光明山智願寺は、運正院華林周藤大禪定尼及び智香院願譽誓閑比丘尼が開基となり、正蓮社法譽上人覺玄和尚が開山となり、寛永11年(1634)牛込築土町に創建、寛文年間文京区小日向に移転した。開基にふたりの尼さんが関わっているので初めは尼寺だったんだろう。当会の席亭は女性、出演者も女性である。
創建は古い智願寺だが、来てみるとどこが寺なのかわからない。鉄筋コンクリート3階建ての建物である。エレベーターで3階に上がると会議室のような部屋があってここが会場である。席は15人分のパイプ椅子が並べられている。部屋は片側が作りつけの書棚になっていて、文学全集とか浄土宗関係の本が並んでいる。書斎のようでもある。
こはるさんは1時25分ころ来場し、会場の後ろで席亭と打ち合わせしている。部屋中にとどろくような大声である。この声では内緒話はできないだろう。
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2時開演の予定だが、5分前に出てきた。出囃子も鳴っていない。長いまくらから長屋ものに入っていく。長屋ものなのだが、「粗忽長屋」だか、「お化け長屋」だか「長屋の花見」だかわからない。季節柄「長屋の花見」はないだろうと思っているとこはるさんが「寄合酒」という言葉を持ってきて教えてくれた。「寄合酒」は長屋の若い者たちが集まって酒を飲もうとする。つまみはそれぞれが調達してくるという約束。金のない者たちはタダで仕込んできたつまみを競い合う。大家さんの家で作っていたネギやナスや朝顔を引っこ抜いてくる者。犬がくわえていたタイを横取りして持ってくる者。子供をだまして鰹節を持って来させる者。それぞれがいいかげんなことをして持ってきたつまみを、いざ食べようとすると・・・。軽い滑稽ものである。
「締め込み」は泥棒ものである。噺の初めは「だくだく」になるのか、「鈴ヶ森」になるのか、「夏どろ」になるのか皆目わからない。そのうちに泥棒は床下に入り込み、「ああ、あの噺か・・」ということになる。
やきもち焼きの亭主と少しだらしがない女房の夫婦喧嘩が始まり、噺は佳境に入る。こはるさんの迫力のある大声が会場内にとどろく。
10分ほどの休憩の後、長いまくらから「鰻の幇間」へ入っていく。夏の噺なので白い着物と白い紋付姿に着替えている。噺家さんの着替えはあっという間に済んでしまう。
暑い夏の日、仕事にあぶれた幇間の一八は客を求めてあっちこっちを訪うが、どこもかしこも留守。ホコリっぽい道を歩いていると、前から来るのは確か・・・。
ダメな時は何をしてもダメ、泣きっ面に蜂とはこのことか。運気が下がっている時は家でおとなしくしている方が良い。
ほぼ2時間喋りっぱなしのこはるさんは疲れた様子もなく、颯爽と退場していった。今日はこの後、19時から新宿文化会館で独演会を演るとのこと。小柄だがエネルギーが満ち溢れているようなひとである。
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