前座の笑二は二つ目ということで話しぶりは達者だが噺の内容に身が入っていない。噺を十分に自分の解釈で咀嚼していない。ただ話を聞かされるだけでは落語を聴きに来ている意味がない。上方では「饅頭怖い」は真打の噺で桂枝雀は普通で40分、時には1時間かけてこの噺をしたという。枝雀は長屋の若い者が大勢集まってガヤガヤしている雰囲気をよく出していた。笑二の噺ではその場には常に二人しかいない。
「寿限無」は前座噺だ。前座噺も上手い人がやると面白い。登場人物がそこにいるように見えるからだろう。落語の面白さは話の面白さではなくそこに出てくる人物像の面白さだろう。自分の知っている人が落語家によってデフォルメされて動きまわる面白さだ。
「復讐おんな」は自分を捨てた男へ復讐するOLの話だ。白装束の代わりにタバコのヤニで黄ばんだウエディングドレスを着、藁人形の代わりにミッキーマウスの人形を持ち丑の刻参りをするOLの姿が鬼気迫る。五寸釘でミッキーマウスを木に打ち付けるコーン、コーンという音が不気味に響く。やがて…。
仲入り後は「子別れ」だ。古典落語の名作としての「子別れ」ではない。昭和の高度成長期、工事現場で働く職人を主人公にした談笑の創作だ。
談笑の生まれたところは江東区、近所の人はすべて職人でホワイトカラーは一人もいなかったという。お父さんも職人でまだ健在という。「今日は母親が来ていまして…。どうだ、恥ずかしいだろ?」と前から3列目の夫人に話しかけていた。親孝行な人だ。昨年芝の正伝寺でやった時は奥さんと子供の手を引いて楽屋入りしていた。家庭的な人だ。この人が演る「子別れ」では子供の頭をげんのうで叩いたりしない。オチは子供の「…」というまことに微笑ましいセリフで終わる。
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