これはフリッツ・フォン・エリックというナチス・ドイツ風の名前でアイアンクローというプロレス史上最も恐ろしい技(武器)を使って一世を風靡し、地位と名誉と富を築き上げた男の栄光と没落の物語である。同時に強烈な父親を持つが故に滅亡せざるを得なかった息子たちの物語でもある。
フリッツ・フォン・エリックには6人の息子たちがいた。そのうちひとりが5才の時に事故死、二人が自殺、二人が薬をやりすぎて衰弱死した。生き残ったのはたった一人、次男のケビンのみであった。
ケビンは結婚し、4人の子供たちと13人の孫を持った。ここから新しいドラマは始まる。というところで映画は終わった。
実生活でのフリッツ・フォン・エリックは、その後離婚し、一人きりで68才の生涯を閉じた。
フリッツ・フォン・エリックを演じたホルト・マッキャラニーは映画の冒頭で迫力満点のプロレスシーンを演じた。本物顔負けの迫力であった。アイアンクローをかける時の表情も本物を思わせる迫力であった。
この映画で監督は一人の男の没落の歴史を描くか、強力な父親に対する兄弟の団結力を描くか、兄弟のそれぞれが父親の期待と圧力によって精神的に衰弱していく状態を描くか、いずれかを選ばなければならなかった。クリント・イーストウッド監督ならそうしたのではないだろうか。
筆者ならホルト・マッキャラニーを主役に据えて、フリッツ・フォン・エリックという個性的なレスラーの栄光と没落する有様を描くだろう。
主役のケビン・フォン・エリックを演じたザック・エフロンは完璧な肉体を作り上げた。まさにプロレスラーの肉体だった。。
兄弟の中で唯一世界チャンピオンになったケリー・フォン・エリックを演じたジェレミー・アレン・ホワイトは身長170センチである。191センチ、120キログラムのヘラクレスのような肉体と、立っているだけで華やかな雰囲気を持つケリーを演じるにはだいぶ役不足であった。。
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小学校に上がる前、祖父に連れられて近所のテレビのある家にプロレスを見に行った。行くとその家の奥さんが、見にきた20人ほどの観客にカルピスを配っていた。
当時テレビのある家は限られていた。20軒に1軒くらいしかなかったのではなかろうか。当時テレビと内風呂の普及率は同じくらいだったのではなかろうか。我が家にはテレビも風呂もなかった。
当時のプロレスの主役は力道山とルー・テーズだった。シャープ兄弟もいたかもしれない。デストロイヤーはいたが、フリッツ・フォン・エリックはまだいなかった。
祖父はプロレスの専門誌「ゴング」を毎月購入していたので、プロレスの知識はそれから得ていた。
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フリッツ・フォン・エリックが来日したのはジャイアント馬場の時代だった。この試合は自宅のテレビで、リアルタイムで見ていた。テレビはこの時代には、ほぼ全ての家庭に普及していた。
この後、フリッツ・フォン・エリックの手が馬場の額をとらえ、額から血が噴き出ることになる。テレビではそれをアップで映していた。あまりの恐ろしさに震えた。震えはしばらく止まらなかった。
デストロイヤーやクラッシャー・リソワスキーも怖かったが、この時のフリッツ・フォン・エリックが一番恐ろしかった。
何年後かにフリッツの息子たち、ケビンや世界チャンピオンになったケリー、デビッド、が出てきた。皆ベビー・フェイス(善玉)で、それぞれ強かったが、オヤジほどの凄みはなかつた。
(2024.4.11)
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