原罪とは、意識のグレーゾーンにつけ込んだ宗教団体のプロパガンダに過ぎない。動物に原罪があるだろうか。人間も動物なのだから。
原罪はない。あるのは原罪意識だ。
人間は生まれてから数年間と、死ぬ間際の意識はグレーゾーンで、自分では捉えようがない。
意識は幼少期は不鮮明、人格形成期は経験不足から偏った考え方しかできない。意識が鮮明になるのは50才から60才までの期間だろう。それ以降の意識は習慣に埋没してしまう。
この映画は誤った原罪意識から自分を傷つけ、破滅に追い込んでしまうある女の周辺を描いた作品である。
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小津安二郎監督の映画「東京暮色」の杉山明子(有馬稲子)は、自分は母とその不倫相手の子だという原罪意識を持っている。自分の人生が思うようにならないのは、自分には自堕落な母親の血が流れているからだと信じ込んでいる。彼女は子を身籠り、不実な男への面当てに堕胎して、心身ともに衰弱し、事故か自殺かわからない死を遂げる。
映画は不評だった。小津安二郎監督は本作以後、この系統の作品を撮らなかった。
この映画は、1948年の「風の中の牝雛」、1956年の「早春」で不倫とその後を描いてきた小津監督の原罪意識を扱った映画の最後の作品となった。
「東京暮色」には悪魔的な人物が登場する。
最初の悪魔は山田五十鈴扮する母親である。彼女は満州で夫(笠智衆)の部下と駆け落ちする。その時彼女には二人の娘がいた。長女役を原節子、次女役を有馬稲子が演じた。
次女明子の原罪意識は母親の不倫から発生している。
母親役を演じた山田五十鈴は実生活でも夫と娘を捨て、他の男と一緒になった。のちに女優になった娘の嵯峨美智子からは生涯恨まれていた。
明子の弔問に訪れた母親に向ける、長女役の原節子の鋭い目を山田五十鈴はどう感じたのであろう。
次の悪魔は明子を堕落に誘い込んだバーテンである。須賀不二夫が演じていた。
明子の友人役の高橋貞二も、冷やかし半分で明子を追い込んだひとりである。麻雀をしながら野球の解説者風に軽口を叩く彼の演技は印象的であった。
人間界の悪魔は他の人にとっては毒にも薬にもならない存在であるが、ある特定の人にとっては決定的な害を及ぼす存在となる。
明子が最後に訪れる中華そば屋・珍々軒の主人、藤原鎌足。 深夜喫茶にいた明子を補導する刑事、宮口精二。 堕胎するために行く病院の女医、三好栄子。 それぞれ明子を取り巻く印象的な人物である。彼らは、普通の人が、ある状況下では悪魔的な人物になりえる、ということを象徴している。
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小津監督には「東京物語」を筆頭に「麦秋」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」「晩春」など数々の名作があり、それぞれの作品にファンがついている。筆者の一押しはテーマ、俳優、脚本、演出、インバクトの点から、この「東京暮色」である。
(2024.5.10)
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