父娘ものであり、母息子ものであり、かくれた姉弟ものでもある。
子役が出ると構えてしまう。子役をうまく使った映画は少ないから。
この映画はファーストシーン(朝食をいやいや食べるシーン)で彼女が出てきた瞬間、安心した。2006年生まれのマッケナ・グレイスは立派な女優だと確信したからである。
後は話の展開に乗っていけばいい。どういう展開になるかわからなかったが母vs息子の裁判の場面から話の持って行きどころが読めた。
この映画はいろんな要素を持っている。表立っては子供の教育だろう。
母親が娘を思うように教育する。娘のために良かれと思って。その結果は…。
それを見ていた息子は自分の娘(姪)に対しては正反対の教育をする。やはり良かれと思って。
ふたりは裁判で対決する。自分の主張を通すために。裁判長はいう。「ふたりで廊下で話し合ってみてはいかがですか」
「クレイマーvsクレイマー」という映画で離婚裁判の時にそういう言い方をするんだと知った。本映画では母と息子のアドラーが裁判で対決する。「アドラーvsアドラー」。
この映画でアメリカでは対立した者どうしが決着をつけようとしたら母と子でも裁判を利用するものだと知った。
裁判の中で実の父親に弁護士が娘のミドルネームを聞くシーンがある。父親は答えられなかった。「アイリーン」と。娘のフルネームは「メアリー・アイリーン・アドラー」。コナン・ドイルの「ボヘミアの醜聞」を読んだことのある人は監督の小さな仕掛けに気付くだろう。
さまざまな要素を含みながら映画は進んで行く。印象に残ったのは女優マッケナ・グレイスの前歯のない笑顔である。この笑顔を見るためにもう一度映画館へ行こうと思う。
(2017.12.10)
ということでもう一度観てきた。
肝心なことを書くのを忘れていたのに気づいた。
父親代わりのフランクが姪のために転職している。大学の准教授からボートの修理職人へだ。映画の中で弁護士が言うように保険も年金もつかない職業だ。
映画の中でことさらクローズアップされているわけではないが、筆者が一番胸に響いた点がここであった。
(2017.12.14)
|