2014年
男たちは北へ / 外務省に告ぐ / 紳士協定 / 007白紙委任状 / 人殺し / アンパンマンの遺書 / 談志のことば / IT / 無名の人生 / 今生きる「資本論」 / ブルー・アイランド版 音楽辞典 / 日本奥地紀行 / 魔の山 / バスカヴィル家の犬 / シャーロック・ホームズの冒険 / ハムレット / ドン・キホーテ 後篇 / ドン・キホーテ 前篇 / 吾輩は猫である / ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 / ミレニアム2 火と戯れる女 / カーテン / ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 / サニーサイドジャズカフェの逆襲 / 快楽としてのミステリー


---男たちは北へ---


風間一輝「男たちは北へ」ハヤカワ文庫

何度目かの「男たちは北へ」を読み終わった。

年に一度は読んでいるようだ。筋は知り尽くしている。

これを読むと桐沢風太郎や尾形圀夫や国道4号線をヒッチハイクする少年に会うことができる。

自衛隊員の藤井明雄や国道4号線をはだしで旅するセリフのないおじさんも忘れがたい。

この本を読むのは彼らに会う楽しみ以外にない。

そして最後のセリフ「小父さんのことを友達だと思ってもいいかな」「ふん」俺は鼻で笑った。「俺はとっくに友達だと思ってたがな」

このほかにも忘れられないセリフはたくさんある。

ピリリとワサビのきいたセリフを味わうためにこの本を読む。


(2014.12.10)

---外務省に告ぐ---


佐藤優「外務省に告ぐ」新潮文庫

外務省のでたらめさには驚いた。

著者が外務省に勤めていたころの様々なこと、特にゴシップに関したことが書かれた本である。

これを読むと学校の成績が特に優れた者以外は入れない役所の筆頭である外務省の職員、それも上層部の人々の振る舞いにはあきれる。"幼児プレイ"や"アルマジロに変身する"高官は実名で指摘されているのに抗議をしないのは何故だろう。

東大を出て難関を勝ち抜いて国家公務員のキャリアといわれる人は頭がいいに違いない。わからないことを聞けば何でも答えてくれるに違いない。 だが何でも知っていることと今どういう行動をするかということとはまるで別の事柄である。何でも知っているから正しい行動がとれるとは限らない。

今目の前にいくつか道があったとする。どの道を選ぶか。あるいは選ばないで留まるか。 ものをたくさん知っていれば判断する材料にはなる。 だが決めることはできない。決めるにはその人なりの基準が必要である。 金、立身出世、正義、…。 自分の利益、国益、名誉、…。 国家公務員の上のクラスの人が汚職をしたり、万引きをしたり、女性のスカートの中を盗撮したり、…。

自分の前にあるいくつかの道のひとつを選択するに当たって、頭がいい悪い、ものを知っているか知らないかはあまり関係ない。ということを分からせてくれる本である。


(2014.12.9)

---紳士協定---


佐藤優「紳士協定」新潮文庫

著者の外務省での研修時代のことを書いたノンフィクションである。著者は自分の身の周りに起きたことや知り合った人々のことを客観的に表現する才能を持っている。

著者の他の本、ソ連との外交交渉の内幕ものや、鈴木宗男事件で検察に取り調べられた様子、刑務所に2年間入っていた時の様子を書いた本などはどれも面白く読んだ。どれも自分の身の周りのことを感傷に流されることなく客観的に、しかも著者独特の視点から物事を見ている。

著者は外務省の研修でイギリスに留学し、英語とロシア語を勉強する。その時に出会った研修仲間や知り合ったイギリスの人々のことが書かれていて興味深い。

鈴木宗男事件によって外務省を辞めさせられてからの著者の活躍を見ると、もともとお役所に勤めるにはスケールが大きすぎたのだと思わざるを得ないが、研修時代からそういう雰囲気を持っていたんだと納得した。


(2014.11.29)

---007白紙委任状---


ジェフリー・ディーバー「007白紙委任状(上)」文春文庫 ジェフリー・ディーバー「007白紙委任状(下)」文春文庫

上巻はかなりイアン・フレミングの007ものに近いと感じた。下巻になってディーバー得意のどんでん返しが出始めたところからイアン・フレミングから離れてきた。これは良くも悪くもジェフリー・ディーバーの作品だ。

フレミング後期の荒唐無稽なボンドが好きな人には受けるのではないかと思う。筆者のような初期の現実のスパイに近い活動をするボンドのファンにはだいぶ物足りない。

ディーバーが得意げにどんでん返しのからくりを説明すればするほどむなしくなってくる。いくらなんでも時間的空間的に無理じゃないの。


(2014.11.24)

---人殺し---


山口瞳「人殺し(上)」文春文庫 山口瞳「人殺し(下)」文春文庫

ショッキングな題名だが中身は山口瞳の世界だ。

直木賞を取った『江分利満氏の優雅な生活』の系列につながる作品で身辺雑記を鋭い視点で書き、小説だかエッセイだかわからない独特な作品だ。

この作品はその中でも最もきつい作品ではないかと思う。山口瞳個人にとっては『血族』と『家族』を書くのが一番つらかったというだろうが。

この本における身辺は銀座の高級バーと病院だ。


高級バーに勤める女性との不倫の身辺雑記だ。ホームドラマを裏返すとこういう話になるんだろう。

もうひとつは自分自身が検査入院する話だが、パニック障害の奥さんがそれに関係している。

どちらにしても自分なら書きたくない題材だ。山口瞳は独特の視線で様々な角度からそのことを書く。

書かれた家族はつらかっただろうと思う。読んだ筆者もつらかった。そのはざまで山口瞳は文学者としての自己を貫いたのだ。


(2014.11.11)

---アンパンマンの遺書---


やなせたかし「アンパンマンの遺書」岩波現代文庫

やなせたかしが亡くなったのは「遺書」が出てから18年後の2013年10月13日だった。

だいぶ早目の遺書だったことになる。

やなせたかしが有名になったのは「アンパンマン」がテレビで放映されてからだ。その時やなせは69才。

だがそれ以前から知る人ぞ知る有名人だったようだ。本にも書かれているが、ある日突然やなせのもとにその時代の文化を担う天才達が訪れる。宮城まり子、永六輔、辻信太郎、手塚治虫、向田邦子。

宮城まり子と一緒にやったミュージカルで「手のひらに太陽を」を作詞、辻信太郎と組んで「詩とメルヘン」を創刊し、手塚治虫の初めての長編アニメ「千夜一夜物語」のキャラクターデザインをやっている。1964年から1967年までの3年間、「笑点」をやる前の立川談志司会でNHK総合テレビ「まんが学校」に出演している。この番組は12,3才の筆者がリアルタイムで見ていた。

本人は自分は漫画家としては三流で…、と書いているが、実は漫画家のわくに入りきらない人だったのだろう。

お皿に書いたやなせのイラストを見たことのない人はいないに違いない。独特の4コマ漫画ボオ・シリーズを見て詩情を感じない人はいないだろう。本人は自分は遅れてきた人間だ、と言っているが周回遅れは我々で、彼は一周早く回っていたのかもしれない。

最近再版されたこの「遺書」がやなせたかしの本当の遺書になってしまった。94才。本当に幸せな一生を送った人だと思う。


(2014.10.15)

---談志のことば---


立川志らく「談志のことば」徳間文庫

この本を読むと志らくって本当に談志が好きだったんだなあ、と思う。

彼の高座へ行ってもそのことを感じなかったことはなかった。時には談志が乗り移ったように談志の声色で談志の意見を行ったりする。意見の内容が談志だったらこういう風に言うだろうということを談志以上に談志らしく言ったりする。高座で談志と遊んでいる感じだった。

談志が亡くなった後、追悼公演を一番たくさんやったのは志らくだった。高座ばかりでなく、演劇の公演「談志のおもちゃ箱」でも談志の追悼をしている。本文中にこの劇に談志の長女松岡弓子さんが出演することになったいきさつが書いてあり興味深い。

志らく「サイン」
志らく「サイン」


(2014.10.14)

---IT---


スティーブン・キング「IT」文春文庫 スティーブン・キング「IT」文春文庫 スティーブン・キング「IT」文春文庫 スティーブン・キング「IT」文春文庫

子供時代のことは覚えているようでも肝心なことは忘れている。

大人になればわかることでも子供時代にはわからないことがある。

わからないことは想像で補うしかない。

時にはその想像が無性に恐怖を伴うことがある。

そのことを書いたのがスティーブン・キングの「IT」だ。

メイン州デリーの7人の少年たちは町に巣くう悪に気付く。そしてそれ(IT)と対決し、手傷を負わせるが逃げられてしまう。27年後、あることをきっかけに昔の少年たちがデリーに集まる。またあれ(IT)が出たのだ。今度こそ完全に殺さなければ。

この本はホラー小説である。が、読みようによっては何かを暗示しているようにも見える。著者は中編「ザ・ボディ」(スタンド・バイ・ミー)の世界を質量ともにスケールアップしてこの本を書いた。

読み終えるとついこの前まで子供だった自分のその時のことが目の前によみがえってくる。「ハイヨ〜、シルヴァ〜、それいけえええええ!」という掛け声とともに。


(2014.10.11)

---無名の人生---


渡辺京二「無名の人生」文春新書

「逝きし世の面影」の著者はどこかの大学の教授かと思っていた。

著者によると51才から25年間福岡の河合塾で講師をしていたらしい。それまでは雑誌の編集をしたり、水俣病の闘争を支援したりといろいろなことをやったらしい。いわゆる学究の徒ではなかったようだ。

現在84才。著述業として現役の生活をしている。著書は数多く、分野も多岐にわたっていて必ずしも「逝きし世の面影」のような文化人類学方面ばかりではない。興味のあることは何事も深く追及しないではいられないようだ。

本書は著者の自伝である。著者は以前若い人向けに「娘への読書案内 世界文学23篇」という本を書いている。この本もそれと同様、若い人向けに書かれた本で、周りを気にすることなく自分の好きな道を行くのが一番いい生き方だ、と述べている。


(2014.9.29)

---今生きる「資本論」---


佐藤優「今生きる「資本論」」新潮社

佐藤優さんの頭脳の容量の大きさに感心した。

共産党員でさえ読んだ人が少ないというこの資本論をこんなにわかりやすく解説できるとは。

所々出てくる原文は本当にわかりにくい。

「資本主義的生産の基礎の上では、直接生産者の大衆に、彼らの生産の社会的性格が、厳格に規制する権威の形態において、また労働過程の完全な階位制として編成された社会的な機構の形態において、相対するーー−もっともこの権威の担い手には、労働に対立する労働諸条件の人格化としてのみ、権威が属するのであって、以前の生産形態におけるように政治的または神政的支配者としてではない。……」

というような文章は何回読んでも頭に残らない。具体的にイメージすることができない。だが佐藤氏がゴルバチョフ時代の末期には冷蔵庫がマルボロ3カートンと交換することができた、というような体験を持ち出して解説し始めると商品と価格というのはこういう関係にあるんだ、と納得できる。

意外なことにマルクスは資本主義社会の構成要因(商品、労働力、価格、貨幣等々)について詳細に研究したが革命についてはそれほど本格的には述べていない。「資本論」というのは佐藤氏が言うようにわれわれが生きている社会の成り立ちについて詳細に研究した本である。

原典を読んでみたいとは思うのだが何しろあのような文章では…。


(2014.9.22)

---ブルー・アイランド版 音楽辞典---


青島広志「ブルー・アイランド版 音楽辞典」学研パブリッシング

新聞の書評につられて買ってしまった。

今まで新聞の書評につられて買った本で面白かったものはなかった。この本も同様であった。

中にはほんとにおもしろいと思って取り上げる人もいるだろうが、ほとんどが編集部が選んだ本を書評するのだろうから。

著者は東京芸術大学および大学院修士課程を首席で卒業した作曲家、ピアニスト、東京芸術大学その他の大学の講師でもある。

内容はクラシック音楽周辺の見たり聞いたりしたことを面白く書いたエッセイである。

だが、著者がこれは面白いだろうと書いた事々が専門的すぎてよくわからなかったり、仲間内あるいは身近な人にしかわからないことだったりする。ちなみにブルー・アイランド版というのは青島広志版ということである。

古本屋行きかな。


(2014.9.11)

---日本奥地紀行---


イザべラ・バード「日本奥地紀行」平凡社

渡辺京二の労作「逝きし世の面影」にも採りあげられた本だ。

イザベラ・バードという47才のイギリス人女性が明治11年の日本を旅する。

文明開化後11年目の日本だ。江戸時代の日本人の暮らしがまだ残っている。

どうして普通のイギリスの女性が一人で未開地の日本を旅しようと思ったのか。そのことに関してはほとんど書いていない。横浜に滞在していた著者が伊藤という若い日本人を雇って北海道を目指すという行為しか書かれていない。

現在でも家の近くにイギリス人女性が一人で住んでいれば興味がわくと思うが、当時の日本では生まれてから外国人を一度も見たことがない者ばかりだ。旅館に泊まると数十人の泊り客が彼女を見に来る。障子に穴を開けるばかりか平気で障子を開ける者もいる。数ヶ月間の旅行中ずっとそうなのだから参ったのではないかと思う。

彼女が見た日本人はまさに原住民だ。この本を読む現代の日本人はむしろ著者の側に近いから当時の日本人の生活や考え方を興味深く感じるだろう。

「逝きし世の面影」だ。そこには田舎者でナイーブな、日本人の原型のようなものがある。

外国の女性が日本人の供を一人連れただけで何ヶ月も旅して一度も難に会わない。当時の世界でそのような国は日本だけだったのではないだろうか。著者もはじめはびくびくしていたが、途中からそのことに気づき安心して旅している。

旅は北海道のアイヌ人の集落にたどり着いたところで終わる。

その後著者は清国、クルディスタン、ペルシャ、チベット、朝鮮を旅し、その間何度も日本を訪れている。イギリス・ヨークシャーで牧師の長女として生まれた女性が73才で没するまで旅から旅の生活を続けたわけを知りたければ他の本を読まなければならない。


(2014.9.10)

---魔の山---


トーマス・マン「魔の山」(上)新潮文庫トーマス・マン「魔の山」(下)新潮文庫

長い物語は人生のようだ。
いつ果てることもなく続く。
そして必ず終わりが来る。

長い物語を読み終えたときは、人生の一区切りがついた気がする。

ハンス・カストルプの人生のある時期の7年間はスイス・ダヴォスの結核療養所ベルクホーフにいた。
その後彼は戦火のヨーロッパへ降りていく。
そして新たな人生を歩み始める。


作者はなぜハンスのこの時期の生活を小説に取り上げたのか。
戦火のヨーロッパのほうがよほど変化に富んでいると思うのだが。

何事もなく過ぎていく療養生活。
その中にも豊かな人生がある、と作者は確信している。

セテムブリーニとナフタの論争はまるで戦争のようだ。
どうしようもなく低俗な婦人がいる。
恋愛の対象がいる。
純粋な若者がいる。
ひがみっぽい若者がいる。
大人物がいる。
どこにいようとも人間がいる限り人生模様がある。 作者はそう確信している。


(2014.8.21)

---バスカヴィル家の犬---


コナン・ドイル「バスカヴィル家の犬」河出文庫

シャーロック・ホームズ物の短編集「シャーロック・ホームズの冒険」に続いて「バスカヴィル家の犬」を読んだ。

短編に比べて間延びがしているし、話の展開にも無理があると感じた。
ご都合主義なところがあるのだ。昼間の話のはずがいつの間にか夜になっていたり、何日も野宿をしているのにすっきりした格好をしていたり、調査するのに野宿をする必要もないのに野宿をしたり、………。

とはいいつつも、イギリス、デヴォンシャーのムーア(湿原)の描写は素晴らしい。

湿地帯の小道を口から火を噴きながら疾走する黒い怪物のイメージはいくつかの欠点を覆い隠すほど強烈だ。

黒い怪物とホームズのあざやかな推理の印象が強いが、本作の中心となっているのは男女間のドロドロした関係だ。
ホームズものには意外にそういう話が多い。


(2014.5.24)

---シャーロック・ホームズの冒険---


コナン・ドイル「シャーロック・ホームズの冒険」河出文庫

久しぶりにシャーロック・ホームズ物の短編集「シャーロック・ホームズの冒険」を読んだ。

面白かった。

事件を解決するときの推理には改めて感心することはなかったが、19世紀後半のロンドンの様子が興味深く、夢中で読んでしまった。

漱石を読むときに明治の人々の生活や言葉遣いが興味深く感じられるのと同様である。

年表を見ると漱石がロンドンに留学していた1902年に「高名な依頼人」事件が起こっている。
漱石とホームズは同時代人なのだ。

今回読んだ小林司・東山あかね訳の解説で、ホームズものにはコナン・ドイルの心理的なトラウマが詰まっているという論証があった。


シドニー・パジェットの描いたホームズの肖像(1904年)

シドニー・パジェットの描いたホームズの肖像(1904年)

ドイルが若いころ父親はアル中による精神障害で入院し、母親は下宿していた年下の医者と不倫する。そのことがホームズ物に微妙に反映している。母親と同じ"メアリ"という名前の女性が出てくると必ず悲惨な運命をたどる。大柄で乱暴な男が出てくると母親と不倫した医者がモデルである。

ホームズ物に古き良き時代を求めて読み進めていると、意外に残酷な描写や救いのないストーリーに出会ったりする。 ドイルは大人のためのおとぎ話を書いたつもりでいつの間にか鬱積した気持ちのはけ口を求めて書いていたらしい。

口当たりの良いだけの話では古典として残ることは不可能であったろう。


(2014.5.15)

---ハムレット---


シェイクスピア「ハムレット」新潮文庫

有名な作品の割には読んだことがなかった。

読んでみて自分のイメージしていたハムレットと違っていることに気が付いた。 そこにいたのは「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」と悩む王子ではなく、饒舌(じょうぜつ)で行動的な若者であった。

考えながら行動し、行動しながら考えるという現代風の若者としてのハムレットがいた。 そしてヒロインのオフィーリア、16才。この娘はハムレットの言葉に一喜一憂し、自分の命を散らせてしまう。 どちらも運命に翻弄されるのだが、ひとりは立ち向かい、ひとりはなすすべもない。

イギリスに送られ、暗殺されそうになったハムレットが密書を奪い取りそれを逆用して逃げ帰ったり、墓穴の中でオフィーリアの兄と素手の戦いをしたりする。
やりようによってはエロール・フリン主演の冒険活劇映画のようにも作ることもできるのではないか。

行動し破滅するハムレットは同時代の作家セルバンテスの作品の主人公ドン・キホーテと印象が重なる部分がある。

世間で膾炙(かいしゃ)されているハムレットのイメージは世間の誰かが作り上げたものであり、自分以外の人のイメージであることが分かった。
こういうことはほかのことでもあるのではないか。

(2014.5.9)

---ドン・キホーテ 後篇---


セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

2月から読み始めた「ドン・キホーテ」、今日で読了した。

長いと思った6冊も読み終えてみるとあっという間だった。
ただただセルバンテスの想像力の豊かさに圧倒されていた。想像力だけではない、人生経験の豊富さが話に重みを与えている。

騎士物語を読みすぎて頭のおかしくなった郷士ドン・キホーテの精神の高貴さ、村の百姓のサンチョ・パンサの生きるための知恵の豊富さ。この二人の延々と続く会話の面白さ。

ドストエフスキーは「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しいこの書物」と評した。

セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

そしてこの物語を下敷きにして「白痴」を書いた。

漱石はこの物語を英語版で読んでいる。

そして「行人」を書いた。(たぶん)

ウィリアム・フォークナーは毎年必ず『ドン・キホーテ』を読んだという。

ドン・キホーテは影響力が強い。

セルバンテスはこの本を哲学的な目的で書いたのではない。

 

セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

だが、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのまわりで乱れ飛ぶ会話の嵐にはいくらでも深読みできるだけのものが含まれている。

セルバンテスは波乱万丈の、最後まで金銭的には恵まれなかった自分の人生の中からそのエッセンスをドン・キホーテの物語として残してくれた。

我々はドン・キホーテを読むだけでよい。

そこにはセルバンテスの数奇な体験から生み出されたエッセンスが詰まっている。

 

セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

風車へ突撃し、投げ出される
ドンキホーテ
(ギュスターヴ・ドレ画)



(2014.5.1)

---ドン・キホーテ 前篇---


セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

お話の宝庫”ドン・キホーテ”の前篇三冊を読了した。

ドン・キホーテも亡くなり、ひと区切りついたのでまとめておく。 亡くなったとはいえまだドン・キホーテの物語は後篇三冊分が残っている。

どのようにでも物語を語ってしまうのがセルバンテスの凄いところだ。

ドン・キホーテが出ようが出まいがセルバンテスのお話は途切れることがない。

印象的な話がある。

ある貴族が理想の妻をめとった。だが彼は次第に飽き足らなくなってくる。自分の妻は本当に自分に貞淑なのか?

セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

親友に妻の貞節を試してもらい、さらに満足したくなる。親友は反対する。間違いなくあなたの奥さんは貞淑なのだから試すまでもない。いやそれはわかっている。わかっているからさらに君に試してもらい、満足したいのだ。

口論は果てしもなく続くがとうとう根負けした親友は試すことになる。

そして…、という話だ。

どこかで聞いたことがある。漱石の”行人”だ。

”行人”では兄が弟に妻の貞節を試させる。へー、漱石は”ドン・キホーテ”を読んでいたのかな?

セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

読書家の漱石はドストエフスキーの”罪と罰”やニーチェの”ツァラトゥストラはかく語りき”を読んでいた記述があるから、”ドン・キホーテ”を読んでいても不思議はない。

漱石が”愚かな物好きの話”を利用したかどうかはわからないが、ここには漱石も使いたくなるような前代未聞の話が35話出てくる。登場人物の数もトルストイの”戦争と平和”の550人を上回る650人の人物が出てくる。

セルバンテス自身も”ここでは<<捕虜>>がおのれの身の上話をする”の話の中に出てくる。セルバンテスはガレー船の奴隷を5年間している。自分の体験を三話にわたって語っている。転んでもただでは起きない。


セルバンテス「ドン・キホーテ」岩波文庫

セルバンテスの人生そのものが ”ドン・キホーテ”の世界なのだ。



騎士道旅立ちの晩、
宿の中庭で甲冑の不寝番
をするドンキホーテ
(ギュスターヴ・ドレ画)



(2014.3.25)

---吾輩は猫である---


夏目漱石「吾輩は猫である」新潮文庫

学生時代から繰り返し読んでいる。

何回も読むとだんだん猫の姿が薄くなってきて透明になってしまう。 代わりに浮かび上がってくるのは当時漱石の家に集まってきた人々の姿である。 高校教師時代の生徒、大学教授時代の学生たちが恩師を慕って集まりいろいろなことを駄弁(だべ)るのである。回数が増えて仕事に差し支えてきたので木曜日に限って集まることになり、木曜会といわれた。寺田寅彦、内田百閨A安倍能成、森田草平、鈴木三重吉、小宮豊隆、阿部次郎、岩波茂雄等々、今から見れば錚々(そうそう)たるメンバーだが当時は学生に毛がはえた程度の若者たちだったろう。

そこでどのような話が出たのかが垣間見えるのが”猫”である。

団栗(どんぐり)のスタビリチー、首(くく)りの力学、暮れそうで暮れない夕日の話、トチメンボーを注文する話、蛇飯の話、女の子を天秤棒に担いで売りに来る話…。才気のある弟子たちからこのような話がどんどん出てきたに違いない。

内づらが悪いので有名な漱石のことだから外づらは良かったに違いない。弟子たちから出るいろいろな話を楽しそうに聴いていたに違いない。 そこには恩師と弟子たちの暖かい交流があった。この本を読むたびにその雰囲気に浸るのである。

そのほか猫が銭湯に忍び込んで中の様子を実況中継する話、台所を日本海海戦に見立ててねずみと戦う話、などの描写力はさすが漱石。まるで目の前に繰り広げられるような迫力である。漱石はミステリーや冒険小説を書いても一流だったに違いない。

私は漱石の”坑夫”はハードボイルドだと思っている。一人称で繰り広げられる非人情の世界は27才年下のダシール・ハメットに影響を与えたのではないか、という空想をするのも楽しい。

夏目漱石「吾輩は猫である」角川文庫 夏目漱石「吾輩は猫である」旺文社文庫 夏目漱石「坑夫」新潮文庫 夏目漱石「坑夫」角川文庫

(2014.2.17)

---ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士---


スティーグ・ラーソン「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

ミレニアム1は孤島密室もの、ミレニアム2はマルティン・ベックシリーズも顔負けの警察ものであった。本作はフレデリック・フォーサイスなみのポリティカル・サスペンスあるいはペリー・メイスンもびっくりの法廷ものである。登場人物はおなじみの雑誌ミレニアムの編集者ミカエルとその仲間たち。そして前作で頭を撃たれてほとんど病院で寝ているだけのリスベット。

後半ではやっと立ち上がれるようになったリスベットがミカエルに絡んでくる。このシリーズでは女主人公リスベットがミカエルに絡みだすと急に話が流れ出すという特徴を持っている。流れ出すというより濁流となって荒れ狂うというほうがいいかもしれない。

法廷の場面ではまさにリスベットの独壇場となり、おかげで睡眠時間を削ることになってしまった。リスベットとテレボリアンの対決シーンで本を閉じることなど不可能だ。

ということで本作も3日で読んでしまいお楽しみの時間が終わってしまった。スティーグ・ラーソンが5部完結のシリーズを書き始め、第3部を書いたところで亡くなってしまったからだ。50才で死ぬなんて早すぎる。この3部作を時々読み返すしかしようがない。

(2014.2.5)

---ミレニアム2 火と戯れる女---


スティーグ・ラーソン「ミレニアム2 火と戯れる女」

ミレニアム1が本格推理物の味わいであったのに対して本作は警察ものの味わいで書かれている。読者は雑誌ミレニアムの編集者ミカエルとともに連続殺人犯を追う。読者は初めから緊迫した状態に置かれる。そして事件にリスベットが絡んでくると前作同様物語のスピードにアクセルがかかる。そこから先はジェットコースター並みの展開になる。

この巻で謎の多い女主人公リスベットの生い立ちが明らかになる。そして本当の敵が誰かも…。

前作は読了まで1週間と1日かかったが本作は3日で読んでしまった。

(2014.2.2)

---カーテン---


アガサ・クリスティー「カーテン」

ポワロの死というセンセーショナルな宣伝で発売されたのは何年前だったろうか。後付けを見ると1975年と書いてある。もう40年近く前の話だ。 クリスティーはもういいやという気分だったので当時は無視した。

今回読んでみてクリスティーは面白い、と思った。

例によって無駄と思われる会話の連続だ。ところが最後になると無駄な描写など全然なかったことに気付く。クリスティーの独壇場だ。

この物語でエルキュール・ポワロは死ぬ。場所はあのスタイルズ荘だ。しかも最後まで読むとあの事件と微妙にシンクロナイズしているのに気付かされる。クリスティーの名人芸だ。

(2014.1.28)

---ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女---


スティーグ・ラーソン「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

世界中でベストセラーになり、映画化もされた作品ということで敬遠していたのだが丸谷才一のお勧め本の中に入っていて何やら面白そうなので読んでみた。

結果、これは面白かった。

前半は登場人物の紹介を兼ねてかなりじっくりと進む。後半は登場人物が動き出し、止まらなくなってくる。特にドラゴンタトゥーの女、リスベットが動き出すと目を離せなくなる。前編を読むのに6日かかり、後編は1日で読んでしまった。

基本は探偵小説なのだが、女主人公が精神的な病を持っていたり、男の主人公が会社を経営していてあることから経営が行き詰ってきたり、といった現代的な要素を巧みに織り込んで読者の好奇心をあおりながら物語は進んでいく。

密室と化した孤島から女性がどのように消えたか、そのことと40年前から断続的に発生する猟奇的な殺人事件とのかかわりは? 真実に近づくにつれ主人公たちに迫る危機、と手に汗を握る。

丸谷才一が熱心に勧めるだけのことはあった。

(2014.1.28)

---サニーサイドジャズカフェの逆襲---


寺嶋靖国「サニーサイドジャズカフェの逆襲」

ミステリーの評論では北上次郎、丸谷才一という人たちの勧める本は買わずにはいられなくなる。

同様にジャズの評論ではこの本の著者寺嶋靖国の勧めるアルバムは買わずにはいられなくなる。

元横綱北の富士に似たいい男ではあるがいつも気難しげな表情をしたヒトで、何か一言嫌味なことを言わずにはいられないような雰囲気の人である。身近にこういう人がいたらなるべく近寄らないようにしたいがジャズの評論ではその性格が幸いして他の人が見逃してしまうようなところに注目する。”ジャケ買い”という言葉は著者の本から知った言葉ではないだろうか。ジャケットのデザインが良ければ中身もよい。という著者独特の意見で思わず納得してしまうが実際に買ってみるとそうでもないかな、ということも多い。気にいった曲の入ったアルバムのジャケットが好きになるという逆の現象はたびたび経験しているのだが。

この本はだいぶ以前に買った本で何回も読んでいる。その都度CDを買ってしまうのである。聴いてみるとはてこの曲のどこがそれほどいいんだろうと思うことが多いのだが、本を読み返すたびに買ってしまうのは著者の嫌味な性格が魔力に変化して読者をその気にさせてしまうのだろう。

今回の読書体験から買いたくなったCDは以下のとおりである。

  • アキコ・グレース 「フロム・ニューヨーク」
  • チコ・ハミルトン 「ブルー・サンズ」
  • ジュリー・ロンドン 「オール・スルー・ザ・ナイト」
  • ユタ・ヒップ 「ユタ・ヒップアット・ザ・ヒッコリー・ハウスvol.1」
  • 屋良文雄 「屋良文雄カルテットライブ」
  • フランク・シナトラ 「スイング・イージー」
  • カーリン・アリソン 「イン・ブルー」
(2014.1.18)

---快楽としてのミステリー---


丸谷才一「快楽としてのミステリー」

著者は少数の小説と多数の評論を書いている。

小説では評判になった『裏声で歌へ君が代』を読んだが、特に感銘を受けなかった。

数ある評論のうち『女性対男性』『男のポケット』『深夜の散歩』『探偵たちよスパイたちよ』『文学全集を立ちあげる』『私の選んだ文庫ベスト3』 を読んだがどれも面白かった。翻訳書も『ボートの三人男』『長距離走者の孤独』を著者の翻訳とは知らずに読んでいた。

本書はミステリーの書評で中身を確認しなくても面白いことが分かっているので迷わず購入した。

著者の推薦するミステリーはどれもおもしろそうで全部読みたくなる。だがミステリーの書評というのは面白そうに書くのが鉄則であることと、書評を書いた本人しかその面白味が分からないということもままある。全部購入したとしてそのうち何割が自分にとって面白かったかというと意外と確率は低いのだ。

これはぜひ読んでみたいと思った本は以下のとおりである。

  • 「素晴らしき犯罪」 クレイグ・ライス
  • 「横断」 ディック・フランシス
  • 「運転席」 ミュリエル・スパーク
  • 「日曜日は埋葬しない」 フレッド・カサック
  • 「わたしの愛した悪女」 パトリック・クェンティン
  • 「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」 J.M.ケイン
  • 「ネゴシェイター」 フレデリック・フォーサイス
  • 「罪なき血」 P.D.ジェイムズ
  • 「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」 ニコラス・メイヤー
  • 「カーテン」 アガサ・クリスティー
  • 「戦慄」 アントニー・バージェス
  • 「チェルシー連続殺人事件」 ライオネル・デヴィッドソン
  • 「トリプル」 ケン・フォレット
  • 「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」 スティーグ・ラーソン

幸い今年は始まったばかりである。久しぶりにミステリー三昧の年にしてみようか。

(2014.1.18)

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