古今亭志ん生の息子たち、金原亭馬生と古今亭志ん朝はそれぞれ別の道を歩んだ。馬生は噺をじっくりと話す方へ、志ん朝は噺を勢いとリズムで話す方へ。 偉大な父親を身近で見ていたら何か工夫をしないではいられなかったろう。
馬生の弟子、五街道雲助は師匠の進んだ方向へ歩いた。雲助の弟子、蜃気楼龍玉は将来はどうなるかわからないが現在師匠雲助のあとを追っているように見える。
始めは先日雲助が日本橋劇場でやった「千両みかん」だ。師匠譲りで滑稽ものは得意でないようだ。本来もっと面白くなるべきところが停滞する。番頭がみかん三ふさを持って姿をくらますという不合理を説明するのに苦労しているように見えた。ここはもともと不合理なんだから説明してはいけないところだ。さらっと話して客を納得させなければならない。こういう噺は春風亭小朝がやったら上手くやるだろう。
トリは三遊亭圓朝作「真景累ヶ淵」から「豊志賀」。若いツバメを囲った年増女の嫉妬をじっくりと語りこんだ。龍玉の真骨頂だ。
照明は演者の両脇に小さな光源をひとつずつ配し、顔に影が写りやすいようにした。病気の豊志賀は顔のできものを隠すようにうつむき加減に話す。そのときはさらに顔の影が濃くなり豊志賀の怨念が強調される。
これを20才の時に作った三遊亭圓朝という人は本当に天才だ。世界に出ればシェイクスピアに匹敵するのではないか。
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