講談の田辺凌天は「紅緒の草履」という話。芝居話である。
彼女は講談独特の節をつけて張り上げるタイプの講釈師である。節をつけて張り上げるのは良いが、そればかりだと単調になってしまう。子守唄のように。「紅緒の草履」という話が芝居話であるところまではわかったが、そのあとこの話がどういう話だったのか思い出せない。
柳家小はぜははん治の弟子で二つ目になって7年目の41才である。演題は「蔵前駕籠」。
追い剥ぎが出るから駕籠は出せない、と止められるのを押し切って駕籠を出させる威勢の良い町人。吉原に近い蔵前まで来たところで追い剥ぎが出た。さて町人は・・・。という噺。
小はぜは独特の語り口で語っていく。その口調はビートたけしのようでもあり、古今亭志ん生のようでもある。滑稽噺を飄々と語ってその流れが心地よかった。
立川寸志は大岡噺のひとつ「三方一両損」。
大受けした小はぜの後でどうなるかと思っていたら、小はぜがやった「蔵前駕籠」の舞台・蔵前の背景について解説し始めた。観客は今まで聴いていた噺の背景を興味深く聴いているうちに、いつの間にか「三方一両損」の世界に誘導されていった。うまい。
寸志はあっという間に観客を自分の世界に誘導するとあとは小はぜの上をいくような大受け。みごとな手際である。
噺は財布を拾った町人が中に入っていた住所に届けると、一度落としたものは自分のものではないからいらないという。届けた者ももらうわけにはいかないといい喧嘩になる。大騒ぎとなり、駆けつけた大家さんは仲裁しようとするがうまくいかず、奉行所に届ける。
大岡裁きの一話である。最後に一捻りがあり、三方一両損でめでたしめでたしとならない。さて・・・。
これだけ楽しんで1,000円は安い。お得な会であった。
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