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---The Beatles Eight Days A Week---


パンフレット

ビートルズは日本公演の演奏をリアルタイムでテレビで観た。11才だったからファンではなかった。すごい有名なバンドの日本での特別公演ということで見た。初めから最後まで彼らの歌う姿から目が離せなかったという記憶がある。その後フォークやジャズに夢中になったりしたが彼らのファンになったという記憶はない。ただいつも彼らの曲が身の回りにあった。あまりに当たり前すぎてファンになる必要もなかったのかもしれない。

彼らのドキュメンタリー映画がロン・ハワード監督によって作られ上映されていることを知り見に行った。

上映館がものすごく少ない。現在上映しているのは下高井戸シネマのみである。馴染みのない映画館、初めて降りる駅。下高井戸シネマは住宅街のマンションの二階にあった。どれほど狭いんだろう。入って見たら意外に広く客席は120ほどで席もゆったりしている。

下高井戸シネマ

映画は2016年制作なので映像も音も修正されていて迫力のある映像と音楽が楽しめた。

英国の下町リヴァプールのロック好き少年たちがいつかは有名になることを目指して狭いクラブで演奏しているシーンから始まる。あっという間に有名になりアメリカのエド・サリヴァンショーに出演するまでになる。5,000人の会場でも間に合わなくなり、5万人のスタジアムで演奏するようになる。大半の観客は女性で演奏の間絶叫に次ぐ絶叫、音楽を聴いていないのか、という有様。これは武道館で行われた日本公演でもそうだった。

パンフレット

彼らのストレスは高まりある時期からスタジオ録音のみの活動になる。

この映画で新鮮だったのはジョン・レノンとポール・マッカートニーの歌う様子、リンゴ・スターのドラミングの様子である。ジョンのギターを弾きながら歌う様子は実に素晴らしかった。リンゴのスピーディで柔らかいドラミングの見事さを初めて知った。CDの音だけでは半分の価値しかないなと改めて思った。

ビートルズの音楽は2種類あると思った。一つはプレスリーのコピー、一つは活動中作った音楽。映画はプレスリーのコピーから出発して徐々に自分たち独自の音楽を作っていく様子を描いている。これは現在進行中ではわからないことだ。現在から過去を振り返って初めてわかることだ。ビートルズ以降の音楽家たちは時代の荒波に揉まれながら作られた極私的な音楽に影響されたのだと遅ればせながらわかった。

(2016.12.30)


表紙

ちなみに映画「ノーウェアボーイ〜ひとりぼっちのあいつ」は模索中のジョン・レノンが高校時代にバンドを始め、ビートルズの出発点になるハンブルクへ巡業の旅に出るまでの話である。

この時代のジョンはいつもイライラして何かに反抗している。ジョンは実の母親に棄てられ、伯母さん夫婦に育てられている。父親は行方不明である。普通グレるだろう。

ジョン・レノン役のアーロン・ジョンソン、母親ジュリア役のアンヌ=マリー・ダフ、伯母さん役のクリスティン・スコット・トーマスいずれも名演である。アーロン・ジョンソンが時々ジョン・レノンそっくりの表情をする。研究したんだろう。

明日からハンブルクへ旅立つ日、伯母さんのミミ(メアリー)に「今度のバンドの名前聞きたい?」と聞く。ミミは「聞いてもすぐ忘れるからいいわ」と答える。

(2017.1.9)


---ドント・ブリーズ---


ポスター

ホラーである。怖かった。

金を奪うために一人暮らしの盲目の老人宅に泥棒に入る3人の若者たち。

このシチュエーションでどんなホラーになるのか、というのがこの映画の特徴であり新しいところである。

普通なら身体障害者の老人から金を奪うなんて、と思うはずだが始まってしばらくすると老人より泥棒3人組の方に肩入れしている。

なんとか生きて老人宅から逃げ出してほしい。とハラハラしているうちに一人殺され、また一人…。

いやはや怖い映画であった。

(2016.12.24)


---男と女---


ポスター

立川シネマシティ・2へ行ってきた。評判のスピーカーの音で「男と女」のテーマを聴くためだ。

残念ながら1967年制作のため元々の音がそれほど良くないのでスピーカーの音を堪能することはできなかった。昔観た「男と女」は今観ると細部を理解することができた。これは極私的な映画だということがよくわかった。

それまでのヨーロッパ映画はデビッド・リーンに代表される大ロマンが主流だった。この映画でクロード・ルルーシュは主人公の身の回りだけを描き、映画はそれでも成り立つんだと立証して見せた。フランス映画のヌーヴェル・ヴァーグの始まりである。

同時期アメリカではそれまでの西部劇とミュージカルから脱却した映画「俺たちに明日はない」でアメリカン・ニュー・シネマが始まろうとしていた。期せずしてヨーロッパとアメリカで同時期に新しい波が始まったわけである。

ロビー

映画はモノクロになったりカラーになったりする。現在のシーンがモノクロで過去のシーンがカラーだと解釈していたが改めて観たらそうではなかった。主人公の男女がお互いのことを考えている時がモノクロで息子や娘を含めて自分たち以外の者が介在する時がカラーだった。改めてこれは極私的な映画だと思った。

ロビー

同時上映の「ランデヴー」はチューンアップされた車でパリの市街地を速度制限無視信号無視で走り回るという短編映画だった。カメラは車の前部に取り付けられている。マイクはエンジンの近くに据え付けられていたのではないか。あまりにすごい映像と音で普通に座っていることができなかった。背中と頭を座席の後部にぴったりと付けていなければ気を失いそうだった。8分間のパリ市街探索ドライブはとても景色を楽しむ余裕はなかった。

(2016.11.6)


---続・夕陽のガンマン---


ポスター

立川シネマシティ・2へ行ってきた。評判のスピーカーの音を聞くためと「続・夕陽のガンマン」を観るためだ。

残念ながらこの二つは両立しなかった。「続・夕陽のガンマン」は昔の映画のため録音状態が悪くスピーカーの性能が発揮できなかったためだ。だが「続・夕陽のガンマン」は素晴らしかった。

この映画はDVDでしか観ておらず映画館で観るのは今回が初めてだった。

原題は「The Good, the Bad and the Ugly」、日本の題名「続・夕陽のガンマン」は内容とは関係ない。当時マカロニ・ウエスタンが大流行りでこういう題名にすれば当たるだろうという方針からつけられたにすぎない。

ポスター

内容は壮大な話だ。南北戦争を背景に滅びゆくアメリカ西部のガンマンたちの宝の奪い合いを描いたものだ。もちろん西部劇だから最後には決闘シーンがある。セルジオ・レオーネ監督は工夫を凝らした決闘シーンに仕上げている。

俳優ではイーライ・ウォラックとリー・ヴァン・クリーフが素晴らしかった。彼らの前では36歳のクリント・イーストウッドが未熟な若造に見えてしまう。イーライ・ウォラックが主役級で出たのはこの作品が初めてだと思う。ずる賢くて非情な中に少しだけ見せるウォラックの哀愁がこの作品に深みを与えている。彼が墓地を走り回るシーンは躍動的な中にも哀愁が漂っている。名シーンである。

リー・ヴァン・クリーフは徹底的にドライである。彼の目は常に獲物を狙っている。目的のためには手段を選ばない役をこんなに完璧にこなせるのは彼をおいて他にはいない。

セルジオ・レオーネはのちに「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」という映画を撮っている。この作品に題名を付けるとすれはアメリカ近代史を描いた作品という意味で「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ・パート1」としたい。

(2016.10.15)


---ハドソン川の奇跡---


ハドソン川の奇跡

ハドソン川に飛行機が不時着した話は数年前ニュースで目にした。すごいことをするものだと思った。でもそれだけの話が2時間の映画になるのかと思った。さすがクリント・イーストウッド監督。見事な映画になっていた。

その時のニュースでは機長はニューヨークの英雄になっていた。が、後日談があり、彼のしたことは正しかったのか、という査問会が開かれていたらしい。そこではアルコールは何時間前に飲んだのか? 薬はやっていなかったか? 家庭的な問題を抱えていなかったか? 等々、あらゆることが議題に上っていた。

バード・ストライクを起こし、他のパイロットでシミュレーションにしたところ元の飛行場に着陸できたというデータも出た。なぜ飛行場ではなく川に着水したのか。155人の乗客を不必要な危険にさらしたのではないか。トム・ハンクス扮する機長は批判にさらされる。

その時機長はあることに思い当たる。それは…。

チラシ1 チラシ3

最後は人間の能力はすごい、という感動で終わる。86才のイーストウッド監督は我々が思ってもみなかった題材からヒューマン・ファクターの力を歌い上げた。

印象的だったのは155人の乗客全員が助かったと聞いた時のトム・ハンクスの表情だ。なんとも言えないホッとした顔をしていた。この映画の半分は名優トム・ハンクスの功績だろう。

(2016.9.27)


---君の名は。---


君の名は。

「シン・ゴジラ」の次は「君の名は。」か。今年は日本映画の当たり年だ。前半「ちはやふる--上の句」や「あやしい彼女」があった。 とどめは「君の名は。」だ。

ポスターや予告を見た限りではこんな壮大な話になるとは思わなかった。初めて小松左京の「果てしなき流れの果てに」を読了した時の呆然とした感じを思い出した。壮大なのだが最後には男と女は生まれた時から赤い糸で結ばれている、という古風な伝承に帰結するという普遍的な話である。

舞台になった岐阜県飛騨市の風景が良い。東京に出たがっている女性主人公が住む旧家が良い。磨き抜かれた古い廊下の質感が出ていた。

東京四ツ谷に住む男性主人公のアパートの様子、そこから見る東京の街の景色が良い。

数秒で場面が切り替わってしまうのが惜しいくらい丁寧に描かれている。

この映画は次に話がどうなるのか、主人公たちがどうなっていくのか、まるで読めない。映画に連れて行ってもらうしかない状況に置かれる。自分同様観客たちがそれを楽しんでいるのが感じ取れた。

(2016.9.17)

この映画はボーイ・ミーツ・ガールの形式をとっているが男と女の恋愛映画ではない。人生に恋する恋愛映画である。

瀧が就職活動で面接官にいう言葉「何か環境を守る仕事をしてみたい」。三葉が山で瀧を探すときに「どこかわからないけどそこにいるんでしょ」。人生の中に何かを探し求めたい。どこかに何かいいものがあるんじゃないか。瀧と三葉は過去現在未来を彷徨いながら追い求める。

追い求めるものは必ずしも理想の相手ではない。

(2016.9.24)

---シン・ゴジラ---


シン・ゴジラ

「シン・ゴジラ」の「シン」てどう書くんだろう。「新」か? 「真」か? 「神」か?

「新」だと最新のゴジラ映画だからということになる。「真」だとハリウッド製のトカゲゴジラではなく、これが本当のゴジラだ、と言っているようだ。迫撃砲でもミサイルでも空爆でも死なないのだからどうやっても殺すことができない存在だから「神」ということになる。どれも正しいような気がする。監督も決められないのでカタカナで「シン」としたんじゃなかろうか。

映画では決着をつけなくてはならないので血液凝固剤を投入してゴジラを固まらせる。血液凝固剤なのに口の中に放り込んだり、凝固させたはずなのにゴジラが凍結したり、少し中途半端だった。観客の一人一人が違うことを考えているのだからあやふやなところがないように演出しなければならない。それまでの演出が綿密に決まっていただけに決着のつけ方が曖昧であったのは残念だった。

ゴジラは「つちのこ」みたいな形で登場し何段階かの変態の後最後にあのおなじみのゴジラになる。「つちのこ」が変態して次の形になる映像が動物的で面白かった。

映画は神のような究極の生物ゴジラが東京の街を破壊しまくる。それに対応する日本の政府の有り様が描かれる。視野の狭い政治家、自分の土俵から出ようとしない有識者たち、決められない総理大臣。まるで阪神大震災や東日本大震災の時の日本のようだ。この映画で監督が描きたかったのはそこだ。後ろの方の席では子供達が遊んでいた。

(2016.8.27)

---トランボ---


トランボ

「ローマの休日」と「黒い牡牛」で2度のアカデミー賞を受賞したが2度とも偽名だったというドルトン・トランボの話である。ドルトン・トランボといえば「ジョニーは戦場へ行った」で脚本、監督をした人である。静かな反戦映画ということで公開された。その時観に行き、感動した覚えがある。

トランボは1940年代から13年間マッカーシー上院議員らによるアカ狩りによって本名で活動することができなかった。彼はインタビューでこう答えている。「娘は3歳の時から13年間友達から父親の職業を聞かれた時困難に直面していた。彼女は勇敢な兵士だった」

映画の中で家族そろってアカデミー賞の授賞式を見ている。父親が偽名で書いた脚本が受賞するとテレビの前で全員が大喜びする。こういう家族に囲まれていたから全米から非難されても平気でいられたのだ。

アカ狩りにリストアップされた映画関係者の中には転職したり自殺したりした人もいた。トランボのすごいところは本名で書けない時は偽名で、メジャーから締め出された時は小規模の怪しげな映画会社の仕事をする。「エイリアンと尼僧」とか「人妻とゾンビ」みたいな怪しげな脚本を書きまくる。

アカ狩りの議員が弱小映画会社に来てトランボに仕事を出すと映画界から締め出してやる、と脅迫する。脅迫された社長は「俺は政治とか思想に興味はない、興味があるのは金と女だけだ」と言ってバットで殴りかかる。胸がスッとするシーンだ。

ドルトン・トランボが復帰するのはカーク・ダグラス制作、主演による「スパルタカス」で本名がクレジットされた1960年からだ。時の大統領ジョン・F・ケネディが映画を見て「面白かった。これは当たるだろう」と発言してからだ。

(2016.8.11)

---帰ってきたヒトラー---


帰ってきたヒトラー

上映してからだいぶ経つので行ったのだが2時間前だというのに空いている席は一番前の数席のみだった。こんなに人気のある映画だったとは。

現代にヒトラーを置いたらという仮定をとことん真面目にやったらこうなった、という映画だ。確かにこうなるだろうな、と納得した。

現代によみがえったヒトラーはことさら声をはりあげるでもなく、自然に生活し、現代人の生活を知ろうとする。そして彼が惹きつけられるように近づいていくのがテレビ局だ。

テレビに出るようになった彼は自然にヒトラーになっていく。インターネットやテレビの存在は彼にとって最高の武器なのだ。

現代の閉塞状況に置かれた人々にとってヒトラーは頼りになる存在なのだ。

1970年代、80年代に彼が出てきても無視されたかもしれない。映画が作られた2014年に限るのだ。ドナルド・トランプがそうであるように。

(2016.7.18)

---ブルックリン---


ブルックリン

雨の土曜日。日比谷のロードショー映画館。始まったばかりのせいか満席に近い入りだった。もっと後ろの方が良かったのだがそこしか空いていない席は前の方だった。

導入部、アイルランドの田舎の風景。そこで生活する人々。陰鬱な天気。思わずうとうとしてしまった。

主人公の女性が船に乗ってアメリカに渡るシーンから話が動き始めた。

誰もいない食堂。主人公一人が黙々と食べている。なぜ乗客が食堂で食べていないのか。次のシーンで判明する。

揺れる船。トイレは隣の部屋の乗客に占領されバケツに吐く主人公。

アメリカについた主人公。イミグレーションを通る時の不安な表情。やっと着いた新大陸アメリカ、ドミトリーのある街ブルックリン。ドミトリーではアイルランド人の女性ばかりが生活している。当時は人種ごとに固まって生活していたのだろう。

主人公の新生活が淡々と続く。淡々とではあるが一つ一つの体験が新鮮だ。この辺から主人公の生活から目が離せなくなってきた。まるで自分が彼女の身になっているかのように感じる。

映画って派手な撃ち合いやCGを駆使した斬新な映像のみがすべてではないと思った。この映画では主人公の身に起こる日常生活の細々したことすべてがドキドキする出来事であり冒険なのだ。日常生活の冒険。

素晴らしい脚本と演出、そして素晴らしい演技、映画はそれがあれば他に何もいらない。

(2016.7.9)

---素敵なサプライズ---


素敵なサプライズ

典型的なボーイミーツガールものだがオランダ映画というのが珍しい。

出ている俳優も初めて見る人ばかりで新鮮味がある。主役の二人は美男美女ではないが二人とも魅力的な顔立ちをしている。男性は貴族でお城みたいなお屋敷に住んでいるが違和感がない。日本人には絶対にできない設定だ。お百姓とか兵隊の役は得意なのだが。

お屋敷に住む男性が母親の死後なぜか自殺願望に襲われる。ふとしたことから自殺を幇助してくれる組織を知り、自分の死を依頼する。そこで出会った女性と親しくなり、死にたくなくなってくるが契約を取り消すことはできないと言われ…。という話。

コメディだから悲惨なことにはならないが、途中どうなるんだろうとドキドキする。

単館上映でやっている映画館は少ない。シネコンにはかかりにくい映画だが映画好きの方は交通費を使っても見に行く価値はある。

(2016.6.25)

---64-後編----


64-後編-

前編とは打って変わって予定調和の映画になっていた。

三上広報官が捜査活動に参加してはいけない。まして広報官が犯人と思われる人物に罠を仕掛け単独で捕まえに行くなどはテレビドラマでもありえない。一般人になった元婦人警官を捜査活動に参加させてはいけない。新聞記者が公の場で広報係長に対してお前ら呼ばわりをしてはいけない。前編はギリギリのところで踏みとどまっていた。映画の緊張感はそこから生じていた。

前編では組織と個人の問題を普遍的なまでに対立させていたのに後編ではそれら全てを自ら否定してしまった。原作にない犯人を無理やりでっち上げたためにほころびを取り繕うために無理を重ねた挙句図らずも予定調和的な偽物の映画になってしまった。これが大手配給会社に頼らざるをえない日本映画の宿命だろう。監督は別のことを考えていたはずだ。

佐藤浩市、永瀬正敏、三浦友和、緒形直人らの熱演が生きなかったのは残念であった。

(2016.6.12)

---サウスポー---


サウスポー

ボクシング映画に駄作はない。この映画も格言通りであった。名作とは言えないまでも感動作だ。

ジェイク・ギレンホールはボクシング俳優の例に漏れず体を完璧に作り上げてきた。よくアメリカの俳優は短期間の間にこんな立派な体を作れるものだ。肉食が効いているのかもしれない。

共演は「パッション」「アバウト・タイム」「スポットライト」でおなじみのレイチェル・マクアダムスだ。彼女の顔を見ると親しい友人が出てきたように感じる。

彼女は今回は早々に殺されてしまう。愛する妻を失った主人公が自暴自棄になり、家や財産を失い、娘の養育権までも失ってしまう。どん底まで落ちた主人公が娘のために立ち直る。それが話の筋だから彼女が殺されなければ話は始まらない。

かくてボクシング映画の王道を行く作品となった。見て損はない。

(2016.6.4)

---64-前編----


64-前編-

豪華出演陣の重厚な人間ドラマであった。手抜きのない作りに最後まで集中してみることができた。

映画評の中に誘拐殺人事件の捜査が進まないのは何故だ、という意見があったが原作者横山秀夫の興味は警察機構であって警察の活動ではない。佐藤浩市扮する主人公の三上は広報官でありいわゆる刑事ではない。

前編では広報官と記者クラブの対立が主要な舞台になっている。監督はその対立を通して組織と個人のあり方を徹底的に追及する。警察機構が組織と個人を浮き彫りにしやすいことが原作者が警察を舞台にした小説を書くモチベーションになっているのだろう。横山秀夫は実際に栃木県で記者クラブに属する新聞記者であったらしい。本映画のリアリティはその辺から来ているのだろう。

後編が楽しみである。

(2016.5.29)

---殿、利息でござる!---


殿、利息でござる!

評判につられて見に行ったが失敗だった。

ポスターも予告編も阿部サダヲ主演の喜劇にしか見えない。実際には瑛太主演のシリアス物。ポスターでは阿部サダヲが銭のちょんまげをつけて得意そうに笑っているように見えるが、本編では阿部は苦渋に満ちた顔しか見せず、笑っている顔は1カットもない。外国映画の題名で原題とはなんの関係もないものがついていたりするが、日本映画ではこんなごまかしの手口があるのか。脚本にも映画手法にもなんの工夫もないベタな作り。30分ものの日本昔話を2時間かけて見せられたようなものだった。

真ん中辺の席で出るに出られず、睡眠で対抗するしかなかった。

(2016.5.22)

---ヘイル, シーザー!---


ヘイル, シーザー!

アカデミー賞の常連コーエン兄弟脚本監督による喜劇ということで期待を持って見に行った。

1950年代のハリウッド映画の知識をベースに書かれた作品なのでそれを知らないと面白さは半減する。部分部分は面白かったけど全体としてはまとまりが欠けていたような気がする。役者でいうとこのところ出ずっぱりのジョシュ・ブローリンが良かった。それから喜劇役者と化したジョージ・クルーニー、あばずれ女と化したスカーレット・ヨハンソン、大根役者役のアルデン・エーレンライクが良かった。

アルデンとボケとツッコミのようなやり取りを交わすレイフ・ファインズが妙に面白かった。コント55号の欽ちゃんと二郎さんのやり取りを見ているようだった。

チャニング・テイタムがジーン・ケリーばりに歌って踊るシーンも魅力的だった。こうしてみると見どころ満載の映画だったような気がする。

(2016.5.14)

---ボーダーライン---


ボーダーライン

アメリカとメキシコの国境付近でのアメリカ当局対メキシコマフィアとの麻薬戦争を描いた映画だと思っていた。

上記の麻薬戦争を背景にした個人の復讐譚というのが本映画の正しい解釈である。日本映画だったら耐えに耐えた高倉健が最後に悪い親分のところへ一人で殴り込みをかける。最近のアメリカ映画だったら「96時間」のリーアム・ニーソンが娘を助けるために東欧系のマフィアに一人で殴り込む。本映画では…。といったところだ。

男の世界にFBIの女性捜査官を加えたところに本映画の新しさがある。エミリー・ブラント扮する女性捜査官が加わることで画面の緊張感はさらに高まった。緊張感という点ではアカデミー賞をとった「スポットライト」より本映画の方が数段上回っていた。

エミリー・ブラント、ジョシュ・ブローリン、ベニチア・デル・トロそれぞれがいい味を出していた。

(2016.4.24)

---スポットライト---


スポットライト

アカデミー賞の作品賞受賞ということで見に行ったが地味な映画であった。盛り上がりのあるドラマがほとんどない。淡々と新聞記者たちの行動を追うだけである。

日本映画だったらあざとい挿話を挟むところだがそれもない。ほとんど事実を追うのみである。監督、脚本トム・マッカーシーということで始めからそういうものを狙った映画なのだろう。

おやっと思ったのは映画が終わった後俳優たちの名前が出てくるがファーストクレジットがマーク・ラファロ、セカンドクレジットがマイケル・キートンであったことだ。役柄といい知名度といい格といいファーストクレジットはマイケル・キートンじゃないのか。事実マーク・ラファロは助演男優賞にノミネートされていたくらいだ。

「パッション」「アバウト・タイム」でまるで正反対の役柄を演じた女優レイチェル・マクアダムスは今回もいい役で出ていた。彼女がいなければかなり味気ない映画になったのではないか。

内容はキリスト教国でなければピンとこないのではないか。世界中の6%の神父が性的変質者だなんて。なんでもカトリックの神父は妻帯禁止であるらしい。プロテスタントだと牧師といい神父とは少し立場が違うようだ。牧師は妻帯が許されている。知人の牧師も妻帯者で子供が3人いる。神父である前に人間であり、人間である以上動物なのだから自然の要求を禁じたりしたら不自然なのは当たり前のことだろう。と日本人の私は考えるのだが、このような大規模な事件が記者が掘り出さないと発覚しないことそのものがキリスト教国独特の現象なのだろう。

(2016.4.23)

---あやしい彼女---


あやしい彼女

韓流映画のリメイクだそうである。そういえば演技が大げさだったり、歯が浮くようなセリフがあったり、場面展開が唐突だったり…。

だが多部未華子の存在はそうした不自然さを吹っ飛ばして一気に感情移入してしまう。一度感情移入してしまうと笑いあり涙ありの韓流映画の良さがどんどん出てくる。

多部が歌う「真っ赤な太陽」「見上げてごらん夜の星を」で一気に感情移入し、「悲しくてやりきれない」では涙が溢れた。

おばあちゃん役の倍賞美津子、その友達役の金井克子の怪演、小林聡美の自然な演技、そして越野アンナのバワフルなボーカルなど見どころが多い映画であった。

(2016.4.17)

---ちはやふる--上の句-----


ちはやふる--上の句--

久しぶりの日本映画だった。春休み中とあって席は高校生で一杯だった。

原作は漫画。そのせいか前半の導入部は大げさな演出が目立った。後半競技かるたの大会になるとその演出が効果となって異様な盛り上がりとなった。以前テレビで見たことがあるが競技かるたというのは遊びというよりスポーツに近い。信じられないスピードでかるたを弾く。その辺を若い俳優たちは見事にこなしていた。

かるたを中心に高校生たちの生活や感情が表現されていて見事な青春物語になっていた。

一月後の「下の句」が楽しみである。。

(2016.4.4)

---砂上の法廷---


砂上の法廷

「94分あなたは騙される」とか「正義はこんなにも脆いのか」とか「この結末、他言無用」とか相変わらず外したキャッチコピーをつけているがネタバレせずに映画の本質を一言で表現するのは難しい。この映画は面白かった。最後までドキドキした。

アメリカの裁判は裁判長ではなく12人の陪審員が決める。12人の陪審員が無実といえば裁判官には手が出せない。従って検事と弁護士はかわるがわる陪審員に向かって自分の意見を述べる。陪審員に向かってワンマンショーを繰り広げるのだ。

両者はあの手この手を使い最後には自分の目的を果たそうとする。キアヌ・リーヴス扮する弁護士は部下の女性弁護士にアリ対フォアマンの対戦にたとえ、初めは負けていても第8ラウンド相手が疲れたところに一発のカウンターで倒せばいいんだ、という。アメリカの裁判制度というのはひとつのショーだ。

重要な役でレニー・ゼルウィガーが出ていた。ネットでは整形手術に失敗した、と書かれていたが失敗したのではなく、整形手術をして年をとるとみんなああいう中途半端な顔になるのだ。彼女が何もせずに年をとったならさぞ味のあるいい顔になっただろうに、残念。

(2016.3.27)

---Mr.ホームズ---名探偵最後の事件---


Mr.ホームズ

「私にはやり残したことがある」とか「未解決事件に再び挑む」とか「名探偵最後の事件」とかいうキャッチコピーは間違っている。このコピー目当てに映画館に行くと肩すかしを食ったような気になるだろう。

物語は引退生活に入って久しいホームズが昔を回想して後悔する、という内容である。未解決の事件を解決したりはしない。

ホームズの引退生活はコナン・ドイルの原作で少し触れられているが、海辺の家で養蜂をしながら養蜂についての本を書くというものだ。映画はそのシーンを我々のイメージ通りに描いている。英国の田舎での単調な老後の生活、老人になったホームズには訪れる依頼人もなく、現役時代を回想するしかすることがない。

監督が描きたかったのはそういうホームズの生活だったと思う。104分の映画がやけに長く感じたり、眠くなったりしたのは、単調な毎日を過ごすホームズの生活を表現するのに監督が成功したからに違いない。

(2016.3.20)

---キャロル---


キャロル

映画は奥が深い。普段の生活ではとても体験できないような400m上空での綱渡りや巨大鯨との闘い、冒険活劇の世界、様々なことを居ながらにしてみることができる。

「キャロル」は1950年代アメリカのレズビアンの世界。レズビアンというだけで精神障碍者とみなされる社会。子供の養育権を剥奪されそうになるキャロルとデパートの売り子テレーズの恋。二本の糸が絡み合いながら物語は進んでいく。母親としてのキャロル、恋人としてのキャロルが徐々に深みにはまりこんでいく。そして…。

本当に50年代の映画を観ているような気がするほどセット、衣装、メイクアップが完璧だった。ほとんどのシーンがケイト・ブランシェット演ずるキャロルとルーニー・マーラ演ずるテレーズのアップで占められている。今年の女優賞はこの二人が独占するのではないか。

ちなみに黒い瞳、黒い眉のルーニー・マーラは若いころのオードリー・ヘプバーンを思わせた。

ラストシーンはセリフなしのキャロルのアップ、それは肉食の動物例えばキツネが獲物を捕らえたときの目を思い起こさせた。このような表情ができる俳優は日本にはいない。

(2016.2.14)

---ザ・ウォーク---


ザ・ウォーク

綱渡りでワールドトレードセンタービルの南棟から北棟へ渡る。何故渡るのか。渡りたいからとしか説明されていない。

思い立ったらそれに向かってひた走る。「共犯者」を集めていくシーンは「七人の侍」みたいだし、工事中のビルの屋上まで機材を運び込むシーンは「スパイ大作戦」みたいだ。

やっとのことで準備が完了し、南棟から北棟へ無事渡った。それでめでたしめでたしかと思ったらたどり着いた北棟から南棟へ戻りたくなってしまうのだ。「おいおい、この辺でやめておけよ」と思うのだが本人がやりたいのだから仕方がない。南棟にたどり着き「よかったな」と思うと、警官の姿を見てまた北棟へ歩き出す。北棟でも警官が待っていると見るやどちらにもいかず真ん中で寝転んでしまう。そこへ狂暴そうなカモメが…。この辺では見ているこちらがへとへと、「どっちでもいいから警官に捕まってくれよ」と強く思った。

ザ・ウォーク

「共犯者」のひとりの女性のセリフ「タワーが身近に感じられるわ。だってあなたが渡ったんですもの」でホッとした。公開2日目にしてはあまりにも客が少ない。10人くらいではないか。こんなに面白い映画なのに。

(2016.1.24)

---白鯨との闘い---


白鯨との闘い

「白鯨」が観たかった。「白鯨」は1956年グレゴリー・ベック主演の作品以来映画になっていない。

今回は「白鯨」がハーマン・メルヴィルによって書かれるきっかけになった事件を扱ったものである。

当然「モービ・ディック」は出てくる。観ないわけにはいかない。

有楽町の映画館に行って驚いた。公開2日目にしてはあまりにも客が少ない。10人くらいではないか。日本でも1,2といわれる大きいスクリーンを持つ劇場にこの人数?

不安は的中した。海の嵐のシーンは迫力がある。「モービ・ディック」はでかい。ナンタケットの街のセットはよくできている。

だが何となく物足らない。エイハブ船長がいないのだ。それに対抗する一等航海士スターバックも。

船長は街の名士の息子でちょっと突っ張るが基本的にすなお、一等航海士は職務と船長に忠実でサラリーマン的。二等航海士は癖のある顔をしているが癖があるのは顔だけで性格はすなお。これでは人間ドラマは生まれない。

映画の中で生き残った船員をインタビューしたメルヴィルは帰りがけ、元船員にこう尋ねられる。あんたはこの話をそのまま本にするのか。メルヴィルは「私が書くのは小説だからこの話の一部しか使わないだろう」と答える。

ハーマン・メルヴィルの書いた「白鯨」は世界文学史に残る名作となった。

(2016.1.17)

---ブリッジ・オブ・スパイ---


ブリッジ・オブ・スパイ

前半は眠くなったがスパイ交換のシーンから急に緊迫感が出てきた。

トム・ハンクスとスピルバーグのコンビだ、面白くならないわけがない。

ソ連側のスパイを演じたマーク・ライランスという役者、なかなかいい顔をしていた。今年のアカデミー賞では助演男優賞に引っかかるのではないか。

小説でも映画でもスパイものはアメリカvsソ連の冷戦時代に限る、と改めて思った。

原題は"BRIDGE OF SPIES"「スパイたちの橋」という意味か。

(2016.1.11)

---007/スペクター---


007/スペクター

イアン・フレミングの原作にない話だが原作の特徴、暗くて狭くて痛い感じを忠実に表現していた。そして映画のジェイムズ・ボンドシリーズの特徴、目がくらむようなアクションも。

メキシコのフィエスタからヘリコプターのアクションに移る導入部はそこにこの映画のすべてをかけているのではと思わせるほど素晴らしかった。

ダニエル・クレイグのたたずまいはどう転んでも不幸の影を背負っている。このシリーズはボンドの暗い生い立ちを追及する話が底に横たわっているが今回でその話は完結したようだ。

最後に"James Bond Will Return"というタイトル文字が出た。次回からは装いを変えて新しいボンドが見られそうだ。

(2016.1.3)

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