「貧しき人々」「白夜」。 【第二巻 激動の時期 (1854-1865) 33〜44才】 この時期の代表作、「虐げられた人々」「死の家の記録」「賭博者」「地下生活者の手記」。 【第三巻 創造の時期 (1866-1871) 45〜50才】 この時期の代表作、「罪と罰」「白痴」「永遠の夫」「悪霊」。 【第四巻 結実の時期 (1871-1881) 50〜60才】 この時期の代表作、「未成年」「作家の日記」「カラマーゾフの兄弟」。 「カラマーゾフの兄弟」はいろいろな要素を含んだ小説だが、著者は「ドストエフスキーは罪と苦悩を通じてのドミートリー・カラマーゾフの救済の物語を完了した」と述べている。 (2025.3.28) |
--- 雪沼とその周辺 ---by 堀江敏幸 |
![]() 7篇の短篇が収められている。いずれも架空の町、雪沼というスキー場のある街に住んでいる人たちの話である。ボーリング場、段ボール加工工場、書道教室などさまざまな場所で働く人が主人公になっている。 「スタンス・ドット」 主人公はボーリング場の経営者。妻と二人で始めたボーリング場を今日で閉店する。妻は数年前に亡くなり、自分一人で続けるのは困難になってきたからだ。あと30分で締めるというときに若いカップルが入ってきた。トイレを貸して欲しいという。 「イラクサの庭」 小留知先生のお通夜の場面から始まる。そこに集まったのは小留知先生の料理教室の生徒たちである。彼女たちの会話から生前の小留知先生の人生や人柄が浮かび上がってくる。 「河岸段丘」 段ボール加工工場を経営する田辺さんとその友達青島さんの話。 「送り火」 子供達に書道を教えている陽平さんとその妻絹代さんの話。二人には男の子がいたが洪水で失い、今は二人暮らしである。息子の13回忌に二人は送り火を計画する。 「レンガを積む」 都会でレコード店に勤務していた蓮根さんは母親の面倒を見るために故郷に帰り、売りに出ていた雪沼のレコード店を買い取る。スピーカーの高さを調整するためにレンガを購入した。 「ピラニア」 中華料理屋を経営する安田さんとその妻の聡子さん、それに相互銀行の営業の相良さんの会話。安田さんは川沿いの斜面に建てた住居兼用の店の一階に水槽を置き、熱帯魚や川でとった鮒や鯉を泳がしている。 「緩斜面」 職を失って故郷に帰ってきた香月さんは小木曽さんの紹介で防災用具の会社に勤め始める。その後小木曽さんは亡くなり、その妻と中学二年の息子が残された。香月さんは小木曽さんの息子と凧揚げを計画する。 (2025.3.23) |
--- 三つの物語 ---by フローベール |
![]() 「素朴なひと」 フェリシテという女中が主人公。貧しい生まれのフェリシテの短い青春、そして長い女中生活を描いている。彼女は自分に与えられるものがあまりにも少ない運命に生まれた。彼女は人に深い愛情を与えるが、大抵の場合見返りはない。彼女が最後に愛情を与えたのは一羽の鸚鵡であった。鸚鵡は歳をとって死んだが、彼女はそれを剥製にして可愛がった。やがて彼女も死ぬ時が来た。 「聖ジュリアン伝」 ジュリアンという乱暴者の若者が聖者になるまでの物語。神話の世界を描いている。 「ヘロディアス」 イエス・キリストの時代の話である。王妃ヘロディアスの女サロメが洗礼者ヨハネの首を願い出るまでの話。サロメがヨハネの首を乗せた皿を持っているシーンは、西洋人には戯曲や絵画でお馴染みである。筆者には馴染みのない話で捉えどころがなかった。 (2025.3.21) |
--- 哲学物語 ---by W.デュラント |
![]() 著者デュラントはカリフォルニア大学で教鞭を取る傍ら本書を書いた。ギリシャ時代から現代に至るまでの哲学の歴史をたどりながら、その特徴が手際よく書かれている。こういった書物はおうおうにして難しい哲学用語を並べ、箇条書き的に主要な哲学者たちの学説を述べるという、参考書的な内容になりがちだが、本書は違う。哲学用語は使わず、普通の言葉で哲学者たちの学説を紹介している。単に紹介するだけでなく、著者自身の意見も述べている。このことが本書を血の通ったものにしている。 本書は1926年に発行された。原題は「The Story of Philosophy」である。100年前に発行された書物だが、現在に至るまで世界中で広く読まれている。日本では1963年発行の本書を最後に、その後出版されていないようである。 本書で取り上げられている哲学者は以下の通りである。
ヘーゲルについてはカントの章で数ページ触れられているだけである。ベイコンやスペンサーよりヘーゲルの方が重要だと思うのだが。さらに、現在最も重要な哲学者ハイデガーについては1行も書かれていない。本書が書かれた1926年時点でハイデガーは「存在と時間」を書いていなかった。それが書かれたのは1927年であった。加えて、出版された当時、同書を理解できた者は世界で数人であったことを考えると、仕方のないことであろう。 また、現在ほとんど重要視されていない哲学者、フランシス・ベイコン、ベルデット・クローチェ、ジョージ・サンタヤーナが取り上げられている。 哲学史に欠かせない人物、プラトン、アリストテレス、カント、ニーチェについては、その欠点も含めて詳細な説明がなされている。 本書では著者自身の意見が随所で述べられていて、それぞれの説に対して批判もしている。たとえば、ニーチェの極端な超人思想は彼の不遇と孤独が生み出したもので、平穏で満たされた人生を送っていたら、彼の思想は違ったものになっていたに違いない。と述べている。そのことで、近寄りがたくそびえたつニーチェがより身近に感じられた。 ー ー ー ー ー 以下に、興味深かった説をあげておく。 【アリストテレス】 利得の刺激は熱心な労働に必要であり、所有の刺激は適当な勤勉、節倹および将来の備えに必要である。すべてが各人の所有であるときは、誰もその面倒は見ないであろう。(これは人間社会で共産主義は発展することはない、ということの証明である。1991年にソビエト連邦が放棄するまで続いたことが奇跡的なことだった。) 【アリストテレス】 政治はあまりにも複雑な仕事であるゆえに、単なる数によって決めることはできない。医者は医者によって評価されるべきであるように、正しい選挙は知識ある人々によってのみなされうる。これは民主政治を否定し、貴族政治を肯定する説である。(筆者はこの意見に賛成である。) 【スピノザ】 憎むということは、自己の劣性と恐怖を白状することで、我々は勝つ自信のある敵を憎みはしない。 【スピノザ】 感情は、反対の、より強力な感情によってのほかは、阻止することも除去することもできない。 【スピノザ】 民主政治の欠点は凡庸な人に権力を得させるという傾向であるが、これを避ける道は公職を訓練された手腕の人にかぎるほかはない。 【スピノザ】 自由な意志は存在しない。精神の決意は、身体の状態の異なるに従って異なる欲望に他ならない 【カント】 カントはケーニヒスベルクで生まれ、一生その地から外へ出なかった。ケーニヒスベルクは現在はロシアの飛び地であるカリーニングラードである。彼は大学の教授をしながら、15年かけて、57才のときに書き上げた最初の著作が「純粋理性批判」であった。 【カント】 カント以前は、人間は経験を通して感覚を刺激されることによって成長するものであるから、経験を通さない純粋な理性は存在しないとされていたが、カントはその説をくつがえした。 【カント】 雑然と群れをなしてやってくる感覚に、秩序と連関と統一とを与えるものが悟性である。同一の経験がある人間をいつまでも凡庸のままにおき、より活動的なたまざる人物の場合には、高められた知恵の光になり、真理という美しい論理になる。 【カント】 キリストは神の国を地上に近づけた。ところが人は誤解して、我々の間に神の国ではなくて、聖職者の国を建設したのである。 【ショーペンハウエル】 知性は案内人として主人を案内するにすぎない。人間を作るものは意志である。性格は意志にあって、知性にあるのではない。(この言葉を日本の教育委員会に張り出したい。) 【ショーペンハウエル】 人は精神的に貧しく、一般に卑属であるにしたがって社交的である。 【ショーペンハウエル】 人生は振り子のように苦痛と倦怠との間を左右に揺れる。我々は成功していればいるほど退屈を感じる。 【ニーチェ】 民主主義とは成り行き任せということで、一つの有機体の各部分にそれぞれ好きなことをさせてやるということである。、、、それは偉大な人物の出現を不可能にする。(民主主義と凡庸は互いに引き合うのかもしれない。) 【ニーチェ】 恐るべきは指導者どもではなく、もっともっと低いところにいる連中で、彼らは自分らの無能力と怠惰との自然の結果である従属を、革命によって脱しうると思いこんでいるのだ。 (2025.3.19) |
--- 河岸忘日抄 ---by 堀江敏幸 |
![]() 河岸に繋がれた全長18メートル、幅4メートルの船(ハウスボート)をアパート代わりに借りて住んでいる「彼」が主人公である。小説は「彼」のモノローグで綴られている。 内容は「彼」が船に住みながら考えたこと、「彼」とつながりのある人々との交友関係、彼が読んだ本、見た映画、聴いたLPレコードについてのあれこれ。時には身辺雑記を綴る私小説風になったり、書評や映画評になったり、哲学エッセイ風になったりする。小説というよりも日記に近いか。 本書はどのようにも読むことが出来るが、小説として読むと3人の人物との交流が主軸になっている。船の貸主である老人、日本に住んでいる先輩の枕木さん、枕木さんの手紙を持ってくる西アフリカ系黒人の郵便配達夫の3人である。枕木さんとはファクシミリでのやり取りもしている。 老人と交わす哲学的な会話、枕木さんから届く隠喩の多い内容のファクシミリ、郵便配達夫との気軽な会話、それぞれが面白い。 船が繋がれている場所はセーヌ川の岸辺である。ただし都市部ではない。「彼」は買い物には歩いて行くが、映画を見るにはバスを使って行く。映画を見ることができる町までバスで約1時間ほどかかるから、農村部を流れているセーヌ川と思われる。 彼は市場で食材を買ってきて船のキッチンで料理する。蕎麦粉を混ぜたクレープを大量に作り、保存食にする。アルデンテに茹でたスパゲティにオリーブ油をさっとかけて食べる。とれたての卵でオムレツを作る。調理方法を具体的に記述しているので、自分でも作れそうである。 彼が読む本はフランスの本またはフランス語に翻訳された本である。クロフツやチェーホフやアレックス・ヘイリーをフランス語訳で読む。著者自身、現在早稲田大学でフランス文学の教授をしている。 著者は季節の移り変わりを気温、湿度、風力、気圧で表現している。例えば、 気温15℃ 湿度50% 風力2 気圧1023mbar 最後のページでは、気温9℃ 湿度31% 風力1 気圧1023mbarとなっている。フランスの季節はわからないが、なんとなく秋→冬→春のようだ。人里離れた川のほとりの船の中でひとりもの思うにはふさわしい季節である。 大家の老人の死とともに本書は静かに終了する。「彼」は相変わらずハウスボートのデッキから外を眺めている。 本書で採りあげられた本
本書で採りあげられたLPレコード
本書で採りあげられた映画
(2025.3.11) |
--- 寡黙なる巨人 ---by 多田富雄 |
![]() 著者は67才の時脳梗塞を発症し、右半身の機能と言葉を失った。体を動かせないことと人との意思の疎通が困難なことは地獄である。しかも普通の病気と違い、治らない。機能しなくなった神経は元に戻らないのだ。 東大名誉教授、免疫学者として数々の賞を受賞、新作能を書き、鼓の腕はプロ並み、などなどの輝かしい経歴が突然寸断されてしまった。入院中の著者はひとりの患者にすぎない。 著者はリハビリを始める。リハビリは失われた神経組織を生まれ変わらせるのではなく、新たな神経を作り出すことだ。この新しい神経を著者は「寡黙なる巨人」と呼んだ。新たな自分は以前の自分ではない。自分の中に新しい自分が生まれたようなものだ。体は元のようには動かないし、言葉も声も元のようではない。 著者は血の滲むようなリハビリを経て、発症した2001年以降2010年に亡くなるまでの間に、共著も含めて17冊の著書を出版した。 そればかりか、小泉内閣の数々の悪政の一つ、障害者のリハビリを180日に制限するという「診療報酬改定制度」に反対する運動の先頭に立っていた。48万人の署名を集めたが、政府には無視された。それでも粘り強く運動を続けている。 挫けそうになるが挫けない著者の粘りは、奥さんはじめ、家族や友人たちの協力や励ましから生まれたのだろう。そして著者自身の楽天的な性格から。 (2025.3.5) |
--- 感情教育 ---by フローベール |
![]() ![]() この本は新刊で買ったのに古書のようになっている。買ってから20〜30年は経っているだろう。もちろん読むつもりで買ったのだし、何度も読みかけた。ほとんどの場合、主人公のフレデリックが船に乗っている場面から先へ進むことがなかった。ほとんどの場合と書いたのは、表紙を眺めただけで本棚に戻したこともあったからである。18才の青年に感情移入することができなかったのと、感情移入することに拒否感が働いたためである。 今回この本を「途中下車」のページではなく、読後ノートに入れられたのは不思議なことである。読書にはこのようなことが結構ある。「戦争と平和」がそうだったし、「未成年」がそうだった。あっさり入り込んで読了した本よりも、入り込むのが困難で苦労して読了した本に愛着が湧くこともたびたび経験した。この本がそうであった。そういうときに思うことは決まって「なんで今までこんな面白い本が読めなかったのだろう」ということである。 今まで数々の翻訳書を読んできて挫折したのは内容が難しくて頭に入ってこないことと翻訳技術がまずいことにあった。ロシア語の翻訳には抵抗がなかった。英語は良い翻訳と悪い翻訳があった。ミステリーと冒険小説ではハズレがなかった。文学書では翻訳者によった。ドイツ、フランス、イタリアなどのヨーロッパの文学書はほとんどひどい翻訳ばかりだった。まるで学生にやらせた下訳をそのまま使ったような翻訳なのだ。10代の頃は抵抗なく読めていた。ひどい日本語など気にならないくらい内容に魅せられていたからだろう。ある程度歳をとって、良い日本語、綺麗な日本語に快感を感じるようになった。若い頃抵抗を感じていた志賀直哉や谷崎潤一郎や川端康成の文学を抵抗なく読むことができるようになった。反対にひどい日本語を読み進めることができなくなってきた。 本書の翻訳者生島遼一氏は定評のあるフランス文学者である。だが、この人は正しい日本語を勉強したことがあるのだろうか。「・・・。気のいい人だった教授がそういってくれた」などという文章を読んでそう思った。上巻の最初の方でこのような文章に出会うと、果たして下巻まで持つのだろうか、と不安になった。 この岩波文庫版は1971年に発行された。だが改版と書いてある。最初に生島氏が訳したのは1947年であった。2025年現在の80年前である。日本語の文章に違和感があるのはこのためであろうと思った。 だが1905年から1916年までに書かれた漱石の文章に違和感を持つだろうか。何度読んでも時々は読み返してみたくなる魅力的な文章ではないか。1955年中村白葉氏に翻訳された「戦争と平和」に違和感を持つだろうか。やはり魅力的な文章と言わざるを得ない。 翻訳者として大事なことは日本語が達者であることである。外国語を翻訳するのは学生でもできる。生島遼一氏ほか数多くの翻訳家たちはそれぞれフランス文学や英米文学の専門家である。だが日本語の文章を専門に勉強したわけではない。 我々が翻訳書を読むのは「戦争と平和」や「罪と罰」を直接読むわけではない。中村白葉が訳した「戦争と平和」を、江川卓が訳した「罪と罰」を読むのだ。ある人が訳した「戦争と平和」が好きになれないからといって、ほかの人が訳したそれを好きになれないということはない。筆者は以前「偉大なるギャツビー」を野崎孝訳で読んで、何が書かれているのかさっぱりわからず、何回かチャレンジしたあと諦めて、長い間放置していた。20、30年後に村上春樹訳で「グレート・ギャツビー」を読み、内容がすらすらわかって、こういうことだったのか、と目が開かされた経験がある。翻訳書を読んで面白くなかったら、別の翻訳者のそれを読んでみると良い。まるで別の本を読んでいるような経験をするかもしれない。 ー ー ー ー ー 本書がほかのフランス文学、スタンダールやバルザックの作品ほど人口に膾炙してこなかったのは主人公フレデリックに魅力がないためだと思った。フレデリックの目的はパリで美しい女たちに囲まれて、贅沢な暮らしをすることだけである。彼は母親が希望するように田舎で弁護士の助手となり、地道に生計を立ててゆくことなどできない性格である。「赤と黒」のジュリアン・ソレルや「ゴリオ爺さん」のラスティニヤックのような魅力的な登場人物がいてこそ、その小説を最後まで読み続けることができる。 ー ー ー ー ー どうも文章がつながっていかない。会話がぎこちない。この翻訳は何人かの学生にやらせて、出来上がってきたものをつなぎ合わせただけのように思える。自然主義文学の傑作「ボヴァリー夫人」の作家がこんな不出来な作品を書くか。登場人物たちのつながりが物語の半分ほど過ぎたあたりまできてもよくわからない。登場人物たちの容姿や年齢などもよくわからない。文学史上最高の美貌の持ち主といわれているアルヌー夫人にしても、その容姿は説明されていない。フレデリックが何年間も憧れ続けているからきっと美しい人なんだろうと想像されるが、果たして本当にそうなのか。単なる主観に過ぎないのではないか。彼女の年齢は多分フレデリックよりも10才ほど年上である。小説の中でフレデリックは年増好きと書かれているが、この辺に著者の仕掛けた罠が潜んでいるのではないだろうか。 ー ー ー ー ー 「赤と黒」のジュリアン・ソレルを薄めたような若者がフランス革命を背景に、パリの社交界に出没する。彼は何かを足がかりにして出世しようとか、金儲けをしようとか、そういう目的はない。ただその日その日を贅沢に暮らしていければ良い。金がなくなれば故郷に帰って平凡な仕事を得て生計を立てようとし、遺産が入ればパリに出て贅沢な生活をする。 彼は18才の時に船のデッキで出会ったアルヌー夫人に一目惚れする。その後の彼はアルヌー夫人のことしか考えられなくなる。その後10年ほどの間に4人の女性と出会う。その中の一人とは同棲し、子供も作る。また他の一人とは結婚する寸前まで行く。だが最後にはアルヌー夫人の面影が邪魔をして関係は壊れる。彼の行動は行き当たりばったりでアルヌー夫人に対する感情以外はいい加減なものである。 アルヌー夫人がフレデリックと行動を共にできなかったのは、彼の生活力の希薄さによるものだろう。アルヌー氏も頼りない人物ではあるが、美術雑誌出版業に失敗したら、陶磁器製造販売業に、それに失敗したら宗教儀式用具店というふうに生活力がある。対してフレデリックは老年に至るまで働くことなく、伯父の遺産で生活している。 一体フローベールはこの小説で何を描きたかったんだろう。 ー ー ー ー ー 下手な翻訳に悩まされながら、何とか最後まで読み終えた。最後のページを読み終えた瞬間、フレデリックの生涯が胸にずしんと響いて、良い文学作品を読み終えた充実感を味わった。何なんだろう、これは。もう一度読んでみなさい、ということなんだろうか。 「感情教育」は岩波文庫以外に河出文庫と光文社古典新訳文庫からでている。アマゾンの読者の感想を読むと、岩波文庫と河出文庫の翻訳は評判が悪い。次回読むとすれば光文社版か。 (2025.3.4) |
--- 生命の木下で ---by 多田富雄 |
![]() 著者は数々の賞を受けた世界的な免疫学者である。彼は能への造詣が深く、新作能の作者でもある。対象を的確に捉えるという学者としての能力がエッセイにも生かされていて、その著書は数々のエッセイスト賞を受賞している。 本書には表題の「生命の木下で」をはじめ、「日付けのない日記」と「青春の文学者たち」が収められている。 【生命の木下で】 65才を過ぎた著者とその妻、仕事仲間のT氏はマリ共和国のドゴン族に会うためにアフリカを訪れる。アフリカは人類発祥の地であり、ドゴン族が持つ祭りや壁画などの文化は貴重な文化遺産となっている。著者は市場での経験から「物売る人々」の姿から世界を見ることができると述べている。 【日付けのない日記】 折に触れ思いついたことを2ページ程度にまとめたエッセイ集である。「2000年問題について」「グローバリゼーションについて」「買い物のルール」「会話のルール」などなど、興味深い話題に満ちている。「おっちょこちょいの遺伝子」という章では、十度の障害を持って生まれた詩人香川紘子さんを訪問した話が述べられている。香川さんがこれまで挫折することなく力強い詩を書き続けてこられたのは、母親から受け継いだおっちょこちょいの遺伝子が助けてくれたのかもしれないという話をして、それに対して彼女も頷いたという。著者の経験によると、おっちょこちょいの人は失敗してもあまりクヨクヨしない、楽天的な人が多いという。 【青春の文学者たち】 著者が青春時代に影響を受けた文学者について語っている。著者が影響を受けたのは江藤淳、小林秀雄、中原中也、冨永太郎である。なかでも小林秀雄には大きな影響を受け、現在でもその著書を読み返しているという。 著者は物事を冷静に的確に見る目と、天性のユーモアを持っている。そのことが著者を名エッセイストにしているのだ、と納得した。 (2025.2.23) |
--- いつか王子駅で ---by 堀江敏幸 |
![]() 特に何事も起こらない小説であるが、著者の語り口に乗って最後まで興味を失うことなく読まされてしまう。語り手は週に一回品川の水産大学(現在の海洋大学)の講師をしている。そのほか翻訳の仕事をしている。何語の翻訳かは書かれていないが、著者はフランス文学者でもあるため、フランス語ではないか。 小説の舞台は都営荒川線尾久駅付近、飛鳥山付近、王子駅付近、荒川遊園。登場人物は印章彫師の正吉さん、居酒屋「かおり」の女将さん、アパートの大家さん一家、古本屋の主人筧(かけい)さん。都営荒川線沿線を舞台に、語り手と登場人物たちの交流が描かれている。 語り手が登場人物たちと交流しながら思いついたことを語っていて、その語りが小説の半分を占めている。思いつくことは、競馬、小説、景色、料理など日常我々が考えることと同じであるが、より深く細かく考察している。部分的には著者自身のエッセイとも取れる内容である。 本書で語られる小説は以下の通りである。
著者による書評を読んでいるかのようである。いずれの小説も興味深く、読んでみたくなった。 著者は小説中で競争馬テンポイントの出生の由来とその後の運命を述べている。テンポイントは筆者が競馬に熱中していた頃の馬なので、この部分は興味深かった。 正吉さんの言葉として「変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しいんでな」という文章があった。これを読んで昨年観た映画「パーフェクト・ディズ」の主人公の暮らしを思い出した。役所広司演ずる「平山昌吉」という男の暮らしぶりがまさにそれだったのではないだろうか。毎日毎日変化のない生活を淡々と過ごす。だが細部をよく見ると同じ日は一日もない。それが本当の生活であり、大切なんだとヴェンダース監督と堀江氏はいっている。 本書は文庫本で180ページほどの中編だが、読みどころが多かったので、普段より時間をかけて読んだ。 (2025.2.17) |
--- 小林秀雄 ---by 大岡昇平 |
![]() 大岡昇平は19才の時に7才年上の小林秀雄と出会い、55年間小林のフランス語の教え子として、後輩として、友人として交友関係にあった。小林秀雄について書くのに最もふさわしい人物である。 [I]には大岡昇平による小林秀雄の著作の解説文が載せられている。「Xへの手紙」「本居宣長」「無私の精神」「考えるヒント」など小林の代表作の巻末に載せられた解説である。この中で著者は小林の文体を「哲学が哲学者とは違った文体、つまり思考のリズムとリアリティを持った文体で書かれた」と称した。小林秀雄を単なる評論家としてではなく、独自の思考を持つ哲学者として認識している。 [II]では著者が若い頃の交友関係が書かれている。登場人物は小林秀雄を筆頭に、青山二郎、河上徹太郎、富永太郎、中原中也、長谷川泰子、今日出海、などである。小林秀雄、中原中也、長谷川泰子の三角関係は小林の評論と中原の詩作を進歩させたようである。また大岡も河上徹太郎、小林秀雄らの愛人であった銀座のバーのホステス坂本睦子を8年あまり自らも愛人とし、その関係をもとに小説「花影」に書いた。いずれにも小林は登場している。この頃の大岡と小林を中心とした仲間たちは人生のフィエスタ(祝祭)の日々を過ごしていたようである。 [III]には著者による小林秀雄への追悼文が、巻末には小林と大岡の対談が収められている。 (付記) 小林秀雄、中原中也、長谷川泰子の三角関係を描いた映画が2025年2月21日に一般公開される。監督:根岸吉太郎、小林秀雄:岡田将生、中原中也:木戸大聖、長谷川泰子:広瀬すずというキャストである。映画の題名は「ゆきてかへらぬ」。 (2025.2.14) |
--- 熔ける 再び そして会社も失った ---by 井川意高 |
![]() 著者の井川意高氏は大王製紙の元社長、会長である。47才の時に特別背任罪で有罪判決を受け、懲役4年の実刑判決が確定した。喜連川社会復帰促進センター(喜連川刑務所)で3年2ヶ月服役したのち、2017年に社会復帰した。 現在著者はユーチューバーとして活躍している。巧みな話術と豊富な経験と人脈に裏付けられたコンテンツは人気のユーチューブとなっている。 本書は前半と後半に分かれている。前半は喜連川刑務所での経験談。後半は大王製紙の歴史と、創業者一族の井川家が佐光氏に乗っ取られた経緯が綴られている。後半の話をおおやけにすることについては母親からの強い要請があったそうだ。 著者の父親は創業者の父親の跡を継いだ二代目だが、大王製紙を大きく発展させた功労者であった。著者の不祥事によってその会社が他人に乗っ取られたにも関わらず、定期的に栃木県の喜連川刑務所に面会に来てくれた。本書で著者は「お父さん、こんな遠くまで息子の顔を見にきてくれてありがとうございます」と述べている。 重い糖尿病と腎臓病で入院している父親を見舞いに行った著者は、「一分一秒でも長く生き延びることよりも、QOL(Quality of Life)を高めた方が幸せなのでは」と考え、看護師の目を盗んでコンビニから杏仁豆腐やまんじゅうを買ってきて父親に食べさせた。「父はそれをとてもうれしそうに食べていた」、という文章を読んで、確かにそうだ、と思った。 (2025.2.10) |
--- 日はまた昇る ---by アーネスト・ヘミングウェイ |
![]() ヘミングウェイは本書でパリ時代の自身の体験を描いている。1920年代のパリに住む異邦人たち(アメリカ人やイギリス人)は昼間はそれぞれの仕事をして、夜になるとなじみのカフェや酒場に集まってくる。時には仲間と釣りに行ったり、闘牛を見物しに行ったりする。 パリの芸術家たちのパトロンであるガートルード・スタイン女史は彼らを称して「ロスト・ジェネレーション」と呼んだ。直訳すると「失われた世代」であるが、酒や享楽に溺れる「自堕落な世代」を意味していたとされている。確かに「失われた世代」では意味がはっきりしない。 ヘミングウェイが本書で描きたかったものは自堕落な人生を過ごす者たちではなく、なんとかして自分の人生を生きたいと願う者たちの生態であった。 本書には印象的な場面が多々ある。ジェイクがカルチェ・ラタンのカフェで娼婦を拾う場面。スペインのカフェ「イルーニヤ」で仲間たちとくつろぐ場面。ジェイクが酔っ払ってホテルに帰った後、ベッドに寝転がってツルゲーネフの「猟人日記」を読む場面。ジェイクとビルがイラチ川で釣りを楽しむ場面。パンプローナでのフィエスタと闘牛の場面。等々。ひとつひとつの場面が生き生きと描かれることによって、全体のテーマが浮き上がってくる。 ヘミングウェイはロバート・コーンやビル・ゴードン、マイケル・キャンベル、そしてヒロインのブレット・アシュレを通じて、持って生まれた業(ごう)との折り合いの付け方を描いている。著者の分身であるジェイク・バーンズについては業に対する諦念を描いているようだ。それぞれの人物が仕事や釣りやフィエスタや闘牛見物のなかで自分の業と戦い、傷つき、そして折り合いをつけながら生きてゆく。どこまで行ってもゴールは見えない。 最後の章は祭りの後の虚しさが漂っている。著者はそれが人生だ、といっている。本書はかなり初期の作品でありながら、ヘミングウェイの本質的なものが ヘミングウェイはフィエスタ(祭り)の時期と自己に沈潜する時期の繰り返しこそが人生であり、持って生まれた自分とどうやって折り合いをつけるかが、その人の生き方なのだ、といっている。 (2025.2.9) |
--- 二百十日・野分 ---by 夏目漱石 |
![]() 【二百十日】 冒頭から二人の人物の会話が続く。二人のことは読むうちにわかってくる。名前は圭さんと碌さん。年齢は30代。友人同士。熊本在住であるが、出身地は東京らしい。圭さんは体格が良く、威勢が良い。碌さんは小柄で痩せている。慎重派である。説明文はない。会話から推測するとこのようになる。 二人は阿蘇町の温泉宿に泊まっている。阿蘇山を登って、噴火口を見に行こうとしている。小説は歩きながらの二人の会話が主体になっている。 漱石が書きたかったのは二人のリズムの良い会話であろう。これは外国語に翻訳不可能な小説である。どちらがしゃべっているかが書かれていないからだ。日本語だとわかる。会話を読んだだけで二人のことばかりか、宿の女中の年齢や出身地、知的レベルまでわかる。漱石がそれらを楽しみながら書いたに違いない。 【野分】 表紙の絵は「野分」の主人公・白井道也である。"素浪人"という雰囲気のイラストである。 道也は素浪人である。大学を出てから地方の中学校の教師を転々とした後、東京に戻ってくる。金持ちと権力者が嫌いな道也は学校の教師をする気はなくなっている。そういえば「二百十日」の圭さんも金持ちと権力者が大嫌いだった。漱石の初期の小説では金持ちと権力者を嫌悪する登場人物が多い。「坊っちゃん」の坊っちゃんや山嵐をはじめ、「吾輩は猫である」の苦沙弥先生、「虞美人草」の甲野さん、「三四郎」の広田先生などなど。道也は自分の力で生きざるを得ない。彼の専門は文学である。文学で自活するのはいつの時代でも大変なことである。 本書の主人公は白井道也のほかにあと二人いる。大学を卒業したばかりの高柳周作と中野輝一である。この二人の同級生はペアで登場することが多い。高柳君は母一人子一人で早く就職して母親に仕送りしなければならない。中野君は父親が会社の社長で、裕福な生活をしている。 この三人の人物が動くことによって、それぞれの人生観が明確になっていく。道也の人生観は彼が編集している雑誌に発表した論文と演説会で彼が演説する内容で明らかである。道也に迷いはない。彼は貧乏しても自分の信条に合わないことはやらない。 高柳君はいつも迷っている。自分の生活のために、母親を安心させるためには信条に合わない事でもやらなければならんい、と思っている。そして常に自分の出自(父親が獄死、母子家庭)に劣等感を持っている。中野君は高柳君と対比するために登場させたような人物である。 漱石は本書で自分の信条を道也に、自分の出自による劣等感(里子)と病気(胃潰瘍)の苦労を高柳君に託して述べている。 (2025.2.1) |
--- 死の家の記録 ---by フョードル・M・ドストエフスキー |
![]() YouTubeでホリエモンや井川意高氏の刑務所の体験話が多くの登録者数を獲得し、佐藤優氏や山本譲司氏をはじめ様々な人々の獄中記がベストセラーになる。南極越冬記やアマゾン奥地の探検記を読むのと同様、人々は自分が体験できないことに興味を持つものである。 本書には100年以上前のロシアの刑務所はどのようなところであったのかということが書かれている。書き手がドストエフスキーである。ただの獄中記になるはずはない。 本書には犯罪者たちの生活を書くことによって、普遍的な人間の雛形を描いている。 本書には著者がのちに書いた作品に登場する人物たちの原型が描かれている。シロートキンはアリョーシャだし、ペトロフはスタヴローギンであろう。イワンもドミートリーもスヴィドリガイロフもいる。ロゴージンらしき人物もいる。 ドストエフスキーは若い頃の特殊な4年間の体験によって、のちに創造することになる個性的な人物たちのプロファイルを手に入れていたのである。 著者が出会った中で本当に強い人間は朴直でもったいぶらなかった、という感想を述べている。ところが、そのうちの何人かは病的なまでに虚栄心が強かった、と述べている。不思議な話である。 監獄の生活には二つの苦しみがあるという。ひとつは強制された共同生活、もう一つは無意味な労働である。意味のある労働をするならば、たとえそれが重労働でも苦にならないが、何の意味もない労働には精神が病んでしまうという。 第一部の最後に「芝居」と題された章がある。これは三日間続くクリスマス休暇の1番のハイライトとして紹介される。舞台の設営から、脚本の作成から、役者の選定まで全て囚人が運営する。出演者も見物人も皆、年に一度の催しを楽しみにしている。著者はワクワクする計画段階、当日の興奮状態、そして終わった後の虚しさを読者の前に再現している。 第二部では「病室」という章が3つ続いている。ここでは病室での様子が地獄めぐりのように語られる。病室にはしばしば笞刑を受けた囚人が担ぎ込まれる。笞刑を受けた囚人は傷の治療のためにしばらくの間入院せざるを得ない。著者は囚人たちの体験を通して笞刑の恐ろしさを具体的に語っている。 「アクーリカの亭主」という章は、病室で語り手がシシコフという囚人から聞いた話である。ここではロシアの下層階級の悲惨な話が語られる。この話は古典落語の「天災」に似ている。カラマーゾフの兄弟でグルーシェニカが語る「一本の葱」が芥川龍之介によって「蜘蛛の糸」になったように、「アクーリカの亭主」が日本の落語家によって「天災」になったと考えると興味深い。 「目的と希望を失えば、人間は寂しさのあまりけだものと化してしまうことが珍しくない」という語り手の述懐は、国内外の無差別殺人の原因を表すものである。 鋭い観察者である語り手は囚人たちの特徴を表すものとして視野の狭さをあげている。多くの囚人は視野の狭さゆえに犯した犯罪によって監獄に入る羽目になる、と述べている。ちなみに語り手が監獄に入ることになった罪は妻殺しである。 ドストエフスキーは29才から33才までシベリアの監獄にいた。本書は監獄から出て6年後の39才から書き始められ、8年後の41才の時に完成させた。 本書は10年の刑を終えた語り手が、解放されて自由を獲得する場面で終わる。「罪と罰」に14年の刑でシベリアに送られたラスコーリニコフが監獄で生活する場面があるが、ドストエフスキーの実体験が反映されているのを見ると、人生には無駄なことはひとつもないものだとつくづく思う。 (2025.1.28) |
--- by 西条奈加 |
![]() というわけで、2020年下半期の第164回直木賞受賞作を読んでみた。 時代は江戸時代、根津・千駄木あたりにに住む女たちの物語である。6篇の短篇が収められているが、当時千駄木にあった 6篇とも貧しくはかないたち女たちの健気に生きる様子が描かれている。女たちの運命に引き込まれて最後まで読まされてしまった。 針仕事で一家を支えている娘の話。お妾さんとして生きてゆく娘の話。酒で失敗したが心を入れ替えて働く男の話。障害者になった息子の面倒を見続ける母親の話。身請けされた二人の花魁のその後の話。最後の話は前5話にそれとなく登場していた長屋の差配が主人公になっている。前5話に登場した女たちが脇役で登場している。 それぞれの話は流麗な文章で書かれていて、思わず話に引き込まれてしまう。さすが直木賞受賞作だと思った。反面、新鮮味に乏しく、山本周五郎か藤沢周平の作だといわれてもうなづけるような作品である、とも思った。 伊与原新の「八月の銀の雪」はこの小説に比べて滑らかさが欠けている。科学的な説明が多くて、読んでいてゴツゴツした感じを受ける。だが、それぞれの話に筆者の心のある部分のスイッチを押すような何かがあった。直木賞の選考委員たちにはその何かが感じられなかったのだろう。 (2025.1.22) |
--- 八月の銀の雪 ---by 伊与原 新 |
![]() 本書には5篇の短篇が収められている。著者は東京大学大学院出身の地球惑星物理学博士。富山大学理学部に助教として勤務しながら小説を書いている。 【八月の銀の雪】 三題噺風に紹介すると、就活中の大学生、ヴェトナム人留学生、地球物理学ということになろうか。題名も地球の構造からきている。就職活動がうまくいかない大学生が、東京での就職をあきらめて故郷の新潟へ帰ろうか、と考えている。いつも行くコンビニのヴェトナム人のアルバイト留学生とふとしたことが関わったことで考えが一変する。 【海へ還る日】 生きるのに疲れたシングルマザーがバギーカーで朝の満員電車に乗った。案の定乗客から無言の非難を浴びる。泣きたくなったところへ席を譲ってくれたのは老婦人であった。そこから彼女の人生に対する考え方が徐々に変化し始める。三題噺にすれば、上野の国立科学博物館、一宮海岸、クジラといったところか。久しぶりに科学博物館へ行ってみるか。 【アルノーと 【 【十万年の西風】 風船爆弾、原発事故、凧揚げ、ということで。 これらの物語はすべて挫折した、または挫折しかかった人間の再生の物語である。就活に、生活に、仕事に、人間関係に疲れた人々がある出来事をきっかけにもう一度やり直してみよう、別の方向から取り掛かってみよう、と思い直す物語である。 本作は2020年下半期の第164回直木賞の候補作であった。残念ながら受賞することはできなかった。選考委員の評を見ると褒めているのは三浦しをん氏と角田光代氏のみで他の7人の審査員はこの物語の良さが理解できないようである。作家だから小説の良さがわかるとは限らない。村上春樹が芥川賞も直木賞もとらなかったのは有名な話である。また、宮部みゆきが「火車」ではなく「理由」で直木賞をとったのも手形の出し遅れと言われたものだ。ちなみに同時期に受賞したのは西条奈加の「心淋し川」であった。審査員9人全員が褒めていた。特に北方謙三、宮部みゆき、林真理子の各氏は満点をつけていた。どんな素晴らしい作品なのか、今度読んでみようと思う。 (2025.1.20) |
--- 幕末新選組 ---by 池波正太郎 |
![]() 本書は新選組副長永倉新八を主人公にしている。 筆者も永倉新八には興味を持っていた。彼は新選組の副長という立場にいながら明治維新を生き抜き、大正4年に77才で亡くなっている。近藤勇や土方歳三を筆頭に新選組の主要なメンバーのほとんどは数々の戦いで戦死しているか、仲間に粛清されている。 生き延びるだけでも大変なことなのに永倉は明治を生き抜いて、大正時代まで生存した。彼が生き延びていなければ子母澤寛の新選組三部作は中身の薄いものになってしまっただろうし、新選組の本当の姿が今日まで伝わらなかっただろう。 北海道の松前藩に所属しながらも、生まれてから成人するまで江戸の藩邸に暮らした永倉は江戸っ子であった。彼は江戸っ子独特のものにこだわらない性格を持ち、幕末の世の中を飄々と生きた。お城づとめのサラリーマン武士としてではない。新撰組という戦闘集団に飛び込み、副長として最前線で仕事をしながら生きたのである。 彼が生き延びたのはものにこだわらない性格と剣の腕がピカイチだったから、それと運が良かったためであろう。 発足してから6年間の寿命しかなかった戦闘集団の新選組は、幕末という日本社会の大きな転換期に咲いたあだ花と言える。赤穂の47義士の話も徳川時代末期のあだ花であったろう。日本人は勤勉で実直な生活を好む反面、こういうなんの生産性もないあだ花も好きだ。もちろん筆者もそうである。子母澤寛の実録新選組も良かったが、池波正太郎の滑らかな筆で描かれた、江戸っ子武士を主人公にした新選組の物語も面白かった。 (2025.1.19) |
--- 新選組物語 ---by 子母澤 寛 |
![]() 新選組三部作の最後の作品である本書は昭和6年に出版された。それぞれ新選組の成り立ちから近藤勇の死までが描かれているが、3作の性格はそれぞれ違う。 初めの「始末記」は新選組の概要、次作の「遺聞」は関係者からの聞き書き、そして本書「物語」は新選組の各隊士についての逸話が11作載っている。 「隊士絶命記」では沖田総司、近藤勇らの死ぬ時の様子を、「人斬り鍬二郎」では隊員の大石鍬二郎のことを、「壬生心中」では隊員の松原忠司と彼が人の妻と心中するに至った過程を描いている。「かしく女郎」は洲崎遊郭の女郎かしくという女のはかない人生を描いている。 「新選組」という章は鳥羽・伏見の戦いに敗れた近藤勇と土方歳三が甲府城を攻めようとして隊士を集め、甲府に進んだが、すでに官軍が甲府城を支配していてとても攻め切ることができず、隊士たちと共に絶望の淵を漂う場面を戯曲風に描いている。彼らのセリフは芝居がかっていて舞台にしたら良さそうな具合である。 「流山の朝」は「新選組」の続編。戯曲じたてで、流山で官軍に捕捉され、越谷で打首になるという近藤勇最後の場面が描かれている。鳥羽・伏見の戦いに敗北し、船で横浜にたどり着き、下総の流山に落ち着いたところで近藤勇はすっかり戦う気力がなくなった。元の百姓に戻りたいと念願し、落ち着いた日々を過ごしている。かたや土方歳三の闘志は衰えることを知らず、近藤を残して会津から函館へと転戦する。土方の闘志は函館で戦死するまで衰えることがなかった。 これらの話はいずれも古老からの聞き書きから著者が構成したもので、三部作の中では一番物語としての体を成している。 講談ネタとしてピッタリする話ばかりである。すでに講談になっているのだろうか。調べてみたら明治時代の講釈師で松林伯知(しょうりん はくち)という人が唯一新選組の話を講談にして読んだそうである。ちなみに「幕府名士近藤勇」と「新撰組十勇士伝」というがその演題である。彼は昭和7年(1932年)に亡くなっている。 新選組の話は赤穂義士同様滅びゆく人々の話であり、日本人の琴線に触れる要素があると思われる。ぜひ神田愛山先生か田辺いちかさんに読んでいただきたい。 (2024.1.16) |
--- 新選組遺聞 ---by 子母澤 寛 |
![]() 本書は昭和4年に出版された。前作の「新選組始末記」の続編というわけではない。前作は前作で完結している。 新選組について調査するにあたって、さまざまに文献を調べ、いろいろな人にインタビューした結果を生の形で発表したものである。 新選組が京都で発足した時に、はじめに ここには新選組の隊士たちの普段の様子が語られている。彼らが池田屋に斬り込んで長州藩の志士たちに攻撃をかけたあと、帰ってきた時の血生臭い様子が目撃談として語られている。また芹沢鴨が隊士たちに惨殺された夜のことも生々しく語られている。 また、「勇の屍を掘る」では近藤勇の養子勇五郎が斬首された勇の死体を夜掘りに行き、菩提寺に埋め直す様子が語られている。物語というよりも記録文学というべきだろう。 著者がこれらの経験談を聞き採ったのは対象末期か昭和初期の頃だったろうから、出来事から60年前後しか経っていない。生き残っていた関係者もある程度はいただろう。また明治まで生き延びた隊士たち、たとえば永倉新八など、の談話記録も残されていた。 新聞記者をしていた著者にとって、それらを調査してまとめるのは慣れた仕事であった。 (2024.1.13) |
--- 新選組始末記 ---by 子母澤 寛 |
![]() 新選組関係の本は数多く出版されているが、昭和3年に出版された本書がその最初のものである。本書が出る前は新選組の存在は今ほど世の中に知られていなかった。 「第1章 近藤勇の道場」から「第66章 勇の墓」まで新選組発足前夜から官軍に敗れ全滅するまでのエピソードを文献または関係者の遺族からの聞き書きから記している。ほぼ事実のみをまとめた本である。 坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された様子は当時の京都見廻組今井信郎の手記から明らかにされている。 近藤勇が芸者に産ませた息子や娘のその後の人生も明らかにされている。 主な隊士たちの人柄や容貌なども明らかにされている。ほとんどの隊士は官軍との戦いで亡くなっているが、永倉新八のように大正4年まで生き延びて、畳の上で亡くなったものもいる。 本書にはのちに有名になった土方歳三や沖田総司のことも書かれているが、近藤勇ほど詳しく書かれていない。 のちの作家たちは著者の新選組三部作を土台にして想像力を駆使して作り上げたのだろう。 (2025.1.11) |
--- 城塞 ---by 司馬遼太郎 |
![]() ![]() ![]() 著者は3冊の本で徳川家康を描いた。家康を描くということは信長と秀吉とその周辺の人々を描くということで、大変な労作となった。その3冊、「関ヶ原」「城塞」「覇王の家」を書くのに1966年から1973年までの7年間を費やしている。準備期間を入れれば10年以上かかったかもしれない。 著者は1966年に「関ヶ原」を、1971年に「城塞」を、そして1973年に「覇王の家」を発表している。細部から始まり、最後に全体を書いたことになる。 本書のタイトル「城塞」とは大阪城のことである。当時の大阪城は、その中に10万人が住んでいたというから、現在の姿からは想像もつかない規模であった。場内にいた秀吉の側室の数1万人というから、これもまた想像することができない。スケール感が違いすぎる。 関ヶ原の戦い後、家康は京都の二条城で初めて秀頼と対面する。秀頼18才、家康65才。暗愚と思われていた秀頼が聡明であり、人間的にも重みがあることを、この時家康は察知する。翌日家康は豊臣家を「潰す」と決心する。物語はここから文庫本で1,000ページ余にわたって展開することになる。 家康は1616年に74才で亡くなるが、冬の陣の時に72才、夏の陣の時に73才であった。その生涯の最後の最後に豊臣家を滅ぼし、天下を取ったことになる。だが徳川家の天下は信長、秀吉に比べて圧倒的に長く、約300年続いた。 豊臣家を滅ぼした時の家康は、大悪人といえるほど権謀術数を使った。それ以前の彼は気が長いという印象が強く、悪人というイメージはなかった。むしろ信長、秀吉の残虐性を強く感じた。 本作は登場人物の数が多く、戦闘場面ではクローズアップされる武将が徳川側か豊臣側かわからなくなることもしばしばだった。 読み終えてみると、真田幸村の悲劇性が強く印象に残った。大阪城を支配する者が淀君や大野修理ではなく、彼だったら徳川対豊臣の戦いはどう転んだかわからなかった。もし徳川が滅び、豊臣秀頼の世になっていたら現在の日本人の思考や行動の様式は現在とは違ったものになっていただろう。 (2025.1.8) |