桂雀々が新宿末廣亭の夜席で独演会をした。寄席の夜席とあって3時間半たっぷりの落語会だった。当日券は畳の桟敷席で風情がある。なんだか昔の寄席に来たみたいだった。
まずは雀々の弟子の優々で「転失気」。前座噺だが上手い人がやると面白い。優々は場慣れしている雰囲気でそつなくこなした。
雀々の一席目は「子ほめ」でこれも前座噺だ。雀々がやると大爆笑になる。何が違うんだろう。
白酒はつなぎです、という雰囲気で「喧嘩長屋」、古典だが軽い噺だ。夫婦喧嘩の仲裁に入った大家さんが、友達が、そのまた友達がどんどん喧嘩に巻き込まれる。最後にはとんでもない人まで巻き込まれ…。
次はお目当ての神田松之丞。どうやら雀々が渋谷らくごに出ていた松之丞をスカウトしてきたらしい。講談にしては珍しく長めのまくらから入った。講談師とは思えないくらいまくらがおかしい。本題は「宮本武蔵より山田真龍軒」。実に調子がいい。彼は右手の扇子だけでなく左手の扇子も使う。時には平手で机を打ったりする。感性のおもむくままといった感じだ。しかも落語家のように右を見たり左を見たりする。つなぎという雰囲気は全然ない。全力疾走だ。桟敷からも汗が滴り落ちているのがわかる。もっと聞きたかったが長い話なので途中で打ち切った。観客からはため息が漏れた。
前半のトリは雀々の「夢八」だ。上方の噺である。東京の落語家でこの噺を聴いたことがない。
騙されて首吊りの番をさせられた頭の弱い男の話。怪談噺になってしまいそうな素材だが上方だけににぎやかで陽気な噺になっている。雀々は変な話を汗まみれになりながら騒々しく演じた。観客は大爆笑だ。
中入り後は今日出演の3人の落語家と1人の講談師による座談会。芸歴20年以上の諸先輩と同席した松之丞は高座とは打って変わってたよりなげに見える。普段はごく普通の34才の青年だ。
次は立川生志の新作。題名がわからないので勝手につける。「おまえだ」。独演会とあって共演者も気を使うだろう。軽い噺で主演者の邪魔をしないようにする。もってこいの軽い噺。だけど少しぞっとする話である。
トリ前は色物。独楽回しだ。寄席に色物はつきものだ。これが無いと寄席に来た感じがしない。
長かった寄席の時間も終わりに近づいた。3時間を超える演芸を見るには桟敷では辛い。椅子席がいいようだ。
雀々の「景清」。目貫師の定次郎が失明した。外見では明るさを装っているが実際は絶望の底にある。
近所の旦那・甚兵衛は定次郎の才能を惜しみ、何とか眼が再び見えるように、彼に神仏におすがりすることを勧める。
「景清」は定次郎のモノローグに終始する噺である。演じる側としては暗くならないように、重くならないように苦心する噺だろう。また定次郎の心理を微に入り細に入り表現することになり、うまくいった時の満足感も大きいだろう。上方から発生した噺らしい。雀々は流れるような関西弁で定次郎の心理を見事に表現する。テレビのバラエティ番組に出てくる漫才師のような汚い関西弁ではない。言葉狩りにあって消えつつある「メクラ」という表現も自然に聞こえる。5年前から活動の場を東京に定めた雀々。大阪に帰ることのないよう、彼の高座に通いたい。
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