志らべの「あくび指南」、志らくの「長短」、「笠碁」、「柳田格之進」はそれぞれ友達という幹でつなげられていた。
ただつながっているだけではない。最後にそれが大輪の花を咲かせる仕組みになっていた。
観客の一人一人が人生の皮肉なところ、苦いところ、そして美しいところをそれぞれの胸の内に感じながら持ち帰ることになる。
「長短」の気の長い男と気の短い男の友情、「笠碁」の「碁敵は憎さも憎し懐かしし」という友情。そして「柳田格之進」の苦くつらい友情。
志らべの「あくび指南」はあくびにニーチェの実存主義を見いだしたり、ハイデッガーの存在と時間論を取り込んだり、登場人物も只者ではない。落語をただの昔話にしないところは師匠ゆずりだ。 「長短」、「笠碁」では登場人物たちの性格描写を入念に演ることによっておかしみが増すという落語独特の世界をさらにデフォルメして観客を笑わせてくれた。
「柳田格之進」を志らくがどうやるか。それが一番興味があった。どちらかといえば聴きたくない噺だ。 悲惨な噺のため無理に落ちを付けてもしっくりこない。
かといって落ちを付けなければ観客は嫌な思いを持って帰路に就くことになる。
それを志らくは見事に解決してくれた。人生の不条理をまるでシェイクスピア悲劇のように語ることに成功した。
カギは友達。最後の最後に志らくは負を集めて正に転ずることに成功した。落語でこれほどの緊張感を味わったことはない。そして翌日までその感動が持続したことも。
企画者としての志らくの勝利だ。もちろん話し手としての志らくのすばらしさは言うまでもない。
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