数年前オペラシティ劇団の研究生がオペラシティの大きめの会議室で卒業公演として「かもめ」を上演した。
場所が場所だし出演者も研究生ということで入場料は安かった。この演劇を観てえらく感激した。新潮文庫でチェーホフの「かもめ・ワーニャ伯父さん」を買って読んだ。その後岩波文庫でも「かもめ」を買って読んだ。
何がそんなに心に刺さったのか。チェーホフは人生に白か黒しか認めないトレープレフとボロボロになりながらも生きて上昇しようとする灰色のニーナを対比している。最後のシーンでニーナは長い独白をする。脈絡のない「ヤーチャイカ(私はかもめ)」という言葉を挟みながら。どういう意味かは説明されていない。いずれ私はかもめのように大空を自由に飛び回る。という意味か、トレープレフに撃ち落とされたかもめのようにいずれ場末で死んでいく運命だ、と言っているのか。ニーナが去った後トレープレフは自室で猟銃で自殺する。
泥水を飲んでも生きながらえて自分の作品を作り続けようというチェーホフの決心を表した戯曲だと思う。これがチェーホフの初めての戯曲であることがそのことを暗示している。
「かもめ」は恋多き物語でもある。5組の男女による8組の恋。不倫にみちた話である。話が進むに連れお互いの関係や身分の違いがわかってくる。ちょっとしたセリフで別の相手に惹かれていることがわかる。舞台は一瞬で通り過ぎてしまうので本を読んで初めてわかったこともある。
もう一度観たいと思っていた。今回は前回と違い名前を知っている役者が多い。だいぶ前から楽しみにしていた。
残念な結果になってしまった。無名の役者たちの舞台の方が圧倒的に良かった。
ダメな点を挙げる。衣装が本人を表していない。重要な存在のトリゴーリンは作家にもかかわらず現代の日本の若者の格好をしている。トレープレフも先生役のセミョーンもそうだ。医者と貴族そしてイリーナはロシア風の衣装を身につけている。演出家はどういう効果を期待したのか。 ちょっとしたセリフで別の相手に惹かれていることがわかるところに面白さがあるのだが、登場人物たちはやたら好きな相手に飛びかかったりキスしたりのしかかったりする。めまぐるしいほどだ。 叫んだり怒鳴ったりするセリフは聞き取れるが下を向いたり横を向いたりしているときはセリフが聞き取れない。ただし佐藤オリエのセリフはどんな状況でもよく聞き取れた。 役者たちが舞台の上でやたらタバコを吸う。本当に吸わなくてもいいだろう。煙が客席まで漂ってきて不快だった。 セリフに間が多くて長かった。終演時間10:00pmは遅すぎる。 ニーナの最後のセリフがあっちへ行ったりこっちへ来たり下を向いたり横を向いたりしながら喋るのでよく聞き取れなかった。ここは客席を向いて一気に話して欲しかった。原作でも「私は女優、私はかもめ」の有名なセリフは一気に発している。
まだまだありそうだがこんなところにしておく。台本:木内宏昌、演出:熊林弘高。
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