男性一人が女性二人に支えられるように静々と出てきたときにはこの地味な三人があのマンハッタン・トランスファー?と疑った。日本語通訳を介してリーダーのティム・ハウザーが日本に来るのをとても楽しみにしていたのに、直前に亡くなった。代理にバス担当のトリスト・カーレスを紹介する。と言ったのはバリトンのアラン・ポールだった。
舞台に散り、「タキシード・ジャンクション」を歌い始めた瞬間、四人は「マンハッタン・トランスファー」になった。
それからのステージは期待以上のものだった。
「タキシード・ジャンクション」から「エアメイル・スペシャル」まではスタンダードなジャズの名曲メドレー。その後、シュリル・ベンティーンのソロ・ナンバー、アラン・ポールのソロ・ナンバーへと続く。二人とももともとソロ歌手と言ってもいいくらいうまい。特にアランはフランク・シナトラ張りの甘い歌声だ。
驚いたのはマイルス・デイビスの「TuTu」だ。まさかこの曲をコーラスで歌ってしまうとは…。「TuTu」はマイルスの中期の名曲だが電子楽器に移行しロックとの融合を図っていたころの作品なのでとても歌えるものとは思えなかった。だが、ソロで歌ったシュリル・ベンティーンはまるで自分がトランペットにでもなったように歌った。
リー・モーガンの「サイドワインダー」を歌ったジャニス・シーゲルも同様である。このグループは歌曲だろうが器楽曲だろうが関係ない。歌えない曲などこの世には存在しないのだろう。。
フィナーレはウェザー・リポートの「バードランド」。この曲も歌にはなりにくいと思うのだが、彼らには関係ない。大盛り上がりの中でコンサートを締めくくった。
このグループは1972年にデビューした。そのときリーダーのティム・ハウザーは31才、他のメンバーは18才から23才の若者たちだった。42年後の今、同じメンバーがここ日本の葛飾区でコンサートを開いている。彼らにとって師匠であり、兄貴分であるティム・ハウザーがここにいないことはさぞ無念だったに違いない。最初に静々と登場したのは、そういう気持ちの表れだったに違いない。
ティム・ハウザー、2014年10月16日、死去。享年72歳。
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