連続10日あまりの猛暑が一息ついて久しぶりに涼しい夕方になった。 今日は当日券が出ている。小三治の独演会で当日券が出たのは今まで記憶にない。
一席目の"道灌"はオヤっと思った。声が通らない。いつもだと低い声で話しても後ろの席までよく聞こえたものだが。
前座の柳家ろべえがヤケに元気が良かったので特にそう感じたのかもしれない。
前半は休憩も含めて1時間で終わってしまい、残り1時間を演るのなら大ネタになるのかもしれない。仲入り後は30分程度の軽い噺をやるのが最近のパターンなのだが。と思っていたらまくらもそこそこに船宿に寄宿する若旦那の徳兵衛さんの噺が始まった。
                        "船徳"だ。
だけどあれは棹を操る場面、櫓をこぐ場面、揺れる船の中での会話の場面など体力を使う場面がたくさんある。 涼しくなったとはいえ最近の猛暑だ。よく演る気になったものだ。
"船徳"は私が落語を聴くきっかけになった噺だ。 時は19才の春。新川の桜を守るためのチャリティで、"さくら寄席"というのを市川市民の有志が計画した。市報に出ていたのだと思う。場所は家から歩いて15分ほどの市川市民会館の会議室。演者は当時32才の柳家小三治。当時はまだ若手の落語家で名前を知っていたのかどうか…? 入場料は500円程度だったと思う。興味本位で見に行った。新川の桜が咲いていたから春だ。一席演ったのか二席演ったのかは覚えていない。覚えているのは小三治が"船徳"を演ったことだ。その後42年間毎年小三治の落語を聴きに行くきっかけになった。
その時の"船徳"は強烈だった。50人ほどの観客はそのおかしさに悶絶した。私も含めて全員が会議室の折りたたみ椅子の上に普通に座っていられないほど身を捩っていた。
夕方から始まった落語会は帰るころには夜になっていた。あの時に見上げた白っぽい桜の花びら、湿り気を含んだ暖かい空気の匂いを今でも覚えている。
42年目の小三治は何か期するところがあったのだろうか。
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