つる子の「新聞記事」は最初は調子がずれていたが徐々に自分の調子をつかんできて結構おかしかった。ただどうも女性の「八っつぁん」「大家さん」には抵抗がある。
今日は葛飾区主催のかめあり亭落語まつり第16弾ということで企画ものである。「真夏の特選怪談噺」怪談噺三題。とはいっても怖いのは喬太郎が演った「牡丹灯籠」だけ。
たけ平の「死神」と左龍の「ろくろ首」は怖い噺ではない。落語の怪談噺には怖いのと怖くないのと二種類あるようである。
たけ平の「死神」と左龍の「ろくろ首」はそれぞれの噺を普通に演っただけである。古典落語を普通に演るということはよく練られたあらすじをしゃべるだけということで面白みがない。
演る噺のどこに面白味を感ずるかは個々の落語家によって違うだろうし、感じた面白味をどうやって効果的に観客に伝えるかが落語家の価値を決める要素になると思う。
情報量の少ない時代なら許されていたことが現代の演芸の世界では許されない。目の利く観客にはあっという間に見限られてしまう。
立川流の家元、立川談志がしきりに危機感を唱えていたのはそういうことだったと思う。
古臭い話である古典落語をどのようにして現代人にも身の回りのこととして受け取らせるかが落語家の手腕である。今日の喬太郎は自分なりの「牡丹灯籠」を組み立てていた。
喬太郎は幽霊よりも怖い存在としての「人間」を表現することで古典落語を現代によみがえらせるのに成功した。
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