土曜日の夜、上野の鈴本演芸場へ行った。
チケット売り場の前は開演前から並んでいた。寄席は廃れたという説もあるがそうでもないようだ。
プログラムでは17:30からとなっているが、17:15に幕が上がり前座が始まった。
開口一番は入船亭ゆう京の「道具屋」、これは下手だった。なんて下手なやつなんだろうと帰ってからネットで検索したら入門が2010年、3年やってこれか。あれ、京都大学卒業となっている。京大卒業してこれか。ひどいな。もっと人間を観察しなくちゃ。
プログラム上の開口一番は柳亭こみち。女性の噺家は口調が難しいが、こみちは無難にこなしていた。「元犬」という噺も女性向きかもしれない。
こういうヒトは子供時代から芸の世界に親しんできた人だろう。検索すると、えっ。早稲田大学卒業。OLを経験した後、2006年柳亭燕路に入門とある。しかも結婚、出産の後3か月で復帰。まだ1才の赤ちゃんの面倒を見ながらの高座である。噺家も時代に順応して変化しているのだ。
太神楽の翁家和楽社中は伝統芸。ひろげた傘の上で鞠を回したりする。目の前で見るとハラハラドキドキする。落ちそうで落ちないものだ。
「たいこ腹」の古今亭志ん丸は初めて見る噺家だが達者なものだ。独特の風貌で独特の話ぶりはおかしかった。
「鼓ケ滝」の林家正蔵はもうこぶ平の顔ではなかった。父親三平譲りの「華」のある芸人になっていた。
子猫はてっきりあの子猫が出てくるかと思っていたら違う顔が出てきたので驚いた。なんとあの子猫の息子で初代からすると五代目になるという。芸は達者なもので五代の中で一番うまいのではないかと思った。だが二代目子猫を襲名したのが2011年というからまだ3年目だ。経歴を見ると立教大学大学院卒業とある。もう芸人の学歴では驚かない。
「堀之内」の隅田川馬石は風貌といい話ぶりといい噺家という印象ではない。経歴を見ると富士通に勤めた後劇団「急旋回」に所属し、1993年五街道雲助に入門とある。
一般には知られていないが達者な役者という印象だ。
「親子酒」の柳家喜多八は昔気質の噺家という印象だ。けだるい雰囲気の芸で、酒のにおいがプンプン漂ってくるかのような噺。まさか学習院大学卒業で趣味は「サイクリングに墓参り、宝塚歌劇鑑賞」とは思わなかった。
ここで仲入り、急いでトイレを済ませビールとつまみを買ってくる。席の前には折り畳み式のテーブルが設置されていて食べながら飲みながら鑑賞できるようになっている。寄席のいいところだ。
後半は柳家紫文の「三味線漫談」、宝井琴調の「講談」、アサダ二世の「奇術」と色物が続く。
ひたすら本日の大トリ、古今亭菊志んの出番を待つためのプログラムとなっている。寄席の大トリというものがいかに重みのあるものかがわかる。
プレッシャーがあるのだろう。いつもに比べて菊志んの表情が硬い。なんとか自分のペースを取り戻そうと必死になっているのがわかる。
噺は「黄金餅」。けちん坊の西念が金を抱えて死にきれず、呑み込んでから冥途へ行く、という噺。
前半までは硬かったが、菜漬けの樽に西念の死体を詰め込んで江戸の町内を夜通し駆けるというところから調子を取り戻した。あとは落ちまで一気にスピードアップするのが「黄金餅」という噺で、志ん生の十八番を孫弟子菊志んが一気に駆け抜けた。
ハネ太鼓は客が帰る様子を太鼓で打つ。デテケ、デテケ(出てけ、出てけ)と打ち、木戸を出ていろいろな方角へ帰るので、テンテンバラバラ、テンテンバラバラ、客席から客が全員出たところで太鼓の縁をたたいて、カラ、カラ、カラ(空、空、空)と打つ。最後に太鼓の縁をバチでこすって、ギーと木戸の鍵をおろしたという擬音を出して本日の興行はすべて終わりとなる。
ハネ太鼓を打っていたのは前座のゆう京だった。
|