ここ神田連雀亭は若い落語家たちのホームグランドである。毎日朝昼夜と落語をやっている。
今落語会の若手は元気がある。成金と称して10人前後の二つ目たちが競い合っている。注目は桂宮治と立川吉笑だ。
今日は吉笑の会だ。客の入りは10人程度。出てきた吉笑は首をかしげて「まっなんとか採算ラインでしょう」といった。
前座は立川語楼、立川談四楼の弟子だ。声はよく出ていて明るさもある。ただ話をするだけで精一杯で人物まで表現するには至っていない。落語の魅力は人物の描写にある。その噺家らしい大家さんを、あるいは花魁を、あるいは与太郎を表現することが大事だ。魅力的な登場人物には何度でも会いたいものである。
吉笑の最新の噺「一人相撲」は変わった噺だ。江戸でやっている相撲を上方で聞こうという。今ならテレビかラジオで聞くところを江戸時代ならどうしたろう、という発想か。店の若いものを江戸に行かせて見てきたものを上方で旦那が聞く。一人では偏りがあるから数人の若いものを行かせる。早く知りたいから走って行かせる。こういう発想は吉笑独特だ。他の誰もがこんな話は思いつかない。噺家というより作家の発想に近い。
「粗粗茶」も同様だ。客にお茶を出すとき、誰もが粗茶ですが、という。おいしいお茶です、とは言わない。なぜだろう。というのが吉笑の疑問だ。そこから噺が始まる。日常のちょっとした疑問を自分なりに考える。その考えを徐々にデフォルメさせる。行き着くところは…、というのが吉笑の落語である。なんとなくコント55号の萩本欽一の発想と似ている。
最後は「井戸の茶碗」。新作落語の吉笑にしては珍しく古典落語だ。古典だがところどころ吉笑の味付けがしてあり現代の落語になっている。
連雀亭を出たら雨が降っていた。入口の様子を撮っていたら吉笑が昇り旗を片付けに出てきた。「井戸の茶碗良かったです」と声をかけたら「久しぶりにやりました」と答えてくれた。
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