志奄の「家見舞」から始まった。
会場は黒で統一されたスタジオ風の作り。680席というから落語を聴くにはちょうど良い大きさである。
一年間で四回やる企画の二回目とあって観客の期待も高まる。
開口一番というのはなかなか大変なものだと思う。志らくに弟子入りして十五年目、二つ目になって二年目の志奄は固かった。
正確に落語を語るのだが人物に血が通っていない。書割りの中の人物のようである。
それでも水がめに水を張るあたりから何とか持ち直し、落ちでは観客を納得させてくれた。
志らくの「短命」は二回目である。2012年5月、渋谷でやった古今亭菊志んの独演会にゲストで出たときに演っている。
察しの悪い男にどうやったら伝えられるのか苦心する大家さんのじれったさがよく伝わってきて、観客、特に女性客には大うけだった。後ろの席からゲラゲラ笑う中年の女性の声が聞こえてきた。
今日の談笑は"当たり"だった。2012年6月、志らくとの二人会でやった「黄金餅」は今ひとつノリ切れなかったが、今日の「片棒」ではノリにノった。
おかげで何が"片棒"だかわからなくなってしまったがそんなことはどうでも良い。れっきとした古典落語なんだけどどこが古典落語だかわからなくなってしまうところに談笑の本領がある。今日はその本領を十分に発揮してくれた。
場内は爆笑に次ぐ爆笑、トリの志らくは大丈夫か、と心配させるほどの出来だった。
始まってみたら心配することはなかった。
志らくは人情噺の古典「紺屋高尾」をじっくりと語り込み、観客はうぶな職人と吉原No1の花魁、高尾太夫の非現実的な純愛話に酔いしれた。
クライマックス、職人が高尾太夫に語り掛ける場面では洟をすする音があちこちで聞こえた。
後で考えるとなんでこんな非現実的な状況で…、と思うのだがその時は680人の観客全員が志らくの魔術にかけられているので何の疑問ももたない。
うまい噺家が語ると書割りの中の人物にも血が通いだしてしまう、という落ちである。
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