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マイ・インターン / チャップリンからの贈りもの / ボヴァリー夫人とパン屋 / セッション / イミテーション・ゲーム / アメリカン・スナイパー / フォックスキャッチャー / 96時間/レクイエム


---マイ・インターン---


マイ・インターン

アン・ハサウェイがかっこよかった。

デニーロがやった役はデニーロでなくてもできるのではないかと思った。この役のデニーロはいつも微笑んでいて癖のある表情は一切見せない。まるでデニーロの抜け殻のようだった。

ハリウッドのロマンティックコメディの流れの王道を行く作品だった。こういう作品にはアン・ハサウエイはぴったりで彼女のために作ったような作品であった。

監督、脚本はナンシー・マイヤーズ、ハリウッドロマンティックコメディのベテランである。

アン・ハサウエイファンには彼女の魅力満載のこの作品は満足のいくものだったに違いないが、デニーロファンには少し物足らなさが残ったのではないだろうか。

デニーロの昔の作品、「タクシードライバー」「ゴッドファーザーPartU」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「ディアハンター」が見たくなった。

(2015.11.21)

---チャップリンからの贈りもの---


チャップリンからの贈りもの

これは駄作だった。

途中下車しようかと思ったが外の暑さを考え、日ごろの睡眠不足を補うことにした。

映画は監督がその題材を面白いと思わなければ観客もそれを観て面白いとは思わない。こういう映画を撮ったら観客は面白がるんじゃないかと考えるのは間違いである。まず自分自身が面白いと思わなければ人が面白いと思うわけがない。

この映画は撮った監督自身が面白いとは思っていなかったんじゃないかと思う。ひげ面の男がふたり、チャップリンの墓を暴いて棺桶を盗み出す。なんて実話だから面白いんでそれを逐一見せられたってどうかね。

ヒッチコックは同じような題材で「ハリーの災難」を作ったがこれは面白かった。実話をもとにしたものでは「サイコ」があったが、これは同じ題材をもとにしたほかのどの映画より面白かった。

映画は監督のものである。監督に知性がなければ面白い映画ができるわけがない。

(2015.7.25)

---ボヴァリー夫人とパン屋---


ボヴァリー夫人とパン屋

フローベールの「ボヴァリー夫人」ではない。「ボヴァリー夫人とパン屋」である。原題は"Gemma Bovery"。

長年出版社に勤め、定年間際になって田舎に帰りパン屋になった男が主人公である。この男フローベールの「ボヴァリー夫人」が大好きでぼろぼろになるまで繰り返し読んでいる。イギリスから男の隣に引っ越してきたのがチャーリーとジェマのボヴァリー夫妻である。フランス語読みするとシャルルとエマでまるで小説と同じである。男は何かとこの二人を気にするようになる。

美しいジェマが不倫するんじゃないか、三角関係のもつれで服毒自殺するんじゃないか、気が気でない。そこへ若くてイケメンの男が現れ…。物語は進行する。

フランスの田舎の風景がいい。男がやっている町のパン屋のたたずまいがいい。パンがどれもおいしそうだ。

いつも夢想しているようなパン屋のおじさん役のファブリス・ルキーニ、日常生活に退屈しているジェマ役のジェマ・アータートン、それぞれが適役で存在感があった。

物語が終わり、空き家になった隣の家に新しい主人が引越してきた。今度はロシア人。姓はカリーニン、名はアンナ。アンナ・カレーニナだ。

(2015.7.20)

---セッション---


セッション

原題は"whiplash" (むち打ち)。

きびしい先生が生徒をむちでぴしぴしとたたきながら指導する、というイメージだ。映画はもう少し極端でいじめのためのむち打ちではないかというシーンもある。

この先生はあまりにきびしい指導のために弟子がうつ病になって自殺してしまう。さて主人公のドラマーは? というところがこの映画の見せ所になる。

主人公がドラマーだから演奏シーンが嘘だと安っぽい映画になってしまうが、主役のマイルズ・テラーは本物のミュージシャンを役者にしたかと思うくらいドラムがうまい。ラストの演奏シーンの迫力が無ければこの映画は成立しなかったのだから彼の功績は大きい。

先生役のJ.K.シモンズが助演男優賞を取ったが、ドラマー役のマイルズ・テラーもなかなかのものだったと思う。映画館を出たときは音楽映画というより戦争映画を見終わった感じだった。

(2015.5.9)

---イミテーション・ゲーム---


イミテーション・ゲーム

題名から犯罪物かと思っていたが、実話物、ナチ物だった。ナチ物にはずれ無しとのことわざ通り本作も「当たり」だった。

ナチス・ドイツの暗号機エニグマを解読し、戦争を有利に導いたのがイギリスのMI-6に雇われた数学の博士だったとは。この博士はチューリング・マシンというものを作り、このマシンで難解な暗号を解き、連合軍を勝利に導いたという。この事実はつい最近イギリス政府によって明かされたという。歴史秘話というものはあるものだ。

このときのチューリング・マシンが後にコンピューターになる。戦争と宇宙開発は技術を急速に発展させる。

戦後、天才だが統合失調症で同性愛者でもあるチューリング博士に助手を勤めた女性が言う。

今朝、あなたが壊滅から救った町へ行ったわ。そこであなたが命を救った駅員から切符を買ったわ。あなたが普通でないから世界はこんなにもすばらしい。

(2015.3.21)

---アメリカン・スナイパー---


アメリカン・スナイパー

クリント・イーストウッド監督作品というだけあって画面から受ける緊迫感は最後までとぎれることがなかった。

アルカイーダと戦う狙撃手の4回にわたる派兵の話だ。

愛国心から狙撃手になり、派兵を重ねるごとに現実の重みに精神を病んでいく男の物語なのだが実話とあってあまりメリハリをつけずにたんたんと彼の戦争、彼の家庭を描いている。

彼は2年前、戦争で精神を病んだ元兵士に国内の射撃場で撃たれて亡くなった。

イーストウッド監督は音楽の使い方がうまいが、この作品も必要最小限と言った形で音楽を入れている。ポツンポツンとピアノの弾き語りを入れるところはこの監督の独壇場だ。

本編が終わり、タイトルロールが出るところでは一切音楽を入れず無音であった。

(2015.2.28)

---フォックスキャッチャー---


フォックスキャッチャー

アメリカの役者の層の厚さはうらやましい限りだ。

主役の三人、スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロそれぞれがすばらしい。

特にスティーヴ・カレル、この映画は彼でもっている。スティーヴ・カレルといえば「ゲット・スマート」とか「俺たちスーパーマジシャン」とかおバカ映画の記憶しかない俳優だが、検索してみると本作以外はみごとにおバカ映画ばかりだ。自分のイメージを強烈に崩す役をよく引き受けたものだ。

感心したのは笑うシーンだ。彼が笑うシーンは一箇所しかない。その笑い顔で自分の生い立ちやどういうしつけを受けたか、現在の精神状態まですべて表現していた。

笑い顔は演技しにくい。日本の俳優は笑い顔に関しては自前のものしか使っておらず、そこで今までの性格設定を台無しにしている例が多い。

チャニング・テイタムは2年前「ホワイトハウス・ダウン」を観たが、そのときに比べてだいぶ体が引き締まっていて動作もすばやくなっていた。

マーク・ラファロとチャニング・テイタムがレスリングのスパーリングをするシーンはかなり訓練したのではないかと思うくらいすばやい動きだった。

アカデミー賞では主演男優賞のスティーヴ・カレルしかノミネートされていなかったが、賞とは関係なく上質の映画だと思った。

(2015.2.21)

---96時間/レクイエム---


96時間/レクイエム

3作目ともなるとだいぶデタラメが目立ってくる。

2作目も劣化が目立ったが本作はさらに劣化が目立った。

「96時間」がヒットしたのは今までにないアクション物だったからだ。どういうところが今までになかったかというと主人公がくたびれたおっさんだが実は元CIAのエキスパートでいざとなると強い強い、ブルドーザーのように敵をなぎ倒してしまう、というところだった。

2作目以後は実は強いということが観客にばれているのでかなり脚本に工夫を凝らさないとうまくいかないのは素人にもわかっていた。それを乗り越えて面白くするのがプロの仕事のはずだった。

とはいえそのハードルは高すぎたようである。

1作目で1番爽快だったのは何のためらいもなくスピーディに敵を殺すところだった。そこに本当のプロの姿を感じたものだった。

回を重ねるごとにスピーディさに欠けてきて、本作では普通のアクション物になってしまった。そうなるともともとアクション俳優ではない62才のリーアム・ニーソンが主演ではつらい。

脚本のリュック・ベッソンも名前を貸しただけではないかと疑われる出来になってしまった。

(2015.1.11)

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