2013年  一覧へ
鑑定士と顔のない依頼人 / 永遠のゼロ / ゼロ・グラビティ / キャプテン・フィリップス / ハンナ・アーレント / スティーブ・ジョブズ / 42 -世界を変えた男- / エリジウム / 許されざる者 / ウルヴァリン・SAMURAI / ホワイトハウス・ダウン / 終戦のエンペラー / インポッシブル / アンコール!! / 華麗なるギャツビー / オブリビオン / ラストスタンド / L.A.ギャング ストーリー / リンカーン / ハッシュパピー バスタブ島の少女 / HK/変態仮面/ ヒッチコック / アンナ・カレーニナ / ザ・マスター / 愛、アムール / 洲崎パラダイス 赤信号/ 最初の人間 / ゼロ・ダーク・サーティ / ムーンライズ・キングダム / 渾身 / 映画 鈴木先生 / 007スカイフォール / ルーパー / 96時間リベンジ / もうひとりのシェイクスピア


---鑑定士と顔のない依頼人---


鑑定士と顔のない依頼人

この映画に何々ものというジャンルをつけるとすれば中世の騎士ものになるだろう。 古城に閉じ込められたお姫様を救いにいくのは若く勇敢な騎士だ。無事お姫様を救い出した騎士にはお姫様のキスというプレゼントが待っている。

この映画では独身のまま老年に差し掛かった主人公が姫を救い出さんと勇気を奮う。だがこれは現代の話だ。姫を救った主人公に与えられるプレゼントは…、という話になる。

ラストシーンで時計の内部のような機械で埋まったカフェで主人公は待つ。永遠に来ることは無いであろう姫を…。

ジェフリー・ラッシュの演技はみごとで映画を見ている全員が感情移入してしまうだろう。

(2013.12.27)

---永遠のゼロ---


永遠のゼロ

本を読んで感動したので映画はどうかな、と思ってみたのだがうまく作ってあった。

本をそのまま映像にしたのでは本には勝てない。本にはいくらでも心理描写が書き込めるからだ。

この映画は本をそのまま映像にしているだけで、映画芸術としての工夫が無かった。ただ最後の岡田准一の表情は本では表現できないものでこれだけは映画のほうが優れていた。

この映画を撮った後亡くなった夏八木勲さんのご冥福をお祈りいたします。

(2013.12.22)

---ゼロ・グラビティ---


ゼロ・グラビティ

出演者はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーのふたりだけ。しかも後半はサンドラ・ブロックの独り舞台。

これで2時間もつのかなあ、と思っていたが何とかもってしまった。

原題はグラビティ。日本の題名とは正反対ではないかと思うのだが、このほうが深みがある。映画の99%は無重力の宇宙空間が舞台である。地球に降り立った最後の数分間が唯一重力のある世界。サンドラ・ブロックがふらつく足で立ち上がったときのしっかりとした重力感。それがこの映画のいいたかったことだ。サンドラ・ブロックが立ち上がったときと歩き出したときの2回、強調するように”GRAVITY”というタイトルが表示される。

(2013.12.15)

---キャプテン・フィリップス---


キャプテン・フィリップス

なんなんだ。この海賊たちのリアルさは。

本当にソマリアの海賊をスカウトしてきたんじゃないだろうな。

体つきから目つき口元、銃の構え方から片言の英語まで何から何までソマリアの海賊だ。

後半1時間、狭い救命ボートに乗ってからの緊迫感はただ事ではない。狭く薄暗い所に閉じ込められた船長のどうなるかわからない緊張感がひしひしと伝わってくる。

賞をあげるとしたら海賊のボスになったバーカッド・アブディなんだけど彼は本当に海賊じゃないんだろうな。

(2013.12.14)

---ハンナ・アーレント---


ハンナ・アーレント

ハイデッガーの弟子ハンナ・アーレントのある時期の話である。

ユダヤ人の哲学者ハンナが南米で捕えられたアイヒマンの裁判をイスラエルで傍聴するところからドラマは始まる。

傍聴するうちに悪魔の化身かと思われたアイヒマンが普通の平凡な男に見えてくる。普通の平凡な男がなぜあんな残酷なことをしたのか。考えていくうちに”悪は凡庸さから生まれる”ということに気づく。凡庸とは思考を停止することから生ずる。そして収容所の中のユダヤ人の指導者たちもホロコーストを手伝っていた、という事実に思い当たる。

新聞社の依頼を請けたハンナはそのことを記事に書く。

すると全米のユダヤ人からごうごうたる非難の嵐が巻き起こる。古くからの友人が去っていく。勤めていた大学をクビになる。危害を加えられなかったのが不思議なくらいだ。

ハンナ・アーレント

アイヒマンを擁護したわけではない。またユダヤ人指導者たちを非難したわけでもない。ただ悪は特別なところから生ずるのではない。思考を途中で停止するところから発生する。と言っただけだ。

ユダヤ人社会におけるホロコーストのトラウマは日本人には想像もつかない。韓国人や中国人が日本に異常反応するのもこれに似ているかもしれない。

ハンナ・アーレントの著作は日本でも翻訳されている。手にとってはみたが難しそうなのと値段が高いので購入はしなかった。

(2013.11.13)

---スティーブ・ジョブズ---


映画評の点数は低かったが興味深い映画だった。

アップルUがどのようにして世の中に出たのか。派手なカラーリングのi−Macがどのような状況で開発されたのか。ガレージ起業とはどのようにして始まるのか。社員数4万4千人のグーグルも15年前はガレージから始まったのだ。アップルが無ければグーグルも生まれなかったかもしれない。

アップルUが世の中に出たとき同僚数人が10万円前後でそれを購入した。組み立てキットとして売られ、組み立てに失敗したらはじめから動かすこともできない。モニターは別売りなのでテレビに接続して動かしていた。動かすとはいってもOSが組み込まれていないので自分でベーシックやフォートランを使ってプログラムを作らなくてはならない。出来上がったプログラムは電卓に毛の生えたようなものにならざるを得ない。それを横目で見ながらこれは使い物にならないな、と思った。

NECがPC−98シリーズを出すのはそれから10年後である。パソコンにワープロというソフトが乗ってはじめて使い物になったのである。それまで研究室で使われていた巨大コンピューターを個人が使えるようにしたのがスティーブ・ジョブズである。こうしたいという夢をどのようにしたらそうなるかを考え実行する、ということはすべての人間にできることではない。こりゃダメだな、と思ったらあきらめてしまうのが普通の人間だ。i−Padやi−Phoneも無いところから新しいものを作り出すという特別な人がいたからできたことだと思った。

スティーブ・ジョブズ亡き今、アップル社は故人の遺産を守るだけの会社になってしまうだろう。ウォークマンを生んだソニーが抜け殻のようになったのと同様のことがアップルにも訪れるだろう。

(2013.11.7)

---42 -世界を変えた男- ---


42 -世界を変えた男-

アメリカ映画の野球ものにははずれが無い。”ナチュラル””オールド・ルーキー””がんばれ!ベアーズ”等々。本作も同様、見て損は無い。

ジャッキー・ロビンソンという名前を知らなくても、その背番号がメジャーリーグ全球団の永久欠番になっていることを知らなくても十分楽しめる。困難を克服するという人間の普遍的な行動を描いているからだ。

普通の困難ではない。1940年代の人種差別の国アメリカで、その国民的なスポーツ ベースボールの400人のメジャーリーガーの中でただ一人の黒人選手、それがジャッキー・ロビンソンだ。

もし自分がそういう立場だったら耐えられるだろうか。とても耐えられないだろう。

一度アメリカで差別を受けたことがある。カウンターバーで飲み物の注文を無視された程度のたわいも無いものだったが、一瞬自分が透明人間になったような変な気持ちになった。ジャッキー・ロビンソンの受けた差別はそんなものではない。生活のあらゆる場面で繰り返しさらされる露骨な差別だ。メジャーリーガーということで一般の黒人が受ける何倍もの差別に彼は10年間さらされ、それに耐えた。しかも立派な成績を残して。

彼は一人で耐えたのではない。ハリソン・フォード演じるジェネラル・マネージャー、同僚たち、そして妻レイチェルが彼を支えた。

映画というものは見るものに勇気とか愛とかプラスの感情を与えてくれるものでなければならない。この映画は本来アメリカ映画が持っている明るい面を表現していて”野球ものにははずれが無い”という格言どおりの出来だと思う。

(2013.11.6)

---エリジウム---


エリジウム

マット・デイモン主演、「第9地区」の二ール・ブロムカンプ監督ということで楽しみにしていた映画だ。予告やパンフレットを見てどんな凄い映像が見られるのかと思っていた。

残念ながら始まるや否や眠ってしまい、前半は夢を見ているんだか映画を観ているんだかよくわからない有様だった。後半「第9地区」の主演シャールト・コプリーががんばりだすや睡魔は退散しマット・デイモンとの一騎打ちを楽しむことができた。

それにしても特別な映像はどこにも無かった。

(2013.9.24)

---許されざる者---


許されざる者

3日前にTVでオリジナルを観た。あらすじはほとんど同じだが、見終わってみるといろいろと気になる点があった。

10年以上現役から離れていた主人公が久しぶりに馬に乗るシーンでは…。
オリジナルでは二度三度と振り落とされながらやっと乗ることができるが、なんとなく腰が落ち着かない。本作では一度振り落とされるが二度目にはスッと乗れてしまう。その後は割りとスムーズに乗りこなしていた。

賞金を渡しに来るのは娼婦だが、遠すぎて誰だかわからない。誰が金を持ってくるんだろうという興味深いシーンだ。
オリジナルでは今まで話にかかわってこなかった娼婦、本作では話の発端になった傷を負った娼婦。
こういうところにイーストウッドのセンスを感じる。小さな部分だけど絶対に譲れないというものをイーストウッドは持っている。物語を面白くするのはそうした小さな部分だということをイーストウッドは知っている。

最後の決闘のシーンでは…。
オリジナルは狭い酒場の中であっという間に敵を撃ち倒してしまう。本作ではそれよりずっと広い土間でくんずほぐれつの刀での戦いになる。
ここでイーストウッドは狭い場所での銃による戦いを制するには? というテーマを提示している。拳銃は機動性はあるがなかなか当たらない。ライフルは機動性は無いが正確性は拳銃より優れている。という哲学を実践している。つまりはじめに最大の敵(ジーン・ハックマン)をライフルで撃ち、それから拳銃で手下たちを狙い撃つ。手下たちの弾は闇雲に撃つから主人公には当たらない。主人公はゆっくり狙いながら撃つから確実に当たっていく。
結果、あっという間に敵を倒したイーストウッドは悠然と引き上げて行く。

狭い場所での戦いは本来刀のほうが有利なはずなのに本作の監督はそうは考えなかった。割と広めの土間でくんずほぐれつ、東映のやくざ映画の出入りのシーンにしてしまった。しかも建物に火をつけ燃やしてしまい、それを遠くから見た娼婦が泣き叫ぶというわけのわからないものにしてしまった。ここはこれでもかこれでもかという韓国映画のノリなのか、李相日(イ・サンイル)監督?

主演俳優は渡辺謙、この主人公を演ずるには渡辺謙は肉付きが良すぎた。頬もふっくらして荒野の一軒家で貧しい暮らしをしているようにはとても見えない。デニーロなら20kgくらい減量してから撮影に入るだろう。

良かったシーンはメチャクチャに殴られた主人公が土間の上をそして雨のぬかるみの上を這って逃げるシーン。これは黒澤明の"用心棒"の有名なシーンだ。(もともとはダシール・ハメットの"血の収穫"に出てくるシーンだが。)
イーストウッドも出世作"荒野の用心棒"でこのシーンをやっている。オリジナルでも黒澤監督へのオマージュのつもりか、このシーンをやっている。
このシーンはオリジナルより本作のほうが効果的だった。何よりも雨が"黒澤の雨"になっていた。

北海道の荒野のシーンはオリジナルに負けないほど透明感のある美しいシーンだった。

柳楽優弥のオーバーアクト、柄本明の説明的な台詞は鼻についた。

映画というのは一つ一つの細かいシーンの積み重ねであり、どのシーンにも監督のこだわりがあるからそれを観るわれわれに感動を与えてくれる。同じシナリオから作られた映画を続けて観ることによってそのことが良くわかった。

(2013.9.18)

---ウルヴァリン・SAMURAI---


ウルヴァリン・SAMURAI

これはひどい映画だった。現代の日本に刀を持った忍者がいるか?! やくざの衣装は裸に刺青か?! 九州から車で峠を越えると眼下に東京タワーが見えるのか?!

"レ・ミゼラブル"のヒュー・ジャックマンがこんな映画に出るとは…。金のためとしか思えない。

真田広之もよくこんな役で出演したものだ。ハリウッドなら何でもよいのか。
主演女優もひどい。せりふ棒読みだ。しかも全然魅力が無い。ウルヴァリンとキスしてベッドインするが必然性が無い。お互いに好きあっていないのにどうして…。

"終戦のエンペラー"や"ラスト・サムライ"でもそうだったが、映画でアメリカ人の男と日本人の女の恋愛を描くのは不可能ではないか。どうみても彼らが恋愛しているようには見えない。

ヒュー・ジャックマンはアクション俳優の条件、「全力疾走で走ることができる」を欠いている。あのドタバタした走りは何だ。今後は文芸もの一本で行くしかないと思う。

(2013.9.17)

---ホワイトハウス・ダウン---


ホワイトハウス・ダウン

退屈はしない程度の映画だろうな、と思いながらも日曜日の午後、避暑のつもりで入った。

意外や意外、画面にのめりこんで観てしまった。
陰謀ありアクションあり、父親と息子の関係、父親と娘の関係、それらが縦糸となり横糸となり、入り組んではいるが全体は"ダイハード"仕立てなのでわかりやすいという実にお得な映画であった。

1,000円で観られる人、超お薦めです。

(2013.9.8)

---終戦のエンペラー---


終戦のエンペラー

第二次世界大戦の内幕物である。

今となっては誰でも知っていることではあるが、映像で観ると感動する。
あの言葉を昭和天皇が英語で話したとは思わなかった。マッカーサーは予想外の言葉に内心動転したことだろう。
迎えたときは部屋の中にいた彼が送るときは車まで案内したことでもわかる。

マッカーサー回顧録に「あんな誠実な人に初めて会った」と書かれたことは日本人としてうれしい。

どの映画評にも書いてあるがあの2人の恋愛は不要だった。それが無くても映画として十分成り立っている。

(2013.7.28)

---インポッシブル---


インポッシブル

津波のパニック映画である。

いきなりやってきてあっという間にすべてを飲み込んでしまう津波の恐ろしさを体験できる映画だ。
主人公が津波に飲み込まれて流されるシーンはどうやって撮影したんだろうと思うほど迫力があった。福島や宮城で津波に遭った人々はきっとあんな感じで自分の力ではどうしようもない状態におかれていたのだろう。

一家5人は全員助かる。そしてめぐり合う。実話でなければうそっぽ過ぎて観ていられないだろう。不思議なことにこれは実話で、最後に5人の現在の写真が出てくる。

主人公の長男が老婆と話し合う場面が印象に残った。 "How old are you?"と聞くのは7才の男の子で、それに対して"74 years old."と答えるのが婆さんの方なのだ。馬鹿に存在感のある婆さんだなあ、と思ったらエンドクレジットでジュラルディン・チャップリンと出ていた。

(2013.7.14)

---アンコール!!---


アンコール!!

原題は"Song for Marion"。

"マリオンに捧ぐ"という題名どおりの映画だ。
73才のテレンス・スタンプと76才のヴァネッサ・レッドグレーヴが同年代の夫婦を演じる。ベテラン同士だけに息もぴったりだ。

劇の中ほどで妻マリオンが夫アーサーに対して"Song for Arthur"ともいうべき歌を歌う。原題"Song for Marion"は実は夫から妻へのアンサーソングの意味がある。

出演者全員イギリス人のイギリス映画。七夕の夕べに見るにはふさわしいハートウォーミングな映画だった。老若男女を問わずすべてのカップルにお勧めする。

(2013.7.7)

---華麗なるギャツビー---


華麗なるギャツビー

パーティーシーンが続く前半は睡魔に襲われ、睡眠時間をとったが、破局へと向かう後半は夢中で見てしまった。

40年前のロバート・レッドフォード&ミア・ファーローに対するレオナルド・ディカプリオ&キャリー・マリガンのコンビは演技的にはこちらのほうが優れていると思った。
優柔不断な金持ちの令嬢役は独特な雰囲気のミア・ファーローがいかにもまじめな感じのキャリー・マリガンより適役だと思った。

(2013.6.16)

---オブリビオン---


オブリビオン

死んだはずのトム・クルーズが出てきたり、滅ぼされた悪の正体がよく説明されていなかったり、…。脚本が練られていないような気がした。

本来は面白くならなければならないはずの映画だと思うが、睡魔に打ち勝つことができなかった。

(2013.6.9)

---ラストスタンド---


ラストスタンド

冒頭出てきてすぐ撃たれて死んでしまう牧場主の老人はなんと、あのハリー・ディーン・スタントンではないか。俳優人生のほとんどが脇役、ただひとつ主演したのが1984年公開の"パリ、テキサス"、ヴィム・ヴェンダース監督のロード・ムービーの傑作だ。封切り時、広島市内の映画館で見た記憶がある。
生きていたのか? 調べてみると今年86才、現役だ。たいしたものだ。

本編はバズーカ砲まで登場し、銃の撃ち合いが凄い。だけど最後は判で押したように素手(ベア・ナックル)での殴りあいになる。昔なら戦いの最中にシュワルツェネッガーの服が破れ、上半身裸になるところだが今回は破れない。長年の政治家生活(カリフォルニア州知事)でついた贅肉が服の中で揺れている。
だが弛んだ体、疲れた顔が以前にも増して良い味になっている。

カーメル市市長を退いた後のクリント・イーストウッドがそうであったように俳優の顔は人生経験を経てますます良くなってくる。

(2013.5.10)

---L.A.ギャング ストーリー---


L.A.ギャング ストーリー

原題は"GANGSTER SQUAD"(ギャング分隊)で警察の中に組織されたギャングを絶滅させるための少人数の分隊のこと。公開名とは少しニュアンスが違う。

事実に基づいた話と宣伝しているが、たった6人の武装警官がL.A.を牛耳る悪の組織を壊滅できるものなのか。ショーン・ペン扮するギャングの親玉が裏切った情婦を探しにきて匿った男性を殺しておきながら情婦を本気で探さなかったり、高層ホテルを丸ごと借り切ってドンチャン騒ぎをしているわりにはホテルの一室を使っているだけだったり、部下が女と戯れながら飲んでいる前で、親分が一人でつまらなそうな顔で手酌で飲んでいたり、ジョシュ・ブローリン扮する分隊長がショーン・ペンをホールドアップしながらも銃を捨て、素手で決着をつけようとしたりする。相手が武器を持っていたら、あるいは素手の殴り合いに負けたらどうするんだ(相手は元ボクサーという設定)、とか突っ込みどころはあったが、ショーン・ペンの悪玉の迫力があまりに凄く、見ている間はひたすら怖かった。

5人の警官を一人ずつ集めるところは黒澤明の"7人の侍"のシーンを髣髴(ほうふつ)させた。分隊長の奥さんがそれぞれの警官の履歴を見ながら人選するところはひと工夫だと思った。
6人の警官それぞれが魅力的なキャラクターなのだが、いかんせんショーン・ペンが…。

(2013.5.6)

---リンカーン---


リンカーン

リンカーンが劇場で暗殺されたのは知っていたが、こういう理由でこういう時期にというのをこの映画で初めて知った。

ダニエル・デイ・ルイス演じるリンカーンは顔(特に横顔)、歩き方、姿勢、声、しぐさ、そのすべてが本物のリンカーンにそっくりだった。もちろん本物のリンカーンは写真でしか見たことはないのだが、たぶんこうだったんだろうなというリンカーンそのものだった。それを見るだけでもこの映画を見る価値はある。
加えてセットや衣装、風景などスピルバーグが撮るだけあって手を抜いていない。
映画の前半は議会での議論ばかりで話の内容がよくわからず、若干睡眠をとったが、後半は奴隷解放に関する法案の採決に向けて畳み込むようにリズムが出てきた。

映画の中で2,3回リンカーンが笑うシーンがあるのだがここだけは違和感があった。本物のリンカーンじゃないな、と思わせる唯一の点がこれだった。"笑顔"の中に演じている役者本人が出てしまうのだ。
主演男優賞を取ったダニエル・デイ・ルイスが演じてもうまくいかないのだから他人の"笑顔"を演じるというのは難しいものなんだろう。

(2013.5.4)

---ハッシュパピー バスタブ島の少女---


アカデミー賞4部門ノミネート、特に主演女優賞(6才!)につられて見た。
93分間がえらく長く感じた。60分くらいは寝ていたかもしれない。いびきで回りに迷惑をかけなかったことを願う。

(2013.4.25)

---HK/変態仮面---


HK変態仮面ポスター

必死の形相で、"学校のために、いや世界のために君のパンティを俺にくれ!"と言われてパンティを差し出さない女性がいるだろうか?

鈴木先生の"教育は世界を変える!"に比べるとちょっとアレだがそれなりに効いた。

HK変態仮面フィギュア

この役のために1年間鍛えぬいたという主演俳優の体は一見の価値あり。
それにしてもアレだけの激しいアクションでよく見えなかったものだ。

(2013.4.15)

---ヒッチコック---


ヒッチコック

アンソニー・ホプキンスのヒッチコックは違和感があった。

ヘレン・ミレンのアルマ・レヴィルはすばらしかった。主演女優賞あるいは助演女優賞をとっても不思議でない演技だった。

エド・ゲインの事件を映画にするとあの"サイコ"になるんだ、ということがわかった。その後に続く"エド・ゲイン"を下敷きにした作品がいずれも下品なものだったにもかかわらずヒッチコックが撮った"サイコ"は上品だった。

やはりヒッチコックは優れた監督だったんだ、と思った。

(2013.4.6)

---アンナ・カレーニナ---


アンナ・カレーニナ

舞台仕立てのアンナ・カレーニナ、おかげで原作を2時間強の時間に収めることができた。監督の腕だと思う。

キーラ・ナイトレイのアンナは原作とはだいぶ印象が違う。アンナというよりはもっと現代的な女性になってしまうのだ。
原作のアンナはふくよかで天然の要素を持った女性のはずだ。彼女が生まれて初めて恋をして徐々に女性の生き方に目覚めて行く、というところが見所のはずだ。
キーラ・ナイトレイでははじめから目覚めているのだ。

この映画ではヴロンスキー+アンナに対してリョービン+キティのペアも描かれていて原作者レフ・トルストイの意図が表現されていて好感が持てた。

(2013.3.30)

---ザ・マスター---


ザ・マスター

主役の二人の演技がすごくて話の筋などどうでもいいくらいだった。

特にホアキン・フェニックスは演技だか自分をさらけ出しているのかわからないような演技だった。

このような狂気の演技を見たのは"タクシー・ドライバー"のロバート・デ・ニーロ以来のことだ。

(2013.3.23)

---愛、アムール---


愛、アムール

映画というよりドキュメンタリーフィルムを見ているような印象だった。
老夫婦のうち妻が心身ともに壊れ始める。朝の食事の何気ない動作から始まる。妻が壊れ始め、介護する夫。老老介護。だんだん手におえなくなり、介護師を頼み、そして…。身につまされる話だ。

夫役にジャン=ルイ・トランティニヤン。クロード・ルルーシュ監督の名作"男と女"の主役をやった俳優だ。そういえばこの映画も舞台は老夫婦のアパート一室のみ、出演者は老夫婦のみ。"男と女"と同じようなシチュエーションだ。妻の名はアンヌ、"男と女"でアヌーク・エーメが演じた女と同じ名前だ。



男と女

この映画は46年後の"男と女"と言ってもいい。(2013.3.20)


---洲崎パラダイス 赤信号---


洲崎パラダイス 赤信号

広島サロンシネマの企画”日活映画100年の青春”の”洲崎パラダイス 赤信号”を見た。
1956年の映画、監督川島雄三、主演、新珠三千代、三橋達也。

男と女の腐れ縁の関係がどうしようもなく展開する。
新珠三千代のドライでスピーディな演技。三橋達也のどうしようもないウジウジした演技。
昨年暮れに亡くなった小沢昭一が出ていた。この時27才だった。蕎麦屋の出前持ちの役なのだがこの人は異様だった。

話は洲崎パラダイスという遊郭の入口付近で営業する小さい赤提灯の店で進行する。舞台はほぼここだけ。この店は実に狭い。女中募集という張り紙がしてあるが、こんな狭い店で女中が必要なのか、と思った。狭い店、狭い部屋。家族は折り重なるようにして暮らしている。昭和31年ではこれが自然だった。どこの家でもそうだった。狭い舞台で普遍的な男と女の関係が進行する。

赤信号の意味 ; ここから先は洲崎遊郭である。蔦枝(つたえ)は以前この遊郭で働いていたのでここから先へ行くことは元に戻ってしまうことになる。

三人の女に付く三人の優柔不断な男 ; 蔦枝、赤提灯の女将、遊郭で働く女に付く男はいずれも優柔不断な人間である。 蔦枝は以前遊郭で働いていた。現在遊郭で働いている女。女将も昔遊郭で働いていたのかもしれない。 いずれも遊郭から抜け出したいと思っているがなかなか抜け出せない。女将は一見抜け出したようだが遊郭のまん前で商売をしている。蔦枝も優柔不断な男を捕まえて、抜け出そうと思っているのだがいつのまにか戻ってきて遊郭の前の店で働いている。

蔦枝を演じるのは若き日の新珠三千代、優柔不断な男を演じるのは三橋達也、女将を演じるのは轟夕起子。三人とも見事な演技である。いつも落ち着いている様子しか見たことのなかった新珠三千代がこんなにはつらつとした女を演じるとは…、イライラするほど歯がゆい男を演じた三橋達也、普通のおばさんかと思った轟夕起子が3年ぶりに帰ってきた亭主にあったとたんあんな妖艶な女になるとは…。

神は細部に宿るというが、川島雄三監督はこの狭い赤提灯の店から人間のすべてを表現してみせる、と言っているようである。

(2013.3.3)

---最初の人間---


最初の人間

下村湖人ゆかりの建物"空林荘"が消失したというニュースを聞いたその日にカミュの"最初の人間"を見たのは何かの因縁か。

この作品は有名になったカミュがアルジェリアに住む母を訪ね、自分の少年時代を回想するという内容だ。

アルジェリアの青い空、青い海。祖母が家族を支配し、家族全員が文盲。少年時代のカミュは貧しかったが幸せだった。彼が叔父や仲間達のように肉体労働者になってその地で生活すれば"不条理の思想"は生まれなかったに違いない。だが彼は奨学金で大学へ進み、フランスで作家になり、当時最年少の若さでノーベル文学賞までもらってしまう。

戦前佐賀県に生まれた本田次郎が東京に出て、独学で学びながら自分を成長させる。下村湖人が"次郎物語"の構想を練ったのが青年団活動の本拠地"浴恩館"に併設された"空林荘"である。

少年時代のカミュと少年時代の次郎がダブって見える。どちらも厳しい祖母のしつけを受けて育つ。どちらも田舎から都会へ出て自分の生きかたに疑問を抱く。

(2013.2.24)

---ゼロ・ダーク・サーティ---


ゼロ・ダーク・サーティ

CIAの分析官がビン・ラディンを追い詰める話。

最近のアメリカ映画は中東でのCIAの活躍を描いたものが多い。"アルゴ"同様この話も実話。ビン・ラディン殺害は2011年5月だったからまさにリアルタイムの話だ。"アルゴ"はベテランの男性局員の活躍だったが、"ゼロ・ダーク・サーティ"は高卒12年目の女性局員の活躍。

手に汗を握った。マヤは冗談半分でシールズの隊員に「私のためにビン・ラディンを殺してきて」と言う。名セリフだと思った。

(2013.2.17)

---ムーンライズ・キングダム---


ムーンライズ・キングダム

ブルース・ウィリス、エドワード・ノートン、ビル・マーレイという名優が出ていたにもかかわらず、???という感じだった。途中何度も睡魔に襲われた。12才の男女の駆け落ちに大人たちが振り回されるというのはよっぽど脚本が優れているか、加えて演出が優れていないと観られる物にならないと思う。

(2013.2.10)

---渾身---


渾身

脚本、演出、主演者の魅力、三拍子に欠けた映画だった。

いまどきこんなベタな作り方をする監督がいるとは…。

途中下車。

今月の成績、3勝3敗。

(2013.1.15)

---映画 鈴木先生---


イワン・カラマーゾフはロシアの地方都市の居酒屋の片隅で弟のアリョーシャに世界を組み立てなおす叙事詩を語った。

鈴木先生は中学校の生徒会選挙の最中「教育は世界を変える」と言った。

鈴木先生の語る教育論は今の日本の抱えている根本の問題を正す意味を含んでいる。原作者、脚本家、演出家(監督)は軽い台詞の中によくこんな重いテーマを盛り込めたものだと思った。

この映画は2013年の収穫である。

(2013.1.14)

---007スカイフォール---


007スカイフォール

おもしろかった。

アクションスターは全力疾走できなければうそっぽくなってしまう。ダニエル・クレイグはアクションスターの資格があり、残念ながらリーアム・ニーソンは卒業の時期に来ている。最もリーアム・ニーソンは本来アクションスターではないのだが。

活劇はどんなに武器が進歩しても最後は肉体対肉体の対決にならなければならない、という鉄則もしっかり守り、ジェイムズ・ボンドは汗をかきながら悪人を退治する。

手抜きをしていないという意味でも好感が持てた。悪役も不気味でよかった。

(2013.1.13)

---ルーパー---


ルーパー

さっぱりわからなかった。

配給元がブルース・ウィリスが出ているということで勘違いして大手のチェーンに配給したのではないか。

こちらもブルース・ウィリスが(ブルース・ウイルスだと思っていたがいつの間にかウィリスになっている。)出ているのでスカッとしたアクションのつもりで見に行ったのが敗因だった。よく寝た。

最近のブルース・ウィリスは時々クセモノ映画に出るので油断できない。(昨年の"キリング・ショット"とか。)

(2013.1.12)

---96時間リベンジ---


96時間リベンジ

残念ながら前作とは違い、脚本もリーアム・ニーソンの体もキレがない。

本作に1,800円払うのなら300円出して前作をDVDで見るほうをお勧めする。

原題は"Taken2"、二番煎じとでも訳すか。

(2013.1.11)

---もうひとりのシェイクスピア---


もうひとりのシェイクスピア

原題はAnonymous(匿名作家)。

シェイクスピアとか写楽とかは本人が実在したという記録が一切残っていない。もっと昔の人、たとえば紫式部とか孔子とかはその人が確かにいたという証拠が残っているので問題ないが。というわけで表立っては名前を出せない人が匿名で書いた、あるいは描いたという説があっても不思議ではない。

その見事な一説がこの映画である。思わず信用してしまった。あんな格調の高い文章が使い捨ての座付き戯作者に書けるわけがない。
この映画のようなことがあったのではないか。

エリザベス1世を演じたのは名優バネッサ・レッドグレイブ、その若いころを演じたのはジョエリー・リチャードソンという女優。似ている人を探してきたんだなあ、と思って解説を見たら実の娘とのこと。

映画そのものも格調が高く一画面々が中世の絵のようだった。残念なことに当方がエリザベス朝時代の英国の歴史に疎く、貴族同士の争いごとの中身についていけなかったことだ。

(2013.1.10)

Copyright(C) 2012 Umayakaji.com ALL rights reserved.