前座のはまぐりは2回目だ。この前蜃気楼龍玉の時にも前座で出ていた。「子ほめ」は前座らしく声ばかり大きくて面白くない。二つ目にならないとまともに聴けるようにはならないがそのためには前座時代の噺を聴くようにしなければ。
雲助を聴くのは初めてだ。チラシの姿が良いので以前から気になっていた。ジャケ買いならぬジャケ聴きだ。結論を言うと間違っていなかった。姿形は大事だ。
始めは軽いまくらから「千両みかん」。最近若旦那の元気がない。今日も寝床から起きてこない。てっきり恋わずらいかと思ったら…。これで恋わずらいだと「紺屋高尾」か「幾代餅」になるのだが、今日の噺は「千両みかん」。
仲入りの後は「菊江の仏壇」。初めて聴く噺である。
道楽者の若旦那がお花というしっかり者の女房をもらい、しばらくはおとなしくしているが3月もたたないうちにまた道楽を始める。旦那がなぜあんないい女房があるのに道楽をする、と小言を言う。若旦那も黙ってはいない。なぜあんな大きい仏壇がありながら寺へ信心に行く、と返す。
酔っている息子をおいて旦那はお花の実家へ見舞いに行く。若旦那はこのすきに番頭を脅して10両をせしめようとする。この時の若旦那と番頭の丁々発止のやり取りは面白い。書き割りではなく中身のある人間同士のやり取りは迫力があった。
番頭は訊く。なぜあんないい奥さんがいるのに芸者菊江に入れあげる。若旦那は言う。お花は完璧すぎる。何をやらせても人並み以上にできる。隙がない。菊江といると安心できるのだ。
納得した番頭は菊江を呼び、どんちゃん騒ぎを始める。そこへ泊まりのはずの旦那が帰って来て…。そのあとのドタバタは省略するとして雲助がやりたかったことは番頭と若旦那の虚々実々のやり取りだ。番頭は忠義だけの人物ではなく、若旦那は軽い遊び人ではない。お互いに譲れないものを持ちながらのやり取りは迫力満点だ。
滑稽噺「千両みかん」ではいまいちだと思った。人情噺「菊江の仏壇」ではかつてない感動を覚えた。
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