新高円寺駅の近くは寺が多い。寺が多いということは緑も多いということで今日のような蒸し暑い日は砂漠でオアシスに出会ったようだ。
今日の会場、堀之内妙法寺というところは落語「堀之内」の舞台になったところだ。頭の鈍い男がお祖師様に願をかけに行く。道に迷ってなかなかたどり着かない。やっと着いたが今度は帰り道がわからなくなり…、という話。
新高円寺駅でおり、住宅街を妙法寺方面に行くが道が細く曲がりくねっていてなかなか着かない。落語そのままの体験をしながらやっとの事で妙法寺についた。広いお寺だ。緑が多い。セミの鳴き声も聞こえる。
場所は寺の中の会議室のようなところ。自由席なので早めに席に着く。トイレは本堂の奥。長い渡り廊下を歩いてトイレに行く。
一番手は兼好の「高砂や」。初めての仲人を引き受けた八五郎が習いたての「高砂や」を歌うが…、という話。前座噺のような軽い話だが兼好は適当に膨らませながら楽しげに演じる。
二番手は井上広法師の説法。若いお坊さんでiPadを使いながらわかりやすく話を進める。
「やってもらって当然」の反対は「有り難し」。前者では感謝の気持ちはわかないが後者だと全てのことに感謝する気持ちになる。自分には「やってもらって当然」などという資格はない。ということを自覚することが大事、という話。確かにその通りだ。
休憩後は桂雀々の「三年目」だ。旦那が職人だし、奥さんは中年のおかみさんという設定なのでこれが「三年目」だと気づくまで時間がかかった。しかも亡くなったおかみさんが幽霊になって出てくるのがまっ昼間、亭主がお茶漬けで昼飯を食べている真っ最中なのだ。上方の噺は少し違う。とは言っても今の関東のネタは三代目小さんが上方から持ち帰った噺を関東風に味付けしたものらしく元祖は上方というものが多いらしい。江戸前のはしっとりとした噺だが、上方のは大笑いする噺だ。3年経たないと髪の毛が伸びないのは同じなのだが…。
最後は山形教亭の説法。何かしてもらったらお礼をお返しするのは普通だが、何もしてもらわなくてもお礼を送る。例えば自分の使った後のトイレをきれいにしておくと後で使う人が気持ち良く使うことができる。次々に送ることで世の中全体が良くなる。という話。基本は井上広法師の説法に似ている。自分が自分がというのをなくせば世の中は住みやすくなる。確かにそうだ。
最後は全員のトークショー。盛りだくさんの会だ。司会のお坊さんのユーモアあふれる話ぶりが最後まで冴えていた。
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