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---秋刀魚の味---


チラシ1

小津安二郎最後の作品である。1962年作、カラー作品。主演は笠智衆。

笠智衆扮する初老の男(地位は高い、会社の部長以上)の環世界を描きながら、同時に嫁ぐ娘を送る父親を描く。

主人公は3つの世界の中で生きている。ひとつは会社における重役としての世界。ひとつは学生時代からの友人3人の世界。ひとつは家族(長女と次男)に囲まれた世界。

主人公は酒を飲む。友人たちとは料亭の座敷で、一人で飲むときは場末のバーで。

平穏無事な世界は長女の結婚問題から揺らぎ始める。長女と次男と自分が暮らしていた世界から長女が嫁いでいく。結婚式の晩酔って帰ってきた主人公はひとり台所で水を飲む。

淡々とした映画なのに自分が主人公になったような気持ちになる。笠智衆は大げさな演技や説明的なセリフは一切しない。アメリカ映画の名優(たとえばヘンリー・フォンダ)のように体全体で演技する。ただ水を飲んでいるだけのシーンなのに泣いているように感じる。

岩下志麻扮する娘が花嫁衣装のままひざまづいて父親に挨拶するシーン。ありきたりのセリフは一切ない。ひざまづいた岩下に対して父親の笠はしゃがみこんで「わかった、わかった。もうよい。さあ、行こうか」という。岩下に一言も言わせず、涙も無い。

俳優たちが大げさな演技をしなかったせいで、こちらが恥ずかしい思いをしないばかりか、画面の父親の代わりに感極まってしまった。

小津監督の演出は全編にわたって的確で一瞬の崩れもない。

(2018.12.27)

---長屋紳士録---


チラシ1

小津安二郎1947年の作である。主演は飯田蝶子。共演者は笠智衆、河村惣吉、坂本武、小沢栄太郎、殿山泰司、、、。ただし小沢栄太郎と殿山泰司は若すぎてわからない。笠智衆も若く、青年だが容貌は我々のよく知っている笠智衆である。

この映画の見所は飯田蝶子と迷子の少年とのやりとりである。

飯田蝶子はいかにも東京の下町のおばさんで短気で早口、でも人はいい。笠智衆が九段下で拾ってきた迷子の子供を嫌々ながらあづかることになる。

チラシ2

何日も一緒に暮らすうちに徐々に情が移り、自分のうちの子になるか、と聞く。子供も「うん」と答える。

そこへ探し回っていた子供の父親がたづねてくる。…。

昭和22年制作。ものがない時代である。フィルムの質は悪い。傷だらけだ。それでも下町に住む人々のエゴや人情はひしひしと伝わってくる。映画の根本は脚本と演出だと実感する。

劇中笠智衆が箸を構えながら朗々と歌う「のぞきからくりの歌」が素晴らしい。

(2018.12.17)

---小早川家の秋---


チラシ

小津安二郎晩年の作である。主演は中村鴈治郎。共演者が豪華だ。原節子、新珠三千代、司葉子、小林桂樹、加東大介、森繁久弥、山茶花究、浪花千栄子、杉村春子、等々。

大阪の造り酒屋の隠居を中村鴈治郎が飄々と演じ、その周囲の人々の日常を淡々と表現する。

小津監督は独特のカメラアングルで大阪の古い造り酒屋と京都の料亭を撮る。カメラの位置が低すぎるのではと思うほど低い位置から建物や人物を撮る。

原節子の品の良いたたずまい、新珠三千代のネコ科の動物のような演技に感心する。

亡くなった隠居に対する杉村春子の独白には思わず引き込まれてしまう。

森繁久弥や山茶花究の達者な演技には安定感を覚えたが、監督はこの二人の演技は嫌いだったそうだ。

(2018.12.15)

---恐怖の報酬---


チラシ

原題は"Sorcerer"、魔術師という。ちなみにオリジナルは1955年制作の"恐怖の報酬" でこれは1977年にウイリアム・フリードキン監督によるリメイク版である。

オリジナルの主人公役はイヴ・モンタン、今回はロイ・シェイダー、なんとなく雰囲気が似ている。

監督のウイリアム・フリードキンは"エクソシスト" の監督だけあってオカルティックな映像が数多くあった。一番不気味だったのは古いトラックの中から使えそうな部分だけを組み合わせて作った改造トラックだ。同じ部品が2つとないので、2台のトラックはそれぞれ違う"顔" をしている。暗い背景で見ると幽霊のように見える。

この映画の見所はジャングルり中をニトログリセリンを積んだトラックが走る。走行距離500km。ニトログリセリンだから少しのショックで爆発する。恐怖の運搬だ。

ジャングルの中だからまともな道はない。石ころだらけの道、泥沼のような道、狭い崖の上、これでもかというばかりに障害がある。きわめつけは腐った木でできている吊り橋を渡る。ここで落ちるわけはないと知りつつも手に汗を握ってしまう。

2台のうち1台は成功し、もう1台は…。成功した1台も目的地に着く前にガソリンが尽きてしまう。さて…。話はロールプレイング・ゲームのように新しい局面が展開する。

40年ぶりに再リメーク版が製作中というニュースもあるが…。

(2018.12.5)

---ポヘミアン・ラプソディ---


チラシ

クイーンというのは名前だけ知っていた。代表作はなんという曲かとかは知らなかった。

映画を見て結構聴いた曲があったのは意外だった。メンバーの名前も知らなかったが映画を観てフレディ・マーキュリーという名前を知った。このクイーンのボーカリストが映画の主人公である。

空港で荷物運びをやっていたパキスタン人の移民フレディ・マーキュリーがバンドのメンバーと出会い、脱退したボーカリストに代わって参加する。小柄で冴えない外見のフレディは4オクターブの歌声を持っていた。

バンドが売れるに従い、彼らの自由度も増してくる。フレディは自分がゲイであることに気づく。映画はフレディの私生活とステージを交互に描いていく。

画面

クライマックスは1985年に行われた20世紀最大のチャリティ・コンサートといわれ、衛星中継を通じて全世界で15億人が観たともいわれるライブエイドでの公演である。この20分余のライブは大迫力であった。IMAXの大画面、前から後ろから右から左から出てくる大音量の音楽。ウェンブリー・スタジアムに集まった7万5千人の観客とともにそこにいるような感覚で観ることができた。フレディの熱唱を観ているうちに何やら目から熱いものが…。
まさかロックの曲を聴いてこんなに泣けるとは思わなかった。"We are the Champions" が頭の中で鳴り響いている!!!

(2018.11.30)

---幕末太陽傳---


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11月の神保町シアターのテーマは「女たちの街」ということでさまざまな女たちが生きる街を舞台にした作品を集めている。

今回は今までと少し毛色の変わった作品で「幕末太陽傳」。

川島雄三監督が落語の舞台を凝りに凝って映画化した作品である。使われている落語は「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「大工調べ」「五人廻し」「お見立て」。ファーストシーンが佐平次が酒場で知り合った仲間を連れて品川遊郭に繰り込んでくる。ただで遊んで自分だけ人質で居残ってしまおうという計画である。ラストシーンは佐平次が杢兵衛旦那を墓場に案内し花魁の墓をどれでも好きなのを見立ててくれ、と言って逃げ去っていく。

チラシ

遊郭で起こる様々なエピソードを古典落語から持ってきて間をつなぐというしゃれた趣向である。

佐平次役にフランキー堺、花魁役に南田洋子と左幸子。遊郭の亭主役に金子信雄、その女房に山岡久乃、貸本屋の金造役に小沢昭一、杢兵衛旦那役に市村俊幸。
その他石原裕次郎、小林旭、芦川いづみ、岡田真澄、西村晃、熊倉一雄、殿山泰司、等々。ナレーションに加藤武という超豪華メンバーである。

古典落語を知らなくても楽しめるが、知っていれば2倍楽しめる作品である。

(2018.11.25)

---墨東綺譚---


チラシ

11月の神保町シアターのテーマは「女たちの街」ということでさまざまな女たちが生きる街を舞台にした作品を集めている。

第3週は4編の映画が上映される。今日の作品は「墨東綺譚」。(墨東の墨は本当はサンズイがつく) 永井荷風の代表作の映画化である。

主な舞台は私娼窟玉ノ井である。小説では想像するしか無いが豊田四郎監督はリアルにこの私娼窟を再現している。映画が制作されたのは1960年。赤線が廃止(1956年)されてからまだ間もない時期である。

芥川比呂志扮する中学校の先生が玉ノ井遊郭でお雪という娼婦に出会う。お雪に扮するのは山本富士子である。

チラシ

美人女優で有名な山本富士子であるが明るくて物事を深く考えない娼婦お雪を見事に演じていた。まるで小説から抜け出てきたようだった。
相手役の芥川比呂志はいかにも真面目で融通がきかない先生を演じていたが小説ではこの役は永井荷風自身なのでイメージが大分違っていた。永井荷風はもう少し年上で遊びなれている。

表紙

若い頃の乙羽信子と新珠三千代が出ていた。老け役の乙羽信子しか知らなかったが、若い頃はあまり印象に残らない地味な女優さんだったようだ。
またこの頃の新珠三千代は文字通りクールビューティだった。

「渡り鳥いつ帰る」で印象に残る娼婦役を演じた淡路恵子が出ていた。今回の映画では地味な印象しか残らなかった。女優は監督の撮りかたによって映画の映り具合がぜんぜん違うものだと思った。この映画は始めから終わりまですべての画面、山本富士子を撮ったものだろう。

(2018.11.17)

---渡り鳥いつ帰る---


チラシ

11月の神保町シアターのテーマは「女たちの街」ということでさまざまな女たちが生きる街を舞台にした作品を集めている。

第1週は4編の映画が上映される。今日の作品は「渡り鳥いつ帰る」。永井荷風の小説「春情鳩の街」「にぎりめし」「渡り鳥いつかへる」を久保田万太郎が構成してひとつの脚本にまとめた作品である。

主な舞台は鳩の街と呼ばれた赤線地帯である。現在は残っていないが場所としては東武亀戸線「東向島駅」と荒川の間あたりだろう。映画にも荒川は重要な舞台として登場する。森繁久弥扮する娼家の主人が酔っ払って最後を遂げるのも荒川である。

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娼家の女将に扮したのが田中絹代である。晩年の彼女しか知らないが中年の時の彼女の演技は実にエネルギッシュで圧倒された。売笑婦役の淡路恵子はこの時22才。溢れるようなお色気に圧倒された。森繁久弥はこの時42才。得意のダメ男をこれでもかとばかり演じていて迫力があった。小鳥の餌を擦りながら離婚届に印鑑を押すのをぬらりくらりとかわす演技は観ているこちかがイライラするほど見事だった。

岡田茉莉子が赤線を抜け出して自立しようとする前向きな女性を演じていた。この時代の岡田茉莉子と久我美子は吉永小百合が出てくる前の真面目で前向きな女性役ができる女優の代表だったのだろう。

上映時間2時間9分は1時間半が平均的な上映時間だった当時としては大作映画である。

(2018.11.9)

---芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏---


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11月の神保町シアターのテーマは「女たちの街」ということでさまざまな女たちが生きる街を舞台にした作品を集めている。

第1週は4編の映画が上映される。今日の作品は「芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏」。青柳信雄監督、岡田茉莉子、森繁久弥、志村喬、沢村貞子、杉村春子という豪華な出演者たちが楽しめる作品である。本作品は芸者小夏シリーズの2作目である。

物語は若い芸者小夏が大会社の社長に引かされてお妾さんになるが、社長が急死してしまう。元の芸者に戻ろうかどうしようかと考えているところに2代目の社長が目を付ける。結局2代目の社長の妾になり…。2代目の社長役に志村喬、伝達役の課長に森繁久弥が扮する。小夏役に扮したのが22才の岡田茉莉子。彼女が一番綺麗な時の映画であろう。彼女を観るだけでも一見の価値がある。必然性のまるでない入浴シーンもある。

チラシ

映画としてはシリアスでもなく喜劇でもなく、風俗映画といった感じである。1955年(昭和30年)の伊豆や渋谷の街並みや道路、芸者の置き屋の様子などは興味深かった。

森繁久弥は同時期に社長シリーズに出演しているので使い走り役では配役として軽い感じがした。志村喬は妾を持つには真面目な風貌が邪魔をしていた。時々使う関西弁が様にならずとってつけたようだった。森繁久弥がこの役をやったらかなりシビアな作品になったろうと思うが、それでは舟橋聖一原作の雰囲気を変えてしまうのであえて回避したのではないか。

(2018.11.7)

---トップガン---


チラシ

1986年最大の話題作、原題も「TOP GUN」。米軍最高のパイロットを養成する訓練学校のことである。

「アウトサイダー」で若者たちの一人として出ていたトム・クルーズがスターになる足がかりとして出演し、この作品のあとポール・ニューマンと「ハスラー2」、ダスティン・ホフマンと「レインマン」に立て続けに共演して大スターになった。一人の役者がジャンプする前に勢いをつけて助走しているときの瞬間を記録した作品である。

監督もそれを意識してかかっこいい主人公役をトムにひたすらかっこよく演じさせている。劇中でトムが味わう挫折でさえかっこよく生きるための味付けとしか感じられない。

相手役のケリー・マクギリスは「刑事ジョン・ブック」でアーミッシュの女性を演じ注目された女優である。素朴なアーミッシュの女性役はぴったりだったが今回のパイロットの教官役はもの足りなかった。

「恋人たちの予感」で表舞台に出る前のメグ・ライアンが副主人公の奥さん役で出ていた。後の大女優もちょい役で出るときにはそれなりの演技しかしていないものだ。

(2018.9.17)

---判決、ふたつの希望---


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原題は「The Insult」。"侮辱"。ちょっとした街中でのけんかが元で裁判ざたになっていく。

普通なら裁判にまでは行かないだろうと思われるが場所がレバノンでケンカ相手がレバノン人とパレスチナ難民ではただでは治まらない。挙句の果ては民族紛争にまでなりかねない。

裁判になるとお互いの性格やら生まれた場所、過去の揉め事等々洗いざらい調べられる。二人の抗争相手は相手の生まれや育ち過去の様々なことを知るに連れ、裁判を続けることに嫌気が差してくる。

裁判の内容が報道されるに連れ、街に住むレバノン人とパレスチナ人の抗争にまで発展する。訴えたレバノン人も嫌がらせを受ける。

裁判の結果は…。裁判所を出るレバノン人とパレスチナ人のふたりは眼と眼でうなづきあう。後味の良い終わり方だ。

個人と個人の争いでさえこんなふうでは中東での様々な紛争はちょっとやそっとでは治まりそうもないな、と感じた。

(2018.8.31)


---タリーと私の秘密の時間---


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原題は「Tully」。邦題はネタバレになりかねないギリギリの題名だ。ファンタジーと誤解される恐れもある。

3人目の子供が生まれたばかりのマーロは毎日の生活にてんてこ舞いだ。ある日耐えられなくなったマーロは夜間のベビーシッターを雇うことにする。

訪ねてきたベビーシッター、タリーは驚くほど若く派手な雰囲気の女性で経験がありそうに見えない。だが赤ちゃんの扱い方は驚くほどうまい。

マーロはタリーが来てから精神的にも肉体的にも以前よりずっと楽になる。ふたりのいいペースは長くは続かない。タリーが突然辞めると言い出したのだ。

この話はファンタジーではない。リアルすぎるほどリアルな話だ。ハッピーエンドのように見えるがハッピーエンドでもない。現実の世界をそのままに写し出した映画である。

主演のシャーリーズ・セロンは40才を過ぎて3子目を生む女性を演ずるために体重を18キロ増やして撮影に望んだ。ロバート・デニーロ並みの体型の変化には驚くばかりだった。

「Tully」はこれから子供を生む若い夫婦に、特に夫に是非見てほしい映画である。

(2018.8.26)

---追想---


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原題は「On Chesil Beach」。結婚したばかりのふたりはこの海岸で口論して別かれる。結婚式を上げてから6時間後のことだ。

イギリス南部の人気のない海岸。映画はこの海岸を俯瞰したシーンから始まる。日本では見られないような美しい海岸である。

原作はイアン・マキューアン。イギリス映画「つぐない」の原作者でもある。本映画の主人公役のシアーシャ・ローナンは13才のとき「つぐない」に重要な役で出演している。

前作でも複雑な性格の女の子を演じたシアーシャは本作でも音楽家の女性の複雑な内面を表現している。

単純な映画なら性の不一致ということで片付けてしまうのだろうが、そんな簡単なものではない。映画はふたりが付き合い始めてからのことを"追想"という形で表現している。

海岸で別れたふたりは50年後ふとしたことから再会する。舞台上の演奏者と観客として。

ふたりの人生は片方は絵に描いたような幸せになり、もう片方は孤独だが自由に生きる。イギリス的なホロ苦い結末である。

映画サイトの点数は低いがこういう映画は好きである。

(2018.8.25)

---グリース---


ポスター

ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン=ジョンのミュージカル映画である。

映画はイラストと共にフランキー・ヴァリ歌う主題歌「グリース」で始まる。この導入シーンだけでこれから始まる映画のすべてを表している。

話の筋はあってないようなもの。ごきげんな歌とトラボルタのキレの良いダンス。これに尽きる。大体高校生の話しなのに主演のトラボルタ、24才、オリビア・ニュートン=ジョン、29才。助演女優のストッカード・チャニングに至っては34才なのだ。リアルな高校生の生活を描く映画では初めからない。

もともとは舞台のミュージカルだったものを映画化したわけだから主題歌の「グリース」はじめ名曲揃いだ。

ポスター

中でもラストシーンでトラボルタとオリビアがデュエットする「愛のデュエット」がいい。曲に入る前のトラボルタの動きがすでにリズムに乗っていて期待感を抱かせる。

トラボルタとオリビアがそれぞれに歌う「思い出のサマーナイツ」もいい。トラボルタの歌がうまいのに驚かされる。

映画が作られたのは1978年だが舞台は1950年代のアメリカ。50年代のアメリカを描いた作品は数多くあるがこの映画はジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」と並ぶ青春映画の名作である。

(2018.8.24)

---カメラを止めるな!---


ポスター

大作「用心棒」「椿三十郎」の次が制作費300万円の超低予算映画「カメラを止めるな!」である。どちらも面白いのだから映画って不思議だ。

はじめにベタなゾンビ映画「ONE CUT OF THE DEAD」を40分近く見せられる。フイルムは荒いし俳優のセリフもたどたどしい。おっ、と思わせるのはフイルムをつないでいない。40分間ワンカットなのだ。

まさかこれだけ、と思っていると「ONE CUT OF THE DEAD」は終わり、エンドクレジットも出る。

さて、映画はここから始まる。フイルムは普通だし、俳優のセリフもスムーズだ。

「フムフム」と見ているとでここから凝りに凝った伏線を回収し始める。

後半は笑い、涙、笑い、涙。引きつけを起こしそうになった。ラストシーンでは拍手したくなった。いやはや。

制作費が少なくても脚本が良ければ観客に感動を与えることができる。映画というのは不思議な芸術だと思った。

(2018.8.3)

---椿三十郎---


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「用心棒」の続編である。4Kデジタルリマスター版なので本作品も画面が明確になりセリフが聞き取りやすい。おかげでオリジナルでは潰れて聞き取りにくかった役者のセリフが聞き取りやすくなった。

以前は「用心棒」より本作の方が話がわかりやすく、殺陣も派手なので好きな作品だった。今回2作品を比べてみて「用心棒」の方が優れていると思った。

黒澤明監督にとって殺陣は観客へのサービスであり、メインではない。黒澤監督が描きたかったのは地獄から来たような主人公の複雑な性格である。

「用心棒」では土屋嘉男扮する女房を盗られた百姓に向かって「おまえのような奴を見るとムカムカする。早く行ってしまえ」と言い、本作では若侍たちに「おまえら、俺のような剥き身の刀になるなよ」と言う。

常人より強いポテンシャルを持つがゆえに通常の社会に適合できない主人公の苛立ちを三船敏郎はうまく表現していた。これは監督黒澤明の本音であり、主役三船敏郎の本音でもあったろう。二人が作り上げた三十郎という人物が画面の中で生き生きしているのは当然のことである。

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映画館で観るにあたってラストシーンの決闘シーンをユーチューブで何度もおさらいして行った。
絶対見届けるぞ。

スローモーションで見ても視認不可能といわれる三船の居合抜きはあまりにも速く、瞬きをする間に全てが終わってしまっていた。

(2018.7.11)

---用心棒---


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今回4Kデジタルリマスター版で見て初めてこの映画の素晴らしさがわかった。画面が明確になりセリフが聞き取りやすくなった。革命的な技術だと思う。

画面の細部にまで凝っているし、セリフにユーモアがある。オリジナルではそれらが分かりにくかったのでこの映画の真価が理解できなかった。

冒頭どこからともなくやってきて、ある村のいざこざを整理したらどこかへ去っていく主人公は人間とは思えない。クリント・イーストウッドが「ペイル・ライダー」で表現したようにこの男は亡霊なのかもしれない。一応、桑畑三十郎と名乗るが本名とは思えない。別の場所へ行ったら椿三十郎と名乗るわけだから。

細部といえば三十郎が"閂(かんぬき)"に拷問され、血みどろになって床下を逃げ回るシーンがある。床の上を追っ手のヤクザどもが走り回る。三十郎にはドコドコドコドコという音しか聞こえない。その音がまるで地獄からの追っ手のように聞こえる。

瀕死の三十郎を棺桶の中に入れ、唯一の味方である一膳飯屋のオヤジが墓場まで運んでくる。墓場で蓋を開けて出てきた三十郎の顔を見てあまりの変わりように恐れおののく。このシーンを見て落語「らくだ」のらくだの死骸を墓場までかついでいくシーンを思い出した。黒澤明は落語「らくだ」か「黄金餅」の棺桶を運ぶシーンを思い描いていたに違いない。

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この作品の三船敏郎の無精髭は「荒野のガンマン」以後の主人公の無精髭に受け継がれ、番太の半助役の沢村いき雄のイメージは「続・夕陽のガンマン」でのイーライ・ウォラックのイメージに受け継がれている。

黒澤はこの映画に娯楽映画のすべてのものを詰め込んでしまおうと思ったに違いない。この一編の映画に詰め込まれた小ネタの数々がその後に作られたマカロニ・ウエスタンや本場の西部劇にばらまかれているのだから。

(2018.6.29)

---マルクス・エンゲルス---


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原題は「The Young Karl Marx」であるが、日本の題名の方が映画の内容に近い。マルクスとエンゲルスの登場する場面がほぼ同数である。むしろエンゲルスの方が活躍するシーンが多い。

映画の時点でマルクスは「資本論」を書いていない。エンゲルス主導で「共産党宣言」を発表するまでの話である。

映画は共産主義同盟がどのようにして生まれたかを描いている。産業革命以後もヨーロッパの労働者は資本家に搾取され貧しい暮らしをしている。産業革命で潤ったのは資本家のみであった。ドイツの紡績工場の息子に生まれたエンゲルスはそのことを矛盾に思っている。

映画は19世紀のドイツの街並みや人々の暮らしをリアルに表現している。共産主義が生まれた土壌はこのような生活からだったということを納得させられた。

マルクスとエンゲルスを演じた役者は巧みなメーキャップで本物のように見えた。

(2018.5.17)

---MIFUNE : THE LAST SAMURAI---


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題名通り、三船敏郎のドキュメンタリーである。三船敏郎の映画の抜粋と生前付き合いのあった人々のインタビューを編集した映画である。監督はスティーブン・オカザキ。日系三世のアメリカ人である。

監督がアメリカ人なので題名は英語表記、出演者のクレジットも英語表記である。

インタビューされるゲストは香川京子、司葉子、土屋嘉男、加藤武、八千草薫、夏木陽介、二木てるみ、野上照代、宇仁貫三、中島春雄、中島貞夫、佐藤忠男、明石渉、三船史郎、黒澤久雄、スティーヴン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシ、役所広司とバラエティに富んでいる。

アメリカ人の二人の監督、スティーヴン・スピルバーグとマーティン・スコセッシは黒澤映画が好きでたまらないという感じで答えていた。

ほとんどの黒澤作品を編集したスクリプター野上照代さんのインタビューは近くから黒澤監督と三船敏郎の関係を見ていただけあって興味深かった。

黒澤監督の息子黒澤久雄さん、三船敏郎の息子三船史郎さんのインタビューも興味深かった。

(2018.5.13)

---ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男---


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アカデミー賞受賞作である。対象は主演男優賞:ゲイリー・オールドマン、メイクアップ&ヘアスタイリング賞:辻一弘他2名。原題は「Darkest Hour」。(最も暗い時間)

日本語の題名は説明的になりすぎるようだ。「駅/ステーション」とか。「緊急呼出し エマージェンシー・コール」とか「こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE 〜勝どき橋を封鎖せよ!〜」とか「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」とか。

本映画は主演男優賞をとったゲイリー・オールドマンの独演会を観ているようだった。四面楚歌、周りに誰一人味方のいない首相となったチャーチルがナチス・ドイツと和睦せず、最後まで戦う方針を決めるまでの数週間の話である。

アカデミー賞を取った特殊メイクもすごかった。とてもゲイリー・オールドマンに見えなかった。顔に色々貼り付けているに違いないのだが全編クローズアップにも関わらず不自然に見えない。そればかりか表情豊かに見えた。

精神的にチャーチルを支える妻役のクリスティン・スコット・トーマスと秘書役のリリー・ジェイムズの紅二点は殺伐とした政治の世界の中でホッと安心する世界を作り上げていた。

(2018.4.12)


---ペンタゴン・ペーパーズ---


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アメリカ映画の原題は簡単なものが多い。ペンタゴン・ペーパーズ : 最高機密文書の原題は「The Post」。ワシントン・ポストのことである。

ベトナム戦争での負け戦さを国民に知らせなかったということを新聞各紙があばいた。このことがきっかけでアメリカの反戦運動が盛んになってくる。日本でもベ平連ができたりした。

ワシントン・ポストのすっぱ抜きではウォーターゲト事件が有名だがそれはこの次の特ダネということになる。当時のワシントン・ポストはキレていた。

配役は夫が亡くなった後を継いで社主になった未亡人をメリル・ストリープ、編集長をトム・ハンクスが演じた。監督はスティーブン・スピルバーグ。

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配役と監督の名前を見ただけで面白い映画が保証されている。

政府の犯罪を追求すると会社が潰される恐れがある。株を上場したばかりの微妙な時期でもある。当時のアメリカは男社会である。女性の社主に何ができるという目で見られている。

微妙な心の動きをメリル・ストリープはわずかな表情の変化で表現してみせる。対してトム・ハンクスはいつもよりオーバーアクション気味の演技で対抗する。

話の内容よりこの二人の名優の演技に見とれてしまった。

(2018.4.5)


---トレイン・ミッション---


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和製英語みたいな題名だな、と思ったら原題は「The Commuter」(通勤者)。主演はリーアム・ニーソンである。

列車の中での格闘シーンや列車を切り離す時の体を張ったシーン、列車の外に出てから戻るシーンなど現在66才のリーアム・ニーソンがよくこなしたものだと思う。

会社をクビになった男が帰りの通勤電車の中で見知らぬ女から奇妙な依頼を受ける。受けないと家族の命は保証しないという脅迫とともに。舞台は走る列車の中。謎が謎を呼ぶ展開。

以前ジーン・ワイルダー主演で「大陸横断超特急」という映画を観た。ジーン・ワイルダーが何回も列車から落ちては元に戻るしかけがあった。

リーアム・ニーソンは一度しか落ちないが、代わりに列車の転覆シーンがあった。すごい迫力だった。

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通勤列車の中で有意義に過ごすには読書が一番なのはどこでも変わらないらしく登場人物が本を抱えて乗っている。

ある日主人公が「嵐が丘」を読んでいると通勤仲間が「エミリーかい?」と声をかけたり、ある乗客が持っている「緋文字」の登場人物の名前が重要な伏線だったりする。ちなみに写真でリーアム・ニーソンが話しかけている女の持っている本はアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」であった。

(2018.4.2)


---ザ・シークレットマン---


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和製英語みたいな題名だな、と思ったら原題は「MARK FELT」。マーク・フェルトというのはニクソン大統領時代のFBIの副長官の名前である。

昔「大統領の陰謀」という映画があった。主人公はワシントンポストの記者二人でロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが扮した。

暗い駐車場の中で内部告発者が記者に通報するシーンがあった。名前を言わないので「ディープ・スロート」というあだ名をつけた。「ディープ・スロート」というのは当時流行っていたポルノ映画の題名である。

本映画はその「ディープ・スロート」が主人公になる。最強の内部告発者と言われた「ディープ・スロート」ことFBIの副長官を演じるのはリーアム・ニーソンである。

内部告発した理由は正義感ばかりではない。当時絶対的な権力を握っていたFBI長官のエドガー・フーバーが急死した後政府から送り込まれてきたのは外部の人間であった。マーク・フェルトは副長官である自分が長官になるものと思っていたに違いない。正義感と嫉妬心、それが彼を動かしたのではないか。

リーアム・ニーソンの重厚な演技は我々にそう示唆している。

(2018.3.23)


---グレイテスト・ショーマン---


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アメリカの興行師、P.T.バーナムの伝記を脚色してミュージカルにした作品である。

アカデミー賞を取った「ラ・ラ・ランド」のチームが作っただけあって歌って踊ってのミュージカル・シーンは迫力がある。

主役のヒュー・ジャックマンはもちろん、脇役のザック・エフロンの歌と踊りは見事だった。ザックとゼンデイヤのロープを使ったアクション・シーンは息をのむほど素晴らしかった。

ヒュー・ジャックマンは歌と踊りも見事だが姿勢の良さが際立っていた。観客の前で見得を切るところは「千両役者 !」と声をかけたいところだった。

ヒュー・ジャックマンの奥さん役、ミシェル・ウィリアムズは「マリリンとの7日間」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」にも出演していた。3つの映画でまるで別人のように演じていて、タイトルクレジットを見なければ同じ人とは思えなかった。

(2018.3.18)


---あなたの旅立ち、綴ります---


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同じテーマで、そして同じ俳優で、脚本と演出を変えて作って欲しい。映画の途中からそう思いながら観ていた。

二人の女優、アマンダ・セイフライトとシャーリー・マクレーンの演技は素晴らしかった。

脚本に手抜きが目立った。脚本に手を抜いた分ありえない演出でごまかそうとするのが目立った。あの無表情な子役はいらなかった。

「クリスマス・キャロル」をシャーリー・マクレーンでやってみたら面白いんじゃない? 、っというワンアイデアで作ったような作品だが予想に反してスクルージ役のシャーリー・マクレーンが素晴らしかったのでプロデューサーは焦ったのではないだろうか。これなら脚本にチャールズ・ディケンズ並みの作家に依頼するんだったと。

とはいえ二人の女優の演技を見ているだけで十分楽しい映画だった。

シャーリー・マクレーンは実に多彩な表情で内面を表現していた。彼女の表情を見るだけで楽しめた。彼女のDJ役で別の映画を作って欲しい。

アマンダ・セイフライトの教会でのスピーチはこの映画が言いたいことを言いつくしていた。まさに「The Last Word」だった。

(2018.3.11)


---バグダッド・カフェ---


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冒頭変に斜めの画面からコーリング・ユーが流れ出した瞬間完全に映画の世界に入り込んでしまった。

初めて見たのはほぼ30年前、黒澤明がこのような映画を撮りたいと言っているのを耳にしてレンタルビデオ屋に走った。初めて見た時は新感覚の映画かなと思った。

その後何度か見返すたびにこれはリアルな映画だなと思うようになった。今回十数年ぶりに映画館で見て「みんな違ってみんないい」というテーマの映画だと思った。

主演のドイツ人のおばさん、カフェのアフリカ系の女主人、その亭主、ジャック・パランス演じる老人、国籍不明の女性入墨師、カフェの従業員、ひとりひとりがみんないい。

映画は誰に肩入れすることなくひとりひとりを丁寧に描く。

映画館を出てもコーリング・ユーの歌声が残像のように耳に残る。

(2018.1.31)


---ベロニカとの記憶---


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ベロニカ役のシャーロット・ランプリングの目がすごかった。

原題は「The sense of an ending」(終わりの感覚)。人生の終盤になって若い頃のアレはなんだったんだろう。と考える。

映画では学生時代、親友が自殺する。もしかしたらあれは自分も一役かっていたんではないだろうか。というのは一人の女子学生を巡って親友と自分が仲違いをする羽目になってしまったからだ。

年金をもらいながらはやらないカメラ屋をやっている初老の男が主人公である。ある日女子学生の母親が亡くなり、彼に当てた遺品が届く。何十年も昔の過去が現在の彼に襲いかかってくる。

映画が中盤に差し掛かった頃その時の女子大生が登場する。橋の中ほどで佇む現在の女子大生ベロニカを演ずるのはシャーロット・ランプリングである。立っているだけでドキッとするほどミステリアスで不思議な印象を醸し出す。

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シャーロット・ランプリングを初めて見たのは彼女のデビュー作「愛の嵐」(1973年)のユダヤ人少女役だった。この時の強烈な印象は今もよく覚えている。それから40年以上経った今も彼女は出てくるだけで全てをさらってしまう。

過去が現在にまで追いかけてくる。その時は謎であったことが今になって解き明かされる。人生ではよくあることかもしれない。

(2018.1.28)


---キングズマン : ゴールデン・サークル---


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007ものをおバカで下品にした感じ。だが007ものなみにお金をかけているから見応え十分であった。

コリン・ファース、チャニング・テイタム、ハル・ベリー、マーク・ストロング、ジェフ・ブリッジスといった名優たちを相手にする悪役はジュリアン・ムーアひとり。ひとりだがその恐ろしさが十分伝わってきたから彼女のパワーはすごい。

主役はタロン・エガートンという新人。名優たちを相手に一歩も引かない演技を見せている。

監督はマシュー・ヴォーン。投げ縄や高級なスーツを着てのアクション、雪山のゴンドラでのアクション、タロン・エガートンのアクロバティックなアクション等のシーンに切れ味があった。

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セリフは翻訳では半分くらいしかそのおかしさを表現できていないと思う。この映画は英語がわかる人は2倍面白く感じるだろう。

(2018.1.8)


---オリエント急行殺人事件---


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原作はアガサ・クリスティの古典である。今まで何度も映画化されている。この映画は歌舞伎とか落語と同様配役や脚本、監督の腕を見るための映画である。

1974年版の映画は監督シドニー・ルメット、俳優はアルバート・フィニー、ジャクリーン・ビセット、アンソニー・パーキンス、ローレン・バコール、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、マーティン・バルサム。今回のは監督ケネス・ブラナー、俳優はケネス・ブラナー、ウィレム・デフォー、ジュディ・デンチ、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、デイジー・リドリー。

何れ劣らぬ名優たちを揃えている。お正月映画の王道である。

映画の中身としてはセットと背景は今回の方が迫力があった。アルプスの山中をオリエント急行が疾走するシーンは名画を見ているようだった。脚本と演出は1974年版の方がメリハリが効いていて締まっていた。

(2018.1.4)


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