2017年  一覧へ
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---否定と肯定---


入口

ナチものであり、裁判ものであり、実話である。面白くないわけがない。

2000年になってナチス・ドイツによるホロコーストがあったのかなかったのかなどという議論が起こるとは思わなかった。そのことがあったという明確な証拠が厳密にいうと残されていないというから不思議である。残されていたのはたくさんの眼鏡や靴、死体の山、収容所の跡などでそこで何が行われていたかどうかはわからないというのだ。

南京大虐殺がほんとうにあったのか、従軍慰安婦が本当にいたのか、ということでさえ議論になっているほどだ。人ごとではない。

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主人公の女性学者についた弁護士グループは思わぬ方向から戦いを挑む。映画は弁護士グループ対ホロコースト否定派の学者の裁判シーンに終始する。

否定派の学者は弁護士を立てず自分で自分を弁護する。かたや優秀な弁護士のグループ。勝敗は初めから目に見えている。孤軍奮闘の学者が最後に勝つ、などという映画のような結末にならないのは現実的で良かった。

弁護士グループにも方針を立てて調査する人とそれをもとに裁判で弁論をする人に分かれているのが面白かった。

(2017.12.20)

---ギフテッド---


入口

父娘ものであり、母息子ものであり、かくれた姉弟ものでもある。

子役が出ると構えてしまう。子役をうまく使った映画は少ないから。

この映画はファーストシーン(朝食をいやいや食べるシーン)で彼女が出てきた瞬間、安心した。2006年生まれのマッケナ・グレイスは立派な女優だと確信したからである。

後は話の展開に乗っていけばいい。どういう展開になるかわからなかったが母vs息子の裁判の場面から話の持って行きどころが読めた。

この映画はいろんな要素を持っている。表立っては子供の教育だろう。

母親が娘を思うように教育する。娘のために良かれと思って。その結果は…。

それを見ていた息子は自分の娘(姪)に対しては正反対の教育をする。やはり良かれと思って。

画面

ふたりは裁判で対決する。自分の主張を通すために。裁判長はいう。「ふたりで廊下で話し合ってみてはいかがですか」

「クレイマーvsクレイマー」という映画で離婚裁判の時にそういう言い方をするんだと知った。本映画では母と息子のアドラーが裁判で対決する。「アドラーvsアドラー」。

この映画でアメリカでは対立した者どうしが決着をつけようとしたら母と子でも裁判を利用するものだと知った。

裁判の中で実の父親に弁護士が娘のミドルネームを聞くシーンがある。父親は答えられなかった。「アイリーン」と。娘のフルネームは「メアリー・アイリーン・アドラー」。コナン・ドイルの「ボヘミアの醜聞」を読んだことのある人は監督の小さな仕掛けに気付くだろう。

さまざまな要素を含みながら映画は進んで行く。印象に残ったのは女優マッケナ・グレイスの前歯のない笑顔である。この笑顔を見るためにもう一度映画館へ行こうと思う。

(2017.12.10)

ということでもう一度観てきた。

肝心なことを書くのを忘れていたのに気づいた。

父親代わりのフランクが姪のために転職している。大学の准教授からボートの修理職人へだ。映画の中で弁護士が言うように保険も年金もつかない職業だ。

映画の中でことさらクローズアップされているわけではないが、筆者が一番胸に響いた点がここであった。

(2017.12.14)

---女神の見えざる手---


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原題は「Miss Sloane」。

主人公はやり手のロビイストである。ロビー活動とは日本では聞かない言葉である。

アメリカとロシアのロビイストたちがトランプ氏を大統領にするために仕掛けたロシアゲート。作り上げた大量の情報をネット上に流してトランプに有利になるように操作した、といわれている。

最近アメリカの小さな町の教会で乱射事件があった。事件が起こるたびに問題になるアメリカの銃規制。なかなか実行されない銃規制は全米ライフル協会という強力な団体が反対しているからだ。

主人公は銃規制に反対する企業からの多額の報酬を断り、賛成する法案を通すために活動をする。テレビの討論会、中間にいる議員の説得、キャンペーン等々。相手のことをけなすネガティブ・キャンペーンもする。目的のためには手段を問わず、法律を逸脱することも厭わない。

映画はまるでゲームのように敵方と味方との戦いが続く。

目的のためには味方も裏切る。頼るものは自分だけ。時には精神の均衡が乱れたりするが他人には絶対に弱みを見せない。

砂塵が舞う荒野にひとりたたずむガンマンのようだ。

「ゼロ・ダーク・サーティ」でCIAの分析官を演じたジェシカ・チャステインがクールな主人公を演じる。彼女以外にはこの役を演じられないのではないか、と思うくらいピッタリはまっていた。


(2017.11.12)

---ドリーム---


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原題は「Hidden Figures」(隠された人々)。この映画を象徴した題名である。「ドリーム」では原題の苦い味は感じられない。

1960年代初期、アメリカとソ連の宇宙開発競争は始まった。いち早くソ連がガガーリン中佐を大気圏外に飛ばす。ガガーリンの名言「地球は青かった」は今でも記憶に残っている。

アメリカも負けてはいられない。J・F・ケネディ大統領の号令で何としても人間を宇宙へ飛ばさなければならない。NASAは不眠不休で宇宙開発に取り組んだ。「マーキュリー計画」である。

その時の話は1983年フィリップ・カウフマン監督によって映画化されている。「ライトスタッフ」である。「ライトスタッフ」では宇宙飛行士たちの話がメインになっている。

この映画はロケット打ち上げに取り組んだNASAのスタッフが主人公である。

アメリカの威信をかけて取り組んだ国家プロジェクトに当時としてはマイノリティの女性が、しかも黒人の女性が活躍していた。彼女たちは華々しい成功の陰に「隠された人々」であった。

映画には3人の黒人女性が出てくる。それぞれに特長を持っている。ひとりは数学者、ひとりは技術者、ひとりはコンピーター技術者である。そして彼女たちはそれぞれ家庭を持っていて子供達を養う主婦でもある。

脚本家はそれぞれの女性に見せ場を与えている。地球周回軌道に飛ぶことになったジョン・グレンは数学者の女性が数式のチェックをしてくれなければ自分は飛ばない、という。

技術者の女性はその職に就くためには高校のある課程を卒業しなければならないがその高校は黒人を受け入れていない。高校に入る審判の請求をする。彼女は判事に正々堂々と自説を述べる。判事はモゴモゴと何事かをつぶやくと「入学を許可する」という。

コンピューター技術者の女性は「私は差別はしていない」という白人女性に「あなたはそう思い込んでいるだけ」とクールに答える。

それぞれの女性たちの隠れた努力があったから今のアメリカはあるのだ、と映画はうたっている。


(2017.10.15)

---遥かなる山の呼び声---


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1980年、倍賞千恵子が高倉健と五分と五分の共演をした作品である。この2人は「幸福の黄色いハンカチ」でも共演しているが武田鉄矢と桃井かおりに薄められてしまっている。

春夏秋冬の北海道の雄大な景色をキャンバスにしてこの2人と子役の吉岡秀隆の心の交流が静かに描かれていく。映画の前半はこの3人の細やかな心の表現に費やされる。

後半、高倉健のダイナミックな乗馬シーンが映される。撮影時48才の健さんの肉体は全然衰えを見せず、本場の西部劇スターたちと比べても引けを取っていない。

物語の骨組みは「シェーン」を下敷きにしているが中身はほとんど山田洋次監督のオリジナルと言っていい。「シェーン」は別れのシーンで終わるが「遥かなる山の呼び声」は最後にもう一つ山がある。

山田監督は最後まで心の交流を描いて映画を終えたかったのであろう。


(2017.9.23)

---戦争のはらわた---


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恐ろしい題名がついているが、原題は「Cross of Iron」、ドイツ軍の英雄に与えられる勲章「鉄十字章」のことである。

監督はサム・ペキンパー、新宿でデジタル・リマスター版を上映中なので見に行った。1977年の映画だが画面は撮影されたばかりのようにきれいだった。

内容はというと物足らなさが残った。これは現場監督ジェイムズ・コバーン対保身主義の管理職マクシミリアン・シェルの対決に徹すればよかったのだが、爆発シーンをたくさん入れたかった監督が人間対人間の闘いを薄めてしまった結果である。

コバーンが負傷して病院に入るまでは快調だったのが、入院生活を挟んで間延びしてしまった。その間いやらしい上司のシェルの出番がなくなり焦点を失ってしまった。

コバーンが戦場に復帰しシェルと対決するのだが途切れた緊張感は元に戻らなかった。ラストシーンのコバーンの高笑いも虚しく響いた。

ロバート・アルドリッチ監督の「攻撃」では現場監督ジャック・パランス対ダメ上司エディ・アルバートの対決が普遍的にまで高められていて見どころがあった。


(2017.9.18)

---横堀川---


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1966年の松竹映画。1961年に映画デビューした倍賞千恵子の6年目の作品である。神保町シアターで9月29日まで倍賞千恵子特集をやっている。

原作は山崎豊子の「花のれん」で吉本興業の創始者吉本せいの一代記である。映画化は2度目で最初の映画化は豊田四郎監督の「花のれん」。

「花のれん」のコンビ淡島千景と森繁久弥がやった役を倍賞千恵子と中村扇雀がやっている。

大阪船場の大店の娘役としては似合っていたが、海千山千の興行師としての倍賞千恵子は可憐すぎた。可憐な倍賞をサポートするかのように脇役はすごい。小沢昭一、中村扇雀、浪花千栄子、田村高廣、中村鴈治郎等々。

特に金貸しのばあさん役の浪花千栄子は出た瞬間から画面の全てをさらってしまう。顔はよく知っているが演技を見たのは初めてだ。こんなパワーのある女優だったんだ。

昔の映画を見る楽しみのはベテラン俳優の若い頃の演技が見られること、名前だけ知っていたかつての名優の演技が見られることである。


(2017.9.17)

---ダンケルク---


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ノルマンディーが勝ち戦の象徴ならダンケルクは負け戦の象徴である。両方ともフランスの海岸の地名で戦の相手はドイツ軍。

映画は陸海空の3つの地点からその有り様を追いかける。ドイツ軍に追いかけられてフランスの領土から逃げ出す兵士たちをひたすら追いかける。前半はほとんどセリフがない。爆弾の音や銃弾の音がするだけである。ドイツ軍の姿も見えない。

我々観客も何が何だかわからず銃弾の音や爆弾の音におびえながらひたすら無事に逃げたい心理状態におちいる。

娯楽映画のクリストファー・ノーラン監督にしては退屈な映画だな、と少し寝てしまった。映画はドラマがなくては…。

ドラマらしきものが出始めてのは後半に入ってからだ。イギリスの駆逐艦がドイツ軍に爆撃され船が足りなくなる。ドーバー海峡を渡ってイギリスの漁師たちが小さな漁船で兵士救出に向かう。漁船の中では漁師のおかみさんたちが温かい飲み物や食べ物を用意している。

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ドイツ軍に撃墜されて海に着水したパイロットが風防ガラスを開けて脱出しようとするが壊れて開けられない。飛行機もろとも沈む寸前、救出に向かった漁師の息子が外からガラスを壊して救出する。息子はパイロットに「Good-Day」と声をかける。パイロットはそれに「Afternoon」と答える。両者イギリス紳士だ。

かくして33万人のイギリス軍兵士が無事イギリス本土に到着する。ひとりひとりに毛布を手渡す老人が「がんばったな」と声をかける。兵士の1人は「ただ帰ってきただけだよ」と自嘲気味に答える。老人は言う。「それで十分だ」。

終わってみると戦争というものをセンチメンタルに落ちいることなく我々に教えてくれている。名もない老人の一言でこの映画はドラマになっていた。


(2017.9.13)

---人情噺の福団治---


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関西演芸協会会長桂福団治のドキュメンタリー映画である。監督伊藤有紀。

カメラはひたすら福団治を追いかける。寄席での高座、お座敷での高座、地方の小さな会場での高座。関西演芸協会会長としての様々な打ち合わせ。会長を務める日本手話落語協会の高座。

一つ一つの仕事を誠実にこなしていく福団治の表情をカメラは追いかける。

時々ナレーションとインタビュアーを兼任する監督の伊藤さんが福団治に質問する。誠実に答える福団治。監督は元日大芸術学部の落研出身だ。質問も的を外さない。

その中で福団治は自分の時代ではお金を儲けるためとか脚光をあびるために噺家になる人はいなかった、と答える。

現代の落語界を支える人気落語家たちは花形スター並みの人気だ。チケットは発売と同時に売り切れる。その極北にいるのが上方落語の桂福団治である。若い監督さんがなんで俺なんか撮るの? とその表情は語っていた。

彼の高座は派手なしぐさで笑いを取るばかりの人気落語家にないものを持っている。何十年も誠実に落語に向き合ってきたものが仕草や表情に染み付いている。

落研出身の若い監督が撮りたかったのはその部分だったのだろう。

チラシ

映画終了後30分間のトークが組まれていた。監督の伊藤有紀氏と春風亭一之輔だ。はじめに監督が登場し、一之輔師匠を紹介するとなんと隣の席の人が立ち上がって舞台へあがった。隣は人気落語家春風亭一之輔だったのだ。今日の服装は紺色の襟付きのTシャツとジーンズという服装で道ですれ違ってもわからなかったのではないか。

監督の伊藤さんは日芸の落研で一之輔の一年後輩だった。川上先輩(一之輔)にはかなりしごかれたらしい。トークは2人の思い出話や映画の話や家庭の話で盛り上がった。

一之輔が福団治を称して決して腹の中を明かさない人だ。怖い人だ。と言ったのが印象に残った。


(2017.9.10)

---下町の太陽---


ポスター

1963年の松竹映画。1961年に映画デビューした倍賞千恵子の3年目の作品である。神保町シアターで9月29日まで倍賞千恵子特集をやっている。

この時、23才の倍賞千恵子は女工さんの役だ。相手役の勝呂誉も23才、鉄工場の工員の役である。

監督は山田洋次、上映時間は1時間26分だがプログラムピクチャーではない。丁寧に作られた作品だ。

冒頭倍賞千恵子が荒川の土手を歩きながら「下町の太陽」を歌う。このとき強く思った。「3番まで歌ってほしい」!!!

歌は1番で終わった。

チラシ

舞台は京成曳舟から向島のあたり。映画が撮影された1963年当時は町工場が建ちならぶ工業地帯だった。煙突からの煙で空はいつも霞んでいた。川は工場から流される廃液で汚れていた。

お菓子工場で働く女工さんと鉄工場の工員さんの青春物語。当時の庶民の生活がリアルだ。山田洋次監督だけに脚本も丁寧に作られている。

チラシ

映画は工員と付き合ってもいいかな、と思う倍賞千恵子が工場の空き地でバレーボールをしているシーンで終わる。主題歌「下町の太陽」がそれにかぶる。

この女工さんがそのとき付き合っていたホワイトカラーの男を振り、町工場の工員と結婚して「男はつらいよ」のさくらになっていく。それは後の話である。長い付き合いになる山田洋次監督との初顔合わせがこの作品であった。



(2017.9.9)

---あいつばかりが何故もてる---


ポスター

1962年の松竹映画。1961年に映画デビューした倍賞千恵子の2年目の作品である。神保町シアターで9月29日まで倍賞千恵子特集をやっている。

この時、21才の倍賞千恵子は女子大生の役がぴったりだ。この時、映画初主演の渥美清は34才。

上映時間1時間24分だから当時のプログラムピクチャーだ。2本立てか3本立ての1作として2、3週間で作られたものだろう。

喜劇なのに笑えない脚本、見ている方が恥ずかしくなる演技。それでも観客がいっぱいなのは当時の俳優、当時の景色を見たいからだろう。ウィークデイの午後2時半上映なのにチケットが1時間前に完売とは…。

若い頃の倍賞千恵子、渥美清、若水ヤエ子、清川虹子、五月女マリ、三木のり平、森川信、桂小金治、三井弘次、田中春男、大泉滉、左卜全。書いているだけで懐かしくなる。渡辺篤はどこに出ているのかわからなかった。

主な舞台は銀座の真ん中、昔日劇があったあたりだ。今見るとどこの地方都市かと思えるほど地味だ。タイムマシンに乗ったようなものである。

開場前、道路で待っていると、前の回に上映した「水溜り」で舞台挨拶をした倍賞千恵子が出てきた。入り口に横付けしたタクシーに乗って帰って行った。小雨が降っていたが窓を開けて小さく手を振っていた。


(2017.9.6)

---少女ファニーと運命の旅---


ポスター

ナチものに駄作はない。と、今までは思っていた。

この映画を見て思った。ナチものにも駄作はある。

これは映画の文法を無視した駄作だった。

子供たちを列車に乗せてくれた孤児院の責任者が到着した駅に普通に出迎える。ドイツ兵に捕らえられた子供たちが鍵をかけられた部屋に閉じ込められて食事を与えられない。子供の1人が外で掃除をしているおばさんに合図をしたら、次の画面で外に出て食事をしている。ドイツ兵に追いかけられた子供たちがいつのまにか大きな木の上に隠れている。5才くらいの子供はどうやって素早く大きな木に登れたのか。子供がお札を落としてしまう。それを拾ったドイツ兵は不思議に思わず札を拾って別の方向へ行ってしまう。納屋にかくまってくれたおじさんが夜が明けたらすぐ出て行けと言っていたにもかかわらず、女の子が頼んだら何事もなかったように次の日も置いてくれる。前日は納屋に隠れていたのに次の日は庭で堂々と働いている。まだまだたくさんあるが馬鹿馬鹿しいのでやめる。

これが単館上映で結構ロングランしている。そしてある映画のサイトでの点数が5点満点で4点と結構高い点数を維持している。

なにか組織の力が働いているとしか思えない。


(2017.8.23)

---歓びのトスカーナ---


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原題は「LA PAZZA GIOIA(狂う喜び)」。「狂う喜び」では誰も観に来ないだろうから日本の題名「歓びのトスカーナ」は正解だろう。イタリア南部の風光明媚なトスカーナ地方の明るい話だと思うだろう。

予備知識なしで観に行った。陽気なイタリア女たちの話だろうと思いながら。

冒頭おしゃべりなイタリアのおばさんが小言を言いながら歩いてくる。他の人たちは農作業をしている。このおばさんだけ日傘をさして優雅に歩きながらああしろこうしろ指図している。だがなんとなく様子が変だ。

ここは司法精神病院で罪を犯した精神病者たちを厚生させるための施設であることが徐々にわかってくる。この口うるさいおばさんも患者の1人で妄想癖のある躁病患者のようだ。

ある日全身刺青をした暗い目をした女性が入ってくる。口うるさいおばさん、ベアトリーチェは見るからにうつ病の新入り、ドナテッラに興味を抱く。

嫌がるドナテッラにつきまとうベアトリーチェ。ドナテッラには暗い過去がありそれを引きずっている。ベアトリーチェはなんとかそれを解決してやろうとする。が二人とも精神病者だ。お互いの思惑が食い違ってなかなかうまくいかない。病院を抜け出した2人はいく先々で食い違い、ドタバタ喜劇のような展開になるが基本深刻な話なので笑えない。

物語の最後、満身創痍になりながらも目的を達成したドナテッラが病院に帰ってくる。2階の窓からそれを眺めるベアトリーチェ。2人の視線が一瞬からみ合い、ずっと無表情だったドナテッラがかすかに微笑む。

瞬間、正常なのはこの2人で、周りの人々の方がおかしいのでは…、という気になった。

ベアトリーチェ役の女優、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキがとにかくうまい。妄想癖のある躁病患者でありながら人への思いやりは持っている。時には的外れになりながらも本質は外さない。本当にこういう人なのでは、と思わせるほどの演技。イタリアの女優なのでなかなか見ることはできないのが残念である。


(2017.8.12)

---マンチェスター・バイ・ザ・シー---


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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」というのはアメリカの港町の名前だそうである。見るからに誰も知らない小さな港町を連想させる名前だ。町の人は大体誰がどこに住んでいるか知っている。

ボストンで便利屋をして働いていた主人公が兄の死をきっかけに帰郷する。そこには兄の16才の息子が住んでいる。母親は離婚して家を出ている。彼が甥の後見人にならなければならない。アメリカでも日本でも未成年の保護管理責任は法律できっちりと定められている。

主人公はある事件を起こしてこの町に住むのは抵抗がある。妻とも離婚している。物語は小さな港町を背景に叔父と甥の生活をじっくり描く。あまりにじっくりと描くので周りの客は退屈しているようだ。

主演のケイシー・アフレックが良かった。内心に大きな喪失感を抱えた神経症気味の男を真に迫って演じていた。完全に主人公の男と一体化していた。彼はこの演技で今年のアカデミー主演男優賞を獲った。

別れた奥さん役のミシェル・ウィリアムズと甥役のルーカス・ヘッジズもそれぞれ迫真の演技だった。


(2017.5.21)

---メッセージ---


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アカデミー賞を取った音響効果が素晴らしかった。人を不安にさせる低音の響きが全編を通して鳴り響いていた。巨大な宇宙船、入っていく人間たち、霞の中から登場する宇宙人。なんとかコミュニケーションを図ろうとする人間たちをみてあの「未知との遭遇」を連想した。

宇宙人の姿は100年以上前にH・G・ウェルズが創造した火星人の形に似ていた。タコである。もう少し現代人の想像力を発揮して欲しかった。

主人公の女性言語学者が知識を総動員して宇宙人の信号を解読しようとする。映画は宇宙人が吐き出す墨絵の形を言語学者が解読するシーンがほとんどで延々と続くシーンに周りの人たちが退屈しているのがわかった。

あんな文字分かるはずがないだろうと思っていたが、言語学者もほとんど解読不可能であった。だがある時突然わかりだし、宇宙人と筆談できるまでになってしまう。宇宙人たちは何をしに地球にやってきたのか。

映画の字幕ではよくわからなかった。なんとなく解釈すると地球人皆仲良くやってほしい、であった。なんだそれは。そんなことを伝えるために巨大宇宙船12機もつらねて遠い宇宙からやってきたのか。

「大山鳴動して鼠一匹」というのはこのことか。せっかく遠くから来たんだから地球人をさんざん痛めつけてからさっそうと去って欲しい。

原作はテッド・チャンという作家の「あなたの人生の物語」。映画で言語学者が過去と未来を行ったり来たりするシーンがあるがその意味がいまいちよくわからなかった。原作を読んでみたい。


(2017.5.20)

あなたの人生の物語

ということで原作を読んでみた。

原作は「あなたの人生の物語」という。「あなた」は娘だろう。宇宙人との交信のあいまに娘の成長の歴史が物語られる。

宇宙人との交信の様子は映画の方がわかりやすい。原作は物理学の知識がなくては理解できない。娘の成長の様子は理解しやすい。なぜこの二つが並列で語られるのか。まるで違う話なのに。

宇宙人は何をしに地球にやって来たのか。映画でもわからなかったが原作を読んでもでもわからなかった。伝統的な宇宙人のように地球を攻撃してくれればわかりやすいのに。

テッド・チャンはこの短編集に8つの話を収めた。冒頭の「バビロンの塔」はわかりやすかった。宇宙まで続くバビロンの塔にひたすら登っていく話だ。

「理解」「ゼロで割る」「あなたの人生の物語」と読み進み、「七十二文字」で力尽きた。この作家の話は普通より少し高度な物理学の知識がなくては理解できないのではないか。


(2017.6.1)

---この世界の片隅に---


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他の映画を観に行った時に予告編を何度か見せられた。この映画はパスだな、と思った。ベタな戦時中の苦労話と思った。あの壮大なSF、「君の名は。」を観たあとだけになおさらそう思った。

今日、本作を観て勘違いもはなはだしかった、と思った。「君の名は。」が絵空事のように思えた。

映画は終戦の翌年で終わっているけど、すずの人生はずっと続いている。決して戦争だけの映画ではない。戦前の普通の生活が克明に描かれている。

映画は主人公の女の子、すずの小学校時代から始まる。画面はカットバック方式でリズミカルに進む。もう少しゆっくりやってくれないかなー、と思うくらいスピーディに進行する。すずを通して当時の女の子の人生が進む。初恋、結婚、嫁としての生活、妊娠。広島に住む普通の女の子の「女の一生」である。

広島に生まれ、呉に嫁いだすずは8月6日の惨事にあう。当時の何十万人という人々と同様に。ただ初め心配したような原爆映画でも反戦映画でもなかった。周囲の状況がどうであろうと今日を生きなければならない気迫が伝わってくる映画だ。
のんの「声の演技」が良かった。自然でドライで、どんな状況でも絶望しないしなやかさを持っている。すずが炸裂する高射砲の煙を頭の中で水彩絵の具で表現するシーンは斬新であった。この役がのんでなかったらベタな女性ドラマになってしまっただろう。

原作は女性作家のコミックである。今更ながら日本のコミックのレベルは高い、と思った。



(2017.3.4)

---ザ・コンサルタント---


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精神病院に連れてこられた二人の兄弟。兄は発達障害、弟は自閉症。院長から病院の設備や子供たちの生活について説明を受ける両親。母親はすっかり気にいるが父親は気に入らない。子供達のためを考えた設備でぬくぬくと育ったのでは世間に出た時にその荒波に対応できるか。と父親は言い切る。

兄と弟は軍人の父親から格闘技と射撃を徹底的に仕込まれる。

成人した兄は会計士になり、裏社会の組織の会計を取り仕切る。その合間に普通の商店や農家の税金のやりくりの相談も受ける。

彼はある会社の不正取引について精査してくれという注文を受ける。それが発端となって事件に巻き込まれる。

伏線が多く、次の展開が予想できない。最後には全ての伏線が解き明かされ納得、そして満足。

原題は「The Accountant」(会計士)。コンサルタントではない。



(2017.1.29)

---アイ・イン・ザ・スカイ---


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中東のテロリスト対米英軍の戦いの話である。米英軍の最先端のチームがミサイルを搭載した無人偵察機でテロリストの隠れ家を探る。高度2,000mの上空から撮ったリアルタイムの映像はアメリカ、イギリスの基地でパソコンで見ることができる。軍の上層部はいながらにして爆撃命令を出すことができる。

離れた場所からドローンの「鳥」や「虫」を使って室内の様子を探ることもできる。これらの道具を使えば国内の安全な場所から世界のどこでも攻撃することができる。

標的の近くに関係のない市民(映画では10歳くらいの少女)がいたらどうする? というのが本映画のモチーフになっている。

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実際の職業軍人だったら構わず攻撃するだろう。それでは映画にならないので引き金を引く軍人、命令する軍人、その上の政治家、それぞれがためらう。皆自分以外の誰かが命令してくれたら、と思う。戦争も安全で便利になりつつあるが、そのぶん命令する立場の者にとってはストレスが大きい。

大佐役のヘレン・ミレン、中将役のアラン・リックマンそれぞれ名演であった。



(2017.1.4)

---MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス空白の5年間---


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朝8時台の有楽町の映画街は人影がほとんどなかった。目的の映画館の前に1組のカップルが佇んでいた。チケット売り場には誰もいない。この様子ではギリギリに来ても大丈夫だろう。暖かい場所を求めて地下道を日比谷の映画街の方に移動した。
「MILES AHEAD」の看板が目に入った。映画サイトでこの映画を見たことがなかったので驚いた。瞬間有楽町の映画からこの映画に切り替えた。マイルスの映画ならたとえつまらなくてもこっちだ。

こちらもチケット売り場に人はおらず、手持ち無沙汰な人が2、3人いるだけだ。暖かい場所に移動することにした。

10:00の回の「MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス空白の5年間」を観た。マイルス役の役者(ドン・チードル)が脚本を書き監督もやっている。

ポスター

ドン・チードルのマイルスはチンピラみたいで知性が感じられなかった。ジャズの歴史そのもののような人だ。麻薬をやったり女性関係がめちゃくちゃだったりするが、それだけでなく知性と品がなければいけない。

音源は全て本物のようでバックに流れる音楽を聴いているだけで楽しい。トランペットを吹くドン・チードルも角度によっては実物のマイルスが吹いているように見えた。

麻薬を買ったが代金が足らず、ファンらしい売人のLPのジャケットにサインするシーンがある。一枚のLPにサインせず取り上げてしまう。レコードのタイトルは「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」。ジャケットには当時のマイルス夫人フランシスのポートレイトが使われている。ちなみにマイルスは別のアルバム「E.S.P.」にもフランシスのポートレイトを使っている。

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ラジオから「カインド・オブ・ブルー」の中の「ソー・ホワット」が流れると、ディスクジョッキーに電話し、「スケッチ・オブ・スペイン」の中の「Solea」にかけ直させる。名作「カインド・オブ・ブルー」が気に入らなかったらしい。

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帰宅後「スケッチ・オブ・スペイン」を聴いた。「Solea」のトランペットソロが部屋の中に朗々と響きわたった。



(2017.1.3)

ポスター

立川シネマシティの極上音響を聴いてきた。なるほど極上だった。低音に反応して椅子の背が振動していた。マイルスのミュートをつけたトランペットの音が耳に突き刺さるようだった。

コンサートのシーンでハービー・ハンコックのエレクトリックピアノの音とウェイン・ショーターのソプラノサックスの音がはっきり聞こえた。

マイルスが出演するジャズクラブで聴いているような雰囲気だった。演奏シーンを増やしてドラマ部分を少なくしたらもっと良い映画になったのではないか。銃を撃ち合いながらのカーチェイスシーンなどはいらない。



シネマ アルバム



(2017.1.9)

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