100席ほどの小さいホールは3分の1ほどしか埋まっていなかった。
火曜日とはいえ志らくが出演しているとは思えないほど少ない入りだ。
志ら鈴の「初天神」はそれなりの出来、志ら鈴はまだプロとは言えない。
志らべの「茶の湯」は面白かった。だが大げさな表情は何とかならないか。師匠の志らくは表情豊かとはいえない。大げさな表情で噺をおかしくするよりそこを勉強する必要があるのではないか。
志らくの「大工調べ」は迫力があった。大家と棟梁の戦いが普遍的な人間の性を表現していて怖いほどだった。 大家はわずか800文の不足を絶対に負けない。なんでそんなに意地を張るんだろう。その理由を志らくは「お前が嫌いなんだ、昔から虫が好かないんだ」と言わせる。正義とか正論とか言われるよりよほど説得力がある。
それまで下手に出ていた棟梁はそこから支離滅裂になってくる。大家がいかに因業なことをして現在の地位を築いたかを述べて非難するのだが、言葉が滑るばかりで説得力がない。「嫌いだ」の一言に対抗すべき言葉は存在しないのだ。 以前はこの噺は「因業な大家」対「人情家の棟梁」という図式だったように思う。志らくは従来の図式に独自の解釈を提出してみせた。 仲入り後はらく次の「味噌蔵」と志ら乃の新作落語「花火」。この二人は熱演すればするほど面白くなくなる。観客を笑わせようとすればするほど観客はしらける、という悪循環にはまってしまった。
噺家は客を笑わせたり感動させようとせず、情景を正確に描写することだけを考えて語ることが大事だと思う。
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